いまいち幕末の流れがよくわからないのですが
長州は使者を殺したこと以外は京都を追い出されるほど悪いことしてないのでは?
むしろ国のために動いている長州の足を引っ張る薩摩と会津こそ国賊かとおもう。


まず朝廷の圧力で幕府が攘夷決行の約束をして諸藩に命令。
攘夷決行の日に長州藩だけが外国に向かっていった。
んで海峡封鎖しようとしたが対岸の小倉藩が命令を無視して封鎖失敗。
長州藩が催促したものの小倉藩はサボタージュを続ける。
そこで長州藩が海峡を超えて対岸を占拠して海峡を封鎖した。
幕使・中根一之允が派遣されるが何者かに暗殺されるがその処分は放置される。

攘夷親征の詔が下って大和行幸が実行されそうになった時に中川宮と薩摩によって
急に攘夷派の公家が御所から追い出され、長州も門警備を解かれて京都を追放され、七卿は長州に落ち伸びていく。
長州は冤罪を訴えるために家老が京都に出向いてくる。

一橋慶喜が穏便に戦乱を回避しようとするが松平容保が強硬に決戦を主張し挑発。
長州側が会津を排除して直訴するために会津の守る蛤御門の突破を敢行。薩摩が加勢して長州兵壊滅。