このスレには妙に東条英機の肩を持つ人間がいるな。

近衛の盟友であった松岡は自身の在米体験という極めて個人的な価値観から、
日独伊にソ連が加わる4国協商実現を近衛内閣の元で目指した。
人種差別は甚だしいが、理屈と実利に対しては聞く耳を持つアメリカ人気質を考えれば
大ユーラシア同盟の4国協商の前にアメリカは考えを変えると松岡は踏んでいた。
その結果として日米戦は回避されると考え、日独同盟を進んで締結した。

しかし、それは独ソ同盟の本質を全く理解していなかったばかりか、
実際に独ソ戦が始まると本来の日米戦回避の目的はどこへやら、
松岡は自分の失策をごまかすかのように手のひらを返し対ソ戦参入をしきりに進言した。
その点は小人物として評価されてもやむを得ないが、彼は陸軍を利用して
自身の持論であるユーラシア大同盟を実現させ、それによって勢力均衡を計ろうとした。
近衛と同じく決して主戦論者ではない。
近衛もまた、望んだのは弊原以来の協調主義であり、4国協商が崩れ去った以上、
日独伊3国同盟は脱退すべきだと主張した。

しかし、それを強固に反対し反古にしたのは当時の陸相東条英機。
それより以前、第一次近衛内閣において
近衛の意向を受けた板垣外相が日中事変の解決を目指した際も、
徹底して強硬論を唱え、意図的に事変の深化、長期化を推進させたのは当時陸相次官であった東条であり、
板垣が結果として日独伊同盟に奔走させられてしまうのも東条の策謀。

どう考えても、東条は太平洋戦争主導の首班である事は明白。