【尊】徳川斉昭【攘】
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【阿部・井伊】安政期の幕府と雄藩【水戸・島津】
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これにしない? 「尊攘」の掛け軸のレプリカって、水戸のどこかで売ってませんかね? 別冊宝島1404 タブーの日本史81ページより
暗殺の黒幕は、徳川斉昭を置いてほかにない――
主君を失った彦根藩では家臣たちがそうにらんでいた。
かくなる上は、自分やちの手で斉昭を成敗し、主君の恨みを晴らす。
暗殺には、暗殺をもって返すのが、藩士たる自分たちの務めである、というわけだ。
とりわけその思いが断ち難かった家臣の一人が、小西貞義であったとされている。
井伊の暗殺を知ったとき、小西の怒りは尋常ではなかったという。
ただちに脱藩して、水戸領内に潜入、斉昭の屋敷に出入りする植木職人に
なりすまして、ひたすら暗殺の機会を待った。
そして決行を八月十五日と定めた。
斉昭が中秋の名月を愛でるのを楽しみにしていることを知った小西は、
住まいの床下に四日三晩潜伏。ようやく月見の宴会が終わり、
寝床に入る前に厠に立った斉昭が手洗い鉢に手を入れたところを、
小西が突然、躍り出て一太刀、脇腹に浴びせたのだ。
斉昭は、苦悶の表情を浮かべながらその場に崩れ落ちると、
再び目を開くことはなかった、という。
この話は、水戸藩士床井親徳の日記に記されているらしいが、
実際のところ真偽のほどは定かではない。
とはいえ、斉昭はこの日、急死していることは間違いない。
享年61。直接の死因は「心筋梗塞」だというが、背後には
「水戸藩 VS 彦根藩」の構図が浮かび上がることから、
斉昭暗殺説もまんざら否定できない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています