アジア・太平洋戦争のことを大東亜戦争と言ってる奴w [無断転載禁止]©2ch.net
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右翼「『大東亜戦争』の『大東亜』はイデオロギー面とは無関係であり、戦争の範囲をあらわす名称(キリッ」
アラスカ・アメリカ西海岸も大東亜って言うの無理があるだろ
この言い訳、完全に破綻してるんだよなぁ…
★ブン・トモ インドネシア元情報相
「われわれアジア・アフリカの有色人種は、ヨーロッパ人に対して何度となく独立戦争を試みたが
全部失敗した。インドネシアの場合は、350年間も失敗が続いた。それなのに日本軍が米・英・
蘭・仏をわれわれの面前で徹底的に打ちのめしてくれた」
「われわれは白人の弱体と醜態ぶりをみて、アジア人全部が自信を持ち、独立は近いと知った。
一度手にした自信は決して失われることはない。そもそも大東亜戦争は我々の戦争であり、我々が
やらねばならなかった戦争だった。そして実は我々の力でやりたかった。」
「それなのに全てを日本に背負わせて、日本を滅亡寸前にまで追い込んで仕舞った。申し訳ない。」
(昭和32年の来日の際の発言)
大東亜戦争は、白人を叩きのめし、インドネシア人達に勇気と自信を与えた。これらの
精神的な強化が、インドネシア人たちを奮い立たせ、白人に決して屈しない強靭さを与えた
のである。大東亜戦争がもたらしたこの強靭な精神力によって、東南アジア諸国は戦後、
続々と独立して行く。
大東亜戦争は神聖なる植民地解放戦争だったのである。
馬鹿は悔しがって必死で否定するが、歴史的事実に反する。無駄だ。
南進は自衛じゃないよ。通常の宣戦布告。つーか同盟国であるドイツが
英仏に宣戦布告されてんだから不戦条約上の義務は英仏に対しては
失効してる。 アジア太平洋戦争は日本帝国主義が引き起こした侵略戦争ですか? そうですよ。
資源を狙ってアジア各地に侵略戦争しました。 中国共産党の世界侵略要綱にはそのように記述されています
★アーノルド・J・トインビー(歴史学者)
「第二次大戦において日本人は日本の為というよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々の為に
偉大なる歴史を残したといわねばならない。その国々とは日本の掲げた短命な理想であった
大東亜共栄圏に含まれていた国々である。」
「日本人が歴史上に残した業績の意義は西洋人以外の人類の面前においてアジアとアフリカを
支配してきた西洋人が過去200年の間に考えられていたような不敗の半神でないことを明らかに
示した点にある。」
偉大な歴史学者・トインビーが語るとおり、大東亜戦争は、西欧植民地諸国に「独立」という
多大な利益をもたらした。大東亜戦争は植民地解放戦争だったのである。日本は戦闘では敗れた
が、負けて戦争目的を達成した。米英は失うばかりで何も得なかった。すなわち、
大東亜戦争の真の戦勝国は日本であり、米英は哀れな敗戦国に他ならない。
大東亜共栄圏の理想は植民地を独立に導いたのだ。
馬鹿は泣きながら否定するが。
アジア太平洋戦争は天皇制の狂気が引き起こした侵略戦争です。 しかしそれにしてもあの戦争は呼び方によってイメージが変わるのは面白いね。
大東亜戦争
自存自衛と植民地解放の為の戦争
太平洋戦争
太平洋地域における日米両国の勢力圏争いの戦争
アジア太平洋戦争
日本帝国主義による侵略戦争 中国共産党の世界侵略要綱にはそのように記述されています 日本という国に誇りを持てず、いつまでも中国様・韓国様に土下座し続ける、哀れな自虐マゾヒスト達。
この薄汚れた負け犬共は、今日も「日本は侵略戦争をしたニダ」と大日本帝国を罵倒する。
こいつらの自虐オナニーは死ぬまで続く。
誇りなきクソ豚は金にも女にも見放され、自虐オナニーにふけりながら社会の底辺で死んで行くのだ。
愉快、愉快。バーカ
★「ハーレムのヒトラー」と異名を取った黒人解放指導者ジョーダン
「我々、誇りある黒人は一致団結して日本を支援すべきである。何故なら日本は
彼等のためだけに戦っているのではなく世界の有色人種を代表して白人に立ち
向かっているからだ。
星条旗の為に入隊するような黒人はとんでもない愚か者でしかない。命を懸ける
べきは、東條将軍のためなのだ」(「日本から救世主が来た」より)
東條英機は、黒人を解放し、人種平等の世界を切り開いた偉人なのである。
即ち、大東亜戦争は植民地解放戦争に他ならない。
否定するのは馬鹿のみ。
「アジア太平洋戦争」と呼称しろと云ってる奴ァ、後智恵でどうこう云うのが好きなサヨクなのは間違いないよね。 大東亜共同宣言には、東條英機の偽らざる本音がしるされている。
東條は植民地解放の英雄なのである。
このような偉大な人物を戦犯扱いして蔑む馬鹿は、 日本人の誇りを失ったクソ豚に過ぎない。
★レイ 元インド下院議長
「日本が日露戦争に勝ったことによって、インド国民が勇気づけられ独立運動に立ち上がった」
ネルー元インド大統領も、同じようなことを言った。
アジア植民地諸国にとっては、日露戦争がアジア民族解放運動の始まりであり、
大東亜戦争がその総仕上げだったのである。大東亜戦争が植民地解放戦争であったのは、疑いの無い歴史的事実なのだ。
馬鹿は涙目で否定するが。
ネルーはそんな阿呆ではない。
日露戦争での日本の快挙を讃える一方で、
アジア各地の侵略戦争を厳しく批判している。
★ネルー 元インド首相
「20世紀の初め、アジアの精神に大きな影響を及ぼした事件が起こった。
それは、ロシアが日本と戦って負ける事である。あのちっぽけな日本が、
ヨーロッパのうちでも最大の、最強の国の一つであるロシアを破ったという
事は、多くの人々を驚かせた。
アジア人にとって、これは、嬉しい驚きであった。私は、今でも日本の
勝利のニュースが伝えられる度ごとに、どんなに感激したかを、まざまざと
覚えている」
日露戦争こそが、アジアにおける民族解放運動の始まりなのであった。
そして、アジア民族解放運動の終着駅が大東亜戦争である。この戦争を
きっかけとしてで、すべてのアジア・アフリカ植民地は独立するのである。
大東亜戦争が植民地解放戦争であったのは、紛れもない歴史的事実である。
都合が悪い箇所はトリミングかよ。
ネルー著『父が子に語る世界歴史3』大山 聡訳 みすず書房(1975 10刷)より
日本のロシアにたいする勝利がどれほどアジアの諸国民をよろこばせ、こおどりさせたかということをわれわれは見た。ところが、その直後の成果は、少数の侵略的帝国主義諸国のグループに、もう一国をつけ加えたというにすぎなかった。
(中略)
日本はその帝国政策を遂行するにあたって、まったく恥を知らなかった、日本はヴェールで
いつわる用意もせずに、大っぴらで漁りまわった。
(中略)
日本人による朝鮮人の抑圧は、歴史の中でもまことにいたましい、暗黒な一章だ。 「もっともいたましい」から「まことにいたましい」に改善したんでしたっけ
朝鮮は併合したから、植民地ではなく日本の領土だ。文句を言われる筋合いは無い。
★ネルー元インド首相
「彼等(日本)は、謝罪を必要とすることなど我々にはしていない。
それ故にインドはサンフランシスコ講和会議には参加しない。
講和条約にも調印しない。」
インドは、対日賠償請求権も放棄した。インドは正義の国である。
もしアジア太平洋戦争が侵略戦争であったなら、イギリス植民地であった
インドが「植民地主義者」日本を許すはずがない。
インドが日本を一切とがめなかった、というのが、中立的なアジア太平洋戦争
評価であり、アジア太平洋戦争は植民地解放戦争に他ならなかったのだ。
ネルーはそれを非常によく知っていた。
悪いひとたちがやって来て
みんなを殺した
理由なんて簡単さ
そこに弱いひとたちがいたから
女達は犯され
老人と子供は燃やされた
悪いひとたちはその土地に
家を建てて子供を生んだ
そして街ができ
悪いひとたちの子孫は増え続けた
朝鮮進駐軍 関東大震災 日本人虐殺
https://goo.gl/1ntWvZ
https://youtu.be/D0vgxFC04JQ 大東亜戦争
大日本帝国の自存自衛と欧米列強からの植民地解放の為の戦争
太平洋戦争
太平洋地域における日米両国の覇権争いの戦争
アジア太平洋戦争
天皇制の日本帝国主義による侵略戦争
どれが正しいの? >>268
意味的には以下が最も近い
アジア太平洋戦争
天皇制の日本帝国主義による侵略戦争
但し、侵略対象を明確にしなければいけない。何度も繰り返すが、
日本はアメリカ、イギリス、フランス、中華民国、オーストラリア、オランダを
侵略し、塗炭の苦しみを与えた。アジアを侵略した、などというファジーな
表現は当を得ていない。
アジア太平洋戦争の呼称は、イデオロギー的意味はない。太平洋戦争に
先客がいるから(チリVSペルー&ボリビア)、日本及び世界は先客に遠慮し、
そう名乗るべきだ、というわけ。
★ジョイス・C・レブラ コロラド大学歴史学部教授
「大東亜戦争下、アジア諸国に進駐して行った日本軍政の最大の特徴の一つは、各国の青年を教育し、
組織し、独立精神を振起した点にある。その遺産は戦後も様々な形で生き続けている。」
「日本の敗戦 それは勿論、東南アジア全域の独立運動には決定的な意味をもっていた。今や真の
独立が確固とした可能性となると同時に西洋の植民地支配の復活も許してはならないもう一つの可能性
として浮かび上がってきたのである。民族主義者は日本占領期間中に身につけた自信、軍事訓練、
政治能力を総動員して西洋の植民地支配復帰に対抗した。そして、日本による占領下で民族主義、
独立要求はもはや引き返せないところまで進んでしまったということをイギリス、オランダは戦後に
なって思い知ることになるのである。」
(「東南アジアの解放と日本の遺産」)より
日本軍政は、東南アジア植民地諸国の人々に、強い自信と勇気と日本精神を叩き込んだ。これに
よって、東南アジア諸国の人々は独立への自信を深め、終戦後、宗主国が戻って来ても屈服せず、
独立戦争、あるいは話し合いによって独立を勝ち取ったのである。
大東亜戦争によって東南アジア植民地諸国が独立したのは紛れもない歴史的事実なのである。
馬鹿は必死で否定するが無駄だ。大東亜戦争は侵略戦争などではなく、植民地解放の聖戦なのだ。
>>269
でも、こんな感じに使われてるよね。
大東亜戦争
大日本帝国の自存自衛と欧米列強からの植民地解放の為の戦争
戦争当時の日本側の呼称で、大東亜共栄圏を正当化する意味合いがある。今日ではネトウヨが好んで使う。
太平洋戦争
太平洋地域における日米両国の覇権争いの戦争
戦争当時のアメリカ側の呼称で、戦後GHQによって日本国民の間にも広く定着している。
アジア太平洋戦争
天皇制の日本帝国主義による侵略戦争
1980年代頃に日本のアジアへの侵略責任を明確化したい左翼が使い始めた呼称。
どうですかね?
★ブン・トモ インドネシア元情報相
「われわれアジア・アフリカの有色人種は、ヨーロッパ人に対して何度となく独立戦争を試みたが
全部失敗した。インドネシアの場合は、350年間も失敗が続いた。それなのに日本軍が米・英・
蘭・仏をわれわれの面前で徹底的に打ちのめしてくれた」
「われわれは白人の弱体と醜態ぶりをみて、アジア人全部が自信を持ち、独立は近いと知った。
一度手にした自信は決して失われることはない。そもそも大東亜戦争は我々の戦争であり、我々が
やらねばならなかった戦争だった。そして実は我々の力でやりたかった。」
「それなのに全てを日本に背負わせて、日本を滅亡寸前にまで追い込んで仕舞った。申し訳ない。」
(昭和32年の来日の際の発言)
アジア太平洋戦争は、白人を叩きのめし、インドネシア人達に勇気と自信を与えた。これらの
精神的な強化が、インドネシア人たちを奮い立たせ、白人に決して屈しない強靭さを与えた
のである。アジア太平洋戦争がもたらしたこの強靭な精神力によって、東南アジア諸国は戦後、
続々と独立して行く。アジア太平洋戦争は神聖なる植民地解放戦争だったのである。
馬鹿は悔しがって必死で否定するが、歴史的事実に反する。無駄だ。
★アーノルド・J・トインビー 歴史学者(1956年10月28日/英紙「オブザーバー」より)
「第2次大戦において日本人は日本の為というよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々の為に偉大なる
歴史を残したといわねばならない。その国々とは日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれて
いた国々である。
日本人が歴史上に残した業績の意義は西洋人以外の人類の面前においてアジアとアフリカを支配してきた
西洋人が過去200年の間に考えられていたような不敗の半神でないことを明らかに示した点にある。」
マレー半島やインドネシアで日本軍に蹴散らされて逃げ惑う白人の醜態を見て、東南アジアの人々は、
「アジア人でも白人に勝てるのだ」という強い自信を手に入れた。この自信こそが東南アジア諸国独立
の原動力となる。後に東南アジア諸国の高官となった人々の証言によれば、日本軍の到来によって祖国
の独立は近いと確信したという。日本軍は、植民地の独立を約束し、教育の充実、行政の整備、農業
工業技術の伝授、現地軍の組織と強化を行い、独立のために力を尽くした。これがアジア太平洋戦争の
真実である。馬鹿は認めないが、アジア太平洋戦争は植民地解放戦争に他ならない。
★ノンチック(元マレーシア上院議員)
「私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声をあげました。敗れて逃げてゆく英軍を見た時に
今まで感じたことのない興奮を覚えました。しかもマレーシアを占領した日本軍は日本の植民地としないで
将来のそれぞれの国の独立と発展の為に、それぞれの民族の国語を普及させ青少年の教育をおこなって
くれたのです。」
精強な日本軍の戦いぶりが、東南アジアの人々に勇気と自信を植え付け、これが後の独立運動の原動力
となっていく。そして、日本軍政が植民地諸国を独立国家として独り立ちできるよう、民族教育を施した
ことで、東南アジア諸国の独立は秒読みとなったのである。アジア太平洋戦争の一つの側面が、
植民地解放戦争であったのは疑いの無い歴史的事実であり、真の日本人ならば、この点をしっかり理解したうえで、
世界に残る偉業を成し遂げた偉人たちを賛美する必要がある。日本人なら、靖国神社に参拝するべきだ。
長州マンセー
明治維新マンセー
台湾出兵マンセー
日清戦争勝利マンセー
日露戦争勝利マンセー
日韓併合マンセー
満州事変マンセー
支那事変マンセー
大東亜共栄圏マンセー
大日本帝国マンセー
大東亜戦争マンセー
原爆投下マンセー
ポツダム宣言受諾マンセー >>280
マレーシアの歴史教科書は、日本軍のマレー半島上陸から始まる。
つまり、日本軍の上陸こそがマレーシア建国の始まりなのである。
アジア太平洋戦争が植民地解放戦争でなくて何なのだ?
◎マハティール元マレーシア首相「私の履歴書(日経新聞)」より
マレーシアは英国統治の歴史が余りに長く、英国統治前の記憶を
持つ老人は既におらず、英国統治が空気のように当たり前になっていた。
クアラルンプールの統監府で英国人と共に働く事が、マレー人に
とって最高のステータスで、私もあの白亜の統監府で英国人と働く
将来を夢見て、懸命に英語を勉強した。
美しい街にゆるやかな時間が流れ、この緩やかで平和な時が
永遠に続くと、誰もが思っていた。しかし、日本軍の侵攻で
全てが終わった。
国境を越えた日本軍が、英国兵を銃剣で突き刺して殺したと
聞いて、マレー人は恐怖の余り、パニック状態に陥った。
英印軍は短期間で日本軍に敗れ、英国人とインド人だけが
シンガポールやインドへと逃げて行った。長年、統監府や
英国人の家庭で働いて、英国人と共に働く以外に考えられない
マレー人はクアラルンプールに置き去りにされ、
英国人と同じ船に乗る事は、頑なに拒絶された。
多くのマレー人は、英国人は英国人の事しか考えていないんだ、と
いう事に、ようやく気付かされて、再びショック状態に陥った。
★マハティール 元マレーシア首相(1992年、香港にて)
「東アジア諸国でも立派にやっていけることを証明したのは日本である。そして他の東アジア諸国は
あえて挑戦し、自分たちも他の世界各国も驚くような成功を遂げた。東アジア人は、もはや劣等感に
さいなまれることはなくなった。いまや日本の、そして自分たちの力を信じているし、実際にそれを
証明してみせた。
もし、日本なかりせば、世界はまったく違う様相を呈していたであろう。富める国はますます富み、
貧しい南側はますます貧しくなっていたと言っても過言ではない。北側のヨーロッパは、永遠に世界を
支配したことだろう。マレーシアのような国は、ゴムを育て、スズを掘り、それを富める工業国の言い値で
売り続けていたであろう」
アジア太平洋戦争は、白人の植民地主義を叩き潰し、白人の人種差別主義を粉砕し、新しい経済秩序
を作り上げた。植民地諸国はすべて独立し、日本の影響を受けながら立派な独立国となった。彼らは、
アジア太平洋戦争が無ければ今でも植民地のままだったであろう。
即ち、アジア太平洋戦争は植民地解放戦争に他ならない。
否定するのは馬鹿のみ。
★P・Fドラッカー(経営学の泰斗)
「今次大戦で結局勝利したのは日本である」
世界の識者はアジア太平洋戦争を高く評価している。馬鹿はアジア太平洋戦争を侵略戦争と
卑下し、自虐の愉悦に浸る。こいつらは狂ったマゾヒストであり、負け犬根性が骨の髄まで
しみ込んだ人間のクズに過ぎない。
植民地諸国の解放という戦争目的を達成した日本こそが戦勝国なのだ。
ドラッカーにはそれが分かっていた。
即ち、アジア太平洋戦争は植民地解放戦争に他ならない。
開戦の日に出された声明文に戦争目的はアジア解放であると書かれている。
アジア解放は後付けでなく先付けだったということだ。
http://blog.livedoor.jp/giranbarekanjya/archives/51005582.html
帝国政府声明 昭和16年12月8日午後0時20分発表
「而して、今次帝国が南方諸地域に対し、新たに行動を起こす(開戦)
のやむを得ざるに至る、なんらその住民に対し敵意を有するものにあらず、
只米英の暴政を排除して(白人を追放し)、東亜を明朗本然の姿に復し
(植民地に成る前の東亜へ戻す、即ち独立国家に戻す)、
相携えて共栄の楽を分かたんと祈念するに外ならず
(大東亜共栄圏を確立、)。帝国は之ら住民が我が真意を諒解し、
帝国と共に、東亜の新天地に新たなる発足(八紘一宇の実現)を期すべきを
信じて疑わざる物なり」 天皇制の日本帝国主義の狂気が引き起こした侵略戦争ですか? いいえ、アジア太平洋戦争は植民地解放戦争ですよ。
しかも、全然無謀な戦争じゃなかった。勝つチャンスはあったんですよ。 植民地解放はただの大義名分。
本来の目的は資源の略奪。 なんで日本の真下にアメリカ国とかフランス国とかオランダ国とか英国とかが
あったんだろうなーwごめんねオランダやイギリスから略奪しちゃってw >>292
それは嘘。
本当に植民地を独立させたんだから。 オランダやイギリスからは略奪したかもしれないけど、
いちおう徴発は交戦法規上みとめられてるからなあ。
しょうがないよね。オランダやイギリスは敵国だったんだもの。 ★バーモウ初代首相 (ビルマ(ミャンマー))
「歴史的に見るならば、日本ほどアジアを白人支配から離脱させることに
貢献した国はない。真実のビルマの独立宣言は1948年の1月4日
ではなく、1943年8月1日に行われたのであって、
真のビルマ解放者はアトリー率いる労働党政府ではなく、
東条大将と大日本帝国政府であった」
(バー・モウ博士著『ビルマの夜明け』より)
日本は、東南アジアから白人を追い出すと、厳しい軍政を敷き、植民地
を独立させるために民族教育、産業の育成、国防軍の設立等、独立国家に
必要な諸政策を施していった。真っ先に独立したのがビルマである。
アジア太平洋戦争が植民地解放戦争であったのは疑いのない事実である。
馬鹿は必死で否定するが。
いくらなんでもチョソンを植民地にしていて、アジア解放戦争はないだろ?w 朝鮮半島は、併合されて日本の領土になったのです。植民地ではありません。 そうね。朝鮮民族のみなさんに対しては、せっかく支那本土の朝鮮人の祖地を取り戻してさしあげたのに、われらの敗戦の
結果としてその国土をふたたび失う結果になってしまい申し訳ないことをしたと思っています。 んじゃ、日本が解放したと称する植民地も
併合されていたところおおいから
植民地解放戦争じゃないな。
ただの侵略だ。 というか併合したから植民地じゃないという理論が意味わからんw
マイ定義かなにかなのかな。 朝鮮皇帝が日本皇帝に譲渡してきたんだからしょうがないじゃん。
おまえら臣民がなに言おうが関係ねーじゃん。もんくあるなら
朝鮮皇帝にいえよ。 「陛下!なぜ我が栄光ある朝鮮国を日本皇帝ごときに譲渡なさったのですか!」
って問い詰めてこいよ。 朝鮮宮廷は、日本に併合してもらうことで纏まった。
在野にも一進会など合邦を目指す集団があった。
要するに、日本に併合してもらうことで近代化することを目指したわけだ。
朝鮮半島は植民地ではなく日本領土。
世界中で反対した国はゼロ。極めて平和的な併合条約調印であった。
併合条約は植民地にする条約ではない。念のため。
★モハメッド・ナチールインドネシア共和国初代首相
「日本軍のやったことで三番目に注目すべきことは、インドネシアの教育に力を入れた
ことでしょう。これもオランダの政策とまったく違っていました。オランダの植民地政庁は
長い間愚民政策を採ってきました。インドネシア人を教育すると、目覚めてオランダに
反抗するかもしれませんし、また、農業に従事するだけなら教育は必要ありません。
・・・学校に通うことのできるインドネシア人は全体の数%くらいではなかったでしょうか。・・・
ところが日本軍は、やって来ると、さっそく教育に力を入れ始めました。戦争でいったん
休校になった学校を再開し、すぐに3年間の初等国民学校と、その上にさらに3年間勉強
できる国民学校作りました。・・・日本軍がきてわずか1年あまりで、それまでの倍近くの
子供が学校に通うようになりました。」
日本軍政は、インドネシアの教育に非常に力を入れ、インドネシア人の識字率を上げ、イン
ドネシア人に強い民族意識を植え付けた。この教育重視の姿勢は、終戦まで続き、インド
ネシア独立の原動力「勇気と自信と民族意識」につながって行くのである。
アジア太平洋戦争が植民地解放戦争であったのは、紛れもない歴史的事実なのだ。
馬鹿は根拠もなく必死で否定するが。
徳川皇帝も島津皇帝も琉球皇帝も李氏皇帝も日本国皇帝に
神聖なる統治権を譲渡したという経緯なんだよね。 ミャンマー独立工作は昭和15年から始まっていた。此処に出てくるオンサンとはスーチーの父親
アウンサンのことである。
南機関(みなみきかん)は、1941年から1942年にかけて存在した日本軍の
特務機関の1つ。
機関長は鈴木敬司陸軍大佐である。ビルマ(現在のミャンマー)の
独立運動の支援を任務とし、ビルマ独立義勇軍の誕生に貢献した。
今日の日本とミャンマーとの友好関係の基礎を築いたとも評価される。
1940年6月、鈴木大佐は日緬協会書記兼読売新聞特派員「南益世」の偽名
を使ってラングーンに入り、タキン党員と接触した。そこで鈴木大佐は
オンサンたちがアモイに潜伏していることを知り、
彼らを日本に招くことを決意する。11月、オンサンたちはアモイの
日本軍特務機関員によって発見され日本に到着した。
鈴木大佐はオンサンに「面田紋二」、ラミヤンに「糸田貞一」の偽名
を与えて郷里の浜松にかくまった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E6%A9%9F%E9%96%A2 だからビルマは真っ先に独立できた。
アジア太平洋戦争は植民地解放戦争に他ならない。
★バー・モウ ビルマ元首相 (独立宣言文より)
「約五十年前ビルマは三回にわたる対英戦争の結果その独立を失えり、
英国側はアジアに対する掠奪的野望を以て此等の戦争を遂行せり。
英国はさらにその伝統的陰謀賄賂及び想像し得るあらゆる詐欺及び
術策の武器をしようせり。
・・・ビルマ人は徐々に搾取され時の進むに従い総ての国民的実質、
莫大なる物資的資源、機会、文化、言語、さらに遂にはその生活様式までも失い・・・
愛国者は挺身的精神をもって鎮圧、入獄、流謫、拷問及びしばしば
死そのものを甘受して突進して来れり、これらの英雄はビルマの生存の
ため苦難を受け遂には斃れたり。
・・・ビルマ人はアジアを結合せしめアジアを救う指導者を待望しつつ
ありしが遂にこれを大日本帝国に発見せり。・・・ビルマ人はこのビルマに
対する最大の貢献に対する日本への感謝を永久に記録せんことを希望するものなり・・・」
ビルマの独立宣言は日本への感謝に満ちていいる。
アジア太平洋戦争は植民地解放戦争に他ならない。
否定するのは馬鹿のみ。
インド独立工作は開戦前の昭和16年10月から始まっていた。後付けではない先付けである。
1941年10月、駐バンコク大使館武官室勤務として開戦に先駆けて当地に入った
藤原は、南方軍参謀を兼ねる特務機関の長として、心理戦を行った。若干十名
程度、増強を受けても三十人ぐらいの部下だけで、藤原はかなり幅広い任務を
与えられた。その内容は、極端に言えば、マレー人、インド人、華僑等を味方
にすることである。その一環としてマレーシア出身の日本人である谷豊を諜報
要員として起用したのもF機関であった。谷は死後、「マレーのハリマオ」と
して日本で英雄視されることになる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E5%B2%A9%E5%B8%82 昭和18年8月1日に執り行われたミャンマー独立式典の様子である。
日本軍とアウン・サン(アウンサンスーチーのお父さん)率いる
ビルマ独立義勇軍(現ビルマ国軍)が英国からミャンマーを奪取し直ちに
独立準備を開始し、僅か1年と6ヶ月後独立を実現した。
このとき日本軍とビルマ軍、インド国民軍はインドの独立に向けて
インド−ビルマ国境にて英米軍と熾烈な戦闘を継続しており、
6ヶ月後の昭和19年2月に発動されるインパール作戦
(第2次インド独立戦争と呼ばれる)に発展していく。
ビルマ独立の2ヶ月後の昭和18年10月にはビルマに続いて
フィリピン第2共和国、自由インド仮政府が独立する。
これでも貴兄らはアジアの独立は戦後もたらされたと
考えるのだろうか?
アジアの戦後独立論はGHQと日本共産党が捏ち上げた虚構である。
アジアは戦後自発的に独立したことにしないと日本軍が
植民地解放軍になってしまう。そうなると東京裁判は成り立たない
どころか自分たちこそが植民地主義者という侵略者であったことが
暴露される。それゆえアジアは戦後偶然独立したことにして、
日本を悪者にしたわけだ。
ビルマ独立式典 1943年8月1日
https://www.youtube.com/watch?v=ML5lWWCfgRM 日本がインドネシアに独立を与えた。
インドネシア独立の歌とPETA(日本軍が育成したインドネシア郷土防衛隊)の
行進の様子です。
https://www.youtube.com/watch?v=okKkr7bWCz4 ★クリシュナ・ボース (インド独立指導者、チャンドラ・ボースの姪)
「日本の人々がボースの活躍を覚えていてくれるなら、私たちインド人も、
英国の植民地支配に抵抗するため、ボースがインド国民軍を
組織したことを支援したのが日本だったことを思い出すべきだ」
インパール作戦は、インド国民軍と日本軍は共同作戦である。無謀な作戦であったが、
その根底にあるアジア解放思想は素晴らしいものがある。インドの教科書では、
「インパール戦争」と呼ばれ、独立戦争に位置付けられている。
アジア太平洋戦争は植民地解放なのだ。否定するのは脳みその腐ったキチガイのみ。
末期には、ビルマ軍の手でビルマから駆逐されてなかったっけ?w >>144
満蒙あたりに傀儡政権を作りたかったのは、シベリア出兵の頃にもあったしね
国防と、軍縮への対抗、軍閥の権益拡大が絡み合って。
傀儡国家の樹立は、シベリア出兵の頃からの強硬派の軍閥の悲願
国際協調路線に抑えられて、シベリアの傀儡国家樹立は白紙になるけど
傀儡国家樹立はずっと強硬派の軍閥の中での申し送り事項みたいなものだったのかなと
一夕会は直接シベリア出兵とは関係ないけど、その辺は受け継いでいる流れがあるだろなと 白人列強が日本による満州建国を認めようとしなかったのは、
利権に加わることが出来なかったからではない。満州を支那から
独立させたのが有色人種の国であることに恐怖したのである。
日本人という有色人種が、同じ有色人種である満州族を独立させたと言うことは、
同じことが彼らの植民地で起きてもおかしくはないと考えたのである。
満州の独立を易々と認めれば、日本はその力を持って、
東南アジアの白人植民地も独立させるのではないかという恐怖が芽生えた。
だから、満州事変以降、白人列強による日本叩きが熾烈化したのである。
こう考えれば、白人列強が満州事変以降の日本の戦争を侵略戦争であると
東京裁判で決めつけざるを得なくなった理由が炙り出されてくる。
奴らは昭和7年に起きた満州独立を日本によるアジア解放の狼煙ととらえた。
彼らの疑念はその10年後に的中する。昭和17年2月15日、シンガポールの陥落に
より大英帝国は崩壊し、アジアの白人植民地は一掃されてしまう。 >>320 アホ。
満州事変は、英米とも表向きは不当としたが、実質的に黙認だった。
その後も日本が周辺に介入を計り、対立に向かったんだろ。 対立に向かった訳ではないだろ。平和は3年以上続いていた。
米英でも満州国承認への動きがあった。
国民党との衝突は偶発的なものとされるが、
共産党の陰謀である可能性が高いと思われる。
何故なら、日本と国民党が戦闘になれば、滅亡寸前の共産党が助かるから。
その先兵になったのが、張学良なのだろう。
張学良は国民党を裏切ったのだ。
★ドイツの歴史教科書 産経新聞「教科書が教えている歴史より」 歴史教科書=中等教育用
「日本のナショナリストや軍国主義者は、黄色人種を白人の支配から解放するために
戦争を遂行したと主張した。この中で自分たちの利害を包み隠しているが、真実をついた
面もある。
ベトナムやインドネシア、インドなど、欧州諸国に支配されていた植民地諸国の国民に
よる独立運動は、日本(初戦)の勝利によって加速された。数年のうちにニッポンは
欧州の植民地支配層を追い出し、こうした支配層の特権が大きく損ねられたからだ。」
アジア太平洋戦争によって西欧植民地諸国の独立が著しく早まった、というのは疑いのない
歴史的真実なのである。このドイツ教科書は鋭くアジア太平洋戦争を分析している かも知れない。
確かに、日本は資源を求めていた。それは事実だ。しかし、同時に、日本軍政は植民地諸国の
独立も約束した。それも事実だ。
結果として、西欧植民地主義は終焉を迎えた。だから、アジア太平洋戦争を植民地解放戦争と
呼んで構わない。
馬鹿と韓国人は死んでも認めないが。
靖国神社は 本来、天皇の神社で国民は全然関係なかった。
今、天皇参拝は無いw まーたおかしな新人が登場したな
馬鹿は死んでもどんどん馬鹿が産まれてくるから手に負えねーな 靖国神社は長州人が明治天皇の名を騙って建てた神社。
天皇の神社じゃない。 日露戦争の勝利は日本を
アジアの英雄たらしめたけど、
その後の日本はその期待を裏切って
西欧列強に媚びへつらい同族のアジア人中国人や韓国人を見下して
結果世界恐慌の後は欧米に手のひら返され
ブロック経済のせいでジリ貧状態
その時になって初めて
アジアの植民地解放なんか言い出して
始まったのが太平洋戦争
みっともない歴史だよ 日本最初の右翼団体、玄洋社は
日本政府の圧力に対抗して
インド、中国、韓国の革命家たちを
支援して、アジア人の連合でもって
列強に対抗しようという大構想があった
今のネトウヨは、安倍を支持、日米安保に満足し、中韓を見下す
★レーリンク 東京裁判オランダ代表判事
「日本は西洋諸国の植民地を解放した罪によって罰せられたが、四半世紀もたた
ないうちに、1960年に国連が植民地を保有することを不法行為であると宣言し、
その後、国連総会が植民地の保有を犯罪として規定すらした。 」
パヨクはパール判事のみを敵視しているが、レーリンク判事は日本が植民地を解放したと明言した。
つまり、世界の有識者から見ればアジア太平洋戦争が植民地を解放したのは歴史的事実なのである。
アジア太平洋戦争は植民地解放戦争だったのだ。
馬鹿は悔しがって認めないがこれが歴史の真実だ。
>>332
まず外国人の大半が太平洋戦争を侵略戦争とみなしているのは確か。
太平洋戦争が植民地解放のための戦争だと主張しているのはごく少数。
その少数者が有識者であるという根拠がない。
それと、おせっかいかも知れないが、
憲法は押し付けであり東京裁判も不当であると考える立場なら、
外国人の意見ではなく当事者の日本人の主張を取り上げるべき。
植民地解放の戦争ならば、中国で略奪や殺戮は行うべきではないし、
そもそも日本の植民地であった韓国、台湾を独立させるべき。
またマレー、スマトラの住民を大日本帝国の臣民とさせたのは、
植民地解放の名目とも矛盾する。
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