新潮45 2017年1月号
【新資料発掘】
◆チャーチルは真珠湾攻撃を知っていたか/有馬哲夫
ttp://www.shinchosha.co.jp/shincho45/backnumber/20161217/
 ・・・・アメリカ側にも「チャーチルの陰謀」に関する有力な資料がある。スタンフォード大学ハーバート・フーヴァー研究所所蔵の、
ボナー・フェラーズ元准将とハズバンド・E・キンメル元大将の間で1967年に交わされた二通の手紙だ。
 フェラーズはダグラス・マッカーサー元帥の幕僚の一人で、戦争中は太平洋陸軍の心理戦課長として、占領初期は占領軍の
情報伝播局長として、対日心理戦を指揮する重要な地位にあった。キンメルは真珠湾攻撃当時アメリカ太平洋艦隊総司令官
だった。交わされた時期は1967年の前半で、真珠湾攻撃の25周年が過ぎて間もなくのころだ。この当時フェラーズは軍を去って
民間会社で働いていた。キンメルのほうは引退生活をしていた。
 出処がスタンフォード大学のハーバート・フーヴァー研究所で、公文書館とちがって資料の使用条件が厳しいので、引用せずに、
要旨のみ紹介する。
 キンメルは2月23日付で次のようなことを書いている。
 あなたがオブザーバーとして北アフリカのイギリス軍のもとにいたとき、イギリス空軍の司令官から24時間以内にアメリカは
日本と戦争状態に入ると教えてもらったという手紙をあなたから以前いただきましたが、どこへいったのか見つかりません。
つきましては、あの内容を詳細に記したものをもう一度送っていただきたいのです。
 これに対してフェラーズは3月6日付でこのような主旨の返信をしている。
 1941年12月6日(日本時間では7日)土曜日午前10時ころ私はカイロの英国空軍本部にいました。そして、中東英国空軍にいた
(アーサー・)ロングモア司令官から日本軍が24時間以内にアメリカを攻撃するという電報を入手したと告げられました。
私は、日本はアジアでフリーハンドの状態を保ちたいはずだから、それはないと答えました。しかし、司令官は、これでアメリカは
戦争に入ると喜色満面でいいました。私はその夜は一晩中、ワシントンに報告した方がいいかどうか悩みました。しかし、もし
はずれていたら困ったことになると思いました。そして、イギリス軍が知っているならアメリカ軍も知っている筈だという結論に
落ち着きました。あとで起こったことをそのとき知っていればパナマ・真珠湾、フィリピンに警告を出していたでしょう。私は途方も
ない過ちを犯しました。これからも一生後悔しつづけるでしょう。
 フェラーズの手紙には注目すべき点がいくつもある。
      (中略)
 第6の注目点は、なぜロングモアは喜色満面で電報のことをフェラーズに告げたのかということだ。注意しなければならない
ことは、アメリカが日本と戦争になってもドイツと戦争するとは限らないということだ。ロングモアほどの地位にある軍人なら、
それはわかっている。
      (中略)
 では、ロングモアは、日本がアメリカに戦争を仕掛けることが、アメリカとドイツとの戦争につながることを知っていたのだろうか。
ほぼ確実に知っていたといえる。というのも、イギリスは駐ドイツ大使大島浩が11月29日に本国に打った外交暗号電報をドイツの
暗号電報、アメリカの暗号電報、そしてに日本の暗号電報(海軍暗号電報ではなく外交暗号電報)の解読を通じて知ることが
できたからだ。少なくともアメリカは、この電報を解読して大統領に報告している。
 電報の内容は「ドイツの(ヨアヒム・フォン・)リッベントロップ外務大臣は、日本がアメリカと戦争に入ったときは、ドイツはただち
に参戦すると確約した」というものだ。
      (中略)
 最後にフェラーズの手紙の欄外に追記として書かれている興味深いエピソードを紹介しよう。
 ルーズヴェルトが亡くなったことを知った1945年4月12日、マッカーサーがフェラーズにこういったという。嘘でこと足りるときは
けっして本当のことをいわなかった男だった。
 この手紙がキンメル宛だということ、マッカーサーと付き合いが長いフェラーズだから上官に「チャーチルの陰謀」のことをとっく
に話している筈だということ、手紙の文脈を考えると、この言葉はきわめて意味深長だ。
 フェラーズとマッカーサーは、「チャーチルの陰謀」は「ルーズヴェルトの陰謀」でもあったと思っていたのだろうか。