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戦前・戦中の軍国主義者・指導者を罵倒するスレ
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
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2012/01/11(水) 14:07:45.57ID:WgVWsbei0
どうぞ
0101名無しさん@お腹いっぱい。
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2020/12/14(月) 16:45:53.87ID:9kcIHMpx0
山本五十六は、三国同盟を締結したらアメリカと戦争になるから
反対した、なんてことになっている。

何を言ってるんだろうか?

海軍の方こそ軍縮条約を脱退して、マル3計画を打ち立てて
対米戦争のための艦隊編成と大幅な兵力増強をやっていながら
なにが対米戦争反対だ。

とにかく海軍の山本五十六を正義にみたてた話は嘘ばかり。
0102名無しさん@お腹いっぱい。
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2020/12/14(月) 21:01:24.14ID:eg0VZIR30
●鈴木貫太郎首相は沖縄県民を捨て石にした


鈴木貫太郎首相が沖縄戦を前に、
沖縄の全軍官民に対して送った緊急ラジオ放送。


『沖縄に在る全軍官民諸君
私の只おもふことは御詔を奉じ一億国民共に一致団結し以てこの大戦争を
最後まで闘ひ抜き勝ち抜き米英の野望を飽迄粉砕し以て大御心を安んじ奉らねばならぬといふことである。

不肖私自らも一億全国民の先頭に起って戦争一本の旗印の下に総攻撃を敢行する所存である。
我が肉弾による特攻兵器の威力に対しては敵は恐怖をきたしつつある。

今後日本独特の作戦に対して敵の辟易することは火を見るよりも明かである。
私は諸君がこの神機をつかみ勝利への鍵を確かと握られることを期待してやまぬ。

私共本土にある国民亦時来らば一人残らず特攻隊員となり敵に体当りをなし
如何なる事態に立ち到らうとも絶対にひるむことなく最後迄闘ひ抜いて
終局の勝利を得んことを固く決意してをる』



沖縄県民は全てが、この通りに行動した
日本の首相が、国民すべてが戦闘員になると世界に宣言したのと同じ
そしてそれが嘘ではないことが沖縄戦で証明された

しかし実際には、鈴木首相は時が来ても特攻はしなかった
というか初めからそんな考えは無い

沖縄住民は鈴木にだまされたなwww
0103名無しさん@お腹いっぱい。
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2021/01/03(日) 20:12:41.15ID:KjGM/uwr0
<明治から大正へ>第4回〜陸海軍の軍備増強
https://www.yomiuri.co.jp/column/history/20201111-OYT8T50033/
 先の東郷の訓示の中の<百発百中の一砲、能く百発一中の敵砲百門に対抗し得る>は、第1次世界大戦後、
帝国海軍が休日返上の「月月火水木金金」で猛訓練を実施した際、そのスローガンとして使われました。
 昭和初期、海軍大学校教官を務めていた井上成美しげよし(1889〜1975年、のちの海軍次官、海軍大将)は、
この<百発百中の一砲……>というのは論理的ではない、と批判しました。陸海軍に蔓延まんえんする非合理的な
「精神主義」を苦々しく思っていたようです。
0105名無しさん@お腹いっぱい。
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2021/01/30(土) 07:31:32.06ID:yObLEHz40
山本五十六は日本を救うために、ついに真珠湾奇襲を決断したのである

そしてだれもが反対したこの困難な作戦を見事に成功させた


その卓越した先見性と指導力。

だれよりも戦争に反対した本物の愛国者


今の日本に必要な真のリーダー

それが山本五十六の実像に他ならない。

.
.
       ヽ〃   真珠湾奇襲プシュ!    
      ( _)
       | |  シコシコ・・・ シコシコ・・・
       | | /⌒⌒⌒ヽ/~ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ     
     /⌒ヽ⌒ヽ___   |  ∴ヽ  3  )
     /  ゝ      |
    /  _  ゝ___)(9     (` ´) )j
   /  丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-| ハァハァ…
  /   )           (彡       |
 / _/           \____/

