この時代、お前らのご先祖様って何してた?
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父方の曽々祖父、土佐で代々村の医者で、名前が○斎だった。
母方の曽々祖父、土佐の農民の息子が一念発起して医学校へ進む。
今はリーマン。 母方の曽祖母の父親は西南戦争に出征、新政府軍として西郷側の
熊本城の城攻めに加わったらしい。 >>5
召集兵と士族兵のどっち?それとも職業軍人? >>6
職業軍人だったらしいけど、それ以上は分からずじまい。祖母に詳しく聞いておけばよかった。 そういえばうちの祖母のそのまた祖父が
ニワトリ?を使った呪術?まじない?なんかしてて
副収入ごっつぁんです、な家だったらしい
いったいどんな爺ちゃんだったのか、地味に気になってる 父方は武家で、母方はあるとこの家臣(史料にも名を列ねる人)だったらしい。
今となってはただのやる気のないリーマン。俺の中では幽閉されてるんだと信じてる。
DNAレベルで平民らしい商いの才能はないらしい。
冗談抜きで
おれの曾祖父は藤本清兵衛
大和証券を築いた人間
今の日比野っていう社長のおやじ(当時の部下)に名実ともに引き継がせ、おれの家系に一文も
よこさなかった 父方は城代や郡奉行や儒者などいわゆる地方公務員の家系
母方は神職や農民の家系
現在は全く関係ない職人 ひいばあちゃんは大正時代に女子専門学校卒で婦人公論の編集やってました。 俺の曽祖父は近衛兵だった
若く死んだから遺影も超イケメン
子孫の俺も当然 徳川慶喜の時大奥にいた人。
金なくて浅草に質に出されたみたい。
それでたどったら、家康の側室。
北條家に仕えてた。
戦争に負けて北海道に逃げってったけど、まだ本州に墓有るらしい。
無縁仏?になってると思うよ。
城の後的な所にあるらしいからもしかしたら知らない人が管理してくれてるかも。 男系で辿った先の兄弟に岩倉使節団随行員がいるらしい
曾祖父の実家(曾祖父が当家養子)から幼少期に養子に出されてるとのこと
その人は歴史上の記録ではその家で生まれたことになっているけど
曾祖父の妹が、○○って人は○○家(曾祖父の実家)から出た人たい!って証言してた
母方を辿ると新撰組隊士がいるけど、これも直系の先祖の兄弟だなorz
どちらも玄祖父の兄弟ぐらいになるのかなぁ
24 青い鳥=0=2001/07/01(日) 05:45
小さい頃は近所の駄目人間おじさんをバカにしてたっけ・・・。
よれよれの紺のビニールジャンパー、べた付いてそのままよりも少なく
見える髪の毛。猫背。生気のない瞳。ただその存在そのものを見下して
たね。将来自分は絶対に出世するんだって何の根拠もなく思ってたね。
小さい頃からの日々の積み重ねが大人になるまで続いてくなんて夢に
も思わなかったよ。中学生の頃通っていた塾の先生が言ってたな。
「俺はあんまり頭良くないから法政にしか行けなかったんだ、ははは。」
クラスのみんなで大笑いしてたっけ。あの内何人が法政以上の大学に
行けたというのだろうね。毎日会社に通って夜遅くまで働いてるお父
さんがいかに大変で偉大かって、やっと分かりました。
転職を繰り返して人に馬鹿にされて初めて分かりました。生きるって
本当に大変。何をやっても後悔が待ってるもんね。特別じゃない。
自分は特別な人間でも何でもないんだって、20代後半になってやっと
分かりました。あの頃、白い眼で見てしまったおじさん、ごめんね。
あなたのぶんまで生きようと思います。
でも、時間が必要だったことだけは分かって欲しいんだ、おじさん。 >>17 新撰組隊士ってすごいなあ、誰?ご先祖様は。 もっと遡ればアフリカの女性。それかアダムとイブ。
近代に近づけば暇ですることなかったから戦ばかりの人間。
けれどその時代に生きていなかったから本当のことは判らない。
今も3日前のことはわからない。日記を書けば都合の悪い事は書かない。
だから何も判らない。 後世から見れば名前がのこる先祖ってすごいとおもっても当人にすれば
しんどいだけだったかもしれんね 土佐の下士。
半平太の投獄で騒ぎ起こして首になりました。 俺は生きていても何の役にも立たない屑人間(しかもロリコン) 日本人の祖先の8割は農民だったはずだが、祖先を語る人で「農民が祖先だ」と発言する人は、
思ったほど多くないね。
俺の祖先は、もちろん農民だ。
ここを見ている人たちの中にも農民の子孫はたくさんいるはずだと思うが、
みんな沈黙しているのだろうか?
父方は二万四千石の大名で昭和期まで男爵家、
母方は農民だが、農地改革まで地主だった。 北陸出身だが、前田利家と一緒に尾張の田舎から金沢の田舎にやってきた足軽その1
刀より鍬持つ方が長い位の身分で 明治ごろは染物職人してた
ひい祖父さんは遊び人で 馬持って各地の草競馬を放浪していたらしい 幕府の命令で、パークスを乗せた蒸気船がどの港に向かっているか
知るために、横浜居留地の外国人が出した新聞を、懸命に翻訳していた。 母方の曽祖父は支那事変に従軍したがマラリアに罹患して帰朝したそうだ 祖父から前はずっと農民 親父はサラリーマン
大叔父が最高裁判事やってたのが唯一の親族自慢 高遠藩の足軽で長州征伐で大阪まで歩かされたらしい。戦闘はせず。 中世は千葉氏の被官だったが主家滅亡と同時に帰農、佐賀にも鎌倉時代に枝分かれした遠い一族がいるらしい
当然交流はないが、肥前千葉氏の被官の一統だな 親父いわくうちの先祖は渡来人(キリッ)
いやじい様の親父の代には東北で百姓してたのは知ってるが
なんでじい様も一言も言ってない1000年以上前の事知ってるのかと小一時間(ry
(たぶんネタだろうな) 父方はなんか超ド田舎の山の方で百姓してた
母方は漁師でなんか鯨とかとってた 元々は陸奥の小領主→芦名氏滅亡時、伊達氏に追われて常陸に逃亡、そのまま
佐竹家家臣に→佐竹家の秋田転封に従い秋田へ→江戸時代はずっと久保田藩のリーマン
→高祖父が日露戦争で旅順従軍→曽祖父がリーマンから独立して会社起業。
2号さんが後添いにはいって祖父と折り合い悪し→祖父が海軍、戦後はリーマン。
死因も調べたw高祖父が卒中、祖父が心臓。
高祖父は赤ら顔の巨漢で、田舎だけど名士だったそうな
ちなみに高祖父の後添いにはいった愛人は
脊椎カリエスで30そこそこで亡くなった 家に年寄りがいれば聞けばわかるやろ。
ちなみに俺の81歳のばぁさんに聞いてみたらひぃじぃさんが戦病死。
ひぃひぃじぃさんの死因は癌。
うちはひいひい爺さんとか昔すぎて年寄りすら知らんわw
知ってたとしても昔は死因なんか曖昧ではっきりした病名もワカランだろうしな。 俺の爺さんの爺さんは脳溢血だわ
ガキだった爺さんの目の前でぶっ倒れて大イビキ
仕事は飾り職人だったそうな
東京湾で獲れるシャコを塩茹でしたのを肴に
毎晩1升は飲む大酒呑みだった 詳しいことはわからないが
母方も父方も農民だったようだ 母の実家は明治維新までは公家だったんだぞーと聞いているが、証拠はみたことないな
調べたら、苗字が一致する家はあったが 父方の祖父が戦時中に勲四等という、兵卒ではありえない勲章貰ったんだが(大抵は二年従軍して勲八等止まり)
何でもアメリカの航空機を機関銃で撃墜する戦果を上げたらしい、ちなみに自分も野球させたらコントロールはいいと思う >>55
マジで?
兵卒で勲四等は確かにあり得ないな。
一般的に一定の功績を挙げた中佐・大佐クラスが貰う勲等だぞ。
勲記とかちゃんと残ってるの? 帝大助教授とかキャリア官僚だろ、位階に薫陶がついてくる。 >>55
兵卒で勲四等は絶対に無いよ。
著しい戦功を挙げたとしても六等が良いところ。
何かの間違いとしか考えられない。 >>58
勲四等は元々明治時代の将官クラス(華族)が貰う初叙位勲。
一般的には功績ある連隊長(中佐・大佐)が貰う勲等。
明治25年に民間人で初めて貰ったのはあの渋沢栄一等の偉人。
勲四等をなめちゃダメだよ!
