結局、近衛文麿が一番悪いんじゃね?
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
日本が二次大戦で負けて占領されたのって、結局全部こいつのせいなんじゃね? 辻は天寿まっとうしてないよ。
中国の牢屋に放り込まれて死ぬまで出て来られなかった。 辻ーんが銅像になってるのには驚いたw
身近な人には人望あったと言うのは本当なんだな。 近衛の事績
・中国との全面戦争を危惧する統帥部の意向を軽視し主戦派の尻馬に乗ってその後押しをした
・基本的には英米協調との重要性は認識してたがそれまでの持論の故か不徹底
・現実に対米戦争が現実の問題になるとなんら方策を持ち合わせず責任回避
戦後の政治行動はまさに問題外の噴飯物 ヒロヒトが開戦決めたんだからどうしようもないでしょう
誰よりも平和を願った名将 それが山本五十六の実像である
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ヽヽ〃 /
ヽ〃 真珠湾奇襲プシュ!
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自称 歴史探偵団 半藤 一利(笑)
デタラメ近代史を流布する
ホラ吹き作家
>>369
そうだよ。
誰よりも平和を願った名将 それが山本五十六の実像である 一番悪いのは国家元首であり大元帥として軍を統帥してたヒロヒトでしょ 白兵突撃って、現代で言うところのブラック企業に受け継がれてるんだな。
悪しき伝統だ。 こいつの孫の細川はよく首相になれたな
当時誰も反対しなかったのか?
まあ、極悪人のチッソの孫娘が皇太子妃になってるくらいだが もう、やめな。
君らはどこまでこの人について調べたことがあるんだ?
そこらの、いいかげんな作家達が書いた本だけしか知らんのだろう。
簡単に人を批判する単細胞の人間ばかりだなあ、日本は。 お前も「いいかげんな作家達」と簡単に批判してんじゃねーか糞コテ フミマロ自身は、自分がそこまで重要な舵を握ってるって意識が薄かったんじゃないかな?
後は後続の内閣に任せようって感じだったんじゃなかろうか。
どうしても戦争回避!!
断固戦線不拡大!!
軍部粛清!!
とは言い切れなかったのはそこに由来するんじゃないかな? 近衛がどう思っていようが重要なポストにいながら戦争回避のチャンスを故意か過失かわからんが見逃していたのは結果責任を問うなら決定的に悪い。 日本を壊滅させた馬鹿は、愚かな作戦を独断で強行した海軍・山本五十六である。
近衛が悪いわけではない。
■若狭和朋 『日本人が知ってはならない歴史』
開会の直前に、東條首相は杉山元参謀総長から耳打ちされた。『どうも海軍はハワイをやるらしい』
『なに、ハワイ。話が違うではないか』と東條英機首相は激怒している。
開戦前夜、東條英機首相は暗夜の公邸で慟哭している。翌朝、日本帝国首相は真珠湾攻撃の成功をラジオのニュースで知るのである。
(早朝の電話報告で攻撃成功を知った、という説もある)。」
■小室直樹 『硫黄島 栗林忠道大将の教訓』
「大東亜戦争の初め、東条首相は真珠湾攻撃を知らなかった。
これは東条のみでなく、陸軍全体が知らなかった。 誰もが驚くような話である。
何故かと言えば、日本軍の共同体の構造がそのようになっていたからだ。」
■佐藤晃 『太平洋に消えた勝機』
「だがこの時すでに、真珠湾作戦部隊はヒトカップ湾をハワイに向けて 出航している。
政府はこのことを知らされていない。 略
国家存亡の戦争を行う国の最高指導者が知らぬまに、
そして 共同作戦をとる陸軍が知らぬ間に、このような重大作戦が決行される事など、
最高指導者の下に統合幕僚組織のある普通の国では考えられないことである。」
■西村眞吾 『眞悟の時事通信 No.693』
「つまり連合艦隊司令長官は、この時既にハワイ真珠湾攻撃を決意していたのだ。
このことは海軍軍令部総長も知らない。
もちろん、首相である近衛も十月に首相になった東条も知らない。」 略
腹案は、よくできている。そして、現実には、第一段階(南方作戦)は一挙に達成され、第二段階(西亜作戦)の途中まで達成された。
しかし、この「戦争終末促進に関する腹案」の基本方針に反することを、最初から実施し、しかも順調に進んでいた第二段階を自ら放棄して、
結局、腹案全体の戦略と戦術、我が国家の基本戦略を崩壊せしめた人物がいた。
我が国から統合幕僚本部を喪失させた山本権兵衛に続く、海軍のもう一人の山本。山本五十六連合艦隊司令長官である。
■茂木弘道『史実を世界に発信する会』
その基本戦略に反する戦いを始めたのは、海軍の山本五十六連合艦隊司令長官であった。
略
山本提督一派によるパフォーマンスのようにしか見えない戦い方だが、最初の真珠湾攻撃で意見の対立が生じたとき、
山本提督を更迭するだけの力(それだけの人物)と覚悟が海軍上層部になかったということなのか。
結果、日米戦争での日本の戦いは相手(米国)のリングで戦うことになり、惨憺たる負け戦になったことは史実が示す通りである。
海軍の勝手な独断によるハワイ奇襲を知り
愕然とした当時の近衛元首相。
(本当にうんざりしたというような言葉つきで)
「今日の宮中は真珠湾攻撃礼讃でもちきりだった。
岡田大将さえ杯を重ねて、たいへんな勢いだった。
やっぱり岡田も軍人ですね。
そして言うには
『山本はやっぱり偉いよ。末次でも真珠湾攻撃をやらせたら航空母艦は少しは残しておいたろうに。
山本は全部をこの作戦にぶちこんでしまった。
試R本はポーカーbフ世界的名手じb痰チたが、奴はャ|ーカーの手を瑞^珠湾に使いおbチたのだ。』
と大変な御機嫌で、それを取り巻く老人達が何もわからずにお太鼓を叩いていた。
不愉快でしたね。低級ですね。この調子じゃ、最後まで行ってしまうかも知れませんよ。」
富田健治『敗戦日本の内側』
【山本五十六こそが日本を対米戦争に引きずり込んだA級戦犯】
■海軍が日中戦争を勃発、泥沼化 (算拡大が目的)
海軍次官・山本五十六は、陸軍と対等の予算獲得のため大量の爆撃機配備をもくろみ
盧溝橋事件が収束し日中和平実現が目前だった時(船津和平工作)
山本五十六海軍次官はそれに危機感を持ち
それを妨害するために中国都市空爆を強行したと考えられる。
その海軍が強行した南京爆撃(渡洋爆撃)は、盧溝橋事件以前から周到に準備訓練していた、
中国に対する計画的な侵略戦争である。