山本五十六を賛美して毎回射精w 

ホラ吹きジジイ 自称歴史探偵団www
 半藤一利wwww

利権勢力と癒着し東京裁判史観・陸軍悪玉論を宣伝するだけの思考停止
何十年も念仏のように同じことだけ言ってるホラ吹き三馬鹿老害

半藤 一利
保阪正康
秦郁彦

こいつらに、だまされてはいけない
0106名無しさん@お腹いっぱい。
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2021/06/16(水) 21:19:37.34ID:0fDRehMJ0
保阪正康 日本史縦横無尽
東條はドイツの敗因を厭戦思想に求め反対意見を排除した
ttps://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/289574
 しかしドイツの敗戦によって、後方にあって軍を支える国民が厭戦思想を持ったり革命に関心を持つようになって、軍事の足を
引っ張る状況になれば、戦争で勝てないのは当たり前、だから国民をよく監視せよという考えに固執するグループも生まれた。
その代表が東條だったのである。東條はベルリン駐在から日本に戻って、陸軍大学校の教官を務めている。第1次世界大戦の
西部戦線を論じた時に、ある戦線でドイツが敗れた原因として、ドイツ国民の厭戦思想に因を求める論に執拗に固執した。これに
対してフランス側から研究している学生(むろん将校のひとりということになるのだが)が、その論はおかしいと批判した。そこで
論戦になった。東條の論が軍事学の上ではなく、感情をもとにしていることが明らかになり、しかも論拠が薄いことも明白になった。
 その学生は東條の講義の試験答案でも同じ批判を書いている。ドイツ軍を神格化させた東條は、その答案に最低の点数を
つけたというのである。自らの思い込みにこだわり、それに従わないと落第させかねない東條の直情的な性格は学生の間でも
有名になった。
0107名無しさん@お腹いっぱい。
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2021/06/19(土) 08:11:02.84ID:dkkiNJTM0
近衛文麿は 公家根性
最も大きな声について旗を振る
その時々で 旗が変わるし
自分の判断行動に責任を持たない
責任は大勢にあるので 自分は旗を振っただけ
借金抱えて近衛家の当主になったので
借金を返すことが第一 
0108名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/11/12(土) 17:18:29.95ID:3+csq9230
近衛の方針をはねつけて中国への「永久駐兵」を言い張った東條
ttps://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/311065
 10月12日の近衛首相と4人の閣僚の会議は、対米交渉がまとまるか否かの論争でもあった。近衛と豊田外相は交渉に望みを
かけるべきだと言い、東條はそれに猛反対した。海相の及川は特に発言することもなく、総理一任の姿勢に徹していた。結局、
最も象徴的なやりとりは次の文言の中にあった(これは「日本外交史 23 日米交渉」加瀬俊一からの引用)。
 外相「(交渉の成否は)条件次第だ。最難点は駐兵だと思うが、陸軍が従来の主張を一歩も譲らぬなら、妥協の見込みはない。
多少の譲歩はしても良いということなら、成立の見込みは絶無とはいえない。率直に言えば、御前会議決定は軽率だった。」
 陸相「駐兵は陸軍の生命だから一歩も譲れない。所用期間は二、三年では問題にならぬ。所望期間は永久と考える。そもそも
撤兵を主体とするのは誤りであって、退却を基礎とすることはできぬ。陸軍はガタガタになる。」
 首相「この際は名を捨てて実をとりたい。自分は飽くまで交渉を選ぶ。それにもかかわらず戦争をやるというなら、責任は取れ
ない」
 この3者の意見は見事なまでに食い違っている。つまり近衛内閣は、東條のこの常識はずれの発言に振り回されている。

