0918名無しさん@お腹いっぱい。垢版 | 栗砲2018/11/04(日) 17:51:35.21ID:evHK6L4y0 会津藩兵も退却する時に 民家に放火したりすることが多かったので 越後国内では次第に領民から 疎まれるようになってゆくのが 後藤平太の日記から伝わってくる。 会津藩兵と同行した幕府の衝鋒隊の 桃沢輩下の兵が、殺した敵の生き胆を 取って来て「まだ脈がある故、ご覧ぜられよ」 と「ヒツコヒツコ」と活動しているのを見せた。 「いずれに用するや」と聞くと 「食するなり」と言って飲みこんだと 5月9日の日記に書いてある。