>>513
ところが1944年に小磯がインドネシア独立容認を声明した。

東條は元々インドネシアの日本領土化に反対だったので
大東亜政略指導大綱の改定を目論んでいたが、戦局の悪化
でままならず、東條の後を継いだ小磯によって声明された。

日本の指導部はこんな感じだったが、今村司令官は、スカルノ、
ハッタら独立派を釈放し、一切弾圧しない代わりに円滑な統治
への協力を要請し、スカルノらは協力を約束した。

インドネシアは国家として独立するには余りに基盤が脆弱で、
すぐに独立できる状況では無かったので、日本軍政は民族教育
を施し、PETAを組織して軍事教練を行った。

ピストル一丁すら与えなかったオランダとは大違いなのである。