当初は敵飛行場を標的にしたが、山本が開発した96陸攻は防弾装備が皆無で旧式の敵戦闘機に撃墜されまくり、
直ぐに夜間都市無差別爆撃に切り替える。
第二次上海事変を機に4ヶ月にもわたって南京への猛爆は敢行された。
山本五十六が中心となって強行した南京無差別爆撃こそが日本の暴走の始まりである。(日中戦争泥沼化)
共産党の狙い通り全中国人を反日で一致団結させ、世界を敵にまわす結果を招く。
戦略的な効果は殆ど無く無意味に日本の被害は増大。
ルーズベルト大統領はこの海軍の南京無差別爆撃を世界に向けて非難。
アメリカ大統領が歴史上初めて、日本を強烈に非難した。(隔離演説)
(満州事変でさえもアメリカ大統領が日本を批判したことは一度も無かった。)
天皇陛下が遅くとも11月3日にハワイ作戦詳細を知っていて、
陸軍参謀総長も遅くとも11月3日にハワイ作戦詳細を知っていて
東郷外務大臣は11月29日には開戦日12月8日を知った。
陸軍参謀本部作戦当局が8月22日にハワイ作戦を知らされ、
以後、海軍側作戦当局と相互に同作戦を含む南方作戦の研究立案を行い10月末までには完成した。
陸軍大臣兼務の東条首相自身は次のごとく供述書に述べている。
「陸軍大臣としてハワイ作戦の概要を参謀総長より承知していた」
東条内閣組閣後、白紙還元の御諚で9月の国策を再検討し10月23日から10月末まで
前後8回の連絡会議を開いて再検討が続けられたが 結局、国策を変える結論は得られず、
11月2日午前2時に対米英戦決意を定め、交渉不成立の場合に武力発動を12月初頭とした。
11月2日午後5時、東条首相はこの旨を天皇に参謀総長と軍令部総長と共に上奏した。
11月3日 参謀総長と軍令部総長はハワイ作戦を含む対米英戦の作戦内容を
御前会議におけるご決断の為の事前資料として天皇に上奏した。
11月5日の御前会議でこの国策が正式決定された。
東条首相はハワイ作戦の作成には一切関与しておらず責任はないが、
天皇に忠実で気に入られ、日に何度も参内し胡麻スリと揶揄されていた東条首相、
憲兵隊司令長官として実績をあげ、諜報網活用に卓越していた東条首相が
この頃に参謀総長より非公式に概要は知らされていたと思わぬ理由はない。
知らないとか知らさないなどの理由が見つからない。
東条供述書において次のように述べられている。
「陸海軍大臣は,作戦計画に関しては陛下に上奏して御裁可を受けた後にその通報を受けるのであります」と 。
従って11月5日御裁可を受けた、この頃に間違いなく「その通報」を受けていた筈である。
キーナン尋問では天皇が「11月3日までにハワイ作戦詳細を知っていた」ことには言及が及んでいない。
東条首相が12月1日以前に非公式にであっても、知っていたと言うことは天皇への追求が行われる恐れがある。
従って、絶対に裁判の場では言う事はできないのだ。
東条首相は天皇をかばっているのである。 11月3日に杉山参謀総長と永野軍令部総長は列立して
天皇陛下に対英米蘭戦の作戦(ハワイ作戦を含む)を上奏した。
この時の天皇陛下のご下問の一部がメモとして残っている。
オ上:香港ハ馬来作戦ノ開始ヲ確認シテカラヤルコトハ分ッタ。支邦ノ租界ハドウスルカ。
杉山:租界接収及交戦権ノ発動ハ目下研究シテ居リマス。
オ上:租界ハ香港ノ後デヤルダラウナ。
杉山:サウデ御座イマス。他ノ方面デヤルト馬来ノ奇襲ハ駄目ニナリマス。
オ上:租界ハ何時頃ヤルカ。
杉山:外交トモ関係アリ、何レ改メテ申上ゲマス。然シ先キニヤルコトハナイ様十分注意致シマス。
オ上:「モンスーン」デ上陸ガ困難ニナルト言フテ居タガ、十ニ月ニナッテモ上陸ガ出来ルカ。
杉山:段々悪クナリマス。又最近従来申上ゲタヨリハ更ニ困難ナコトモ判明致シマシタガ、
未ダ至難ト迄ハユカナイト思ヒマス。日ガ延ビレバ実ハ困難ガ増スノデ、一日デモ早イ方ガヨイト思ヒマス。
オ上:馬来ハ天候ノ関係カラドウカ。
杉山:馬来ハ機先ヲ制シテ空襲ヲヤル様ニ考ヘテ居リマシタガ、
気象上カラハ雨ガ三、四日連続降ルノデ奇襲ヲ主ト致シマシタ。
両案ヲ考ヘテ適当ニ律スルコトヲ考ヘテ居リマス。比島ハ大丈夫ト思ヒマス。
(気象統計ノ天覧ヲ願ッタ)
オ上:総理ハ航空ノ命令ヲ早ク出スコトヲ話シテ居タガアレハドウカ。
杉山:航空関係ハ大連、青島、上海等デ出発出来ル様ニシテ待ッテ居リマス。
然シ出発日次ガ延ビルコトノ不利ニ就テノ対策ハ、種々研究ノ結果大命ヲ御前会議終了後ニ発セラレテモ、
何トカ間ニ合フ様ニナリマシタ。又其ノ方ガ筋ガ通ッテ居ルト思ヒマス。
オ上:筋ノ通ッタ方ガヨロシイ。
泰ニ対スル外交交渉ハ大義名分カラ言ヘバ早クスルヲ可トシ、
又軍ノ奇襲カラハ遅イ方ガヨイト思フガドウカ。
杉山:仰セノ通リデアリマス。決意致シマセヌ時期デハ企図ガ暴露シ適当デハアリマセズ、
又現在ハ相当ニ切迫シテ居ルノデ気ヲツケル必要ガアリマス。ヨク外務側ト相談シテ研究致シマス。
オ上:海軍ノ開戦予定日次ハ何日カ。
永野:十二月八日ト予定シテ居リマス。
オ上:八日ハ月曜日デハナイカ。
永野:休ミノ翌日ノツカレタ日ガ良イト思ヒマス。
オ上:他ノ方面モ同ジ日カ。
永野:距離ガ相当ニハナレテ居ルノデ、同時ニハナリ得ナイト思ヒマス。 ☆昭和16年12月3日山本聯合艦隊司令長官、 天皇陛下に拝謁被仰付(.おおせつけられ)参内。
山本長官より聯合艦隊の将兵に向けて発信(聯合艦隊機密第775番電)
本職12月3日天皇陛下ニ拝謁被仰付親シク別電ノ勅語ヲ賜リタリ謹ンデ伝達ス
追テソノ際本職ハ「開戦ニ先チ優渥ナル勅語ヲ賜リ恐懼感激ノ至リナリ謹ミテ大命ヲ奉ジ
聯合艦隊ノ将兵一同粉骨砕身誓ツテ出師ノ目的ヲ貫徹シ聖旨ニ応ヘ奉ル覚悟ナル」ヲ奏答セリ
勅語
朕茲ニ出師ヲ命スルニ当リ卿ニ委スルニ聯合艦隊統率ノ任ヲ以テス
惟フニ聯合艦隊ノ責務ハ極メテ重大ニシテ真ニ国家興廃ノ繋ル所ナリ
卿基レ多年艦隊練磨ノ積ヲ奮ヒ進ンテ敵軍ヲ勦滅シテ武威ヲ中外ニ宣揚シ
以テ朕カ信倚ニ副ハンコトヲ期セヨ
☆昭和16年12月10日 布哇作戦の戦果に対し山本聯合艦隊司令長官に対し勅語が下賜された。
勅語
聯合艦隊ハ開戦劈頭善謀勇戦
大イニ布哇方面ノ敵艦隊及航空兵力ヲ撃破シ偉功ヲ奉セリ
朕深ク之ヲ嘉尚ス
将来益々奮励シテ前途ノ大威ヲ期セヨ
出典:戦史叢書 ハワイ作戦 防衛庁防衛研修所戦史室編纂 >>354 >>382
主張の出典根拠を教えてください。 >>380
いったい下記の作家たちはその主張の根拠出典をどこから持ってきたのか?
