四民平等の国家なんて史実の中にあったっけ?。
建前上はできているという自称四民平等の国家でも役割分担することで社会が成り立つんだから、できてない。
実現は不可能なだまし絵だ。

人間は生まれながらに平等ではない。
そのことが一番顕著なのが自由と平等の国のアメリカといのうがなんとも皮肉だが
大統領ですら暗殺されないための政策しか取れないあの国はまっとうじゃない。
真の権力者が一人に絞れない。分かりにくい。
人種差別する自由も銃を手軽に所持できる自由も宗教弾圧する自由もアメリカは手放さない。
アメリカに限らず、世界中に理不尽を押し付ける自由を行使する国があって国際関係は
延々とギスギスしている。


日本では古来から誰もが平等ではないこと。自由でもないこと。
その事実のあるがままを受け入れて、なるったけ幅広い階層の生まれの者たちにそこそこ
満足いく暮らしができる世の中とやらを設計して維持管理するのが善い政権ってビジョンがある。
権力者は、野心がありありでも「正しい」と認識できる国家運営を心がけている者が多かった。
たまにサイコパスなカリスマが現れるから、乱世には定期的に突入していたけれど。

秩序維持に必須なその不自由を何の準備もせずに手放したから明治維新以降の日本は迷走した。
あたり前のように生きやすかった日常が、とたんに物騒になって戦争にも駆り出されるようになった。

中世暗黒時代の魔女狩りのノウハウを使って「魔女」の部分を「非国民」と言い換えて、普通に生きている
普通の人がいきなり狩られる世の中になった。

ルールがあるから窮屈なのではなく、ルールがあるから安心して暮らせると。
そう実感していられれば、「自由にさせろだの平等にしろ」だののモヒカン肩パッド系のごときわめき声は
「盗んだバイクで走りだそうとする奴に言われてもなー」と、思うだけで済む。
扇動されて一緒に大暴れ、なんて愚は犯さない。