大政奉還後の新政府構想について
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じゃ
総力戦体制への創始者の田中儀一マンセーということで 明治政府が中央集権重視となったのは
日本が各地でバラバラに行動していては
内戦の原因にもなり、外国の侵略を防げない
という根本的なのが理念大きいはずです
あの時代にはそれが必要だった
外国から日本を守ることが
まず維新の志士達の強い意志です 外国の侵略とは抽象的で実質のない言葉だよ。幕府は不平等条約を結んだが
居留地がいいように外国人は自由に移動できなかった。しかし新政府は
そう言うのもとっぱらってしまった。侵略されないためなんていうのは
「革命」の意義が曖昧であることの良い証左だといえる。
>>138
江戸時代の機内西国の商品作物経済(主に綿だが)の発達はにしん肥による生産の飛躍的な
増大が原因でマニュファクチャーはそこからの要請だよ。ただそこでの労働者はそれ専用
の労働者ではなく農民の副業であり、今日の都市部労働者と異なるものであり、
マルクス史観的にいう労働者階級は絶対的に数が足りていない時代であることを考慮すべきだ。
>>139
元老や薩長閥がいいように倒幕主導勢力でなければ上にいけないのは
譜代親藩とどう違うというのか。明治後も地方対立の際「賊軍」「官軍」
意識が大きく作用したことを忘れてはならないだろう。 >>142
出身地域で差別を導入する意図があるなら
導入が容易な倒幕側地域住民にのみ近代的基本的人権を付与し
(居住移転の自由や公民権を与え教育の機会を授け)
反発の強い佐幕側地域住民には祖法に倣い婚姻・職業・移転・教育・公民権の制限を継続した方が
楽に国政から不都合な国民の介入を排除できるので合理的でしょう。 >>142
外国と対等につき合える国を目指したのですよ
曖昧とか抽象的とか言っても、それは主観の問題ですからねえ
実際、国を買えようとした人達いとっては、リアルに切実な目的だったわけです あと、明治になってから、世襲というものがかなり廃止され
交代が可能がシステムが作られていきました
もちろん世襲を好む人達も当然のこっていたでしょうし
いきなり現代と同じにできるはずもなかったでしょうけどね
それでも少しずつでも前に進む礎になっていったのです >>143
地租改正や徴兵制のように全国一律の方式に改めるのに
身分制が邪魔なだけで人権向上ではないのは「新平民」からもよくわかる。
幕末の内戦でわかったことは身分制による国民の役割分担(戦闘員としての武士、租税、労役を負担する
農民)が非効率的なものであることがはっきりしたことだよ。
それでも出身地域差別は残ったがね。
出身地域差別は官僚、特に軍部が顕著であり、一次大戦後非長州閥
の下克上が軍部の暴走の原因にもなった。
>>144
内戦で外国に攻め込まれるというのは全くの被害妄想で、当時の列強の
求めていたことは居留地の安全の確保であり、それは幕府に肩入れしすぎた
オールコックが更迭されたことからも明白。内戦でのグラバーやスネルは完全に自己責任
の商売で軍事援助という性格のものではない。だからこそ五稜郭の旧幕勢力は
列強から交戦団体として認定されなかった。
>>145
元老の山縣がいいように原敬に日記で軽蔑され、石橋湛山に「死ぬのも奉公」と言われる
ほどのものが20世紀、大正にいたことや、枢密院という国民国家を否定する存在、
地方自治体首長が官選であるなど江戸時代とは違う中国王朝のような集権体制など
江戸⇒明治が近代的、進歩などというのは短絡的な考えだよ。 >>146
外国勢力に対する考え方はずいぶん楽観的ですな
当時の欧米の植民地政策を見ていれば
妄想とばかりは言えますまい
結果的に国を守れたから後でなんとでも言えますが
それも幕末の志士の危機感あってこそのものですね もともとが復古というように古いものを尊重しつつ
世界情勢にあわせられるように変化したわけだから
それを進歩と言いたくない人にとってはそれでもいいのでは?
ただ明治になって変わっていくことが現代にも通じていく
権力を持ちたがる政治家は昔も現代にだっていくらでも出てくる
完璧な理想の国家など作られるわけないし志が低過ぎる者が多いことも問題だね 山県はねー
軍人に政治権力を持たせない方針の木戸がもう少し元気で生きていたら
もう少しコントロールされて政府もかなり変わっていただろうと思う
明治初期はまだ国を救おうとする志士達の使命感が残った時代だったが
開明的な理想を持ち続けた木戸が早死にしたのが明治政府では痛かったな >>146
中国と明治国家を中央集権というだけで
同一視するなんて短絡的な考えですなあ
原敬自身が、外様の家老が首相になれる時点で江戸時代とは全く違うのに >>147
楽観的といわれても、オールコックが更迭されたのは事実だし。会津がプロイセンを巻き込もうとして
拒絶されたように。にかく当時の日本は治安が悪く、戦争に介入せず日本各地の居留民の安全を
確保することに必死なのはイギリス本国のマスコミや政府の当時の資料から明らか。
明治国家最大の危機は倒幕後の奇兵隊粛清からはじまる地方名士層の不平不満を
民権運動を経て国会開設にいたるまでの道のりだよ。
>>150
中国王朝も試験にパスすれば門地に限らず首相になれたけどね。原の「賊軍」出身というプロフィール
が枢密院をはじめとする藩閥勢力から警戒される中で、山縣にとっては普選を求める他の政党政治家
との比較の中でコントロールしやすいから手を組んだのであって必然性はないが、
原が首相になるためには絶対条件であることを考慮しなければならない。
>同一視するなんて短絡的な考えですなあ
一般に言われるイギリスを比較対象にするよりは穏当だろう。 最近の日本史近代史板は会津・南京・慰安婦ばかり
もううんざり [BSプレミアム]
2016年8月18日(木) 午後5:00〜午後6:00(60分)
幕末、雄藩と幕府の対立が高まる中で政局の行方を左右する存在として注目を浴びた佐賀藩主・鍋島閑叟。技術を開発し独力で作り上げた幕末最強の軍をどう使うか、葛藤する。
【司会】磯田道史,渡邊佐和子,【出演】岩下哲典,佐渡島庸平,中野信子,鈴木一義,【語り】松重豊 >>146
あんだけ徳川や東北閥を使ってたのに出身差別って… 江戸幕府がゆるやかな改革したかったら、
せめて田沼か松平定信の時代に開国してなきゃダメだよね
史実の幕末からやろうと思っても、経済大混乱で民衆感情が
反幕府の所からスタートせにゃならんのだから絶対無理 ゆるやかな改革って数世代はかかるのに大政奉還後ってなあ
夏休みの宿題を9月第一週から始めるようなもんだ
ロシアが通商要求に来た頃に函館を開港していれば
琉球経由の昆布交易ルートが壊滅するんで薩摩の力は削げるな
あと大津浜事件で調査に来た幕府の役人は水戸藩をシカトせずに海外事情説明すべきだった
そしたら会沢正志斎らが尊皇攘夷論を唱えないから幕末は少しは平和 「大政奉還と土佐藩」展の内覧会09/14 17:31nhk
幕末、そして大政奉還を土佐藩からの視点で見つめた企画展「大政奉還と土佐藩」が、
高知市の県立高知城歴史博物館で15日から始まるのを前に内覧会が開かれました。
「大政奉還と土佐藩」展はこの秋、大政奉還から150年を迎えるのに合わせて15日
から開かれ、土佐藩主の山内容堂が江戸幕府の15代将軍徳川慶喜に大政奉還を訴えた
書状の写しなど、大政奉還と土佐藩にまつわる資料およそ50点が展示されます。
このうち、大政奉還の実現に大きな役割を果たした坂本龍馬が定宿にしていた京都の
寺田屋のおかみに宛てた手紙では、龍馬の妻お龍の母親が寺田屋で世話になっていること
へのお礼のかたわら、「実にヘチャクチャな分かりかねる人なのでお気の毒さまです」
と書かれていて、寺田屋と龍馬の関係の深さがうかがえます。
また龍馬が兄の権平から譲り受け、その後剣術仲間のかっちゅうと交換した刀も展示
されています。
県立高知城歴史博物館の藤田雅子学芸課長は「資料を読み解きながら大政奉還に向けた
人々の思いを知ってもらいたいです」と話していました。
「大政奉還と土佐藩」展は15日から11月27日まで高知城歴史博物館で開かれます。 近代史の明治維新のように稼げるかもしれないブログ
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