>>488
既にこの頃には山本五十六連合艦隊司令長官により海軍内は米英不可分論で一致していた。
11月26日と28日に行われた海軍図上演習にて伏見宮軍令部総長に次のように進言した。

「1.米国の戦備が余程遅れ、又英国の対独作戦が著しく不利ならざる限り、蘭印作戦に着手すれば早期対米開戦必至となり、英国は追随し結局蘭印作戦半途に於いて対蘭、
米、英数カ国作戦に発展するの算極めて大なる故に、
少なくとも其覚悟と充分なる戦備とを以てするに非ざれば、南方作戦に着手すべからず。

2.右の如き情況を覚悟してなお開戦のやむなしとすれば、むしろ最初より対米作戦を決意し、
比島攻略を先にし、以て作戦線の短縮、作戦実施の確実を図るにしかず。蘭印作戦は其資源獲得にあり、
之を平和手段にて解決し得ざるは米英のバックあればなり。もし米英が到底立たずと見れば蘭印は我要求に聴従する筈なり。
故に蘭印との開戦やむなき情勢となるは即ち米、英、蘭数カ国作戦となるべきは当然なり。・・・(後略)」

これに対し、伏見宮軍令部総長、及川海軍大臣も同意し、海軍内部は山本司令長官の不可分論に統一されたのである。

そして
嶋田が海相に就任した時、嶋田は伏見宮から
早期対米開戦を指示されている。

ようするに海軍の最高権威の伏見宮が山本五十六の妄想にそそのかされてしまっており
山本五十六のバックに伏見宮がいれば、山本は何でも強行できるな。
これが海軍の対米開戦の経緯