>>18 

ありがとう。

手許に『太平洋戦争』初版第6刷があったから確認したら、確かに「アメリカの侵略による」と書いてあるね。

そして対応する本文ではそれを前提に書かれているので、なぜ「アメリカの侵略による」と断言し得たのかもわからない。
たしかにこれだけでは問題だ。

その上で「あとがき」に、
「執筆を開始してから、(中略)戦争関係の文献が次から次へと刊行され、、出るたびに一応は買って目を通す必要に迫られた。
草稿の大すじを書き改めなければならないほどの重大な新事実にはほとんど接しなかったけれど、部分的に私の認識を補強してくれる
貴重な新史料がひきもきらず出てきたのには、うれしくもあり、またその消化のために追い回される苦労も重ねた」
とあるので、「アメリカの侵略による」というのも、文面からでは具体的に分からないけれど、何らかの証拠には拠っていたんだろう。


あとの件は、今手許に白峯の本のオビの現物なり写真なりが無いし、家永が共産主義について時期時期にどう述べているか
全文さらって
検討したわけでもないからこれ以上なんとも答えられないけど、一応そういう考えがあることは了解しておきます。



ただその上で、>>18の結論に至るには2つ疑問がありますね。書いてたら長くなっちゃったのでとりあえず結論だけ言うと、

>客観的にみて共産側の宣伝に踊らされていたことは事実。
それは結果から断罪しているんじゃないかな。当時の資料状況に照らして妥当な結論が「アメリカの侵略による」だったというところに力点を置くことが妥当ではないかと。

>正しいことを言っていた人を傷つけたということだ
事実認識の問題と人格の問題は区別しないといけないよ。
証拠に基づいて認識を立てては見なおして一つ一つ修正していくというのが研究の営みだし(大学で学ぶ基本中の基本だ)、
上記「あとがき」からも察せられるように家永もそれをやっている。そこに人格を混ぜたらそれこそスターリン支配下のソ連みたいに研究が歪む。
それから、『太平洋戦争』はもともと岩波書店「日本歴史叢書」の一環で、れっきとした研究書だよ。

もし>>18がかつて家永の主張を心の底から信じていて、それにもかかわらず違ったので謝って欲しいというのなら、同意はしないけれど人間の気持ちの問題として共感はする。
ただ、もしそうならより健全なのは、家永の認識を乗り越えて新しい太平洋戦争像を切り拓くことだと思うけれど。