沖縄は日本固有の領土ではない その2 [無断転載禁止]©2ch.net
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2013年4月の国会答弁で安倍晋三首相は「サンフランシスコ講和条約が発効された1952年4月28日は日本が完全に主権を回復し独立を果たした日。4月28日には主権回復を祝う式典を開催する」と語ったが、
安倍首相の答弁が正しいなら、そのサンフランシスコ講和条約が発効された1952年4月28日に主権を回復できなかった沖縄は日本ではないということになる。 >>99
>日本はポツダム宣言を受諾して、尖閣諸島の領有権を放棄した。
ウソは聞き飽きたから、ソースを出してねww
>1880年4月17日に尖閣諸島が含まれる先島諸島を自国の商業権益と引き換えに
聞いた事もないし、ググっても、
共産シナの侵略主義者の宣伝以外には全く出てこなかったw
ウソにウソを重ねてウソをつき続けて、ウソを事実にするのは、
シナ人やチョンの得意技だからね。まずソース出してww
>そのサンフランシスコ講和条約が発効された1952年4月28日に主権を回復でき
シナやチョンはクレージーだなwww
1776年7月4日の米国独立記念日に独立13州以外は、英国・フランス・スペイン・
ロシアの植民地や独立国(ハワイ)だった。
だから「13州以外は米国の領土じゃない」と言ってるのと同じだなw 一昨年から昨年にかけて琉球新報で100回以上にわたって連載された「道標(しるべ)求めて」にも書かれていたが、日本の初代首相である伊藤博文が首謀して行った韓国併合は琉球併合をモデルにしたといわれている。
幕末から明治維新にかけての日本の政治家は皆、異口同音に「琉球人は日本人ではない」と口を揃えて言っていたが、1874年の台湾出兵のときは急に態度を変えて「琉球人は日本人」と主張し始めた。
例えば、伊藤博文、大隈重信、大久保利通らがその代表である。
彼らがなぜ1874年になって「琉球人は日本人」と台湾側に主張したかというと、当時、日本の領土ではなかった琉球を日本に併合したかったから。
つまり、1871年に起きた台湾事件で琉球人54名が台湾の生蕃に殺害されたことを日本の明治政府は領土拡大のチャンスととらえ、日本の政治家や役人は「琉球人は日本人」と主張し、台湾に3000人以上もの兵隊を出すことになったというのが真相である。
明治政府が「琉球人は日本人」と主張したのは、あくまでも琉球という場所を日本に併合したかったからで、「琉球人は日本人」と台湾に主張しなければ台湾出兵の名目が立たなかったからなのは言うまでもない。
要するに日本の明治政府は琉球を併合するにあたって台湾に嘘をついたわけで、ここに日本という国の姑息さが如実に表れている。 <日本政府にとって触れられたくない不都合な真実>
1871年に台湾に漂着した宮古島の島民54人が台湾の先住民族の生蕃に殺害された後、日本政府は「自国民保護」という名目で、3年後の1874年に台湾に派兵している。
その後、日本と清国(現在の中国)の間で琉球諸島の帰属問題が話し合われることになり、日清交渉が始まった。
そして、1880年4月17日に日本政府は清国に対して琉球諸島の一部である八重山諸島と宮古諸島のいわゆる先島諸島を清国に割譲することを閣議決定している。
その見返りとして日本政府は欧米諸国同様の通商権を清国から獲得する旨を清国側に提案した。
日本政府が清国に提案した先島分割案(琉球分島案)は日清両国で合意に達したが、清国側が批准しなかったので、発効しなかった。
この合意が実現していれば、先島諸島の宮古、八重山(もちろん尖閣諸島も含まれる)の土地と住民は、清国の管轄下に置かれることになったのは言うまでもない。
1879年の琉球処分が国家統合、あるいは日本の民族統合だったという日本政府の主張が欺瞞だったことはこの歴史的事実が証明している。
「尖閣諸島は我が国固有の領土」と主張する日本政府にとって、商業権益の引き換えとして、その尖閣諸島が含まれる八重山諸島と宮古諸島の先島諸島一帯を清国に割譲することを1880年4月17日に閣議決定した歴史的事実は、まさに触れられたくない不都合な真実である。
この歴史的事実を指摘されたら安倍内閣の閣僚は誰一人、反論できない。 >>104
>1871年に台湾に漂着した宮古島の島民54人が台湾の先住民族の生蕃に殺害
ウソはいかんよ、ウソはwwwwww
シナやチョンの工作員は、息を吐くようにウソを言う(失笑
宮古島漁民54人が台湾先住民に殺された【宮古島島民遭難事件】が起きたのは、
明治4年(1872年)11月8日だよ
俺は何度も明治4年と書いているのに、
なぜ、バカ工作員は見え透いたウソを書くんだ???????
>日本政府は「自国民保護」という名目で、3年後の1874年に台湾に派兵して
>いる。その後、日本と清国(現在の中国)の間で琉球諸島の帰属問題が話し合わ
>れることになり、日清交渉が始まった。そして、1880年4月17日に日本
>政府は清国に対して琉球諸島の一部である八重山諸島と宮古諸島のいわゆる
>先島諸島を清国に割譲することを閣議決定している。
明治6年に日清間で交渉が行われ「日清両国互換条款」が結ばれている。
ずっと交渉が続いている訳がないだろ、バカバカしい(失笑
「日清両国互換条款」で台湾は清国領、沖縄は日本領と国境が確定した。
日中間に戦争が起きず、外交交渉で解決した事を
駐英公使も駐米公使も大いに歓迎している、反対する筈もない。
太政官政府は駐英公使や駐米公使からの忠告もあり、
周辺諸国との国境画定作業に躍起になっており、
せっかく明治6年に清国との国境が完全に確定したのに、
その6年後にわざわざ変更を考える筈もない。
お前は、いつまで見え透いたウソをつき続けるんだ??????
シナやチョンの工作員はウソをつき続けるしか能がないのか??????
ウソにウソを重ねて、ウソをつき続けるのが
シナやチョンの国民性なのか????
まあ、ウソをつき続けている病的な歴史捏造者は、
ソースを絶対に出せないだろうなwwwww
だったウソだもんな、チョンやシナの得意のウソ(嘲笑
いつものウソwwww こっちから強制独立させたい。
俺の周りの沖縄人ってクズ多い。 ごめん、名前は付けるわ。
前も2ちゃんにも1回投稿したことあるし。 慰安婦強制もそうだけど、パヨクやチョンは平気で歴史を捏造するからな。
連中は、ウソを最大の武器にしている。
俺の周囲の沖縄出身者は「沖縄県民は小さな島内しか知らない世間知らずだから
パヨクやチョンに煽動され、騙されてしまう人も多い」と嘆いているね。 宮内チョンの歴史捏造は酷い
しかも日本人に日本の歴史を知られまいと歴史学部を認可しない
さっさと寄生虫朝鮮人天皇を処刑してくれ >>109
>歴史捏造は酷い
チョンとパヨクは慰安婦強制とか、ウソを言うしか能がない
1万回ウソを言えばウソも事実になると、固く信じている
>歴史学部を認可しない
ホラ、すぐにウソをつくwwww
仏教大学歴史学部があるよ
文学部や人文学部の史学科・歴史学科・文化歴史学科なんて
日本に山ほどあって、歴史学の教授なんて履いて捨てるほどいるが
高卒のアホは知らないのか?w 沖縄では毎年、県の施設を使って毎年、北朝鮮指導者を称える集会・学習会が行なわれている。
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2017年は、金正恩委員長が党と革命の最高指導者として推戴されて5周年を迎えます。
1月8日、金正恩委員長の誕生を祝賀して、「チュチェ思想新春セミナー」と
「新春芸術の夕べ 〜うむい健やかに・語り寿ぐ慶び〜」が、
金日成・金正日主義研究全国連絡会と沖縄・朝鮮友好の会の共催でおこなわれました。
チュチェ思想新春セミナー
セミナーには、チュチェ思想、金日成・金正日主義を研究する学者、青年学生、社会活動家、芸術家など、
各界各層の人々が70余名参加しました。
主催者を代表し、金日成・金正日主義研究全国連絡会代表世話人の
佐久川政一・沖縄大学名誉教授がつぎのように挨拶を述べました。
チュチェ思想は沖縄のたたかいの指針であるといえます。
沖縄の未来をどう築いていくのか、わたしはいつも考えています。
沖縄から変革をおこしていかなくてはならないと思います。
わたしたちはチュチェ思想を学ぶ先駆者として、
金日成・金正日主義研究全国連絡会の活動を発展させていかなくてはなりません。
(以下略)
ttp://juche.v.wol.ne.jp/news/j170115-1.htm <日本政府にとって触れられたくない不都合な真実>
1871年に台湾に漂着した宮古島の島民54人が台湾の先住民族の生蕃に殺害された後、日本政府は「自国民保護」という名目で、3年後の1874年に台湾に派兵している。
その後、日本と清国(現在の中国)の間で琉球諸島の帰属問題が話し合われることになり、日清交渉が始まった。
そして、1880年4月17日に日本政府は清国に対して琉球諸島の一部である八重山諸島と宮古諸島のいわゆる先島諸島を清国に割譲することを閣議決定している。
その見返りとして日本政府は欧米諸国同様の通商権を清国から獲得する旨を清国側に提案した。
日本政府が清国に提案した先島分割案(琉球分島案)は日清両国で合意に達したが、清国側が批准しなかったので、発効しなかった。
この合意が実現していれば、先島諸島の宮古、八重山(もちろん尖閣諸島も含まれる)の土地と住民は、清国の管轄下に置かれることになったのは言うまでもない。
1879年の琉球処分が国家統合、あるいは日本の民族統合だったという日本政府の主張が欺瞞だったことはこの歴史的事実が証明している。
「尖閣諸島は我が国固有の領土」と主張する日本政府にとって、商業権益の引き換えとして、その尖閣諸島が含まれる八重山諸島と宮古諸島の先島諸島一帯を清国に割譲することを1880年4月17日に閣議決定した歴史的事実は、まさに触れられたくない不都合な真実である。
この歴史的事実を指摘されたら安倍内閣の閣僚は誰一人、反論できない。 沖縄は日本固有の領土ではない。
教科書検定に合格した清水書院の日本史Bの教科書にも「琉球王国は独立国だった」と書かれている。
琉球王国が独立国だったことは日本政府の一組織である文部科学省が教科書検定で認めているわけだから、琉球王国を前身に持つ現在の沖縄は日本固有の領土ではない。
尖閣諸島はその沖縄に含まれるから尖閣諸島も日本固有の領土ではない。 沖縄が現在 日本の領土であることは翁長知事が証明している。
この歴史的事実を指摘されたら琉球民族カルトの会員は誰一人、反論できない。 日本政府が軍隊を動員して琉球を併合したわけだから、その琉球を前身に持つ現在の沖縄は日本固有の領土ではない。
そもそも琉球が日本の領土だったなら日本政府が軍隊を動員して併合するわけがないし、併合する必要もない。
沖縄が日本固有の領土でないことは、皮肉にも日本政府自らが沖縄の前身である琉球を軍隊を動員して武力併合したことで証明してしまった。 >>112-116
シナチョンやパヨクは「1万回ウソを言うと、ウソでも真実になる」と
固く信じて、ウソにウソを重ねてウソを言い続けるしか能がないww
明治4年の宮古島漁民惨殺事件を受けて、明治6年に日本が台湾出兵し
北京で交渉が行われ、清国は日本の出兵を「義挙」みとめ、
明治6年に日清間で「日清両国互換条款」が結ばれ、台湾は清国領、
沖縄は日本領と国境が確定し、日本軍は台湾から撤兵した。
この件については、米国公使も英国公使も平和的解決となった事を
大いに歓迎しており、琉球が日本に属する事に何の異議も唱えていない。
もちろん琉球王の尚氏も何の異議も唱えていない。尚氏は、沖縄県設置後
東京に邸宅を与えられて侯爵となり、日本国の華族の一員として、
子孫が貴族員議員を務めるなど、立派に務めを果たしている。
琉球が日本領である事は、明治6年に国際的に完全に確定しており、
国際社会からも、尚氏からも、清国からも、どこからも苦情は出ていない。
いつまでシナチョンやパヨクは、ウソを言い続けるんだ???
シナチョンやパヨクにとって、ウソを言い続ける事が
アイデンティティになっているなww 沖縄は日本固有の領土ではない。
教科書検定に合格した清水書院の日本史Bの教科書にも「琉球王国は独立国だった」と書かれている。
琉球王国が独立国だったことは日本政府の一組織である文部科学省が教科書検定で認めているわけだから、その琉球王国を前身に持つ現在の沖縄は日本固有の領土ではない。
尖閣諸島はその沖縄に含まれるから尖閣諸島も日本固有の領土ではない。
ウチナーや、ヤマトゥ固有ぬ領土あらんど。
ウチナーや、むかしぇー琉球王国やたんむん、あてーめーでやる。 それに琉球王国が日本の領土だったことは歴史上ただの一度もないから、その琉球王国を前身に持つ現在の沖縄は日本固有の領土ではない。
琉球王国が独立国だったことは日本政府の一組織である文部科学省が教科書検定で認めている。 >>118-119
1609年から琉球は薩摩藩の支配下にあり、
明治6年に日清間で「日清両国互換条款」が結ばれ、
台湾は清国領、沖縄は日本領と国境が確定した、という事実を
直視出来ないシナチョンは、歴史を直視する勇気がないんだろうなww >>120
薩摩は琉球に対して逮捕権も裁判権も有していなかったから形式的支配にすぎない。
そもそも薩摩が琉球を実質的に支配していたなら、琉球と中国との冊封体制や朝貢貿易を認めるわけがないし、それどころかとっくに琉球王国は解体されていたはず。
薩摩は琉球王国を解体しなかったし、中国と琉球の冊封体制や朝貢貿易も認めていたわけで、薩摩による琉球支配というのはあくまでも形式的なものにすぎないと言える。
そもそも薩摩は藩であって国ではない。
一方、琉球王国は藩ではなく国だった。
だから江戸幕府は琉球を異国と位置づけていた。
江戸幕府が琉球を異国と位置づけていたことは日本政府の一組織である文部科学省が認めていて、その証拠に「琉球王国は独立国だった」「江戸幕府は琉球を異国と位置づけていた」と書いた清水書院(日本史B)の教科書はその文部科学省による教科書検定で合格している。
残念でした(大笑い)。 ヅラ主は掲示板荒らしのサクラ(警備員)
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こいつ体重120キロの豚ゴリラで禿げてるよWww 禿げで肉に埋もれとる豚って需要ある!恥ずかしくないのかなぁw 沖縄は日本固有の領土ではない。
その証拠に1879年3月27日に日本の明治政府が軍隊を動員して沖縄の前身である琉球王国を武力併合している。
沖縄が日本固有の領土でないことは、皮肉にも日本の明治政府自らが軍隊を動員して沖縄の前身である琉球王国を武力併合したことで証明してしまった。 沖縄出身の両親を持つ仲村清司氏(沖縄大学客員教授)が自らを「在日沖縄人」と言っている。
沖縄人が日本人であるなら沖縄出身の両親を持つ仲村氏が自らを「在日沖縄人」と言うわけがない。
ソース
http://nakamura.ti-da.net/e9293779.html >>121
>薩摩は琉球に対して逮捕権も裁判権も有していなかったから形式的支配にすぎない
英国はインド植民地でマハラジャ(藩王)をそのままにしてインド人に
政治をやらせたし、フランスはベトナム支配でバイダイ帝をそのままにして
政治をやらせた。支配者は外交・軍事・徴税権を保有するだけ
このタイプの統治方法を間接支配と言う。
インドのマハラジャやベトナムのバオダイ帝がそのままだったからって、
「英国はインドを支配していない」「フランスはインドシナを支配していない」
という奴がいたら、ただのアホwwwwww 日本政府は1879年3月27日に軍隊と警察官を動員して琉球王国の首都だった首里王府の首里城を取り囲み、軍事的威嚇の下、琉球王国を併合した。
だから、その琉球王国を前身に持つ現在の沖縄は日本固有の領土とは言えない。
そもそも琉球王国が日本の領土だったなら日本政府が軍隊を動員して武力併合するわけがないし、併合する必要もない。
沖縄が日本固有の領土でないことは皮肉にも日本政府自らが沖縄の前身である琉球王国を武力併合したことで証明してしまった。
ちなみに「琉球併合」については国語辞典の広辞苑(岩波書店)にも書かれている。 それと琉球王国が薩摩の領土だったことは歴史上ただの一度もない。
「領土」とは「国家の統治権が及ぶ区域」という意味だし、薩摩は国家ではなかったわけだから琉球王国が薩摩の領土だったというのは大間違い。
しかも1879年に日本の明治政府が琉球王国を武力併合している。
日本の明治政府が軍隊を動員して琉球王国を武力併合したという歴史的事実は即ち琉球王国が日本の領土ではなかったことの証しである。 先島諸島【さきしましょとう】
琉球諸島のうち、宮古列島、八重山列島、尖閣諸島の総称。多くは隆起サンゴ島である。沖縄県に属する。
1880年4月17日に尖閣諸島が含まれる先島諸島を自国の商業権益と引き換えに清国に割譲することを閣議決定した日本政府。
自国の国益のためには自国の領土と主張する領土でさえ他国に譲り渡すことを厭わない日本政府に「尖閣諸島は日本固有の領土」と言う資格はない。 >>127
>日本政府は1879年3月27日に
明治6年に国際的に日清間で「日清両国互換条款」が結ばれ
「琉球は日本領」「台湾は清国領」と国際的に国境が確定しているが
琉球を支配する薩摩藩が西南戦争で事実上の独立状態になったため
琉球の支配も宙に浮き、戦後に日本政府が再占領した。
もちろん清国政府や尚王や国際社会から何も苦情は出ていない。
既に国境は確定している。
>薩摩は国家ではなかったわけだから
対馬は対馬藩宗家が長年治めていて、
日本国が直接治めていないから、日本国の領土ではない、
つまり、韓国が対馬を侵略してもいい、とか、
低能ヴァカ丸出しを言いたいのか?(大爆笑
お前の偏差値は33ぐらいか???? 前近代の日本では北は蝦夷から南は薩摩まで日本の年号(和暦)を使用していたし、蝦夷から薩摩まで暦は陽暦を採用していたが、前近代の琉球王国では日本の年号(和暦)を使用していなかったし、暦も陽暦ではなく陰暦を採用していた。
1879年3月27日に日本の明治政府が軍隊と警察官を動員して琉球王国を武力併合するまで琉球王国が日本の統治権が及ばない独立国だったことは歴史的事実である。
よってその琉球王国を前身に持つ現在の沖縄は日本固有の領土とは言えない。 >>130
対馬と琉球はなんの関係もないだろ。
低能ヴァカ丸出しを言いたいのか?(大爆笑
お前の偏差値は1ぐらいか???? そもそもアメリカはただの一度も「沖縄は日本固有の領土」とは認めていない。
それもそのはず、アメリカは1854年7月11日に沖縄の前身である琉球王国と琉米修好条約を結んでいるし、さらに翌年の1855年3月9日に同条約はアメリカ議会で批准されていて、同日、第14代大統領のフランクリン・ピアースによって同条約は公布されている。
このように条約締結、批准、公布の3点セットで沖縄の前身である琉球王国はアメリカから独立国と認められていた。
だから、その琉球王国を前身に持つ現在の沖縄は日本固有の領土ではない。 >>134
歴史を知らないヴァカに教えてやるが、
1972年に沖縄を日本に返還したのはアメリカ政府だよ(失笑 >>135
歴史を知らないヴァカに教えてやるが、
1972年にアメリカ沖縄を日本に返還したのは領有権ではなく施政権だよ(失笑 >>136
歴史を知らないヴァカに教えてやるが、昭和26年のサンフランシスコ条約でも
沖縄の領有権は日本にある事が確認されているよ(失笑 >>137
歴史を知らないヴァカに教えてやるが、昭和26年のサンフランシスコ条約では
沖縄の施政権が日本に返還されただけだよ(失笑 >>138
リアルバカらしいが、
沖縄の施政権が日本に返還されたのは、1972年なwwwwww アメリカは沖縄を日本固有の領土と認めたことはただの一度もない。
1854年7月11日に沖縄の前身である琉球王国と国際条約(修好条約)を結んだアメリカが沖縄を日本固有の領土と認めるわけがない。 なぜ、「水戸黄門」御一行は、沖縄へ行かなかったか?
【佐藤優VS飯島勲】救国対談!飯島勲「リーダーの掟」特別編(2)
佐藤 時代劇の「水戸黄門」は、日本中旅行していますけど、沖縄にだけは一度も行っていないんです。
当時の沖縄の人は「この紋所が目に入らぬか」って印籠を出しても三つ葉葵の紋を知らないし、琉球空手の達人が助さん、格さんに負けるわけがないからドラマの筋が成り立たない(笑)。
これだけなら笑い話なんですが、一方で沖縄には江戸の権力、京都の朝廷、つまり天皇の権威が通じないということ、日本の政府への帰属意識がなかったという意味でもあります。
(プレジデント 2011年8.29号より)
上に引用したのはプレジデントの2011年8月29日号での佐藤優氏と飯島勲氏の対談だが、
当時の沖縄の人たちが日本への帰属意識がなく、沖縄には江戸の権力や京都の朝廷、つまり天皇の権威がまったく通じなかったことが、水戸黄門の笑い話を例に挙げて面白おかしく解説されている。 「佐藤優 分析 安倍首相が沖縄知事と会わない理由 琉球王国外交文書が里帰りが意味するもの」
https://www.youtube..../watch?v=Mt5M97M1_m8
この動画の6分30秒のところで佐藤優氏が「私の父親は日本人で、母親は沖縄人」と語っている。
日本人の父と沖縄人の母を持つ佐藤優氏のアイデンティティーへのこだわりがよく伝わってきて実に興味深い。 琉球王国を前身に持つ現在の沖縄が日本固有の領土とは言えない理由を以下に示す。
1.前近代において日本では太陽暦を使用していたが、琉球王国では中国暦(陰暦)を使用していた。
2. 首里城に置かれていた琉球王府の公文書はすべて漢文で書かれていた。
3. 琉球王国は1854年にアメリカと、1855年にはフランスと、1859年にはオランダとそれぞれ修好条約を独自に結んでいてる。
4. 1854年7月11日に琉球とアメリカが結んだ琉米修好条約は漢文と英文で書かれていて、日本語では書かれていない。
5. 琉米修好条約は1855年3月9日に米国議会で批准されていて、同日、第14代大統領のフランクリン・ピアースによって公布されている。
6. 江戸幕府はキリスト教弾圧を目的に寺請制度(総仏教徒制度)を強制し、檀家制度を取り入れたが、琉球王国では檀家制度は実施されていない。
7. 全国47都道府県で現在も唯一、檀家がないのは沖縄だけ。
※参考までに4と5に書いた琉米修好条約については2006年12月に、当時、衆議院議員だった鈴木宗男氏が政府に質問主意書を提出し、「1854年に琉球とアメリカが結んだ国際条約は国際法上いかなる意義があるか」と質問している。
これに対し、安倍晋三首相は「ご指摘の条約なるものは我が国は関知していない。我が国は当事国ではない」と答弁し、琉球王国に日本の統治権(主権)が及んでいなかったことを認めている。
また、日本政府の一組織である文部科学省が検定して合格させた清水書院の教科書(日本史B)の163ページにも「琉球王国は独立国だった。江戸幕府は琉球を異国と位置づけていた」と書かれている。
これらの事実から、独立国だった琉球王国を前身に持つ現在の沖縄は日本固有の領土とは言えない。 >>141
「水戸黄門」は天皇電通が水戸藩を美化する目的で作った
ロスチャの薩長が倒幕するときに
ロック水戸藩は幕府内部から崩す手伝いをした
朝鮮寄生虫天皇の仲間 <昭和天皇は米軍による沖縄の長期占領を望んでいた>
戦後の1946年、大日本帝国憲法から日本国憲法に変わって天皇が政治に介入できなくなったにもかかわらず、その翌年の1947年に、昭和天皇は政治に介入した事実がある。
当時、昭和天皇は宮内庁御用掛を務めていた寺崎英成に「米軍による沖縄の長期占領を望む」という自身の希望を伝え、その天皇のメッセージがGHQの政治顧問だったウィリアム・シーボルトを介して米国国務省にも伝わっていているが、
サンフランシスコ講和条約第3条により北緯30度以南が米国施政権下に置かれたことは、まさに昭和天皇の望みが見事に叶えられたものといえる。
昭和天皇が米国に伝えたとされる「天皇メッセージ」の原文は雑誌「世界」(岩波書店、1979年4月号)で詳しく取り上げられていて、後に「分割された領土」という書名で岩波現代文庫からも発行されている。
「分割された領土」(岩波現代文庫)
https://www.iwanami....KS/60/X/6000910.html >>143
>前近代において日本では太陽暦を使用していたが
日本が陽暦を採用したのは明治5年からだが、日本中のほとんどの農魚村では
陰暦で農作業や漁労や神事が行われるため、昭和の始め頃までは陽暦と陰暦の
両方を併記しているカレンダーが使用されていた。
沖縄は特に神事が多い地域で、神事は陰暦ベースで行われるので、今でも陰暦併記
が行われている。昭和初期までの日本と同じ。神事が多く、それを陰暦で
しっかりと守っている事を見ても、沖縄は「もっとも日本らしい日本」
>琉球王府の公文書はすべて漢文で書かれていた
日本でも江戸時代まで公式文書はすべて漢文。武士教育は全て漢文で、
そのため大日本帝国憲法も教育勅語も、明治時代の多くの公式文書は
漢文読み下しで書かれている。
>琉球王国は1854年にアメリカと
>琉米修好条約は1855年3月9日
明治6年に国際的に日清間で「日清両国互換条款」が結ばれ
「琉球は日本領」「台湾は清国領」と国際的に国境が確定しており、欧米諸国も
もちろん異議など一言も述べていない。台湾出兵が、清国との難しい外交交渉で
平和裏に解決し、英米仏も日本政府の外交能力の高さに驚き、称賛している
>琉球王国では檀家制度は実施されていない。
>檀家がないのは沖縄だけ
薩摩藩の間接支配であり、直接支配ではないのだから当たり前。
「インドはキリスト教国ではないから、英国はインドを支配していない」と
言っているのと同じで、余りに荒唐無稽な話wwwww >>143
>7. 全国47都道府県で現在も唯一、檀家がないのは沖縄だけ
お前は沖縄の事を何も知らないんだな
沖縄は先祖崇拝の地で、仏教徒なんかほとんどいねぇよ
沖縄全体でも寺なんて数えるぐらいしかない 領土というものは歴史のある時点からその国の領土になったのであって、最初から特定の国が特定の地域を自国の領土にしていたわけではない。
そもそも世界中のどこの地域も国家ができる前はもともとは無主の地だったわけで、ゆえに「○○は△△固有の領土」という地域は存在しない。
だから国際社会は「尖閣諸島が日本固有の領土」「竹島が日本固有の領土」「北方領土が日本固有の領土」とは認めていない。
日本の同盟国であるアメリカでさえ認めていない。
なぜなら「固有の領土」という言葉は国際法上の用語ではないし、国際社会共通の定義もないから。
ちなみに、欧米諸国や中東諸国あるいはアフリカや南米、中米などでは「固有の領土」という概念すらない。
「固有の領土」という言葉は歴史用語ではなく、日本政府が作り出した政治用語であって、国家の政治的主張にすぎないことは自明である。
だから、日本政府が主張する「北方領土は我が国固有の領土」「竹島は我が国固有の領土」「尖閣諸島は我が国固有の領土」というのは、せいぜい国内向けの国家スローガン、あるいはナショナリズムを扇動したり、
プロパガンダ(政治的宣伝活動)に利用するような語意しか持たず、国際社会にはまったく通用しない意味のない言葉である。 沖縄の前身である琉球王国が日本に武力併合されたのは138年前の1879年3月27日のこと。
当時の明治政府は軍隊と警察官を動員して首里城を取り囲み、武力的威嚇のもと琉球王府に対して城の明け渡しを迫っている。
琉球王国はそれまで日本の統治権(主権)が及ばない独立国だった。
琉球王国が国際的にも認められた独立国だったことはアメリカ、フランス、オランダが1850年代に琉球王国と修好条約(国際条約)を締結したことで証明されている。
琉球王国とアメリカが1854年7月11日に結んだ琉米修好条約は翌年の1855年3月9日に米国議会が批准しているし、
同日、第14代大統領のフランクリン・ピアースによって公布されている。
アメリカが条約締結、批准、大統領公布の3点セットで琉球王国を独立国と認めていたという歴史的事実は重い。
2006年12月に当時、衆議院議員だった鈴木宗男が政府に質問趣意書を提出し、「琉球王国が欧米諸国と結んだ国際条約は国際法上いかなる意義があるか」と安倍首相に質問したところ、
安倍首相は「ご指摘の条約なるものは我が国は関与していない。我が国は当事国ではない」と答え、1850年代の琉球王国に日本の統治権(主権)が及んでいなかったことを認めている。
ちなみに前近代まで遡って外国と国際条約を結んだことがある都道府県は琉球王国を前身に持つ現在の沖縄だけ。 >ちなみに前近代まで遡って外国と国際条約を結んだことがある都道府県は琉球王国を前身に持つ現在の沖縄だけ。
対馬は廃藩置県の後、瞬間的に対馬藩>厳原県だったことがある 【BS11:紀行・教養】 <尾上松也の古地図で謎解き!にっぽん探究>放送時間:毎週水曜日 よる8時00分〜8時54分 http://www.bs11.jp/education/post-74/ 「かつての沖縄は、琉球国王の治める独立国であり・・・・・・」
http://www.pref.okin.../okinawanosugata.pdf
(沖縄県庁のホームページから抜粋)
「沖縄は、独立した国家であった琉球王国の歴史に加え、近代以降、日本やアメリカなど国際社会の動向の中で、何度も世替わりを体験してきました」
http://www.museums.p...on/category_display/
(沖縄県立博物・美術館のホームページから抜粋)
沖縄県庁のホームページにも沖縄県立博物・美術館のホームページにも沖縄がかつて琉球王国という独立国だったことが書かれている。
これが歴史的事実。
よってその琉球王国を前身とする現在の沖縄は日本固有の領土とは言えない。 >>153
かつて琉球は独立国だったが、1609年から1872年までの263年間、
薩摩藩の統治下にあった。その後は日本領土。
民族的に見ても沖縄方言はアルタイ語族で、言葉は日本語の一種。
周囲の中国大陸や台湾のシナ・チベット語族とは、文法が全く違う。
沖縄県民が日本標準語を覚えて日本人と話すのはごく簡単だが、
中国語は完全に外国語で、沖縄県民が中国語を習得するのは
日本人が中国語を習うのと同様に時間が掛かる。
日本の村の「鎮守の森」のように、沖縄の村には自然の中に
「嶽(うたき)」があり、村人の信仰を集め、神事は嶽で行われる。
中国だと村の中心に何もない広場があり、そこで行事を行う、自然の中ではない
日本神道の最高神はアマテラスだが、沖縄の最高神はアマミキヨ
神事は巫女(ユタ)が執り行う事が多く、霊に取り憑かれたように話すので
3000km離れた青森の恐山のイタコとの類似が指摘されている。
ヒミコやイヨなどの巫女が信心を集めていた邪馬台国のようであり、
えてして沖縄や青森など辺境の地に、日本古来の習俗が残っている。
琉球王朝は島民の信仰を集める「ユタ」に対して何度も弾圧を加えたが
ユタへの信仰は強く残り、今でもユタに人生相談する沖縄県民は多い。
ちなみに日本政府が統治してから、ユタに対して弾圧を加えた事はない。
沖縄の家庭では、先祖の位牌(トートーメー)を継ぐ長男を非常に大切にする。
男系の男子でなければ家を継ぐ事は出来ない。日本の皇室と同じ。
娘や娘のムコではトートーメーを継ぐ事が出来ないので、日本の皇室同様に、
現在では問題になっている(遺産相続の問題もからむ)。
沖縄では火の神を「ヒノカン」と読んで非常に大切にし、特に釜戸を神聖視する。
これは日本の「かまど神」と全く同じで、特に東北地方では、
今でもかまどや炉のそばの神棚に幣束や神札を祀る習慣が強く残っている。
沖縄の習俗を見ると、日本古来の習俗が今でも多く残っている事が分かる。
また東北地方との共通性も多い。辺境のために、沖縄や東北に、
中央では廃れてしまった日本古来の習俗が残ったと考えられる。 >>154
1609年に薩摩は琉球王国を侵攻したが、それ以降、琉球王国が日本の領土になったわけではない。
1609年以降も琉球王国は独立国として存続していたし、薩摩の侵攻後も琉球王国には国王がいて王政国家が続いていた。
琉球王国が薩摩侵攻後も独立国だったことは1854年から1859年にかけてアメリカ、フランス、オランダと単独で国際条約を結んだことでも証明できる。
琉球王国に外交権がなければ外国と国際条約を結べるわけがない。
琉球王国が外交権を行使できたという歴史的事実そのものが独立国だったことを見事に証明している。
2006年12月に当時、衆議院議員だった鈴木宗男が日本政府に質問趣意書を提出して、「琉球王国とアメリカ、フランス、オランダが結んだ国際条約は国際法上いかなる意義があるか?」と質問したところ、
答弁に立った安倍晋三首相は「ご指摘の条約なるものは我が国は関知していない。我が国は当事国ではない」と答えている。
安倍首相が答えたように琉球王国とアメリカ、フランス、オランダが結んだ国際条約は、日本は国家としてまったく関与していない。
それもそのはず、当時の琉球王国は日本の統治権(主権)が及ばない独立国だったわけだから、琉球王国がアメリカ、フランス、オランダと国際条約を結ぶ際に日本が独立国だった琉球王国に対して口出しできるはずがない。
1854年7月11日に琉球王国とアメリカが結んだ琉米修好条約は翌年の1855年3月9日にアメリカ議会で批准されているし、さらに同日、第14代大統領のフランクリン・ピアースによって公布されている。
アメリカは条約締結、条約批准、条約公布の3点セットで琉球王国を独立国(主権国家)として認めていた。
だから、その琉球王国を前身に持つ現在の沖縄は日本固有の領土とは言えない。 >>155
>薩摩の侵攻後も琉球王国には国王がいて王政国家が続いていた。
フランス軍が1887年頃からインドシナに侵攻し植民地化しても
ベトナムの阮朝、カンボジアのノロドム朝、ラオスのルアンパバーン朝は
そのままで、内政は引き続き各王国にやらせていた。
この形態の統治方法を「間接統治」と言う。
住民の反発を招く事もなく、良い統治方法だ。
宗主国は、外交権と軍事権を握っていればいい。
ラオスなどは、隣接する雲南のチン・ホー族の度重なる襲撃で、
国家の存続や国王一家の生命も危うくなっていたので、
フランス軍の駐屯によって、チン・ホー族の襲撃がなくなり、
国王も国民も喜んだと言う。
阮朝・ノロドム朝・ルアンパバーン朝など、
フランスが占領した地域の王家がそのままだからと言って
「フランスが支配している」という状況は変わらない。
尚王朝が存続し、内政を行っていても「薩摩藩が支配している」という
状況は変わらない。 >>155
>その琉球王国を前身に持つ現在の沖縄は日本固有の領土とは言えない
「ローマ以南のイタリア半島南部とシチリア島は、
かつて『両シチリア王国』という独立国だったので、
イタリア国の一部とは言えない!」と、オツムの逝かれた低能バカが、
意味不明な事を言っているようなもんだなwwwwwwwww >>154
沖縄では清明祭(シーミー)でウチカビを燃やす習慣があるが、そもそも沖縄以外の地域では清明祭(シーミー)という行事はないし、ウチカビを燃やす習慣もない。
清明祭という行事もウチカビを燃やす習慣も清国(現在の中国)から伝わったものである。
それと沖縄には「13祝い」があるが、内地に「13祝い」はない。
また、琉球空手はもともと琉球唐手といって中国拳法と琉球王国に古来からあった手(てぃー)が融合してできたもので日本からの影響はまったく受けていない。
琉球漆器も清国に渡った琉球人が清国の漆器をモチーフにして作り上げたもので日本の影響はまったく受けていない。
琉球舞踊も原型は琉球空手からきているともいわれ、日本の影響はまったく受けていない。
琉球料理も明や清との冊封体制下にあった琉球王国時代に明や清の冊封使を迎えるにあたって、彼らをもてなす際の歓迎式で出された料理から派生したものが多く、これも日本の影響をまったく受けていない。
暦も琉球王国時代は陰暦(中国暦)を採用しており、日本の太陽暦とは異なる。
さらに、琉球王国時代は日本の年号(元号)を採用していなかった。
これらの事実を見て分かるように、琉球王国は日本より中国文化の影響を強く受けていたと言える。 >>156
薩摩は琉球王国の外交権を剥奪できなかった。
だから琉球王国は外交権を行使して1850年代にアメリカ、フランス、オランダと国際条約を結んだ。
当然のことながら琉球王国は独立国(主権国家)だったから、この条約締結に薩摩はまったく関与していない。
アメリカが琉球王国と国際条約を結んで、その条約を批准し、さらに第14代大統領のフランクリン・ピアースが公布したという歴史的事実は琉球王国が独立国だったことの証しである。 >>155
>1854年から1859年にかけてアメリカ、フランス、オランダと
>単独で国際条約を結んだことでも
日本だって黒船来航に腰が抜けて。1854年に日米和親条約を結び
その後、欧州諸国とも和親条約を結んだのだから、
薩摩藩の支配下にあるとは言っても孤島にある琉球国に黒船がやって来たら
列強の要求を断れる筈もない。卑劣な砲艦外交に屈しただけ。
日本国(徳川幕府)だって砲艦外交に屈したのだから、海に囲まれた
琉球国が薩摩藩の支援を受けて黒船と戦って、撃退出来ると思うのか??????
アホは「琉球は徳川家の「異国船打払令」を守って戦うべきだった」と
言っているのか??????
徳川家が和親条約を結んだから、それに応じて薩藩の庇護下にある琉球王朝も
条約を結んだのであって、徳川家と連携していた事がよく分かる。 >>159
>薩摩は琉球王国の外交権を剥奪できなかった
徳川幕府が朝廷に断りなく日米和親条約を結んだ事で
朝廷側から凄まじい文句が出て、勤王の志士が湧いて出たから
「徳川幕府は天皇家の外交権を剥奪出来なかった、
徳川家に日本国の主権はなかった」と、お前は言いたいのか?????
長い間外交問題が皆無だった日本や琉球では、外交権自体がウヤムヤで
黒船が来た時に、とりあえず黒船が来た現地にいる徳川幕府や琉球王朝が、
脅されて条約を結んでしまったのは仕方ないだろ。
「脅されて金を出すのは悪い事」と判っていても、
自分の頭にピストルを突きつけられたら、有り金を出すしかない。
出したからといって、「沖縄は独立していた」なんて失笑話だなwww
主権もクソもない、条約結ばなかったら琉球王朝は滅ぼされてしまったから
条約結んだだけ。列強も、余りに卑劣な行為だという自覚があったんだろ
明治6年に「沖縄は日本領・台湾は清領」と確定し時には、過去の条約を持ち出して
文句言う何てことは一切なかった。丸く収まっているのに、シナチョンが今さら
持ち出して、シナの侵略の正当化に利用しているだけ >>160
1854年3月31日にペリー提督は日本の浦賀に乗り込み、日米和親条約を結んだが、その4カ月後、ペリー艦隊は琉球に行って日米和親条約とは別に琉米修好条約を結んだ。
琉球王国が日本の領土だったならペリー艦隊は日米和親条約を結んだ後、さっさとアメリカに帰国するはずだが、琉球王国は日本の統治権(主権)が及ばない異国だったのでペリー艦隊ははるか遠い琉球王国まで行って琉米修好条約を結んだ。
アメリカが琉球王国を日本の統治権(主権)が及ばない独立国と見ていたことはこの歴史的事実が証明しているし、この琉米修好条約はアメリカ議会で批准されている。
そして第14代大統領のフランクリン・ピアースによって公布されている。
この歴史的事実は誰も覆せない。 >>161
「かつての沖縄は、琉球国王の治める独立国であり・・・・・・」
http://www.pref.okin.../okinawanosugata.pdf
(沖縄県庁のホームページから抜粋)
「沖縄は、独立した国家であった琉球王国の歴史に加え、近代以降、日本やアメリカなど国際社会の動向の中で、何度も世替わりを体験してきました」
http://www.museums.p...on/category_display/
(沖縄県立博物・美術館のホームページから抜粋)
沖縄県庁のホームページにも沖縄県立博物・美術館のホームページにも沖縄がかつて琉球王国という独立国だったことが書かれている。
これが歴史的事実。
よってその琉球王国を前身とする現在の沖縄は日本固有の領土とは言えない。
「琉球王国は独立国ではなかった」という主張こそ我々沖縄人(琉球民族)から見れば失笑ものである。 >>162
>琉球王国は日本の統治権(主権)が及ばない異国だったので
>ペリー艦隊ははるか遠い琉球王国まで行って琉米修好条約を結んだ。
元々、捕鯨船の中継地が欲しくてペリーの黒船はやって来たのであって
日本に来る前には、小笠原に立ち寄って、中継基地としている。
アホは、ペリーが小笠原に立ち寄るのも、オカシイと言いたいのか??????
日本本土から遠く離れた琉球は、絶好の中継地であり、兵力も少なく、
徳川幕府が屈したのであるから、琉球王朝を脅せば
開国して中継地になる事はペリーも予想出来たのだろう。
そのために、琉球に立ち寄って、脅して、開国させて、中継基地にした。 >>163
>「琉球王国は独立国ではなかった」という主張こそ
ウソはいかんよ、ウソはww
そんな事は一言も言ってない
1609年から琉球は薩摩藩の支配を受けており、
明治6年に日本領として確定した歴史的事実を、アホは受入れがたいのか?w 沖縄の小学校、中学校、高校、大学では「我々が住んでいる沖縄は138年前の1879年3月27日に日本の明治政府が軍隊を動員して武力併合するまで独立国だった。だからその琉球王国を前身に持つ沖縄は日本固有の領土ではない」と教えている。
沖縄生まれの沖縄人で沖縄を日本固有の領土と思っている人は一人もいないし、琉球王国が独立国ではなかったと思っている人も一人もいない。
その証拠に、沖縄県庁や沖縄県立美術博物館、あるいは沖縄県公文書館、那覇市歴史博物館のホームページに琉球王国が独立国だったことが書かれているが、この記述内容に抗議する人も削除を求める人も沖縄にはいない。 >>165
琉球王国が薩摩の完全な支配下にあったなら琉球王国は1879年に鹿児島県(旧薩摩藩)になったはず。
ところが、明治政府は琉球王国が薩摩の支配下にはなかったことを知っていたから1879年に鹿児島県ではなく沖縄県とした。
これが歴史的事実。 >>166
>我々が住んでいる沖縄は138年前の1879年3月27日に
>日本の明治政府が軍隊を動員して武力併合するまで独立国だった。
それは明らかに歴史捏造だねwww
1609年から琉球は薩摩藩の支配を受けていた。
明治6年に日清間で「沖縄は日本領、台湾は清国領」と国際的にも確定している。
国際社会からも琉球王朝の尚氏からも、全く苦情など出ていない。
当然だ、長年、琉球は薩摩藩が支配していたからね
西南戦争で薩摩藩が独立状態になったために、琉球の支配権も一時的に
宙に浮いたから、改めて日本軍が再占領しただけ。 >>167
>琉球王国が薩摩の完全な支配下にあったなら琉球王国は1879年に
>鹿児島県(旧薩摩藩)になったはず。
意味不明
沖縄県として那覇に県庁を置いた方が、沖縄県民としては幸せだろ
日本政府は沖縄県民の風俗習慣の独自性も勘案して、独立県とした
鹿児島県に組み入れられてしまったら、何か陳情などがあるたびに、
わざわざ海を渡って、鹿児島市まで行かなければならないんだぞ?
その方がいいのか???
アホなのか??? 琉球王国が薩摩藩の支配下にあったなら明治政府が1879年にその琉球王国を武力併合するわけがない。
明治政府が軍隊を動員して琉球王国を武力併合したということは即ち、それまでの琉球王国に日本の統治権(主権)が及んでいなかったことを意味する。
明治政府が琉球王国を武力併合したという歴史的事実そのものが琉球王国が異国だったことの証しであり、
現に日本政府の一組織である文部科学省も教科書検定で「琉球王国は独立国だった」「江戸幕府は琉球を異国と位置付けていた」と書いた清水書院の教科書(日本史B)を合格させている。 明治政府が琉球王国を沖縄県にしたのは琉球王国が薩摩藩の一部でないことを知っていたからにほかならない。
薩摩藩は琉球に対して裁判権も逮捕権も持っていなかったし、薩摩による琉球への影響力は限定的だったと言える。 >>170
>琉球王国が薩摩藩の支配下にあったなら明治政府が1879年に
>その琉球王国を武力併合するわけがない。
西南戦争で薩摩藩が独立状態になったために、琉球の支配権も一時的に
宙に浮いたから、改めて日本軍が再占領しただけ。
>>171
>薩摩藩は琉球に対して裁判権も逮捕権も持っていなかったし
フランスも、植民地のインドシナにおいて、
ベトナムの阮朝やカンボジアのノロドム朝はそのままにして、
王家の役人にそのまま内政をやらせていた。
英国もインドでマハラジャ(藩王)をそのままにして、マハラジャの役人に
内政をやらせていた
「間接統治」というやり方で、住民の反発を起さないために、良いやり方だ。
しかし、フランスがインドシナを、英国がインドを、薩摩藩が琉球を支配していたのは
明白な歴史的事実で、誰も異議は唱えないな
第一、今頃文句言うなら、明治6年に日清間で「日清両国互換条款」が結ばれて
「沖縄は日本領、台湾は清国領」と国境線が確定した時に、
なんで尚王朝は文句を言わなかったんだ?????????
今頃文句言うのは、沖縄への軍事侵略を進めるシナの指示なのか?????? 琉球史の第一人者で琉球大学名誉教授の高良倉吉氏や同じく琉球史に詳しい琉球大学名誉教授の西里喜行氏ら沖縄の歴史学者は異口同音に「1879年に明治政府が琉球王国を併合するまで琉球王国は独立国だった」と説明している。
沖縄を代表する歴史学者が「琉球王国は独立国だった」と説明しているわけだから、その琉球王国はどこからも支配されていなかったことになる。
琉球史に関して沖縄県立美術博物館や那覇市歴史博物館など沖縄には史料が豊富にあるが、沖縄以外の都道府県には琉球史に関する史料がほとんど存在しない。
だから琉球史に関する調査・研究は、史料が豊富にある沖縄のほうが環境的には恵まれていて、沖縄の歴史学者のほうが、沖縄人ではない日本人よりはるかに詳しいと言える。 >>172
西南戦争で薩摩が外国になったわけではない。
琉球王国はもともと日本の統治権が及ばない独立国。
だから琉球王国を前身に持つ現在の沖縄は日本固有の領土ではない。 >>173
沖縄の一部の人間は、シナチョンパヨクに毒されて、平気でウソを言うからなwwww
シナチョンパヨクが平気でウソを言ったり、歴史捏造するのと全く同じ
1609年から薩摩藩の支配を受け、明治6年に日清間で「日清両国互換条款」が
結ばれて 「沖縄は日本領、台湾は清国領」と国境線が確定した
歴史の事実を認める勇気は、シナチョンパヨクにはないのか????
>>174
>西南戦争で薩摩が外国になったわけではない。
バカの言っている意味が判らないが、西南戦争で
薩摩に日本政府の統治が及ばなくなった事は認めるだろwwwww
>琉球王国はもともと日本の統治権が及ばない独立国
1609年から薩摩藩の支配を受けて、
翌1610年琉球王の尚寧は、薩摩藩主島津忠恒と共に江戸へ向かった。
途上の駿府にて大御所徳川家康に、8月28日に江戸城にて将軍徳川秀忠に謁見した。
忠恒は家康から琉球の支配権を承認されたほか、奄美群島を割譲させ直轄地とした。
首里には薩摩藩役所が置かれ、琉球の貿易は薩摩藩が監督することとなった 琉球王国を前身に持つ現在の沖縄が日本固有の領土とは言えない理由を以下に示す。
1.前近代において日本では太陽暦を使用していたが、琉球王国では中国暦(陰暦)を使用していた。
2. 首里城に置かれていた琉球王府の公文書はすべて漢文で書かれていた。
3. 琉球王国は1854年にアメリカと、1855年にはフランスと、1859年にはオランダとそれぞれ修好条約を独自に結んでいてる。
4. 1854年7月11日に琉球とアメリカが結んだ琉米修好条約は漢文と英文で書かれていて、日本語では書かれていない。
5. 琉米修好条約は1855年3月9日に米国議会で批准されていて、同日、第14代大統領のフランクリン・ピアースによって公布されている。
6. 江戸幕府はキリスト教弾圧を目的に寺請制度(総仏教徒制度)を強制し、檀家制度を取り入れたが、琉球王国では檀家制度は実施されていない。
7. 全国47都道府県で現在も唯一、檀家がないのは沖縄だけ。
※参考までに4と5に書いた琉米修好条約については2006年12月に、当時、衆議院議員だった鈴木宗男氏が政府に質問主意書を提出し、「1854年に琉球とアメリカが結んだ国際条約は国際法上いかなる意義があるか」と質問している。
これに対し、安倍晋三首相は「ご指摘の条約なるものは我が国は関知していない。我が国は当事国ではない」と答弁し、琉球王国に日本の統治権(主権)が及んでいなかったことを認めている。
また、日本政府の一組織である文部科学省が検定して合格させた清水書院の教科書(日本史B)の163ページにも「琉球王国は独立国だった。江戸幕府は琉球を異国と位置づけていた」と書かれている。
これらの事実から、独立国だった琉球王国を前身に持つ現在の沖縄は日本固有の領土とは言えない。 西南戦争は1877年、明治政府内の征韓論に敗れた西郷隆盛ら士族が起こした国内の内乱にすぎない。
一方、明治政府による琉球併合はあくまでも日本国外で起きた「武力併合」であって、日本国内における「内乱」ではない。 明治6年に日清間で「日清両国互換条款」が結ばれて 「沖縄は日本領、台湾は清国領」と国境線が確定したというのは大間違い。
そもそも明治6年に「沖縄」という地名はなかった。 >>176
>前近代において日本では太陽暦を使用していたが
日本が陽暦を採用したのは明治5年からだが、日本中のほとんどの農魚村では
陰暦で農作業や漁労や神事が行われるため、昭和の始め頃までは陽暦と陰暦の
両方を併記しているカレンダーが使用されていた。
沖縄は特に神事が多い地域で、神事は陰暦ベースで行われるので、今でも陰暦併記
が行われている。昭和初期までの日本と同じ。神事が多く、それを陰暦で
しっかりと守っている事を見ても、沖縄は「もっとも日本らしい日本」
>琉球王府の公文書はすべて漢文で書かれていた
日本でも江戸時代まで公式文書はすべて漢文。武士教育は全て漢文で、
そのため大日本帝国憲法も教育勅語も、明治時代の多くの公式文書は
漢文読み下しで書かれている。
>琉球王国は1854年にアメリカと
>琉米修好条約は1855年3月9日
明治6年に国際的に日清間で「日清両国互換条款」が結ばれ
「琉球は日本領」「台湾は清国領」と国際的に国境が確定しており、欧米諸国も
もちろん異議など一言も述べていない。台湾出兵が、清国との難しい外交交渉で
平和裏に解決し、英米仏も日本政府の外交能力の高さに驚き、称賛している
>琉球王国では檀家制度は実施されていない。
>檀家がないのは沖縄だけ
沖縄は先祖崇拝の地で、仏教徒はほとんどいないんだが、
お前は沖縄に行った事すらもないのか????
>>177
>明治政府による琉球併合はあくまでも日本国外で起きた「武力併合」であって
明治6年に日清間で「日清両国互換条款」が
結ばれて 「沖縄は日本領、台湾は清国領」と国境線が確定しており
尚王も苦情など言っていない。つまり沖縄処分は、日本国内の話
>「沖縄は日本領、台湾は清国領」
沖縄でも琉球でもいいけどwwww
シナチョンパヨクは完全論破されて、同じ事の繰り返しをバカみたいに言うだけか、
小さな事にイチャモン付けるだけだなwwwww 我々沖縄人は自分たちを日本人とは思っていない。
だから沖縄では日本人のことを「ヤマトンチュ」と言うし、自分たち沖縄人のことを「ウチナーンチュ」と言って区別している。
沖縄を代表する地元紙の沖縄タイムスや琉球新報でも「日本人(ヤマトンチュ)」あるいは「ヤマトンチュ(日本人)」と書くし、
沖縄タイムスや琉球新報が書いているようにヤマトンチュが日本人という意味ならヤマトンチュではない我々ウチナーンチュ(沖縄人)は日本人ではないということになる。
沖縄を代表する歴史学者で琉球史に詳しい琉球大学名誉教授の高良倉吉氏や西里喜行氏、沖縄県立芸術大学名誉教授の安里進氏らの共著として知られる「沖縄県の歴史」(山川出版社)によると、
我々沖縄人が日本のことを「ヤマト」と呼び、地元の沖縄を「ウチナー」と呼ぶようになったのは少なくとも700年以上前からとのこと。
我々沖縄人が日本人と沖縄人を区別するのは民族意識が高いことの表れであり、琉球民族である沖縄人のエスニックアイデンティティー(ナショナルアイデンティティー)そのものとも言える。
日本人(ヤマトンチュ)
http://www.okinawati...rticle.php?id=141033
(沖縄タイムス2015年11月11日付) 明治6年に国際的に日清間で「日清両国互換条款」が結ばれ 「琉球は日本領」「台湾は清国領」と国際的に国境が確定したというのは嘘。
その証拠に、その6年後の明治12年に日本の明治政府が軍隊を動員して琉球王府があった首里城を取り囲み、武力的威嚇のもと、琉球王府に対して城の明け渡しを狭っている。
明治12年に明治政府が琉球王国を武力併合し、日本に統合したことは国語辞典にも書かれている。
だから明治6年に琉球が日本領となったというのは明らかな嘘である。 >>180
>地元紙の沖縄タイムスや琉球新報でも
両方ともに、戦前戦中に狂信的な軍国主義で、大政翼賛の旗を振っていた
沖縄朝日新聞の記者が創設した新聞だなwww
戦前戦中は軍にシッポを振り、戦争が終わると米軍にシッポを振り、
1972年に日本に施政権が回復すると、今度は中韓にシッポを振るだけの
どーしようもない卑劣な事大主義者(奴隷根性)じゃん
沖縄朝日新聞が沖縄県で軍国主義や国粋主義を広めて、沖縄を地獄にしたのに
70年以上経っても、まだ事大主義者の生き残りのゴミどもに騙されているなんて、
沖縄県民は、一体どれだけ騙されやすいんだ?????
オレオレ詐欺にも、簡単に引っ掛かるんだろうなwwwww
>我々沖縄人が日本人と沖縄人を区別するのは民族意識が高いことの表れであり
昭和17年の翼賛選挙の沖縄選挙区の結果を見ると
元帝国海軍少将で翼賛候補の漢那憲和が当選しているけどねwwwwwww
中央の狂った軍国主義者どもの大政翼賛の流れに引っ張られて、
沖縄県民もアホな軍国主義や国粋主義に共鳴していたとしか思えないねwwwwww
日本の低俗な国粋主義に共鳴して、
沖縄県民は翼賛候補を当選させているくせに、
一体どこが「民族意識が高い」んだ??????
お前の言う「民族意識」とは、
「沖縄県民は大和民族意識が高い」という事かな?wwwwww >>181
>6年後の明治12年に日本の明治政府が軍隊を動員して琉球王府があった首里城を
琉球は薩摩藩に支配されていたが、
西南戦争で薩摩藩が日本政府の支配から離れてしまい、
琉球の支配も一時的に宙に浮いたから、
西南戦争の終了後に、
日本の軍と警察が沖縄へ行って、再占領しただけ
◇日清両国互換条款が調印
会談は難航したが、ウェードの仲介や李鴻章の宥和論もあって、10月31日、
「日清両国互換条款」が調印された。それによれば、清が日本軍の出兵を
保民の義挙と認め、日本は生蕃に対し法を設ける事を求め、
1874年12月20日までに征討軍を撤退させることに合意した。
また日清両国間互換条款互換憑単によると清国は遭難民に対する
撫恤金(見舞金)10万両(テール)を払い、40万両を台湾の
諸設備費として自ら用いる事を願い出費した。
また、清国が日本軍の行動を承認したため、琉球民は日本人ということになり、
琉球の日本帰属が国際的に承認されるかたちとなった。 沖縄が日本固有の領土でないことは、沖縄がかつて琉球王国という独立国だったことで証明されている。 <民族の帰属問題は日本政府の専権事項ではない>
日本政府は沖縄人を日本民族と決めつけているが、これには民族学的根拠が何一つない。
日本政府が琉球民族に関する研究や調査を行った事実もなく、また、沖縄人の意識調査などを行った事実もないのがその証拠。
そもそも民族の帰属に関する問題は日本政府の専権事項ではない。
民族の帰属問題が日本政府の専権事項だというなら憲法19条で保障されている「思想信条の自由」あるいは「良心の自由」を日本政府自らが侵害していることになる。
しかも政治家は民族学者ではないから民族学に関しては素人である。
民族学の素人である政治家が民族問題を語ったところで何ら説得力はない。
それどころか日本政府は「民族」の定義、あるいは「日本民族」の定義すら説明できない。 >>185
>沖縄が日本固有の領土でないことは、沖縄がかつて琉球王国という
>独立国だったことで証明されている
「ローマ以南のイタリア半島南部とシチリア島は、
かつて『両シチリア王国』という独立国だったので、
イタリア共和国の一部とは言えない!」と、
オツムの逝かれた低能バカが、
意味不明な事を言っているようなもんだなwwwwwwwww 沖縄の前身である琉球には日本の時代区分が当てはまらない。
例えば、古琉球には古墳がなかったし古墳を造ることもなかったから「古墳時代の琉球」という言い方はできない。
また、琉球が日本に組み込まれたのは明治に入ってからだから、「室町時代の琉球」とか「安土桃山時代の琉球」とか「江戸時代の琉球」という言い方もできない。 生した1868年の時点でまだ日本の領土ではなかったし、厳密に言えば1879年3月27日に明治政府が軍隊を動員して琉球王府があった首里城を取り囲んで武力併合するまでの間もまだ日本の領土ではなかった。
だから明治政府が1871年に全国一斉に廃藩置県を行ったとき、琉球に対しては廃藩置県ができなかった。
それもそのはずで、1871年の時点で琉球は藩どころか日本の領土ですらなかったわけだから、明治政府が琉球に対して廃藩置県などできるわけがない。
それどころか、明治政府は逆に1872年に琉球王国から琉球藩に名称変更したぐらいで、しかも全国の都道府県が大蔵省の管轄下にあったのと違って、琉球に関しては「帰属未確定地」という扱いだったため、明治政府はとりあえず外務省の管轄下に置くことを決めた。
1873年に内務省ができ、琉球は他の都道府県と同様に1874年に内務省に移管されたが、琉球が日本に併合される過程において外務省の管轄下に置かれていたというのは見過ごせない歴史的事実である。
1872年から1873年にかけて外務省の管轄下に置かれたのは琉球だけで、既に1871年に藩から県に変えられていた他県はすべて大蔵省の管轄下に置かれていたことと比較すると、
当時、日本の統治権が及んでいなかった琉球をめぐる扱いに日本の明治政府も対応に苦慮していたことがうかがえる。
以上の歴史的事実からも分かる通り、琉球王国を前身に持つ現在の沖縄は日本固有の領土とは言えない。 <日本政府にとって触れられたくない不都合な真実>
1871年に台湾に漂着した宮古島の島民54人が台湾の先住民族の生蕃に殺害された後、日本政府は「自国民保護」という名目で、3年後の1874年に台湾に派兵している。
その後、日本と清国(現在の中国)の間で琉球諸島の帰属問題が話し合われることになり、日清交渉が始まった。
そして、1880年4月17日に日本政府は清国に対して琉球諸島の一部である八重山諸島と宮古諸島のいわゆる先島諸島を清国に割譲することを閣議決定している。
その見返りとして日本政府は欧米諸国同様の通商権を清国から獲得する旨を清国側に提案した。
日本政府が清国に提案した先島分割案(琉球分島案)は日清両国で合意に達したが、清国側が批准しなかったので、発効しなかった。
この合意が実現していれば、先島諸島の宮古、八重山(もちろん尖閣諸島も含まれる)の土地と住民は、清国の管轄下に置かれることになったのは言うまでもない。
1879年の琉球処分が国家統合、あるいは日本の民族統合だったという日本政府の主張が欺瞞だったことはこの歴史的事実が証明している。
「尖閣諸島は我が国固有の領土」と主張する日本政府にとって、商業権益の引き換えとして、その尖閣諸島が含まれる八重山諸島と宮古諸島の先島諸島一帯を清国に割譲することを1880年4月17日に閣議決定した歴史的事実は、まさに触れられたくない不都合な真実である。
この歴史的事実を指摘されたら安倍内閣の閣僚は誰一人、反論できない。 内閣府内閣官房の領土・主権対策企画調整室に「沖縄はいつから日本の領土になったのか?」と質問したところ、「1879年から」と回答した。
さらに、「琉球は日本の領土ではなかったということか?」と質問したところ、「その通りです」と回答。
これまで日本の右翼が「1609年の薩摩侵攻以降、琉球は日本の領土」と主張していたが、日本政府が公式に「琉球は日本の領土ではなかった」と認めたことで、右翼の主張は嘘であると判明した。 >>186
>日本政府が琉球民族に関する研究や調査を行った事実もなく
柳田国男氏がやっている。
日本政府がやるよりも、民間人で風俗学の大家の柳田国男氏の研究の方が
信頼出来るだろう。柳田氏は、東北地方や沖縄を様々な観点から詳細に
調査したことから、東北と沖縄こそが柳田民俗学の出発点であり、
古き日本の神話や伝説が今も生きてそこに存在する、
そういう地域共同体として発見した。
中央で廃れてしまった日本古来の習俗が、辺境の東北と沖縄で残っているなんて
日本人として、素本当に晴らしいと思うよ。 【民族(みんぞく)】
人種的・地域的起源が同一であり(または同一であると信じ)、言語・宗教などの文化的伝統と、歴史的な運命を共有する人間の集団。
ある辞書には「民族」をこのように定義している。
日本人と沖縄人は人種が異なるし、地域的起源も同一ではない。
さらに言えば沖縄ではもともと琉球語を使用していて、日本語は19世紀後半になって大日本帝国の皇民化政策や同化政策によって押し付けられたものである。
沖縄で「あなたの信仰宗教は何か?」と問われても宗教名を答えず、「祖先崇拝です」と答える人が多いことからも、本土の日本民族とは大きく異なる。
そして日本と沖縄は歴史的運命を共有してこなかったという歴史的事実もあり、日本民族と琉球民族は異民族であると考えられている。 >>190
シナチョンパヨクは、平気で歴史捏造するからなあ・・・
ウソをつくのが平気だなwwwww
まるで戦争中の卑劣な軍国主義者みたいだwwwwww
卑劣な軍国主義者の生き残りが、シナチョンパヨクだなw
日本軍が台湾出兵して、北京で日清交渉が行われて
「日清両国互換条款」が調印された。
それによれば、清が日本軍の出兵を保民の義挙と認め、
日本は生蕃に対し法を設ける事を求め、
1874年12月20日までに征討軍を撤退させることに合意した。
また日清両国間互換条款互換憑単によると清国は遭難民に対する
撫恤金(見舞金)10万両(テール)を払い、40万両を台湾の
諸設備費として自ら用いる事を願い出費した。
また、清国が日本軍の行動を承認したため、
琉球民は日本人ということになり、
琉球の日本帰属が国際的に承認されるかたちとなった。 >>192
民族の帰属問題は個人の自己決定権に委ねられる。
自己決定権は憲法19条で保障されている「幸福追求権」の一部だから個人の自己決定権を他者が否定することは憲法違反になる。
また、憲法では「思想信条の自由」あるいは「良心の自由」も保障している。 >>193
民族的に見ても沖縄方言はアルタイ語族で、言葉は日本語の一種。
周囲の中国大陸や台湾のシナ・チベット語族とは、文法が全く違う。
沖縄県民が日本標準語を覚えて日本人と話すのはごく簡単だが、
中国語は完全に外国語で、沖縄県民が中国語を習得するのは
日本人が中国語を習うのと同様に時間が掛かる。
日本の村の「鎮守の森」のように、沖縄の村には自然の中に
「嶽(うたき)」があり、村人の信仰を集め、神事は嶽で行われる。
中国だと村の中心に何もない広場があり、そこで行事を行う、自然の中ではない
日本神道の最高神はアマテラスだが、沖縄の最高神はアマミキヨ
神事は巫女(ユタ)が執り行う事が多く、霊に取り憑かれたように話すので
3000km離れた青森の恐山のイタコとの類似が指摘されている。
ヒミコやイヨなどの巫女が信心を集めていた邪馬台国のようであり、
北と南の対極にある沖縄や青森など辺境の地に、日本古来の習俗が残っている。
琉球王朝は島民の信仰を集める「ユタ」に対して何度も弾圧を加えたが
ユタへの信仰は強く残り、今でもユタに人生相談する沖縄県民は多い。
ちなみに日本政府が統治してから、ユタに対して弾圧を加えた事はない。
沖縄の家庭では、先祖の位牌(トートーメー)を継ぐ長男を非常に大切にする。
男系の男子でなければ家を継ぐ事は出来ない。日本の皇室と同じ。
娘や娘のムコではトートーメーを継ぐ事が出来ないので、日本の皇室同様に、
現在では問題になっている(遺産相続の問題もからむ)。
沖縄では火の神を「ヒノカン」と読んで非常に大切にし、特に釜戸を神聖視する。
これは日本の「かまど神」と全く同じで、特に東北地方では、
今でもかまどや炉のそばの神棚に幣束や神札を祀る習慣が強く残っている。
沖縄の習俗を見ると、日本古来の習俗が今でも多く残っている事が分かる。
また東北地方との共通性も多い。辺境のために、沖縄や東北に、
中央では廃れてしまった日本古来の習俗が残ったと考えられる。 1997年4月、参院特別委員会での法務省官僚の答弁によると、沖縄住民が日本国籍を取得したのは1899年とのこと。
ところが、旧国籍法制定前の1898年に沖縄で始まった徴兵制は「日本帝国臣民」(徴兵令第1条)を対象としているにもかかわらず、 法的に日本人ではなかった沖縄住民に徴兵を実施している。
日本政府は、法的に日本人ではなかった沖縄人を徴兵したことに対して謝罪するべきである。 「沖縄県民は日本人か」という問いは復帰後もやむことはない。
http://ryukyushimpo....4-storytopic-12.html
(琉球新報「金口木舌」2012年2月18日)
我々沖縄人は、日本人と沖縄人のエスニックアイデンティティー(ナショナルアイデンティティー)の違いをよく分かっている。 >>195
お前はそんなにシナが好きなら、
とっととシナに帰化すればいいじゃんwwwwwwww
病的なウソつきは、全体主義国がお似合いだwwwww
高江には大量のチョンがいるそうだが
お前は韓国人????
北鮮人?????
早く国に帰れwwwwwww 安倍内閣の閣僚は口が裂けても「沖縄は日本固有の領土」とは言えない。
なぜなら138年前の1879年3月27日に明治政府が軍隊を動員して沖縄の前身である琉球王国を武力併合していることを知っているから。
沖縄の前身である琉球王国を武力併合しておきながら「沖縄は日本固有の領土」と言えば世界の笑いものになる。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています