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島原の乱では松倉重政や勝家が少々悪者にされ過ぎだわな。

江戸時代を通じて、旧領主を慰めるための「松倉祭」と呼ばれる
感謝の祭礼もあったとの事、奈良の領民には、かなり好かれていた。

しかも、島原に入った当初の重政は、南蛮貿易の振興の目的も有り、
キリシタン信仰にはかなり寛大な領主であった事が記録されている。

しかし将軍家光から直々に指摘が有り、キリシタン弾圧に転じる。

そして出てきたのが島原藩によるルソン攻略の計画だ。

松倉家は、キリシタンの本拠地であるフィリピンのルソン島に海外出兵する
計画を建てた訳だが、キリシタン根絶の為には、スペインのアジア支配の拠点
を根絶しない事には、どうにもならないと言う事が判ったのだろう。