木語:ナンシャって何じゃ=金子秀敏
ttp://mainichi.jp/shimen/news/20151126ddm003070045000c.html
 アマンプール氏は中国名「ナンシャ」ではなく「スプラトリー」と中立的な呼び方をすべきだった。もっとも、
日本のメディアも「南沙(英名・スプラトリー)」、「スプラトリー(中国名・南沙)」とまちまち。舌をかみそうな
スプラトリーより南沙のほうが言いやすいが、それが錯覚の一因だろう。
 アマンプール氏は「古い地図を持ち出して領有権を主張すべきでない」と言った。南沙の古地図がある
と思いこんでいるのだ。大使が言い返した。「米国がなかったころからの領土だ」。ぎゃふん。
 実は2人とも間違っている。古い地図はスプラトリーと書いてあるのだ。中国が「南沙」の実測地図を
作ったのは戦後、1947年以後だ。蒋介石政権が日本軍の占領していたパラセル(中国名・西沙)諸島や、
日本領「新南群島」(スプラトリーの日本名)に軍艦を派遣して接収した。初めてこの地の島々を測量して
南沙と命名した。主要な島には軍艦の名前から「太平島」「中業島」など中国名をつけた。このころ、
南シナ海全域に「十一段線」(後に九段線)という線引きをして領有宣言した。