「ヨーコの話」はなぜ日本で出版されないのか
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大東亜戦争敗戦直後の朝鮮半島ではソ連軍が侵攻するとレイプ被害が多発しましたが、もっとも加害者として多かったのは実際には
朝鮮人だったという統計があります。こうした事実を裏付けるようなある引き揚げ少女の記録「ヨーコ物語」(竹の森遠く)があります。
amazonで探してみましたが、「So Far from the Bamboo Grove」Yoko Kawashima Watkins 英語版だけで和訳はまだありません。
この「ヨーコ物語」は米国の全州の中学校で副読本として採用されましたが、2006年に在米韓国人が「歴史の歪曲である」と騒ぎ出し、
その圧力によって副読本からはずされてしまいました。日本でも訳了直後に日本での出版翻訳権契約が解約され、出版できなくなりました。
背後で半島系の団体、政治家が動いたのでしょう。
(略)
韓国は海上に「李承晩ライン」を勝手にひき、それを口実に日本漁船を拿捕し、乗組員を抑留しました。その数2,791人。
抑留は長い人で3年におよび、奴隷的状況にありました。
朝鮮人の残虐さはベトナムに持ち込まれました。1965年(昭和40年)〜1973年(昭和48年)にベトナム戦争で韓国軍が派遣されて
います。韓国軍は理由なき無差別殺人を繰り広げました。立ち退きを拒否したベトナム人住民たちを生きたまま井戸や防空壕に押し込み、
手榴弾を投げて殺す。残忍なやり方で女性をレイプしてから殺す。「韓国兵にあったら死にあったも同然だ」とも言われました。
(略)
http://d.hatena.ne.jp/jjtaro_maru/20100715/1279144854
参考動画
竹林はるか遠く―日本人少女ヨーコの戦争体験記
http://www.nicovideo.jp/watch/sm21001537
ヨーコ物語(竹の森遠く)概要1
http://www.nicovideo.jp/watch/sm20913142
終戦から62年 日韓それぞれの引揚げ01
http://www.nicovideo.jp/watch/sm898951 ウサギの島の毒ガス工場、引き揚げ女性の極秘堕胎施設……。第二次大戦で消された記録
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1577529033/
https://www.fnn.jp/posts/00049536HDK/201912281200_TNC_HDK
当時、朝鮮で暮らしていた女性は、現地では日本人女性の暴行や略奪が繰り返されていたと明かす。
「朝鮮の人が、ここには娘がいるとロシア兵に教えて。そうしたら、ロシア兵たちがトラックで来るんですよ」。 【暴力団】自殺に追い込んで借金を返済させる――同和地区に巣くうヤクザ社会の一大派閥である在日韓国・朝鮮人と過ごした日々[08/09]
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1596942941/ 北朝鮮引き揚げ途中の38度線検問。銃を持ったソ連兵が女を差し出せと迫った。その時「私のことは気にせず、日本へ」。若い女性が1人で兵の元に歩き出した〈証言 語り継ぐ戦争〉
https://373news.com/_news/?storyid=131938
■関 公寛さん(85)阿久根市赤瀬川
民家の軒先で野宿し、住民から調達したわずかなおにぎりが配られた。10日近く歩いただろうか。北緯38度線が近づくにつれ、
ソ連兵による検問が増えた。38度線を挟んで北朝鮮側をソ連、南朝鮮側を米国が管理する分割占領が始まっていた。
道路の向こうで大人たちが銃を持ったソ連兵と話していた。ソ連兵は一緒に歩いてきた若い女性を指さし、「女性を差し出さなけ
れば道を通らせない」と迫った。山口か島根出身の女性だったと記憶している。
「この人だけを置いてはいけない」。大人たちは女性を守る方法を懸命に考えていた。だが、代わりに渡せる時計や服は残って
いない。何度掛け合っても拒否された。
その時、女性が口を開いた。「皆さんと一緒に日本に帰れると思えたことが、うれしかったです。私のことは気にせず、日本に
向かってください」
女性は1人でソ連兵の元に歩き出した。しっかりした足取りだった。私はその背中を見つめるしかなかった。子どもながらに
ソ連兵に対する怒りがこみ上げてきた半面、「日本に戻れるんだ」と安堵(あんど)の思いがよぎったのも事実だ。
何とかして、女性と一緒に帰ることはできなかったのか−。年を重ねても、彼女の背中が脳裏から離れない。「戦争は人間性を
奪い、女性や子どもが犠牲になる。二度と起こしてはならない」。その思いを胸に刻んで生きている。 語り継ぐ戦争
38度線超え 最後は徒歩で
http://www.asahi.com/area/aichi/articles/MTW20160513241350001.html
忘却のための記録―1945-46 恐怖の朝鮮半島 (日本語) 単行本(ソフトカバー) - 2014/1/25
