>>631
《続き》
          (中略)
 よく知られる通り、アメリカでは第二次大戦中、主に西海岸に住む12万人の日系人が内陸部の収容所に強制移住させられた。
正規の立法措置ではなく、ルーズベルト大統領の行政命令という形が取られ、62%は米国で生まれた二世、三世だった。
          (中略)
 ファシズムの具体的発現形態の一つが国内における強制収容所の存在だとすれば、その点、日本の方がアメリカよりファッショ度
は小さかった。
 日本の近現代史学界においても、日本=ファシズム論は断続的に論争を呼んできた。中でも伊藤隆東大教授の「昭和政治史研究
の一視角」(1976年)、「『ファシズム論争』その後」(1988年)は、必読文献と言え、今日的意義を失っていない。紙幅の関係で、
ここでは箇条書き的にいくつかの論点を紹介するに留めたい。
 伊藤は「天皇制ファシズム」という学界用語について次のように言う。
「『ファシズム』がはなはだ曖昧な用語であるうえに、この『天皇制』なる用語もまたはなはだ曖昧な用語である。……この用語は
日本近代の広い意味での政治支配体制全体を対象としているが故に、その政治的情動的な感触を除けば日本近代の政治支配
体制という以上の意味をもたない。近来『古代天皇制』『近世天皇制』といった用い方をされるのだから、必ずしも近代に限定される
わけでもないらしい。とすると、戦前期に濫用された『国体』という用語との類似を感ぜざるを得ない。日本の広い意味の政治体制を
プラスに評価する用語としての『国体』のちょうど裏側、つまりそれをマイナスと評価する用語として『天皇制』が存在するといって
よいであろう」
 それゆえ、「天皇制ファシズム」は何を限定したことにもならず、分析の道具たり得ないというのが伊藤氏の指摘である。その通り
だろう。満洲事変以降の日本をファシズムという言葉でくくるのではなく、具体的に「軍部の台頭」「戦時体制」などと表現していく
方が、実証的研究に資するというのが伊藤氏の主張である。