 近衛は、歴史的にはいろいろ批判されることも多いが、自らの首相時代に日中戦争が起こったことにも責任を感じていた。
それだけに駐兵はできるだけアメリカ側の要求に沿って進めていき、一定の期間がくれば撤兵というのは当然と考えていたのである。
 そうした近衛の思惑を侮辱するように東條が永久に撤兵しないなどと言い出したのは、この交渉を壊すだけでなく、近衛内閣を
つぶして新しい内閣で戦争政策を進めようとしていたのではないかとさえ思われるのであった。この荻外荘会談の2日後、閣議の
前に近衛は東條を官邸に呼んで撤兵への再考を促した。東條は相変わらず、この問題では譲れない、永久駐兵でなければなら
ないとはねつけた。近衛は懇願するように、国家は時には相手の言い分も受けなければならない時があると諭した。東條は、
それでは軍の士気が下がると応じている。
0109名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/11/12(土) 17:19:11.56ID:3+csq9230
東条英機は「10万人の英霊に申し訳ない」で軍人240万人を死なせた
ttps://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/311133
 東條の妥協のない戦争への論理は、閣議でも声高に叫ばれ、対米交渉を継続しての解決は無理であることが確認された。
近衛を小声で励ます閣僚もいたが、東條の戦争むき出しの言には、恐怖を感じるほどだったとの証言も私は確認した。
 なぜ東條はこれほど露骨に対米交渉を壊し、9月6日の御前会議の決定を守れ(すなわち対米開戦)というのだろうか。
私は次の世代として、東條の人物像を確かめるために評伝を書いたことがある(昭和57年に刊行)。その取材で東條周辺の
人物や海軍、政界、官僚などに数多く会っている。そこで分かったことだが、東條の性格は一本気で、妥協とか譲歩、果ては
自省などに欠けていた。
 加えて他人と議論する心理的余裕に欠けていることも裏付けられた。自分の属する集団の価値観にこだわり、国家的な
視点もないことを周辺の軍人でさえも指摘していた。
 東條は近衛内閣の一員として、近衛を支える意思はなく、陸軍の強硬派の意見(自らもそれに賛成だったとなるわけだが)
を代弁することこそ、自らの役割だと信じていたのだ。東條は近衛や豊田外相、及川海相らの交渉継続派の説得は、自分や
陸軍の考えを否定する行為だと受け止める性格であった。だから近衛との対話では「ときには清水の舞台から飛び降りる覚悟
が必要だ」と言ったり、慎重な見方に傾く近衛に「性格の相違ですなあ」と言ったり、国事の重要事を話し合っているにもかか
わらず、個人的な性格で事を処理しようと試みていたのであった。
0110名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/11/12(土) 17:19:38.49ID:3+csq9230
国際社会の東条英機への評価は「世間知らずの視野の狭い軍国主義者」
ttps://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/311235
 今後のこのシリーズで、大切なことが3点ある。この3点をいま一度精査するためにまずは書いておかなければならない。

1、昭和天皇が戦争やむなしとの方向に進んだのはいつからか。
2、なぜ主戦派の東條英機が首相に選ばれたのか。
3、最終的に戦争を決意した9人の政治、軍事指導者は官僚である。

 この3つを分析していくと日本が戦争に引き込まれた理由もわかってくる。

 前述の3点に共通するのは、日本の戦時指導者の資質が問われるということでもある。イギリスで「(邦訳)第二次世界大戦
人名事典」(永沢道雄訳)が刊行されたが、近衛については「日本の和平追求派の一人」とあるのに対し、東條については
「世間知らずの視野の狭い軍国主義者」とあった。それが国際社会の評価だったのである。
0111名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/11/12(土) 17:20:06.55ID:3+csq9230
東條英機陸相は自分もテロで殺されると怯え、近衛首相に強腰に出た
ttps://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/311362
 さらに当時の軍内の動きを調べていくと、もし近衛が対米交渉にこだわり、アメリカとの戦争を避けることが明らかになったら、
テロで狙われたり、陸軍の一部部隊が対米開戦を要求してクーデターを起こす噂もささやかれていた。実際に天皇は、
もし自分が戦争に否定的な考えを表面化していたなら、テロの対象になっただろうと側近に漏らしているほどなのである。
 公にはなっていないが、陸軍内部の対米主戦派にはそういう動きがあったと言われている。当時の軍内部の謀略に長けた
将校によると、近衛が日米交渉のためにアメリカに赴く場合、横浜から出港することになり、その時は東京から横浜に向かう
列車を途中で爆破する計画があったという。近衛を殺害し、会談を中止させようというのである。
 この種の不穏な計画はいくつかあり、皮肉なことに東條もその標的とされていた。すなわち、東條が開戦を弱めることを
言ったら彼もテロの対象にはなっていたというのだ。テロの噂は東條の元にもいくつか届いており、東條が近衛に対して強腰に
出たのは、そのような脅しへの恐怖と裏返しになっていたというべきなのであろう。
 東條が恐れたのは昭和10(1935)年8月の軍務局長室での永田鉄山惨殺事件だったという。
0112名無しさん@お腹いっぱい。
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2023/01/27(金) 08:30:43.90ID:OvmEiwOi0
東京の防空施設の拡充案を却下…東條政権は人命より戦力増強を優先した
ttps://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/317403
 田中隆吉の軍事政策告発の内容をさらに記述してゆく。戦争終結後初めての具体的な告発であり、極めて大きな意味が
あった。田中は東條英機首相・陸相と対立したため軍から追い出されたとも言えるのだが、それだけに彼の記述は東條の
戦争指導を徹底して批判している。
 戦争が始まると、一部の富裕階級は貴重な家財道具などを別荘に疎開させ始めた。東京爆撃の事態に備えようというの
である。これが陸軍内部の局長会議で問題になった。

 防空施設の拡充案が東條の元に届けられた。しかしほとんど却下状態になった。莫大な経費と膨大なる資材は防空施設に
費やすより、「第一線の戦力増強に使用すべき」という理由であった。そのため昭和20年3月10日の東京大空襲の犠牲者は
ほとんど人災の趣があるというのが、田中の意見でもあった。
 実は陸軍省の幹部たちの間では、もしアメリカ軍の飛行機が200機で日本の工業地帯を爆撃したら、戦争の継続は無理、
軍需工場の防備をイギリスのように完璧にせよとの声は当然のように広がっていた。前線の戦いより防衛を、との声である。
東條はこれを「日本には英米空軍が爆撃を行うのは無理だ。それは取り越し苦労だ」とはねつけたというのだ。
0113名無しさん@お腹いっぱい。
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2023/01/27(金) 08:31:22.02ID:OvmEiwOi0
「稀に見る出しゃ張りの女」東條英機は妻の言いなりだった
ttps://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/317537
私は昭和40年代の終わりから50年代にかけて、戦時下を直接は知らない世代として、多くの関係者に会って昭和陸軍の内実を
確かめてきた。石原系の人たち(大体は東亜連盟の会員であったが)の東條批判は具体的で、より精密な史実を持っての批判
であった。そして共通の認識があった。「東條を動かしていたのは夫人であり、東條は奥さんのいいなりのところがあった」と言う
のであった。田中は「稀に見る出しゃ張りの女である」とまで書いている。石原人脈に連なる人々は「蒋介石夫人の宋美齢を
もじって東美齢と言われてましたよ」と苦虫を噛み潰したような表情で批判するのであった。
0116名無しさん@お腹いっぱい。
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2023/09/24(日) 16:06:37.59ID:4uB3s5W10
>>22
東条英機が陸軍から長州閥を徹底排除してるぞ。
そして軍部はジャマな政治家はテロでぶっ殺したから、政界に君臨する必然性はない
0117名無しさん@お腹いっぱい。
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2023/09/24(日) 16:12:30.01ID:4uB3s5W10
>>111
対英米強硬派の田中新一、服部卓四郎、辻政信を大本営参謀に抜擢したのは東条英機
東条英機は強硬論者を好んで抜擢して大東亜戦争開戦に持っていった

そして東条英機は永田鉄山の「資源自給自足と国家総動員体制を確立すれば皇軍は不敗である」理論を実現させた。
不敗体制のハズがたった3年で無条件降伏だったので、東条英機は戦後はいろんな言い訳してるけどな
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