教えてくさい。
○小室直樹 『硫黄島 栗林忠道大将の教訓』
○佐藤晃 『太平洋に消えた勝機』
○西村眞吾 『眞悟の時事通信 No.693 統帥と戦略、戦術、戦闘』
○若狭和朋 『日本人が知ってはならない歴史』
○茂木弘道『史実を世界に発信する会』 松岡が外相にいる時点で戦争回避無理じゃね?
日米交渉邪魔するし。
近衛が第二次近衛内閣潰して松岡追い出した後、すぐに逃亡して、
東条が首相になったが、
近衛が続けるのと東条はどっちがましだったのか。 いまさら、あいつが悪い、こいつが悪いなどと、
自分はその人間たちの足元にも及ばぬこわっぱどもがぶつくさ云うか・・・・
子供でさえ図書館で調べられることもやらずに
ウソだらけの娯楽小説だけを読んで知った気になって
人を批判して楽しんでいるだけじゃないか
当時のことをどれほど知ろうと努力したのか・・・ >>389
松岡外相は、海軍が強行しようとした南進論に内閣でただ一人、
それでは米英と戦争になると強行に反対した(だから罷免された)
結局は松岡の考えの方が正しかった。
松岡外相は、おまえのようなアホに
批判されるような人物ではないw あいつが悪い、こいつが悪いなどと、
自分はその人間たちの足元にも及ばぬこわっぱどもがぶつくさ云うか
子供でさえ図書館で調べられることもやらずに >>392
みたいなあほがいるからいつまでたっても総括できない。 >>392
なんだおまえ?
反論や異論があるならば、それを書けば良いんだが?
お前に聞くが、ならば無意味なシナ事変はだれが勃発させ
泥沼化させたのか?
失敗は、その要因を徹底して検証すべきだが? >>391
南進論なんか幕末明治時代からあったんだし、
武力南進が国策として決定されたのは1940年のこと。
このときの武力南進は陸軍省軍務局の提案による。 >>395
五十六信者は南進論までもが陸軍の仕業だと
とんでもない大嘘を恥ずかしげも無く
吹いているようだな。
予算確保だけしか頭に無い海軍が、三国同盟に賛成する代償として
南進を国策にしろと強く主張したため
政府は仕方なしに海軍の南進論を認めたというのが事実だな。 ドイツがヨーロッパで覇権を握るならば、日本も東南アジアを制圧するべし。
というのが南進の主な動機です。
考えたのは陸軍です。正式に表に出てきたのは1940年7月。まだアメリカとの関係は決定的に悪くない時期で、
この段階ではむしろ北進論のほうが優勢です。南進論は策定されていたものの、実施される状況ではありませんでした。
しかし9月の三国同盟締結から米英との対立は決定的となり、当初国策だった「北進論」よりも、南進を優先すべきと変わって来ます。
陸軍は南進の第一歩としてフランスの同意を得て(ドイツ傀儡のビィシーフランスに実質的な圧力をかけて)北部仏印に進出。
これに対してアメリカがクズ鉄輸出禁止という制裁で応じます。
しかしこの段階でも国策中心は北進論でした。
翌年の1941年6月、重大な転機が訪れます。ドイツがソ連に侵攻。国内ではドイツと協力してソ連を討つべしという北進論と、
悪化する対米英関係から南部資源地帯を手に入れるべしという南進論が衝突します。
最終的に近衛は南進論を選択し、ドイツに本国を占領された蘭印を攻略すべく、その策源地として南部仏印へと進出。
南部仏印はシンガポールを航空攻撃の範囲に収める戦略上の要衝で、ここを押さえることはすなわちシンガポールと蘭印の攻略を意味します。
これに対してイギリスや蘭印、アメリカは警戒。日本が南部仏印に進出した場合、経済制裁を課すと宣言していましたが、
海軍のゴリ押しで実行され、アメリカ、イギリス、蘭印は対日石油輸出停止という経済制裁で応じました。
石油を絶たれた日本は、対米英戦争へと突き進んでいきます。
なぜ、といえば、明確な方針に従って行動したというより、泥縄式に南進へと向かったというほうが近いと思います。 >>391
第3次近衛内閣発足の理由が松岡が南進論に反対したからとかいう妄想はどこから やっぱ近衛は馬鹿だな。
死ぬなら死刑台に立って死ねや。
広田を巻き込むなよ。このマヌケが自殺してなにか良かったことあったのか? >>401
えぇ?
松岡を追い出すために第三次近衛内閣を組閣したのは、
松岡が日米交渉の障害になるからでしょ? 要するに、藪の中なんですよ。羅生門なんですよ。みーんいろんなこと言ってるけど、どれが真実なのかわからなくなっちゃってる。言えることは犯人は一人ではないということです。 そもそも真珠湾攻撃の、どこが戦争犯罪だ?
ちゃんと宣戦布告したし、攻撃目標は軍事施設に限定されていて民間人の死傷者はほどんどいない。
悪いのは、宣戦布告受けていながら自国民にそれを隠したルーズベルトだろう。
国際法にのっとった戦争の仕方だ。どこが悪い? アングロサクソンにとっちゃハワイ住民なんて自国民じゃないすよ
有色人種がどれほど死のうが何も感じない 宣戦布告の文書を米国人タイピストにやらせるわけにいかないっつって
外交官本人たちが慣れない手つきで作ったんで、実際には攻撃後に
宣戦布告となった。
こんなアホみたいなレベルで致命的ミスを犯してる時点で、
誰が悪いとかそういう問題じゃないんじゃね?
だが、戦後その外交官たちはアメリカさんに大いに
気に入られて全員エライ出世したそうだwww >>408
そんな話しは戦後の捏造話だな。
どう考えても意図的に通告は遅らせたとしか
考えられない。
真珠湾奇襲を是が非でも成功させたい海軍が
裏で米大使館と結託し、そのような行為に及んだ
としか考えられない。 >>409
それ是非知りたいね。
詳しく史料を基に論理的に説明してくれないか?
