★★★ 在日朝鮮人の歴史 Part4 ★★★ [無断転載禁止]©2ch.net
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大半、自由意思で居住
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外務省、在日朝鮮人で発表
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戦時徴用は245人
■1959年7月13日 朝日新聞
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・終戦直前、日本には200万人の朝鮮人がいた。
・その内、140万人は終戦直後に朝鮮に帰った。
・更に北朝鮮帰還事業などで10万人が朝鮮に帰った。
・つまり200万人のうち、150万人…つまり75%が帰国した。
・国民徴用令は1939年7月から施行された。(日本人と台湾人)
・しかし朝鮮人には1944年9月まで適用されなかった。(つまり優遇されていた)
・1945年3月には日韓フェリーが停止されたので、徴用が可能だった時期はたったの7ヶ月。
・1959年の調査では在日における「徴用者」の人数は…たった245人だった。
・現在、日本に残留している朝鮮人は「自由意志」による残留である。(犯罪者を除く) 葫蘆(コロ)島からの引揚げ - 探検コム
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毎年12月には様々な外交文書が公開されるんですが、2000年に公開された資料で、朝鮮人送還の様子が明らかにされました。
当時、日本には200万人近くの朝鮮人がいて、1945年暮れから大がかりな帰還計画が始まりました。ところが、次第に朝鮮人の
帰国希望者が減少していきます。GHQは送還の中止に傾きますが、日本政府はなんとかもっと送還したいと訴えます。
以下は、外交文書に記録されたGHQ帰還担当のハウエル大佐と厚生省関係者の会話です(1946年3月「朝鮮人送還問題に関する
連合司令部との会談」、朝日新聞2000年12月20日付より転載)。
大佐「帰る気を起こさせる手段はないか」
日本「持参金の増額を認めては」
大佐「不可能だ」
日本「ならば強制送還を認めてくれるか」
大佐「それも不可能。この際、中止すべきだ」
日本「中止だけは思いとどまってほしい。朝鮮人を可能な限り多く送還することは、日本政府の最も希望するところだ」
結局、帰還は1946年末まで続けられたものの、希望者は増えずじまい。「朝鮮人帰還輸送終了の件」(1946年12月)によれば、
帰還したのは98万人で、約60万人が日本残留を選んだそうです。 朝日新聞 2000年12月20日 朝刊
外交文書公開
在日朝鮮人の帰還計画 GHQに継続懇願
・・・朝鮮人を可能な限り多く送還することは、日本政府の最も希望するところだ」
GHQが中止に動くとの情報は、戦時中の日本人への反発などから各地で起こった朝鮮人による事件に悩んでいた
警察当局を慌てさせた。この会談の4日後、内務省警保局公安課長は各県警に「朝鮮人の送還警備に関する件」(46・3)
と題する指示を出す。
「送還が中止になれば多数の朝鮮人が残留し、治安警備に重大な支障をきたす。警察は治安警備の観点より朝鮮人の
送出を積極的に進めるべきである」 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています