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左派が米国学界の知的風土を単一化する手法:その「プロセス」を詳説する    ジェイソン・モーガン(森 由美子訳)
http://harc.tokyo/?p=799
http://harc.tokyo/wp/wp-content/uploads/2018/11/21.pdf
 米コロンビア大学のキャロル・グラック教授は、ニューズウィーク日本版の2018年3月
27日付のインタビューで、慰安婦が「共通の記憶」として取り込まれ、繰り返し論点とし
て浮上した「プロセス」について語った。グラック教授によると、文献以外の情報源(例
えば、口述証言)が歴史研究に採用されるようになり、史学のあり方が大変革を遂げたという。

 グラック教授は、慰安婦問題や他の「記憶」プロジェクト以外では、自身が事実を大切
にする学者であることを証明している。慰安婦が史実を無視した形で米国学界に存在し
ていることを認識しているようにも見える。

従って、グラック教授がニューズウィーク連載
で言及した「プロセス」とは、歴史上の因子や出来事を検証する際に課せられる基準の遵
守から、慰安婦を段階的に免除することだと思われる。
 だが、この「プロセス」は、これだけでは終わらない。特に、同教授は認めていない
が、慰安婦問題について米国学界がほぼ一致した見解を持っているのは、数十年間に渡
り学界で吹き荒れた粛清の結果が大きく関係しているからだ。米国学者の多くは、自身が
賛同できない見解を「非主流」との理由で、議論や検討にも値しないと一蹴する傾向がある。

 米国学界における反知性主義左派の台頭の起源は、はっきりと辿ることができる。アメ
リカ歴史学協会(AHA)の1969年の総会で、極左の歴史学者ハワード・ジン教授と、実
直で政治には無関心な中国歴史の研究家、ジョン・キング・フェアバンク教授がマイクの
取り合いをしたという有名な事件がそれだ。

 今日でも、学界の左派は同派以外の学者がマイクを持つことを許していない。
 2015年の例をあげよう。筆者はセントラル・ワシントン大学から、慰安婦問題と日本
の歴史をめぐる議論について講演するよう依頼を受けた。

しかし、その直後に、筆者が米国や日本の慰安婦支援者による
凄まじい妨害行為や虚偽の情報拡散の対象になっていることが判明した。

対抗シンポジウムの出席者が執筆・公表した報告書
によると、同シンポジウムのプログラムには、学生達が慰安婦の「証言」をドラマチック
に朗読するという内容が組み込まれていて、朗読した学生達や聴衆などから多くの涙を
誘ったという。

学生達は、文献や証拠に基
づいた歴史の語りを聞くことさえも阻止された。その時点までに、慰安婦は史学上の調査
を全く受けない、というより、調査を免除された存在になり、米国学界左派がその威力を
発揮するのに使われる神話の一つに祭り上げられていたのだ。グラック教授の「民衆の歴
史」が、ベンヤミンが推進した史学を葬り去るという計画を完遂させたのだ。

 1920年代の初頭にドイツで設立されたフランクフルト学派だが、多くの指導者は1933
年のナチズムの台頭を逃れ、翌年、最終的に米国のコロンビア大学に辿りついた。

グラック教授が教鞭をとるコ
ロンビア大学は、北米や東アジアの客観的な史学の残滓を除去するのに主導的な役割を
果たしているが、1930年代にフランクフルト学派の「哲学者」を迎え入れたのは単なる
偶然ではない。フランクフルト学派の哲学者が始めた破壊を、グラック教授と彼女の弟子
たちが完遂させようとしているのだ。
 しかし、フランクフルト学派の悪影響が見てとれるのは、コロンビア大学と慰安婦問題
だけではない。おそらく、概して米国のキャンパスほど、文化的マルクス主義と批判理論
を擁護して実った果実が悪臭を放つ場所はない。

 その意味で、グラック教授は極めて典型的なアメリカ人だ。彼女の「プロセス」は、多
かれ少なかれ、対立する見解へ敵意を表すアメリカの伝統から生まれたと言える。慰安
婦問題などの歴史論争に勝ちたいと考えているのなら、米国の大学には真の意味の歴史
学者はほとんどいない、ということを覚えておいてほしい。