清水 徹 (著)
https://www.ama★zon.co.jp/dp/4892959707 ●青戸六丁目被害者住民一同「色川高志の金属バット集団殴打撲殺を熱望します」
長木親父&長木よしあき(盗聴盗撮犯罪者の色川高志を逮捕に追い込む会&被害者の会会長)住所=東京都葛飾区青戸6−23−20
●龍神連合五代目総長・色川高志(葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103)の挑発
色川高志「糞関東連合文句があったらいつでも俺様を金属バットで殴り殺しに来やがれっ!! 糞関東連合の見立・石元・伊藤リオンの糞野郎どもは
龍神連合五代目総長の俺様がぶちのめしてやるぜっ!! 賞金をやるからいつでもかかって来いっ!! 糞バエ関東連合どもっ!! 待ってるぜっ!!」(挑戦状)
●青戸六丁目被害者住民一同「盗聴盗撮犯罪者の色川高志の逮捕を要請します」
長木親父&長木よしあき(盗聴盗撮犯罪者の色川高志を逮捕に追い込む会&被害者の会会長)住所=東京都葛飾区青戸6−23−20
●盗聴盗撮つきまとい嫌がらせ犯罪者/アナル挿入食糞愛好家で生活保護費不正受給犯罪者の色川高志
色川高志の住所=東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103号室
【通報先】亀有警察署=東京都葛飾区新宿4ー22ー19 рO3ー3607ー0110
盗聴盗撮つきまとい嫌がらせ犯罪者/アナル挿入食糞愛好家で生活保護費不正受給犯罪者である色川高志の盗聴盗撮つきまとい嫌がらせ犯罪者/愛人変態メス豚家畜清水婆婆(青戸6−23−19)の
五十路後半強制脱糞
http://img.erogazou-pinkline.com/img/2169/scatology_anal_injection-2169-027.jpg
アナル挿入食糞愛好家で生活保護費不正受給犯罪者の色川高志によりバスタブで清水婆婆の巨尻の肛門にシャワーのキャップをはずしてずっぽり挿入。
そして、大量浣腸。 勢い良く噴出!腸内洗浄状態です。
http://101.dtiblog.com/b/bodytk9690/file/kan01.jpg 「読者手記 53編」 文藝春秋・特別号 1983.9掲載
昭和20年8月20日頃であったろうと思う。
…(略)…
ぶきみという程静かな日が続いていたので、新京の街で何が起こっていたのか解らなかった。
そんな日病院の玄関で大声で騒ぐ声にびっくりして、私は板でくくりつけた足をひきずりながら玄関に出て見て驚いた。
12、3の少女から20ぐらいの娘が10名程タンカに乗せられて運ばれていた。
それは、まともに上から見ることの出来る姿ではなかった。
その全員が裸で、まだ恥毛もそろわない幼い子供の恥部は紫に腫れ上がって、その原形はなかった。大腿部は血がいっぱいついている。
顔をゆがめつつ声を出しているようだが、聞き取れない。
次の女性はモンペだけをはぎとられて下(しも)の部分は前者と同じだが、下腹部を刺されて腸が切口から血と一緒にはみ出していた。
次の少女は乳房を切られて、片眼を開けたままであったから死んでいるのかも知れない。次もその次も、ほとんど同じ姿である。
「ああ女とはこんな姿でいじめられるのか・・・」。
次々に病室に運ばれて行く少女を眼のあたりに見てその非情なソ連兵の動物的行動に憤りを感じると同時に、道徳も、教養も平和な中にのみあるのであって一つ歯車が狂ってしまったら、
そんなものは何の役にもたたないのだ。
…(中略)…
1週間私はこの病院にいて毎日毎日この光景を見て、その無残、残酷さに敗戦のみじめさを知った。
銃でうたれて死ぬのは苦痛が一瞬であるが、自分の体重の3倍以上もある毛むくじゃら男数名になぶられた少女や娘等はどんな苦しみであったろうか。
…(中略)…
また女医さんに聞いたことだが、「10名に2、3名は舌を噛んで死んでいるんです。また何名かの方は胸を圧縮されて息絶えている人がありました」と語られたことを想い出す。 【VANK】 「日本人=被害者、韓国人=加害者」とした日本の小説「ヨーコの話」がアマゾンでベストセラー?→バンク「排除する」[03/04] [蚯蚓φ★]
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1614954944/
「日本人=被害者、韓国人=加害者」と描かれた小説が米国でベストセラーに?韓国の団体が抗議 [ひよこ★]
https://rosie.5ch.net/test/read.cgi/editorialplus/1615188247/
【VANK】 「韓国人が強姦犯」の小説『ヨーコの話』がアマゾンでベストセラー?...さらに実話に変身、差別だ[03/25] [蚯蚓φ★]
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1616670301/ アメリカでは朝鮮人に妨害されて発行禁止になったんだよね
