>>589
薩摩が琉球を完全に支配していなかったことは薩摩が琉球を侵攻した1609年から1879年まで琉球王国が存在し、琉球国王も1870年代まで存在していたことで証明されている。
しかも薩摩の琉球への関与は政治的なものだけで、薩摩は琉球に対して裁判権や逮捕権などは持っていなかった。
あくまでも薩摩の琉球への関与は限定的だったと言える。
その証拠に琉球は薩摩侵攻後も日本の陽暦ではなく陰暦を使用していたし、また1879年3月27日に日本政府が軍隊を動員して武力併合するまで琉球は日本の年号(和暦)を使用していなかった。
何より日本政府が軍隊を動員して琉球を武力併合したという歴史的事実そのものが、その琉球を前身に持つ現在の沖縄が日本固有の領土ではないことを見事に証明している。