できなけりゃ単なる個人の見解だよね。 外務省のせいで「リメンバーパールハーバー」になったという主張こそ
個人の見解だよ。 >>409
それ是非知りたいね。
詳しく史料を基に論理的に説明してくれないか? >>409
それ是非知りたいね。
詳しく,史料を基に論理的に説明してくれないか?
事実ならすっごい事なんだからね。
待っとります。 考えられないって書いてあんだろwwwwwwwwww >>413
もちろん決定的な証拠は無いが
状況証拠がそろっている。
まず外務省はハルノートを改竄し、最後通牒だと
政府に嘘を報告した。
それから満州に関して、アメリカは撤退を要求していると
これも政府に嘘の報告をしている。
このように嘘ばかり報告して政府をだましていた外務省が
日本側の最後通牒を遅らせたわけだが、こんな状況では
これも外務省は政府を欺いたとしか考えられない。
東条ら政府は、外務省は必死に対米交渉、開戦回避に努力していると
信じていたわけだが、外務省はそんな気は全く無く
裏で海軍と結託し、海軍の都合の良いように
交渉しているふり、偽りの外交をやっていたのは明白。
(アメリカ政府だけではなく、日本政府をもだましていた)
東京意裁判で海軍が通告を遅らせるよう極秘に
東郷に依頼していた事実が明らかになっており、
また、野村大使は海軍軍人OBであるという事実からも
外務省、米大使館の意図的な不正は明白だな。 >>415
それってやっぱりあなたの独演会なんですよ。
証明じゃなく推理小説です。
すっごい才能じゃないですか! 特に何の実績もない清浦が重臣会議(しかも90歳頃)に加わっている時点で、日本は詰んでいた
戦前は年寄りばっかで人材不足だった 山本五十六は誰よりも平和を望み太平洋戦争に強固に反対し
幾多の妨害を排除し見事にハワイ奇襲をやり遂げるなど
卓越した先見性と世界を客観的に観る事ができる
理想のリーダーであった。
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ヽ〃 真珠湾奇襲プシュ!
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自称 歴史探偵団(笑)
半藤一利 ホラ吹き歴史捏造作家
(精神異常者w) マジでそう思う。
国防軍を否定するつもりはないけど、あのお坊っちゃんには運用は無理だろ。
あっという間に軍部に実権を握られて戦線離脱しそう。 山本五十六の共犯
海軍と共謀して日米交渉を計画的に破綻させた
朝鮮人の外務大臣 東郷外相
こいつの孫は痴漢で9回も逮捕されていたwwww
東郷 茂彦
長野県出身
新聞記者
父、東郷文彦
母、東郷いせ
長男
東郷和彦の兄(一卵性双生児)
早稲田大学政経学部卒
朝日新聞記者
2001(平成13)年11月13日 東京都迷惑防止条例違反容疑で逮捕される
11月13日1630ごろ、営団地下鉄千代田線(霞ケ関〜日比谷駅間)の車内で、隣で寝ていた帰宅途中の女子高生(都立高校3年,18歳)のひざの上にブレザーをかけ、右手で左太股付近を触った容疑
その場で女子高生らに取り押さえられ、日比谷駅で警視庁丸の内署員に現行犯逮捕される
逮捕は9回目wwww
http://www007.upp.so-net.ne.jp/togo/human/to/shigehiko.html >>424
こんなことしか言えないのかなあ。
この坊主は・・・・・ >>421 >>424
こんなことしか言えないのかなあ。
この坊主どもは・・・・ >>380
また、ヨタ話を出してるか。
8月22日に陸軍参謀本部作戦当局にハワイ作戦の計画が海軍側から伝えられてから
同作戦は南方作戦の一環として陸海軍作戦当局間相互交流の上で研究立案の上、10月末までに完成した。
東条内閣の組閣後、白紙還元の御諚で9月の国策を再検討し10月23日から10月末まで
前後8回の連絡会議を開いて再検討が続けられたが 結局、国策を変える結論は得られず、
11月2日午前2時に対米英戦決意を定め、交渉不成立の場合に武力発動を12月初頭とした。
11月2日午後5時、東条首相はこの旨を天皇に参謀総長と軍令部総長と共に上奏した。
11月3日 参謀総長と軍令部総長はハワイ作戦を含む対米英戦の作戦内容を上奏した。
允裁を仰ぐためではなく、11月5日御前会議におけるご決意の資とする為であった。
11月5日の御前会議でこの国策が正式決定された。
東条首相はハワイ作戦の作成には一切関与しておらず責任はないが、
天皇に忠実で気に入られ、日に何度も参内し胡麻スリと揶揄されていた東条首相、
憲兵隊司令長官として実績をあげ、諜報網活用に卓越していた東条首相が
この頃に参謀総長より非公式に概要は知らされていたと思わぬ理由はない。
知らないとか知らさないなどの理由が見つからない。
海軍は8月22日に陸軍参謀本部作戦当局にハワイ作戦を連絡している。
以後陸海軍共同して作戦の研究を行い10月末には完成し、
11月3日に参謀総長と軍令部総長はこの作戦(ハワイ作戦を含む)を 天皇陛下に説明している。
陸軍参謀総長はそれを自分の耳と目で認識している。
8月22日〜12月8日まで陸軍大臣が3ヶ月もの間、知らないなどと 云うことが有りえようか?
