大村家は代々中山大納言家の主治医で、京都の東山に新島襄の墓を取り囲むように
墓地がある。泰輔の子供も医者で、京都でも最も大きい病院だったそうだが、次の代で
医者の家系が途切れた。泰輔の直系の孫は医者を継いだが、若くして亡くなったため、
養子に出されていた、私の祖父が鴻池家から戻されたが、どうしても医者になるのが
嫌で、慶応大学卒業後鉄道省に入り、朝鮮に鉄道を敷きに行ったようだ。