>>148-149両氏へ「満州事変の背景」について

満洲は日露戦役で得た貴重な先人の血の贈り物と軍もマスも考えてた。
それが中国の主権回復で「特殊権益」は風前の灯火となってきた。
産業の核の満鉄の経営圧迫と、「特殊権益=特殊貿易=雑貨、繊維品、
アヘン麻薬の密輸/密売」が不可能にされかけ、その動揺は関東軍・
居留地から本国へも広がった。>マスコミ世論の背景
 (※↓事情は当方の以下など参照)
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/history2/1439524235/29-45 

そこで将来の「人種戦争」を妄想する石原莞爾氏らが満蒙の大日本
「帝国」による「直接統治」を企図して事変をおこす。>非協調路線

が、「直接統治〜占領」は対外的に不利と「満洲国独立」路線へ後退。
(※この件は旺文社文庫『証言 私の昭和史〈1〉』の片倉衷や田中隆吉の
TV証言記録など参照のこと)
政府は軍の暴走を容認しつつ、再度「協調路線」へ軌道修正させたわけだ。
(※路線転換というより政府の軍へのことなかれ主義とみる方が適切かも?)

しかし国連の「満洲国承認=協調路線」は難しかった。
国連で審議がすすむ中、日本軍は熱河省へ侵攻してしまい、このままだと
国連規約違反で除名までありえる事態となり、ついに国連脱退を選択。
孤立化=非協調の道を歩むことに。
(※上は加藤陽子氏らの解釈だが一番合理的と当方は思ってる)