もし、あった(知らなかった)としたら、それは陸軍内部の問題である。
すなわち、
●陸軍側で情報を止めたということである。 近衛は「英米本位の平和主義を排す」で明らかなように潜在的な推進派であった事は確かだが
それ故に英米の実力を日本の誰よりも知る男だった。彼が主体となって戦争を推進したというのは誤り。
むしろ彼の最大の過ちは、英米を過度に評価するあまりの、相対的に自虐的なアジア諸国蔑視観。
特に、蒋介石を全く相手にせず、交渉をシャットアウトした事が結果的に太平洋戦争を不可避にしたことは間違いない。
現在の中国はその意味でも近衛と同じ失敗を繰り返そうとしてる。 このスレには妙に東条英機の肩を持つ人間がいるな。
近衛の盟友であった松岡は自身の在米体験という極めて個人的な価値観から、
日独伊にソ連が加わる4国協商実現を近衛内閣の元で目指した。
人種差別は甚だしいが、理屈と実利に対しては聞く耳を持つアメリカ人気質を考えれば
大ユーラシア同盟の4国協商の前にアメリカは考えを変えると松岡は踏んでいた。
その結果として日米戦は回避されると考え、日独同盟を進んで締結した。
しかし、それは独ソ同盟の本質を全く理解していなかったばかりか、
実際に独ソ戦が始まると本来の日米戦回避の目的はどこへやら、
松岡は自分の失策をごまかすかのように手のひらを返し対ソ戦参入をしきりに進言した。
その点は小人物として評価されてもやむを得ないが、彼は陸軍を利用して
自身の持論であるユーラシア大同盟を実現させ、それによって勢力均衡を計ろうとした。
近衛と同じく決して主戦論者ではない。
近衛もまた、望んだのは弊原以来の協調主義であり、4国協商が崩れ去った以上、
日独伊3国同盟は脱退すべきだと主張した。
しかし、それを強固に反対し反古にしたのは当時の陸相東条英機。
それより以前、第一次近衛内閣において
近衛の意向を受けた板垣外相が日中事変の解決を目指した際も、
徹底して強硬論を唱え、意図的に事変の深化、長期化を推進させたのは当時陸相次官であった東条であり、
板垣が結果として日独伊同盟に奔走させられてしまうのも東条の策謀。
どう考えても、東条は太平洋戦争主導の首班である事は明白。 織田信長が死ななければ世界的な軍事大国になっててアメリカと戦争することもなく日本領も今より広くなってたよ。
維新後に急激な近代化をしたが中身が伴わず無理があった。
徳川と鎖国が元凶だわな。 >>429
三国同盟なんか、対米開戦となんの関係も無い。
日中戦争と対米戦争ををひきおこした第一の戦犯は、山本五十六。
東条や近衛や松岡よりも、山本五十六の大罪の方が遥かに大きい。
日本人が戦犯として糾弾すべきはまずは海軍の山本五十六。
■山本五十六が日中戦争を勃発、泥沼化 (海軍の権益と航空兵力、予算拡大が目的)
海軍次官・山本五十六は、陸軍と対等の立場と予算獲得のため大量の航空兵力配備をもくろみ
盧溝橋事件以降、華北での混乱が収束へ向かい
日中和平実現が目前となった時(船津和平工作による)
山本五十六海軍次官はそれに危機感を持ち、それを妨害するために
中国都市空爆を強行したと推察できる。
その海軍が強行した南京爆撃(渡洋爆撃)は、盧溝橋事件以前から周到に準備訓練、計画していた、
中国に対する計画的な侵略戦争に該当る疑いがある。(共同謀議)
当初は敵飛行場を標的にしたが、山本が開発した96陸攻は防弾装備が皆無で旧式の敵戦闘機に撃墜されまくり、
直ぐに夜間の都市無差別爆撃に切り替える。
第二次上海事変を機に、4ヶ月にもわたって南京への猛爆は敢行された。
航空派の親玉である山本五十六が中心となって強行したと思われる
南京無差別爆撃こそが日本の暴走の始まりである。(日中戦争の泥沼化)
そしてこれはソ連共産党の謀略通りに、
全中国人を反日で一致団結させ、世界を敵にまわす結果を招いてしまった。
戦略的な意味と効果は殆ど無く、日本の航空機被害は莫大であった。
ルーズベルト大統領はこの海軍の南京無差別爆撃を世界に向けて非難。
アメリカ大統領が歴史上初めて、日本を強烈に非難した。(隔離演説)
(満州事変でさえもアメリカ大統領が日本を直接批判したことは過去一度も無かった。) だいたい三国同盟を結んだから対米開戦になった
なんて主張はまったく論理性が無い。
条約によって戦争に発展するなんてことはない。
三国同盟を結んだから対米開戦になった
などと言ってるのは、よほど頭のおかしな人間で
政治的、商売上の意図がミエミエ。
もう日本人は、こういうバカの言ってる事に
ちゃんと反論すべきだな。
頭のおかしい左翼や朝鮮人や、金もうけ目当ての作家の歴史扇動を
許してはならない。 >>429
おい朝鮮人
反論があるなら反論してみやがれw ■山本五十六の大罪をまとめると
@日中戦争を勃発させ泥沼化させた。
十分停戦可能だった第二次上海事変を口実に
中国無差別爆撃を強行した当時の海軍の主導者。
米国大統領が歴史上初めて日本を批判(隔離演説)
A対米戦争を要求した。
海軍の主張で南進論も国策となってしまったが
アメリカとは戦争すべきではないという陸軍の警告を無視し(米英可分論)
アメリカとの戦争を第一に主張した(米英不可分論)
B反対を押し切って強引に強行した山本五十六の真珠湾奇襲によって
アメリカ世論を参戦支持一色に豹変させ
アメリカを無理やり全面戦争に引きずり込み、世界大戦に発展させた。
C国の方針を無視し極東での陸軍の作戦を支援せず
馬鹿で無謀で意味の無い太平洋戦線を過酷な戦場にさせ
大損害を出させた。
D海軍航空機を防弾装備皆無の
自爆機ばかり開発させた。
Eだれが考えても挑発の陽動作戦であるドーリットル空襲に愚かにも引っかかり、
まんまと罠にかかり空母4隻を失う大失態を犯しながら
何の責任も感じず司令長官の職を辞任しなかった。
F補給が続くわけが無い無意味なガダルカナルやポートモレスビー攻略、その他戦線拡大を主導し
協力させられ派遣された陸軍部隊は、海軍が制海権を維持できず、陸軍の補給戦の
護衛を無責任に放棄し物資が尽き、あちこちで餓死玉砕。
Fマスコミを戦争扇動に利用
記者クラブ(黒潮会)を利用し、新聞社を戦争扇動機関に育てた。
これは山本五十六が日本で始めてじゃらかした
戦争扇動の手法。
G笹川良一、児玉誉士夫といった
商売金もうけが全てのエセ右翼のヤクザが
最も親しい友人だった。 >>433
開戦の日、斉藤良衛が肺結核で臥せっていた松岡のもとに訪れ、
真珠湾攻撃の大戦果の報を告げると、松岡は自責の念からすすり泣きにくれたという。
曰く「三国同盟は吾一代の過ちで、これが為にこの日を迎えてしまった」と
松岡自身が其の非を痛感していた。
松岡はドイツのリッペンドロップ案をテコにソ連と同盟し、
それを持ってアメリカと直接交渉をするつもりで外遊していた。
その留守の隙をつく形で井川忠雄、岩畔大佐などの陸軍系が独自に日米交渉を始めた。
この背後に東条陸相がいたのは自明だ。
そもそもこの交渉は始まりからして怪しげで、ジェームズウォルシュはただの僧侶であったし
ウォーカーも郵政長官にすぎなかった。
いわば民間レベルに等しいこの交渉をハルが正式交渉議題にまで「なぜか」引き上げ、
帰国後、松岡が苦心惨憺してこの交渉を反古にしようとしたけれど、かえって追放の憂き目に遭う。
既に謀略は始まっていた。
南部仏印進出はどう見ても連合国の「誘い水」であり、それは松岡以下、日本でも多くの人間が看破し非難したが
結局はフーバーの指摘通り、日本はそのままずるずるとアメリカの対独戦の参戦口実として利用され、
近衛もそれにまんまと利用された。
しかし、もっともアメリカの笛に踊り狂わされたのが東条と陸軍である事はどう見てもあきらか。 >>434
N川ハチ公の真似か?
おう、出してもらおうじゃないか。
一つ一つ理由根拠を示してくれ。
待ってるぞ。 >>435
東条も松岡も対米開戦に猛反対している。
陸軍(参謀本部)はずっと、日中停戦を訴え、南進論にも反対してたし
たとえ開戦となっても、アメリカとは戦わない米英可分論で行くべきだと
ずっと海軍に進言もしていたわ。
それらを全てぶち壊し、日中戦争泥沼化、対米開戦へ
日本を引きずり込んだのは
山本五十六が主導した海軍じゃないか。
半藤一利のようなバカが流布してきた過去の
デタラメの東京裁判史観、
その典型的なサンプルにようなお前の主張
こういったデタラメの小説の話は
もう誰にも相手にされていない。 ・対米開戦は誰が決めたの?
東条内閣組閣後に何度も開かれて11月5日や12月1日の御前会議に至る会議に出た方がたでしょ。
東条さんも供述書で、真珠湾の報告を受けた後「その成功をよろこび天に感謝しました」と述べている。
・海軍=山本と混同しているのじゃないか? >>437
そんな根も葉もない妄想を垂れ流してたら
いつの間にか真実までねじ曲がると思ってるアホの典型だなお前は。
ハルノートがあのタイミングで出された是非はともかく、
内容の4原則はごく真っ当な大西洋条約の思想に基づいたもので
日本側から見ても合理性のある九ヶ国条約の再確認だった。
それに対し東条は
「満州事変以来、日本は九ヶ国条約を失効すべしとの立場である」と述べて突っぱねた。
当たりあたり前だが、九ヶ国条約は満州事変のような事態を起こさないための物だったのに、
「知らんわそんなもん」と言ってのければ何がおこるかアホでも解る。
これのどこが対米開戦に猛反対している人間の言なんだ?
ネットだけでなくリアルでも東条擁護の旧陸軍閥勢力が未だに生き残ってるのは知ってるが、
こういう事やってるとむしろ逆効果だとそろそろ気づけよ。
それともそれを狙った在日なのか? >>439
おまえの話は、半世紀前の子供向け童話-太平洋戦争のレベルの話しじゃないかw
そういうレベルの話は、高卒の無知相手にわめいててくれ。
ハルノートは外務省が改竄し(絶対に陸軍が納得しなような内容に)
東郷外相が東条と政府をだまし、嘘の報告をしている。
最後通達だと。
アメリカは満州から即時撤退せよと要求してるとか
全くの大嘘が、外務省から東条に伝えられた。
そして外務省は意図的に最後通達を遅延させてことも
明白になっている。
海軍が東郷にそのようなイカサマ外交をやるよう要求し
東条ら政府が知らないところで、海軍と外務省が勝手に
偽りの外交で、計画的に日米交渉が破綻させられたのが事実。 東条も天皇も、外務省が必死に開戦回避に向けて
日米交渉をやっていると、そう信じていた。
ところが、全くそうではなかった。
アメリカから送られたハルノートは、外務省が内容を偽造して
最後通牒のような内容に改竄され、東郷外相は
アメリカからこのようなトンデモない内容の要求をしてきたと、
東条ら政府に大嘘の報告がされたわけだ。
まずこの事実を徹底検証する必要がある。
なぜ外務省がそのようなトンデモない不正行為をやって
日米交渉をわざと破綻させたのか。
これは裏で結託した海軍の策略としか考えられない。 >>439
おいアホの五十六信者よ。
逃亡せずに、ちゃんと反論しろよなw >アメリカは満州から即時撤退せよと要求してるとか
当時の日本人がそう思ったとして何ら不思議はない。
そもそもが満州権益で対立し、交渉してたのだから。
第一、即時の文字は日本側の文書にもどこにもない。
だいたいが、ハルノートの前、9月の帝国国策遂行要領ですでに陸軍は開戦準備を始めてる。 >>442
陸軍が8月9日頃には対米戦を待望む姿勢になっていたことも全く理解していないのではないか?
それをはっきりと示しているのが大本営陸軍部戦争指導班の参謀たちが記した「機密戦争日誌」であろう。
●日米交渉が不調に終わって対米戦争が起きることを願っていた陸軍の姿がある。
大本営陸軍部戦争指導班「機密戦争日誌」の11月5日には、
「11月5日、略、茲ニ外交、作戦二本建ナガラ帝国ノ対米英蘭戦争決意確定ス。
9月6日以来ヲ回想シ波瀾重畳ノ曲折ヲ懐ヒ真ニ感慨無量ナルモノアリ。
過去ハ過去トシ不満ハ之ヲ水ニ流シ去ッテ将来ニ努力セン。
希ハクバ外交不調ニ終リ対米開戦ノ「サイ」投ゼラレンコトヲ。」 >>442
9月6日御前会議決定の「帝国国策遂行要領」に関する質疑応答資料(参謀本部作成)には、
「現実の事態は米国が其の対日政策を変更せざる限り帝国は自存自衛の為
最後の手段たる戦争に訴えざるを得ざる絶対絶命の境地に立到れること」、
「対米英蘭戦争の目的は東亜における米英蘭の勢力を駆逐して帝国の自存自衛圏
を確立し、併せて大東亜の新秩序を建設するにあり」との戦争目的が記入されている。 >>443
>そもそもが満州権益で対立し、交渉してたのだから。
アホかおまえは?
よくもそんな大嘘を平気で言えるもんだな。
満州の事なんか、対米交渉でまるきり関係ない話。
海軍が南ベトナムに作った海軍航空基地が(南部仏印進駐によって)
対米戦争準備だとアメリカが重大問題にした。 >>444
>陸軍が8月9日頃には対米戦を待望む姿勢になっていたことも全く理解していないのではないか?
開戦するにしても、陸軍が戦う想定した戦争相手は
英蘭のみ。
米軍と戦争するのは海軍なんだから
陸軍には対米戦争なんか、まったく関係ない話。
海軍が勝手にアメリカと戦うと決めて、海軍が米軍と戦争するのだから
対米戦争は、海軍で全部の責任を負うべきだろが。
当時そういう決まりだろ。
陸軍には対米戦争は、関係ない話。 >>444
陸軍の中に個人的に対米戦争を望んでいた人間もいるだろうが
それは個人的な意見だろ。
陸軍は組織として、対米戦を想定していない。
アメリカと戦うのは、海軍じゃないか。
なんで対米戦争に陸軍を巻き込むんだ?
関係ないのにw そもそも陸軍は
開戦が回避できないとしても、大東亜戦争で戦うのは英蘭のみにすべきだと
海軍にもずっと進言してたじゃないか。(米英可分論)
それを、山本五十六のアホが、何が何でも
英蘭だけではなく、米も戦争相手に加えろと
強行に主張した(山本五十六の米英不可分論)
山本五十六の連合艦隊がそんなに自信あるなら
ではどうぞ海軍は勝手に対米戦争やってくれと
陸軍はそう言うしかない。
陸軍には、関係ない話だからw 笑いたくなるよ。
日本はどこと交渉を長々と続けていたんだ?
