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日本近代史・日本政治外交史の学者について語ろう [無断転載禁止]©2ch.net

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0001名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2016/07/17(日) 13:28:42.98ID:0SSP38gl0
0139名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2022/08/26(金) 00:34:35.15ID:bbJH2l3u0
>>138
左派が米国学界の知的風土を単一化する手法:その「プロセス」を詳説する    ジェイソン・モーガン(森 由美子訳)
http://harc.tokyo/?p=799
http://harc.tokyo/wp/wp-content/uploads/2018/11/21.pdf
 米コロンビア大学のキャロル・グラック教授は、ニューズウィーク日本版の2018年3月
27日付のインタビューで、慰安婦が「共通の記憶」として取り込まれ、繰り返し論点とし
て浮上した「プロセス」について語った。グラック教授によると、文献以外の情報源(例
えば、口述証言)が歴史研究に採用されるようになり、史学のあり方が大変革を遂げたという。

 グラック教授は、慰安婦問題や他の「記憶」プロジェクト以外では、自身が事実を大切
にする学者であることを証明している。慰安婦が史実を無視した形で米国学界に存在し
ていることを認識しているようにも見える。

従って、グラック教授がニューズウィーク連載
で言及した「プロセス」とは、歴史上の因子や出来事を検証する際に課せられる基準の遵
守から、慰安婦を段階的に免除することだと思われる。
 だが、この「プロセス」は、これだけでは終わらない。特に、同教授は認めていない
が、慰安婦問題について米国学界がほぼ一致した見解を持っているのは、数十年間に渡
り学界で吹き荒れた粛清の結果が大きく関係しているからだ。米国学者の多くは、自身が
賛同できない見解を「非主流」との理由で、議論や検討にも値しないと一蹴する傾向がある。

 米国学界における反知性主義左派の台頭の起源は、はっきりと辿ることができる。アメ
リカ歴史学協会(AHA)の1969年の総会で、極左の歴史学者ハワード・ジン教授と、実
直で政治には無関心な中国歴史の研究家、ジョン・キング・フェアバンク教授がマイクの
取り合いをしたという有名な事件がそれだ。

 今日でも、学界の左派は同派以外の学者がマイクを持つことを許していない。
 2015年の例をあげよう。筆者はセントラル・ワシントン大学から、慰安婦問題と日本
の歴史をめぐる議論について講演するよう依頼を受けた。

しかし、その直後に、筆者が米国や日本の慰安婦支援者による
凄まじい妨害行為や虚偽の情報拡散の対象になっていることが判明した。

対抗シンポジウムの出席者が執筆・公表した報告書
によると、同シンポジウムのプログラムには、学生達が慰安婦の「証言」をドラマチック
に朗読するという内容が組み込まれていて、朗読した学生達や聴衆などから多くの涙を
誘ったという。

学生達は、文献や証拠に基
づいた歴史の語りを聞くことさえも阻止された。その時点までに、慰安婦は史学上の調査
を全く受けない、というより、調査を免除された存在になり、米国学界左派がその威力を
発揮するのに使われる神話の一つに祭り上げられていたのだ。グラック教授の「民衆の歴
史」が、ベンヤミンが推進した史学を葬り去るという計画を完遂させたのだ。

 1920年代の初頭にドイツで設立されたフランクフルト学派だが、多くの指導者は1933
年のナチズムの台頭を逃れ、翌年、最終的に米国のコロンビア大学に辿りついた。

グラック教授が教鞭をとるコ
ロンビア大学は、北米や東アジアの客観的な史学の残滓を除去するのに主導的な役割を
果たしているが、1930年代にフランクフルト学派の「哲学者」を迎え入れたのは単なる
偶然ではない。フランクフルト学派の哲学者が始めた破壊を、グラック教授と彼女の弟子
たちが完遂させようとしているのだ。
 しかし、フランクフルト学派の悪影響が見てとれるのは、コロンビア大学と慰安婦問題
だけではない。おそらく、概して米国のキャンパスほど、文化的マルクス主義と批判理論
を擁護して実った果実が悪臭を放つ場所はない。