いやがらせにかけては朝鮮人の右に出るものはいない 和夫一家殺人事件もどんどん報道して朝鮮人の残酷さを知らしめてほしい 日本敗戦と同時に日本人を虐殺、強姦しまくった裏切り者の朝鮮人
朝鮮人だけは絶対に許せない 今の日本はメディアが朝鮮人にのっとられてるから
こういう朝鮮人に都合の悪いことは絶対に報道しない
情けない国になったもんだ 日本は戦前の体制に戻すべきだ
そうすれば支那人、朝鮮人などビビッてのさばれなくなる ヨーコの実話を映画化、テレビ化すべき
いかに朝鮮人がずるくて卑怯で汚い奴らかを知らしめろ Amazonでヨーコの書籍がベストセラーになってるじゃん
朝鮮人の正体をどんどん知らしめてほしい 朝鮮人は人としての心を持たない。
人間ですらない。
鬼畜だ。 天内みどり著『芙蓉の花〜北朝鮮引揚げの記録〜』
https://ameblo.jp/itaoki/entry-12693596151.html
4.日本が負けたその当日から、半島人たちが集団で日本人を襲う様子が描かれている。このときの半島は、
すでに日本によって36年間も統治されていたから、すくなくとも42歳以下の半島人は、日本人としての戦前の
教育を受けていた人達。にも関わらず、日本が負けたと知るやいなや、瞬時にして暴徒となって集団で、
日本人を襲う。こうした恩知らずの風習は、我々日本人にはおよそ理解できない。
5.彼らの襲撃というのは、日本人にはおそらく想像もつかない激しく、とにかく目につくもののすべてを持ち
去ってしまう。略奪するときにでも、どれにしようかなと、つい選ぼうと迷ってしまうのは我々が日本人だからで、
コリアンやチャイニーズの場合、机でも椅子でも、略奪が終わればまるで引っ越しでもしたあとかのように、
何もかも奪い去ってしまう。このとき、女性であれば年寄りや子供でも暴行の対象になる。裸にした女性の膣に
木切れや棍棒を挿すというのも、彼らの伝統芸だ。生き残っても外性器の形が変形してしまう。近年もそうした
外性器の形が変形してしまうような酷い性的被害に遭う女性が日本国内であとを絶たないという。・・・ 人間を最後に支えるものはなにか——天内みどりさんが語る壮絶な「北朝鮮引き揚げ」体験
https://www.chichi.co.jp/web/20191214_amanai_midori/
夏が来ると(北朝鮮での)収容所の暮らしも1年になります。誰もがこの夏を逃したら日本へ帰ることはできないと思うようになり、
「南朝鮮まで歩いて逃げよう」という話が持ち上がりました。実際、元気な人は単独で北朝鮮を脱出していました。
子守りのオモニにそのことを相談すると、逃亡する日本人を見たら撃ち殺してもいいという指令が出ているし、絶対無理だ。
私を養女にして、母と妹も引き取ってくれるとまで言ってくれました。
しかし(同じ収容所にいた)北原さんが、「みどりちゃんを養女なんかにいかせない。二人で頑張ろう。一緒に日本へ帰ろう」と、
涙を流しながら抱き締めてくれたことで、私は北朝鮮を脱出することを決めたのです。
脱出から3、4日後、皆の疲労が蓄積してきたこともあり、夜は眠って昼に歩くことになりました。しかし、道のあちこちにソ連兵や
朝鮮兵が立っており、通行させる代わりに金品を置いていけとせびってきます。ある時、木蔭から出てきた二人のソ連兵が
「女を置いていけ!」と迫ってきました。
ソ連兵は、ものを物色するように銃で一人ひとりの顔を上げて覗き込み、二人の女性を道に押し出しました。泣き叫ぶ二人の
女性を後に、逃げるように皆が歩き出す中で、私は何度も後ろを振り返ってソ連兵に引き摺られていく彼女たちを見ました。
私たちはこの女性たちの犠牲によって助かったのだ。この悲しい光景は、いまなお私の記憶に焼きついて離れません。
南朝鮮へと続く道には、いつの間にか私たち以外にも祖国を目指す日本人たちの長い長い列ができていました。その道端には
力尽きた人が転々と倒れていました。
ある日、野宿している時に母が「水が飲みたい」と言い出しました。額に手を置くと熱い。私は辺りを見回し、芙蓉の花が綺麗に
咲いている農家を訪ね、出てきた年配のオモニに「母が病気で死にそうなのです。お水を少しください」と頼みました。しかし私が
お金を持っていないと分かると、オモニは「日本人に飲ませる水なんかあるもんか!」と叫び、バケツの水をバシャっと浴びせ、
叩きつけるように戸を閉めてしまったのです。私は込み上げる涙を抑えることができず、庭に咲く芙蓉の花をしばらくじっと見つめて
いました。
もはや皆の疲労と衰弱は限界を超えているように思えました。後ろを振り返ると、白いチョゴリ姿の朝鮮人たちが私たちの列の
後ろをぞろぞろとついてきている。そして、倒れた日本人の衣服を剥ぎ取っていました。「日本人たちは皆死んでしまうんだ。
この暑さに耐えられるはずがない」。そんな声が聞こえてくるかのようでした。 秘録大東亜戦史〈〔第5〕〉朝鮮篇 (1953年) −
https://www.ama▼zon.co.jp/dp/B000JBGYIW/
朝鮮からの引き揚げに関して多くの体験談が掲載されてある。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています