@巷間、多くのアマチュア作家が
「山本五十六の率いる連合艦隊が独断でこっそりと政府にも陸軍にもそれどころか、
海軍軍令部にさえも知らせずに真珠湾攻撃を実施した」と多くの書物で主張している。
その代表例は下記の人たちである、
○小室直樹 『硫黄島 栗林忠道大将の教訓』
○佐藤晃 『太平洋に消えた勝機』
○西村眞吾 『眞悟の時事通信 No.693 統帥と戦略、戦術、戦闘』
○若狭和朋 『日本人が知ってはならない歴史』

ここで事実を記述しておく。
真珠湾攻撃は
天皇陛下も承認し、
政府代表東条首相も承知、
陸軍参謀本部も参謀総長も承知、
海軍軍令部も軍令部総長も承知、
陸海軍合意の上で作戦が作られて
国策として実施されたものである。

A8月22日に陸軍参謀本部作戦当局にハワイ作戦の計画が海軍側から伝えられてから
同作戦は南方作戦の一環として陸海軍作戦当局間相互交流の上で研究立案の上、10月末までに完成した。
東条内閣の組閣後、白紙還元の御諚で9月の国策を再検討し10月23日から10月末まで
前後8回の連絡会議を開いて再検討が続けられたが 結局、国策を変える結論は得られず、
11月2日午前2時に対米英戦決意を定め、交渉不成立の場合に武力発動を12月初頭とした。
11月2日午後5時、東条首相はこの旨を天皇に参謀総長と軍令部総長と共に上奏した。
11月3日 参謀総長と軍令部総長はハワイ作戦を含む対米英戦の作戦内容を上奏した。
允裁を仰ぐためではなく、11月5日御前会議におけるご決意の資とする為であった。
11月5日の御前会議でこの国策が正式決定された。
11月3日の永野軍令部総長が読み上げた上奏文案のハワイ空襲作戦についての記述を紹介する。
「開戦劈頭比島及馬来ニ対スル先制空襲ト成ルベク時ヲ同ジク致シマシテ、
第一航空艦隊司令長官ノ率イル航空母艦6隻ヲ基幹トスル機動部隊ヲ以チマシテ、
布哇在泊中ノ敵主力部隊ヲ空襲致シマス。右機動部隊ハ千島ニテ補給ノ上開戦十数日前内地ヲ進発致シマシテ、
布哇北方ヨリ近接シ、日出一、ニ時間前「オアフ」島ノ北方約200浬附近ニテ全搭載機約400機ヲ発進セシメ、
碇泊中ノ航空母艦、戦艦並ニ所在航空機ヲ目標トシテ奇襲攻撃ヲ加フル計画デ御座イマス。
 以下略」。
また、「12月8日」という日付はこの時に伝えられていて、御下問にもその記録がある。
お上:海軍の日次は何日か
永野:8日と予定して居ります
お上:8日は月曜日ではないか
永野:休みの翌日の疲れた日が良いと思います
お上:他の方面も同じ日か
杉山:距離が相当に離れて来るので同時にはなり得ないと思います
以上。
東条首相も11月5日御前会議の前後に
参謀総長よりハワイ作戦を知らされている。
御採択の後には統帥部から陸海軍大臣に作戦計画の
通報が行われる決まりになっているからである

B
ただし、東条首相はハワイ作戦の策定には一切関与しておらず、
また、政府は統帥に関与できない決まりになっているので
責任はない。