「目もくらむ失望」のハル・ノートを書いたのどこの国?
どこの国から対日経済制裁の戦争を仕掛けられていたのか?
日本の最後通告はどこの国に提出されたのか?
陸海軍の相手の違いは単に役割分担でしかない。
そんなことは既に作戦研究立案段階から互いに理解していたことだ。
米国が11月には対日戦を決意していたことを日本政府は理解していた。
あいも変わらず山本と海軍とを区別できてないな。 >>450
横やり失礼。
でも、
対米開戦が必至なら、
ハワイでなくても良かったのでは?
グアム、フィリピンで良かったのでは?
ハワイ作戦は省益確保の無駄な戦争拡大では?
だって戦争大義は、
満州の権益確保でしょ?
資源確保の南方進出はその結果でしょ?
後、アジアの解放独立でしょ?
ハワイまで拡大する必要は無し。
なのに、
ハワイ奇襲に熱心だったのは?
奇襲で無ければ成果が得られ無いと言ったのは?
ハワイ作戦の図演で奇襲に重点を置いたのは?
燃料獲得が目的の南方作戦なのに、
奇襲第一でハワイ作戦も同時に行ったは良いが、
戦拡し過ぎた為に燃料輸送問題が解決出来ず、
結局、戦局を困難にしたのは?
ハワイ作戦の二次攻撃を命令しなかったのは?
米国世論の対日開戦を決意をさせた、真珠湾攻撃を行ったのは?
誰?
注意:
ここで言っている奇襲とは、宣戦布告の有無に関係無く、
南方作戦と同じ日に開戦する事。英米欄同時開戦。 米国世論の対日開戦を決意させたのはアメリカ自身(fdr政権)であるが・・・。
何で開戦前から東条首相自ら米の先制を懸念する事態になっていたのか?
そのように認識したのが日本の最高意思決定機関である大本営政府連絡会議等であった。
事実、米は開戦前から日本本土への無差別爆撃計画もfdrは承認していたし、
南方米領からの日本攻撃も計画していたことなども判明している。
また、世界情勢の認識についてもこれらの会議によって判断され軍令部、そして連合艦隊へと指示されていくのだ。
例えば、fs作戦でも米の本格的対日反抗は翌年以降になるだろうというこれら最高指導会議の判断を受けてのものだ。
開戦前に日本政府と統帥部はアメリカが軍事増強に狂奔し、対日圧迫言動等の状況から、
彼らの先制攻撃さえ懸念していたことが東条首相の供述書に述べられている。
ハワイの太平洋艦隊は当時も世界最大の艦隊であった。
ここを潰さない限り他の作戦を実施しても、その途上で横腹を付かれて
日本側が壊滅しまうのは当たり前の話だ。
総合的に米に劣勢ということを認識している者が奇襲は有効な手段とするのは当然。
日露戦での奇襲の結果は参考にされた。 何故、前年、ハワイに世界最大の太平洋艦隊とその司令部を進出させ航空勢力をも強化したのか?
何故、米国内において戦争準備行動、対日軍事増強に狂奔していたのか?
何故、米首脳者たちの対日圧迫言動が数多く行われたのか?
何故、米英蘭豪比等の南方地域における戦備拡大、対日包囲網結成が行われたのか?
何故、米は対日経済圧迫、必要物資入手の妨害を行ったのか?
何故、米は仏印、泰に対する対日離反の策謀を行ったのか?
など々、
これらのことは「東条英機宣誓供述書」に詳細に述べられている。
また、ルーズベルトは真珠湾の何ヶ月も前に中国大陸からの日本本土無差別爆撃計画(JB355)も承認し、
義勇軍と称する多数の米軍人と膨大な兵器・軍事物資を中国で日本軍攻撃の為に送り込んでいたことも判明している。
それでありながら、中立国と称していた米国。これは何を意味しているかは明らかであろう。日本との闘いである。
日本政府と軍部は当時の情勢をこのように見ていたのだ。
ハワイ作戦が愚かだったと言いたいのだろうが、
天皇陛下の開戦の詔勅には次のような1節がある。
「帝國積年ノ努力ハ悉ク水泡ニ帰シ帝國ノ存立亦正ニ危殆ニ瀕セリ事既ニ此ニ至ル
帝國ハ今ヤ自存自衞ノ爲蹶然起ツテ一切ノ障礙ヲ破碎スルノ外ナキナリ」
自存自衛の為には一切の障碍を破砕する以外ないという状態に日本は置かれていたのだ。
ハワイ作戦は次の見方も存在している。
「山本のハワイ作戦は、この戦争の唯一の戦争計画であった「腹案」の中でも、重要な
一支作戦として位置づけられた。この戦いでは、まず戦争遂行上不足する資源地帯を確
保して、そこで長期自給自足の態勢に入ることがグランド・デザインであった。その最初の
段階で、ハワイ作戦はまさに南方資源地帯確保に対する最大の懸念であったアメリカ艦隊
の脅威を取り除く意味を有していたからである。そして、このハワイ奇襲の大 成功もあって、
日本軍は開戦数ヶ月の間にこの資源地帯を確保することに成功した。」
出典:「太平洋戦争開戦時の日本の戦略」 防衛省防衛研究所戦史部第2戦史研究室
17年3月、日本の最高意思決定機関である大本営政府連絡会議は
「世界情勢判断」「今後採ルヘキ戦争指導ノ大綱」を採択し
米英の大規模反抗は18年以降であり、
今や攻勢的戦略態勢に転じうる気運になったとの判断を示した。
これが以後の連合艦隊の行動へと繋がって行く。 アメリカの仮想敵国は日本なのだから、
対日に備え太平洋に軍備増強するのは必然。
軍備増強の流れなら、現在は中国との開戦必至だな。
>ハワイ作戦はまさに南方資源地帯確保に
>対する最大の懸念であったアメリカ艦隊
>の脅威を取り除く意味を有していたから
>である。そして、このハワイ奇襲の大成
>功もあって、
だから、アメリカの脅威を取り除くのが目的でも、
戦場を拡大し過ぎて、燃料輸送の問題を解決出来なかった。
なにより、アメリカを戦争に引きずり込んだ。
つまり、アメリカ参戦の大義が出来てしまった。
あと、ハワイを叩くなら、2次攻撃は必須。
目的も大事だが、
ミッドウェーも含め、結果が全てだよ。。 結局のところ、日本もドイツも「持たざる国」であって、長期戦はできない。
これは英米が戦前から読み切っていた。
英米の視点で大観してみれば、
偽装退却・戦線拡大→補給路を寸断・前線を壊滅→敵国内の動揺・本土決戦の回避・占領という
実に基本に忠実な、見事な戦いぶりだったと言える。
はっきりいって完敗というか、赤子の手をきゅっとひねられた感じだ。
だからといって、日本軍人が弱かったという訳ではない。
単純に、国力の差がそのまま戦略の差につながっている好例だと思う。 >>455
おまえのその分析は、第一次世界大戦のレベルだな。
近代戦においてはそんな軍事戦略より、大儀と国際世論の方が遥かに重要で
それで勝敗を決する。
とくにアメリカのような民意で動く大国相手ならば、それが
全てと言ってよい。
山本五十六の前時代的な愚かな戦略を暴走させた
日本の欠陥のあったシステムが敗北の原因だな。
省益がすべてのバカ官僚の暴走は近年でもバブル時に起きているが
海軍の暴走はそれと同じ。
バカの山本五十六の暴走さえなければ、あそこまでの大敗はありえんな。 >>451 >>456
ハワイを奇襲したことが米の対日参戦決意を固めさせたと云う。
では、
どこを攻撃をしたら良かったのか?
どんな攻撃をしたら良かったのか?
英蘭領だけに攻撃すれば良かったのか?
誰が「対米」戦を決めたと思っているのか?
日本はどこの国に宣戦布告を行ったのか?
日米が当時の軍備、政治制度、国民意識を持ったままで、ずっと平和に両立し得たというのだろうか? >>457
そんな簡単な答えさえわからないのか?
米国民と議会が、参戦支持に行かないよう
汚い騙し討ちのような不当な攻撃さえしなければよい。
世論の支持が無ければ、ルーズベルトがなにをほざこうが
米国政府は参戦出来ない。
米軍が攻撃を仕掛けてきたら、返り討ちにして
大損害を食らわせ、それにより
ルーズベルト政権が、野党共和党と国民から批判を浴びるようになればよい。
だれが考えても、そういった戦法以外に無い。
山本五十六のアホの言うような先制攻撃は
無知のバカのやることだな。 >>457
>誰が「対米」戦を決めたと思っているのか?
形式上はどうであれ
山本五十六の判断で、対米開戦が確定している。
山本五十六がやらないと、ただ一言さえ言えば、回避できた。 11月5日の御前会議は対米英戦争を事実上決定したといえる会議であった。
その前日の軍事参議官会議で、東条首相は
陸軍大臣として次のように述べた、
「長期戦となる公算は八分である。永野総長の説明のように2年後の戦局の見通しもつけられないのに、
開戦を決意した理由は次のとおりである。ここで穏忍自重する手もあるが、その結果は昔の小日本にもどり、
わが光輝ある歴史を汚すこととなろう。したがって2年後見通しが不明であるとして無為ににして自滅に
終わるより、この難局を打開して将来の光明を求めようとするものである。南方資源地域を確保し全力を
尽くして努力すれば、将来勝利の基は開き得るものと確信する。」と。
「帝国国策遂行要領」等を採択したこの会議の終わりの挨拶で
首相として次のようにも述べた。
「この『要領』が残された唯一の方策と考える。長期戦へは困難があり若干の不安があるが、
といって不安ありとして現在のように米国のなすままにさせていたなら、2年後に油がなくなり船が動かず、
南西太平洋の防備強化、米艦隊の増強、シナ事変未完等を考えると思いなかばにすぐるものがある。
国内が臥薪嘗胆といっても長年月これに耐えられるだろうか。といって座して2、3年を過ごせば
3等国となる必要がある。これらを考え慎重な研究の結果、この『要領』となったものである。」 対米戦は東条内閣組閣後の大本営政府連絡会議など多くの会議で決まっていったのである。
ハワイを奇襲したことが米の対日参戦決意を固めさせたと云う。では、
どこを攻撃をしたら良かったのか?
どんな攻撃をしたら良かったのか?
日米が当時の軍備、政治制度、国民意識を持ったままで、ずっと平和に両立し得たというのだろうか?
誰が対米戦を決めたと思っているのか?
米は参戦の理由を日本側のあらゆる対米行動に結び付けることを狙って、待ち構えていたことも判明している。
英蘭領だけに攻撃すれば良かったなどという者がいる。
しかし、米は英蘭への攻撃であっても参戦を決めていたことも判明している。
サイパンなどに要塞を作って米を邀撃すれば良かったなどという者がいる。
そんなものは迂回されるだろうし、レーダー技術もない日本側は奇襲で一挙に殲滅されたろう。
いつか衝突が起こったのではないのか。
国家の方針とは、「帝国国策遂行要領」である。
11月5日に御前会議で統帥部が定めた武力発動の作戦計画が承認され
天皇陛下の御裁可を経て国家の方針、即ち、国策となったのだ。
この作戦計画はハワイ作戦を含むことは統帥部の頂点にいる天皇陛下も承知済み。
ハワイ作戦の内容は天皇陛下には11月3日に詳細な説明が行われている。
この時に陸軍参謀総長も同席しており、陸軍が知らなかったなどは絶対に云えない。
参謀本部作戦当局にハワイ作戦が知らされたのは8月22日である。 >>457
>>451は、グアム、フィリピンと書いているよ。
因みに451と456は別人。
対米開戦、特にハワイ迄戦場拡大したのは失敗で、
軍令部第一課のネイビーホリデーのせいだと、
予算確保と省益拡大だったと、
海軍反省会でも語られている。
あと、第一課は作戦については、
山本に逆らえなかったという証言も有ったな。
米国は世論が後押ししなければ、
ハワイから西へは主力艦隊は出れなかった。
フィリピン、グアムを占領し、南方ルートを確保し早期講和。
万が一にもアメリカに勝つなら、これしか無かったとという証言が多い。
そして、満州権益確保の対ソ戦が、
海軍のネイビーホリデーから抜け出す道だったという後悔。
海軍が予算確保するためには、戦拡が必要。
対ソ戦で陸海軍の総力戦。
対米戦争では、陸海軍の分散で、
海軍のみの戦争になる事は予想出来た。
その為、短期講和は不可能で長期戦必至。
そして、燃料輸送の問題が、最後まで解決出来無かった。
結果論だが、軍人と政治家は結果が全て。 >>462
>米国は世論が後押ししなければ、ハワイから西へは主力艦隊は出れなかった。
世論などいくらでも操作できるし、米政府は事実それをやったではないか。
政府代表の東条首相は米国の行動をどのように認識していたのだ?
彼の供述書は一般書籍でも見ることができる。
米が軍事増強をしており、英蘭豪比などと対日包囲網を形成し、
彼らからの先制攻撃も懸念していたと述べている。
また、「米国が日本に最初に一撃を打たせようと画策していたとは夢にも思わなかった」
とも述べている。
開戦前の米国のさまざまな対日攻撃の計画が存在していたことも判明している。
それらは、欧州戦線の状況などから実施が遅れていただけである。
米国に日本を非難する資格もないし、貴殿らにも謗られる必要など存在しない。
日本という国家がはめられていたということを将来に活かすことが大事という思いを持てばよいのだ。 日中戦争からしておかしい
満州事変は目的あってやったが日中戦争は
特に領土拡大など考えたわけでもない目的もなかった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています