日本近代史・日本政治外交史の学者について語ろう [無断転載禁止]©2ch.net

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0001名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/07/17(日) 13:28:42.98ID:0SSP38gl0
0140名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/08/26(金) 00:35:52.92ID:bbJH2l3u0
>>124 >>139
『 歴 史 認 識 問 題 研 究 』 第 9号 (2021年9月17日)
http://harc.tokyo/?p=1371
「ニューレフト」の沿革と米国の「反日」思想の成立    ジェイソン・モーガン
http://harc.tokyo/wp/wp-content/uploads/2021/09/3598c3539a13c25ebd44a0702b5f1527.pdf
アメリカでも「反日種族主義」が深刻な問題になっている。アメリカの世界的位
置と、アメリカの「反日種族主義者」の暴言や糾弾の激しさを考慮に入れると、米国型「反
日種族主義」の方が、韓国型「反日種族主義」を上回るかもしれない。

 ウイリアムズの移動とほぼ同時に、アメリカの歴史学会の中で大きな変化があった。
アメリカの歴史を捏造したことで有名なハワード・ジンと、もう一人の共産主義シン
パ、日本史を専門にするジョン・ダワーが、アメリカ歴史学会(American Historical
Association)の1968年会長ジョン・キング・フェアバンク(John King Fairbank)(1907-
1991)と会議で争い合ったエピソードは、アメリカの歴史学の展開の中で大きな事件だっ
た。

その後、ダワーらアジアを研究する他の極左
教授は新しい組織を立ち上げて、敢えて学問と政治をブレンドして学界を政治の色で染
めた。こうやってアメリカ学界の過激的左派は、アメリカ国内のアジア学を牛耳るように
なった。37 ダワーと一緒にこの「憂慮するアジア学者の委員会 」を立ち上げたのは、たと
えばハーバート・ビックス(Herbert Bix)、ブルース・カミングス(Bruce Cumings)、マー
ク・セルデン(Mark Selden)など、反日過激派の中枢人物だった。

文化マルクス主義は、アントニオ・グラムシ(Antonio Gramsci)(1891-1937)と
いうイタリアの共産主義者が獄中で書いた書簡などで展開される、新しいマルクス主義
の戦略だ。文化マルクス主義は、無産階級と有産階級との戦いという一元的な考えをや
めて、社会、文化の全体を戦場と見なし、社会、文化そのものを全面的に破壊しなけれ
ばマルクスが予言していた「解放」がくるはずがないと、マルクス本人の主張を修正して
大きく膨らませた。これが何故アメリカにおける反日の台頭と関わっているかというと、
今のアメリカで反日を主張している教授らは、典型的マルクス主義者と様相を異にし、
日本の社会、日本の文明そのものを攻撃しているが、それは正に文化マルクス主義に沿っ
て攻撃を展開しているからだ。
 アメリカの大学の過激化、文化マルクス主義化の過程を知るためには、ウイスコンシ
ン州立大学を拠点にしていた『ラディカル・アメリカ』(Radical America)という雑誌の沿
革を見ればいい。

 特に重要なのは、1970年代に入ると『ラディカル・アメリカ』の中でフェミニズムが頻
繁に取り上げられるようになったことだ。42 このラディカルとフェミニズムとの結合は、
現在のアメリカ学界の反日の大きな種になる。今日のアメリカ学界の中、一番熱心に反日
を唱えているグループは明らかにフェミニストだ。アメリカの左派が純粋な共産主義から
グラムシが教える文化マルクス主義に変わると同時に、日本が「反女性的社会だ」という
固定観念が、アメリカの左派(特にフェミニズムの影響を受けた左派)の中で強くなる。
なぜなら、文化マルクス主義の目的は、家族の構造を壊して社会全体を破壊する事にあ
るからだ。

