多くの状況証拠によって大山中尉の死因は
海軍の組織的な謀略以外には考えられない


・大山中尉は当日、死を覚悟していた (当時の日記から発覚)

・船津和平交渉の日に事件が起こった(偶然ではない明らかな妨害工作)

・事件は大山が任務上、行くはずのない場所で起きた。(自爆目的以外に合理的説明がつかない)

・海軍省は事件が起こることを予め予期して、事実確認もせず不自然翌日未明に即座に対応した
(大山中尉の昇進の上奏、裁可等)

・大山の葬儀と待遇は、異例の好待遇がなされた
 葬儀には海相らが列席し、天皇、首相からもお言葉が届いた
 遺族に支給された見舞金など、その合計は莫大な金額
 靖国神社に大山の銅像が寄与された。美化する宣伝映画も制作

・武藤徹(元陸軍参謀本部動員学徒)の証言
 陸軍参謀本部・釜賀一夫少佐から聞いた内容
「大山勇夫中尉は、上官から『お国のために死んでくれ。家族の事は面倒を見るから』と言われて出かけた。
 

・海軍航空隊は、事件に合わせて渡洋爆撃準備で待機していた(盧溝橋事件直後に準備開始)

・海軍は日中戦争を勃発させたい動機が明確にあった(陸軍の対ソ戦阻止のため)

・海軍は対米戦を想定した予算大幅拡大を狙っていた(海軍軍縮条約から脱退、1937年マル3計画)

・山本五十六は自分が開発し新設した航空部隊、96陸攻による爆撃を宣伝したかった