明治維新直後、旧幕府軍と戦うため官軍がチャーターし、東京・高輪沖を出航後、房総沖で沈没
した黒船の発掘調査が来年六月、日本水中考古学調査会と米テキサス農工大によって行われる。蒸気
機関や兵器、軍用金などが引き揚げられれば、当時の日米交流などを物語る貴重な歴史的資料と
なるものと期待される。 (蒲敏哉)
 船の名は「ハーマン号」。ペリー来航前の一八四七年、ニューヨークで建造され、西大西洋や太平洋
航路で就航していた。
 旧幕府軍の榎本武揚が函館の五稜郭に立てこもった際、官軍側の津軽藩を支援するため熊本藩が
米国から借り受け、六九年二月十二日(旧暦では一月二日)、藩士三百五十人を乗せ出港した。
 しかし、暴風雨のため翌晩、千葉県勝浦市沖で座礁し沈没。二百人以上が犠牲となった。
 旧熊本藩の古文書には、ハーマン号が「御銀一万二千〜三千両」を軍用金として積んでいた
との記録がある。
 日本水中考古学調査会の井上たかひこ会長は「現場は海流が激しく調査には数年間を要するが、
明治維新直後の知られざる歴史を解き明かしたい」と期待している。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2011020602000018.html