>>416
>近衛文麿は東條英機を次官起用前から知っていたということ?

そういうことです。

もともとは、陸相としての杉山に対して「あいつは戦争を解決に向かわせよう
という意志を持っていないんじゃないのか?」と不満を抱いた近衛の側が、
トラウトマン工作の時に不拡大を主張していた多田駿参謀次長が杉山陸相を
排斥しようとしているので、それを利用して杉山を更迭しようと考えたのが
この陸相交代劇のスタートです。

そもそも、多田が杉山と対立するようになったのも、参謀本部側の意見を
受け入れずにトラウトマン工作を打ち切って「国民政府を対手とせず」の
政府声明を発表することになったのが原因であり、その責は近衛にも
あるのですが、都合よくその時の自分の失点を「無かったこと」にしたい
近衛が、最初に不拡大を主張していた石原のことを思い出して、石原と
近いと感じられた板垣の起用を考えるに至ったわけです。

参謀総長である皇族の閑院宮が杉山に詰め腹を切らせることになりますが、
閑院宮が杉山に辞職を勧めたのは、天皇周辺の宮中勢力がその後押しを
したからです。


近衛はそうやって板垣の引き出し工作を行いつつも、板垣との間にそれほど
深い面識があるわけではなく、「不拡大派だった石原と板垣は満州事変時に
一緒に動いていたから、板垣も不拡大なのだろう」くらいの観察でした。

徐州作戦の指揮を執っていた第五師団長の板垣を、現地から引っ張ってくる
ために同盟通信の古野伊之助が近衛の使者として山東省に派遣されます。
近衛内閣の書記官長(今でいう官房長官)だった風見章が、新聞記者を
だった時代に同じ会社で同僚として働いていたことがこの人選の理由です。

そして板垣に会った古野が近衛からの要望を伝えます。

「古野は出発時に、陸相受諾の三条件を聞かされていたのでこれを含めて
板垣に近衛の意向を説明・説得した。三条件とは「日本軍の華北撤兵」
「日中戦争の収拾」「東條次官任命」であった。」
(筒井清忠『昭和十年代の陸軍と政治』p159)

これは古野の伝記からの記述ですが、ほぼ同時期の『西園寺公と政局』にも
近衛の意向が残されています。


「政府は板垣と東條のコンビネーションで行くことが一番良いと思っている。
〔中略〕参謀本部の石原案ではあまりにも石原色が濃くなる。で、我儘を
させても困るから、まず板垣のような西郷隆盛式の男に東條のような緻密な
人をつけたらいいと思う。〔四月二七日〕

 それから陸軍の方は結局杉山が辞めたら、板垣、東条というコンビネー
ションで纏めたい。〔五月十二日〕」
(筒井清忠『昭和十年代の陸軍と政治』p171)