歴史通:2017年1月号
総力特集A「歴史の常識」はウソだらけ
「東京裁判史観」戦勝国の「戦争責任」を問え!
■伊藤 隆/福井義高/江崎道朗
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【福井】 伊藤先生は、はやくから、マルクス主義に強く影響された歴史学界に新風を吹き込まれ、その成果をまとめた
『昭和初期政治史研究』(東大出版会)や『昭和期の政治』・『同[続]』(山川出版社)を、1960年代後半から90年代に
かけて刊行されました。そこで提示された新しい歴史観は今も古びていません。昭和戦前期を安易にファシズム国家であると
断定する多数派に対して、実質的にそうした主張の根拠のなさを指摘された。ところが、その後、日本の近代史研究は退歩
しているような気がします。東京裁判史観がますます強固になったようにも思えます。
       (中略)
【福井】 1975年に出版された、当時の世界中の著名なファシズム研究者の業績をまとめた、ヘンリー・ターナー編集の
『Reappraisals of Fascism』という本があります。その序文に、マルクス主義的ファシズム論はクォリティが低く、ここで
取り上げるに値する業績はない、と書いてある。日本については、ジョージウィルソンが、日本の政治体制はファシズムとは
言えないと明言しています。要は、当時の日本は、初期のダイナミズムを失い、権威主義的傾向が顕著となった、遅れて
近代化した非欧米国家のひとつだったというわけです。
 その頃日本では、伊藤先生が旧来の「天皇制ファシズム国家」論者に決死の覚悟で挑むという調子で自説を主張されて
いました。実は先生の主張は、同時期、世界的な研究者の間ではすでに常識的な考え方になっていたんです。
       (中略)
【福井】 伊藤先生が1960年代に出されたフレームワークは、それまでの一般的な意味での右と左、あるいは復古と進歩と
いう横軸に、革新と現状維持という縦軸を加えた画期的なものでした。この枠組みでは、通常の横軸で見れば、左右の両極
として相容れないように見える共産主義といわゆる国家社会主義は、縦軸で見れば、革新あるいは革命勢力と言う点で同じ
グループなのです。当時、多くのマルクス主義者が一転して「天皇制ファシスト」になったことは、ある意味、自然なことでした。
 先生がこの枠組みを提唱された後、同じような見方が、海外で全然違う文脈で注目されました。ゼ―ヴ・ステンネルという、
かつてフランスで活躍したユダヤ人歴史政治学者の手になる、『Ni droite ni gauche』(1983年)という本があります。タイトル
は「右でも左でもなく」という意味ですが、世界的に話題になりました。英語版も出ています。彼はフランスを例に、従来の右
とか左では理解できない、戦前欧州の政治状況について、重要な指摘をしています。英国のように現状維持勢力である
伝統的保守が強い国では、革命勢力であるファシズムが弱く、逆に、現状維持勢力が弱い仏独伊では、マルクス主義と
ならんでファシズムが、大きな勢力となり、独伊では政権を取った。
       (中略)
【江崎】 Willの12月号で、加藤陽子氏をテーマにして岩田温さんと対談したのですが(記事タイトルは「加藤陽子センセイ、
中高生を誑かさないで!」)、彼女も先生のゼミ生の一人でした。
【伊藤】 彼女は元新左翼でしたが、私の指導で非常に実証的ないい仕事をしました。私と関りがなくなったとたんに元の
新左翼に復帰しましたが、そういう人はたくさんいます。中大の吉見義明氏もそうです。彼は、慰安婦問題で今でも理解しが
たいことをやっていますね。
【福井】 アメリカでも同じような傾向があって、1940年代生まれよりも後の若い世代の研究者が、マルクス主義的歴史解釈
に先祖返りしています。世界的な傾向と言えるかもしれません。ジェームズ・グレガーの『Totalitarianism and Political
Religion』(2012年)を読むと、日本の政治体制はファシズムとはとても言えない、と書かれています。いま彼は伊藤先生と
同じく、80代。しかし、アメリカでも若い世代の方が「日本暗黒史観」という先祖返りの傾向が見えてくるんです。
《続く》