C東条英機首相と陸軍はハワイ攻撃を知っていたことを示す典拠

○11月8日から3日間、陸軍大学校において連合艦隊司令長官と南方軍総司令官、
南方部隊指揮官である第2艦隊司令長官と南方軍総司令官との間で作戦協定が行われ
10日に調印された。開戦劈頭に機動部隊によるハワイ奇襲の計画があることや
その重要性をひそかに説明しハワイ作戦優先の了解を得た。東京協定と称せられた。
出典: 戦史叢書 「海軍航空概史」  防衛庁防衛研修所戦史室編纂 P162 
出典: 戦史叢書 「ハワイ作戦」  防衛庁防衛研修所戦史室編纂 P229 

○11月29日の重臣会議において東条さんは天皇の陛下の前にて 自らの説明の時に
「ハワイ攻撃の事は勿論其他攻撃に関する純統帥事項は告げず」と記入している。
また午前中、政府と重臣たちとの間の懇談で日米交渉のことについて問われた際、
「純作戦事項のことについては説明をさけたのであります」とも述べている。
出典:「大東亜戦争の真実―東条英機宣誓供述書」 WAC出版
出典:「東条英機宣誓供述書」 国立国会図書館近代デジタルライブラリー

○11月30日 東条首相拝謁時 『(前略)海軍ノ一部ニ作戦ニ就キ不安ヲ懐キ居ル者アルヤニ
拝謁セラルル御話アリシトノコト(布哇作戦ノ予想ニテ犠牲ノ多カルヘキ御話ナリシカト思ハル)
ニテ、首相ガ拝謁ノ時首相ニ御下問アリシ (首相)少シモ聞及無之旨奉答』
出典: 昭和天皇発言記録集成 下巻(芙蓉書房出版) P.96

○・12月1日の御前会議の席上、東条さんは政府及び統帥部が
原枢密院議長の質問に対して答えた際、
「この時の説明に際してハワイ攻撃其の他の統帥事項に関する具体的の事については
少しも口外せず」と述べている。

・「帝国は1941年12月1日より開戦準備に入り大本営陸海軍統帥部の
企画に基き敵の大包囲圏を「ハワイ」、「比島」、「香港」、及び「マレー」
の4箇所において突破するの作戦に移りました。
12月8日(日本時間)早暁其の攻撃を実施しました。
而してこの攻撃は何れも軍事目標に指向せられたのであります。
此の攻撃作戦は統帥部において極秘裡に進められたのであります。
私は陸軍大臣としてその概要を参謀総長より承知して居りました。」と述べている。