 アメリカの左派がオールド・レフト、つまりアメリカ帝国化に抵抗する集まりから
ニュー・レフト、つまりアメリカのベトナム戦争に反対する集まり、それからニュー・
ニュー・レフト、つまりグラムシに従ってアメリカの社会そのものを破壊しようとする集
まりに移行する中、今日の反日学者はアメリカ国内で教育を受けていた。その移行に大き
く携わったのは、1960年代にラディカル化したジョン・ダワーと、以前から左派の拠点
であるウイスコンシン州立大学だ。

グラックほ
ど、現在のアメリカ国内の反日の基盤づくりに貢献した人物は多分いない。グラックの弟
子は「グラックリング」と言われて、アメリカの各大学で反日ネットワークを拡大しつつ
ある。この反日ネットワークは、アメリカの左派のグラムシ化の延長線上で発展し、日本
の左派、韓国の左派、ヨーロッパの左派と深く関わっている。
0141名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/08/26(金) 00:37:03.08ID:bbJH2l3u0
>>140
日本の過去を見据える目
アメリカの占領政策を批判的に検証し、天皇と国民の戦争責任を問う [2005年5月18日号掲載]
キャロル・グラック(コロンビア大学教授)
https://www.newsweekjapan.jp/stories/2009/08/post-399.php
https://www.newsweekjapan.jp/stories/2009/08/post-399.php?page=2
 ジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』(邦訳・岩波書店)とハーバート・ビックスの『昭和天皇』(講談社)が、これほど受けたのはなぜか。

 実際は、この2冊は黒船などではない。ビックスの著書は、天皇の死後に新たな史料を発掘した日本人歴史学者の仕事をベースに
している。ビックスもダワーもアメリカの占領政策と日本政府に対する批判的な見解をみせたが、これは進歩派の日本人歴史学者が
何十年も前から主張してきたものだ。
 「外からの視点」により書かれたもう一つの著書、イアン・ブルマの『戦争の記憶――日本人とドイツ人』(ちくま学芸文庫)についても
同じことが言える。
 アメリカで94年に出版されたこの本は、ドイツ人と日本人の戦争の記憶と戦争責任のとらえ方を比較し、その背景を探る。60年代の
家永三郎から90年代の吉見義明まで、進歩派の歴史学者の見解を英語圏の読者に紹介する本でもある。
 この3冊はいわば欧米から日本へ逆輸入されたものだが、驚くほど斬新な内容というわけではない。ただ、そこには政治的なシフトが
読み取れる。
 長い間、英語で書かれた日本の現代史といえば、占領政策に無批判な視点に立つものばかりだった。戦後日本の歴史学者には左派
が多かったが、英米の日本史研究者には左派がほとんどいなかったからだ。だが80年代になって、日本の歴史研究が保守色を強める
一方で、アメリカではダワーのような進歩派の学者が脚光を浴びるようになった。
 ビックスやダワーの著者が、日本の進歩派の歴史学者の見解を多くの日本人に紹介したと言っていい。この興味深い現象もまた、
「日米合作」と呼べるものだ。

 歴史という重い荷物を載せた黒船が今度日本に来航するとしたら、それは欧米からではない。アジアからやって来るだろう。

Mark Selden
https://en.wikipedia.org/wiki/Mark_Selden
Committee of Concerned Asian Scholars
https://en.wikipedia.org/wiki/Committee_of_Concerned_Asian_Scholars

「慰安婦」修正主義の「主戦場」としてのアメリカ セントラル・ワシントン大学で「スコッツボロー・ガールズ」上映
Emi Koyama
https://apjjf.org/Emi-Koyama/4324.html

フランクフルト学派
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%95%E3%83%AB%E3%83%88%E5%AD%A6%E6%B4%BE
http://tanemura.la.coocan.jp/re3_index/6H/hu_frankfurter_schule.html

Japan-U.S. Feminist Network for Decolonization (FeND)
http://fendnow.org/encyclopedia/jason-morgan/
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