 その意味で、グラック教授は極めて典型的なアメリカ人だ。彼女の「プロセス」は、多
かれ少なかれ、対立する見解へ敵意を表すアメリカの伝統から生まれたと言える。慰安
婦問題などの歴史論争に勝ちたいと考えているのなら、米国の大学には真の意味の歴史
学者はほとんどいない、ということを覚えておいてほしい。
0140名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2022/08/26(金) 00:35:52.92ID:bbJH2l3u0
>>124 >>139
『 歴 史 認 識 問 題 研 究 』 第 9号 (2021年9月17日)
http://harc.tokyo/?p=1371
「ニューレフト」の沿革と米国の「反日」思想の成立    ジェイソン・モーガン
http://harc.tokyo/wp/wp-content/uploads/2021/09/3598c3539a13c25ebd44a0702b5f1527.pdf
アメリカでも「反日種族主義」が深刻な問題になっている。アメリカの世界的位
置と、アメリカの「反日種族主義者」の暴言や糾弾の激しさを考慮に入れると、米国型「反
日種族主義」の方が、韓国型「反日種族主義」を上回るかもしれない。

 ウイリアムズの移動とほぼ同時に、アメリカの歴史学会の中で大きな変化があった。
アメリカの歴史を捏造したことで有名なハワード・ジンと、もう一人の共産主義シン
パ、日本史を専門にするジョン・ダワーが、アメリカ歴史学会(American Historical
Association)の1968年会長ジョン・キング・フェアバンク(John King Fairbank)(1907-
1991)と会議で争い合ったエピソードは、アメリカの歴史学の展開の中で大きな事件だっ
た。

その後、ダワーらアジアを研究する他の極左
教授は新しい組織を立ち上げて、敢えて学問と政治をブレンドして学界を政治の色で染
めた。こうやってアメリカ学界の過激的左派は、アメリカ国内のアジア学を牛耳るように
なった。37 ダワーと一緒にこの「憂慮するアジア学者の委員会 」を立ち上げたのは、たと
えばハーバート・ビックス(Herbert Bix)、ブルース・カミングス(Bruce Cumings)、マー
ク・セルデン(Mark Selden)など、反日過激派の中枢人物だった。

文化マルクス主義は、アントニオ・グラムシ(Antonio Gramsci)(1891-1937)と
いうイタリアの共産主義者が獄中で書いた書簡などで展開される、新しいマルクス主義
の戦略だ。文化マルクス主義は、無産階級と有産階級との戦いという一元的な考えをや
めて、社会、文化の全体を戦場と見なし、社会、文化そのものを全面的に破壊しなけれ
ばマルクスが予言していた「解放」がくるはずがないと、マルクス本人の主張を修正して
大きく膨らませた。これが何故アメリカにおける反日の台頭と関わっているかというと、
今のアメリカで反日を主張している教授らは、典型的マルクス主義者と様相を異にし、
日本の社会、日本の文明そのものを攻撃しているが、それは正に文化マルクス主義に沿っ
て攻撃を展開しているからだ。
 アメリカの大学の過激化、文化マルクス主義化の過程を知るためには、ウイスコンシ
ン州立大学を拠点にしていた『ラディカル・アメリカ』(Radical America)という雑誌の沿
革を見ればいい。

 特に重要なのは、1970年代に入ると『ラディカル・アメリカ』の中でフェミニズムが頻
繁に取り上げられるようになったことだ。42 このラディカルとフェミニズムとの結合は、
現在のアメリカ学界の反日の大きな種になる。今日のアメリカ学界の中、一番熱心に反日
を唱えているグループは明らかにフェミニストだ。アメリカの左派が純粋な共産主義から
グラムシが教える文化マルクス主義に変わると同時に、日本が「反女性的社会だ」という
固定観念が、アメリカの左派(特にフェミニズムの影響を受けた左派)の中で強くなる。
なぜなら、文化マルクス主義の目的は、家族の構造を壊して社会全体を破壊する事にあ
るからだ。

 アメリカの左派がオールド・レフト、つまりアメリカ帝国化に抵抗する集まりから
ニュー・レフト、つまりアメリカのベトナム戦争に反対する集まり、それからニュー・
ニュー・レフト、つまりグラムシに従ってアメリカの社会そのものを破壊しようとする集
まりに移行する中、今日の反日学者はアメリカ国内で教育を受けていた。その移行に大き
く携わったのは、1960年代にラディカル化したジョン・ダワーと、以前から左派の拠点
であるウイスコンシン州立大学だ。

グラックほ
ど、現在のアメリカ国内の反日の基盤づくりに貢献した人物は多分いない。グラックの弟
子は「グラックリング」と言われて、アメリカの各大学で反日ネットワークを拡大しつつ
ある。この反日ネットワークは、アメリカの左派のグラムシ化の延長線上で発展し、日本
の左派、韓国の左派、ヨーロッパの左派と深く関わっている。
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