明治天皇が内閣や近臣の意見をねじ曲げるようなことは、ほぼありませんでした。
この姿勢は、大正天皇や昭和天皇も引き継いでいます。

数少ない例外は、日清戦争のときでした。

明治天皇はこのとき、伊勢神宮や孝明天皇陵への勅使派遣を拒否し、宮中三殿での奉告祭にも出席しなかったといわれています。
これは全て、明治天皇にとって「祖先への報告」を意味することです。

つまり、明治天皇は「この戦争は不本意なものだから、堂々とご先祖様に報告する気になれない」と思っていたことになります。
勅使派遣は後に行っていますが、対外戦争に対する明治天皇の考えが伝わってきますね。