>>55
冷やかしとかじゃなくて、是非その証拠のような物を見せて欲しい。
勲記が現存しているなら、それが一番の証拠になるのだがね。
戦前・戦中の時代において兵卒で勲四等を授与されたことは世紀の大ニュースに近い出来事とも言えるよ。 当時カナダのあたりでアンモナイト食ってたって聞いた マジレスすると奈良の豪族で織田信長の髪を結ったご先祖様。 >>60
兵卒の航空機撃墜で勲四等なら軍ヲタなら知ってるはずんじゃね? ホントか冗談か分からないが父曰わく、先祖は山伏らしいw だいたいがじーさんばーさんの話なんて適当で記憶違いだらけだからな。 んじゃ真面目に
父方の祖父は下駄屋、祖母は飲んだくれ
母方の祖父は大工の棟梁、祖母は結婚前に富岡製糸工場で経理 俺の先祖は
羅生門で鬼の腕切り落として持ち帰ったら
ある日老婆が見せてくれって訪ねてきて見せたら実はその鬼が化けてて持ち去られた
んで子孫に二度と鬼を逃がさないように天窓塞げって変な言い伝え残した
婆ちゃんまでは家が古かったから守ってたんだけどね 源三位殿乙
曾々祖父は鵜沼銀行っていう地方銀行の頭取やってた
俺は傍系だけど、その家と交叉いとこ婚続けた家に生まれたんで
いろいろ話は聞いているし、近親故の疾患も頂戴している
その銀行は昭和最初の世界恐慌に巻き込まれて統合されちゃったんだが、
家財を一切合財オークションで売り払って預金者にお金を払ったそうな
税金で守られてる現代のシティバンクとは大違いだわ
あと曾祖父が日本初のカメラ買って風景写真を撮りまくってた
祖父も同じくカメラ趣味で、孫の俺はデジカメ使ってDTPやってます 地元の町誌によると荒木村重の叔父のはずだったんだが最近甥っ子で小姓してたって記載が多くなってる。
江戸期には地元の藩医や杉田玄白に嫁さん出したりしてるけど維新後は没落して滅亡の危機ですわ。 俺の先祖はアダムとイブです。これより遡ること不可。
故にこれより正しいものはナイ。
だから人類みんな親族。だから非人であったり 武家であったり、俺が誰だか
さっぱり判らず。 源平の水島の戦で、源氏軍の将である赤澤左衛門尉が父方の祖。
ちなみにこの戦は平家軍の勝利だったとのこと。 もうひとつ判明
日本の「簿記」システムを発明した学者も縁戚にいた >>69
>日本初のカメラ買って
国産初ということでしょうか? ジイサンが買ったフォイクトレンダーというカメラが残っていた。
写真オタクの友人に頼んで整備してもらったら、ちゃんと使えた。 伊予の水軍→豊臣秀吉が天下統一→水軍衰退→江戸時代初期に越中へ移住・帰農→明治維新→松方デフレで没落
→西日本各地を転々→四国へ定住→子孫は会社員と地方公務員と自営業と無職 母方は皆農民。父方はそれを知る祖先が殆ど戦前に死に絶えたため伝承が途絶えて不明 10年後、父親の遺品を探っているとハングルが・・・ 父方は武士
母方は職人
現代の自分たち兄弟は
ただの一般人 この時代といわれても世襲の心肝は明治政府に否定されたからなあ
当然廃業
寺の廃仏毀釈とかも・・・あいつら頭おかしい 本籍地から10キロも離れてないところに苗字と同じ地名がある。
そこは海沿いの埋め立て農地だから江戸時代に移住したことはほぼ確実。
先祖は由緒正しい零細農民で間違いない。 福島正則なんかに仕えたから、主君の改易に連座して遠国蟄居。
四代将軍家綱に拾われてやっとお目見得。 貧乏侍、小学校教員、官吏、と江戸、明治、大正を生きた。昭和になって自営業
今も自営業。 近代史の明治維新のように稼げるかもしれないブログ
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
GKW4F 町会議員 学校教員 出版社課長 保険外交員 化粧品会社主任 農業
私のご先祖様は一般人レベルだが真面目な人が多いかな
みんながいたから私はいるのである いろいろと役に立つ嘘みたいに金の生る木を作れる方法
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
401 戦国最弱の武将・小田氏治の家臣で、負け戦の時に命を救って今の家紋を賜った。 母親の曽祖父が日露戦争で何か手柄をあげたらしく栃木の母親の実家に指揮官か誰かからの賞状がある。
母親が生まれる6,7年前に死んだので話は聞けてないらしいが。 桓武平氏→常陸平氏→大掾氏→石川氏→うちの氏族→北関東にある大老もつとめたこともある譜代名門藩につかえ江戸時代中〜後期くらいに農民反乱一揆の責任でクビ
持ってた農地を自ら耕作し農民に身を落としながら仕官の機会を待つ→江戸後期幕末にお隣にある今までつかえたとこの支藩である御家に登用され藩内序列40位程度の地方住み役人として農業経験とそのノウハウをかわれ勧農方としてつかえる
戊辰戦争江戸城開城後の治安維持のために江戸に出向→そのまま邏卒として明治政府に出仕→地元の田畑全て売り払い家族を東京に呼ぼうとしたところ突然死去
家族は地元に残り今後の生活をどうしようか悩んでると田畑を売って金を持ってることを知ってる近隣農家が資金ぐりに困っては金を借りにくる状態が続き、金貸しが生業となる
借金の担保としてた農地が次々と転がり込み売り払ったときの農地のうん十倍以上の大地主となってしまう この次の代が曾祖父で全てを相続するも芸者の妾をつくり見受け、そのままこの芸者を実家に送り届けるといい岩手へいきそのまま帰ってこず曾祖父の次弟が家督継承
息子である俺の祖父は家の中で肩身の狭いおもいをしながら育つも豪傑のような腕っぷしの強さと胆力で頭も良く若い衆の頭のような人物に成長→支那事変勃発→機関銃連隊に所属する
敵に包囲され孤立した部隊に単身で武器弾薬を何度も運び込み脱出撤退を成功させ金鵄勲章受賞→二階級特進して伍長に→上官の理不尽な命令に納得できず上官を便所まで追い詰め尋問してしまう→金鵄勲章剥奪
復員→中島飛行機株式会社へ就職し技術製造係長補佐となる→江戸時代から16代脈々と続いてる旗本領7ヶ村の名主をしてたところの9女末娘の祖母と結婚 終戦→祖父の叔父さんが満州から引き上げてくる→満州にて土木建設業をしていた叔父さんが日本でも同じ仕事をはじめ祖父もそこで働くようになる
俺の親父誕生→叔父さん死去、祖父、会社社長に就任→親父、紡績繊維メーカーに就職→親父、無理やり祖父の土木会社に引き込まれる→祖父のどんぶり勘定で会社破綻し倒産大借金を抱える
祖父リタイアし親父、祖母方の親戚が経営してる電機系基盤製造会社に再就職し借金返済のために自身を滅してとにかくがんばる→同じ職場にいた地元郊外にある大規模農家の次女の俺の母と知り合い結婚→俺誕生
親父、会社との折り合いが悪くなり退職、ダスキンとフランチャイズ契約を結び清掃用具レンタル業を始める→俺、家業継ぐ
桓武平氏の流れをくむダスキン屋です 自分より1世代上を辿ると父と母で2人
2世代辿ると父方の祖父母と母方の祖父母で4人
3世代辿ると8人
4世代辿ると16人
5世代辿ると32人
6世代辿ると64人
7世代辿ると128人
8世代辿ると256人
9世代辿ると512人
10世代辿ると1024人
11世代辿ると2048人
12世代辿ると4096人
13世代辿ると8192人
14世代辿ると16384人
15世代辿ると32768人
16世代辿ると65536人
17世代辿ると131072人
18世代辿ると262144人
19世代辿ると524288人
20世代辿ると1048576人
21世代辿ると2097152人
22世代辿ると4194304人
23世代辿ると8388608人
24世代辿ると16777216人
25世代辿ると33554432人
昔は20歳とかで子ども作っていたからもっと若く子ども作った人の事も加味して全員20歳で子ども作っていたと仮定すると
20世代辿ってもたった400年前の話である
ちなみに鎌倉時代の頃は日本の人口は757万人
江戸時代の初期は1227万人しか存在していない
天皇の子孫だという人の事をデーモン小暮が平安時代くらいの天皇まで遡ると
日本国民全員がほとんど天皇の血筋が混ざっていると豪語していたがこのことを踏まえて考えると真実味が増す
どんな名家でも20世代後にはその名家の血筋は1048576人分の1に薄まるのでもはや他人と言っていい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています