とりあえず>>1>>2はデマ。

白虎隊の集団自刃神話については
この2018年1月11日の朝日新聞の記事を見たら分かる
https://www.asahi.com/articles/ASKDN4J2FKDNUGTB006.html

井上昌威氏は19士のうち戦死11人、自刃8人(飯盛山では6人)説。
ソースは伝承の聞き取りなど。
野口信一氏が見つけた史料は飯盛山周辺で8人が4か所に埋葬され、
「申し合わせて切腹した」という伝聞。
両方とも一次史料というわけではないから、研究者によって違いが出る。

あと、集団自刃を会津が捏造したとか言うのは完全な>>1のウソ。
この記事中にもあるように、白虎隊の悲劇をはじめとする会津藩の戦いは
明治2年4月に東京浅草の「天理可楽怖(テリガラフ)」紙によって
初めて会津藩外で報道された。その際すでに十六士が自刃(1人生還)したことになっている。
この報道内容が今日知られてる白虎隊の逸話にそっくり。
これが十九士自刃となって爆発的に広まり、教科書などで採用するものがあらわれ、
会津の第65連隊長山内正生の命で編まれた史書でも採用された。

あと集団自刃説が史書でも採用されたのにも根拠があり、
飯沼が16番目に弁天洞門をくぐって飯盛山に落ち延びたとされることが
16士自刃説につながったというのが井上氏の分析。
当然ながら井上氏は「集団自刃は地元の捏造だ」などと言ってるわけではない。