陸軍大学と海軍大学について [無断転載禁止]©2ch.net
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陸軍大学校は陸軍士官学校卒の士官が中尉までに受験して、試験は2段階を経る。
合格倍率は平均17倍で大変な難関だった。
陸軍大学校にはだいたい1期50名前後が入校し、卒業席次8位までが恩賜の軍刀組、20位までが海外留学の特権が与えられた。
平時は陸軍士官学校を出ただけでは中佐止まりで退役。少将以上に進むには陸大を出ている必要があった。
歴史上著名な軍人のほぼ全員(東条英機、阿南惟幾、梅津美治郎、杉山元、小磯国昭、東久邇宮、阿部信行、真崎甚三郎、荒木貞夫、宇垣一成など)が陸軍大学校出だ。 偏差値長者が陸軍を破滅させ東芝を破たんさせたというわけかw >>3
政務官辞任した、務台俊介(東京大学法学部)のようなことを言いたいの?(東芝の話を出しているが)
陸大は発足してから、日露戦争で参謀達が色々と問題があったのがわかっているのに、改善されなかったのが駄目だね。(メッケルの負の遺産) ドイツのバイエルン州に韓国・慰安婦少女像が設置される ヨーロッパで初
http://www.afpbb.com/articles/-/3120824?act=all
>像はドイツの韓国系住民らが主導して設置。除幕式には元慰安婦の女性も
>出席した。当初は韓国水原市が姉妹都市の独南西部フライブルク市に設置
>を依頼していたが、日本側の反対で白紙になっていた。 >>5 >>6
スレと関係ないこと書き込みはやめてくれ。 悪いひとたちがやって来て
みんなを殺した
理由なんて簡単さ
そこに弱いひとたちがいたから
女達は犯され
老人と子供は燃やされた
悪いひとたちはその土地に
家を建てて子供を生んだ
そして街ができ
悪いひとたちの子孫は増え続けた
朝鮮進駐軍 関東大震災 日本人虐殺
https://goo.gl/1ntWvZ
https://youtu.be/D0vgxFC04JQ いずれにしても、陸大海大を出た物事をわかっていないエリート達の大半が国を滅ぼした。 >2
今の自衛隊幹部学校と出世の関係も似たようなもの いい印象がないんだが
イギリスみたいに実際の佐官やら将官について現場で学ぶというシステムを取り入れたりしても良かったのでは?
日本が権威主義に傾倒してる時期って本当にろくでもない時代ばっかだよ 面白いことに海軍大学の教育が画一的だという自己反省は戦時中からあるんだが
陸軍の方は無いんだよな。 入学できた時点で卒業が保証されていて、卒業すれば
少将以上の地位が保証されてたから、教育内容なんて
どうでもよかったからだろう 将棋のプロとかとおんなじ。奨励会を突破してプロにさえなれば
あとはテキトーに流していけばいいんだよって商売 学歴重視は明治の恩賜時計下賜あたりがルーツと言われている。 大蔵省とか外務省とかと交流を持てるような仕組みがあれば
軍人の視野も広がったのではないか >>20 >>21
そういう意味では
陸軍では永田鉄山が不慮の死を遂げてのが痛手では?(海軍では堀悌吉がいなくなったように) 駐在武官として派遣される為に、語学に関して外語大並みの教育だったんだから凄いよな。 逆にそういう才能に特化させてしまったから陸軍も海軍もあの体たらくになってしまったんだろう。
安倍ちゃんや麻生ちゃんの学歴が〇〇だとか言って馬鹿にされがちだけど、じっさい馬鹿にしてる
がわのマスゴミの連中が東大早大卒であのていたらくなくせに、国家の中枢で国政を差配してるのが
学歴敗者だってのが実態を良く表してる。勝てる人間かどうかと語学ができるかどうかに相関関係や
因果関係は無いんだよ。 >>24
なるほど。
確かに、陸軍に限ったことだが、陸大で首席をとっているにもかかわらず、実際に陸軍の主要ポストについているのが、そうでない人達ばかり。
また、スレと話が違うが、高学歴の芸人達がクイズ番組で、よほど興味や関心がないとわからない問題(マニア的な)に誰も答えられなくて、失笑しました。
(その程度の知識しかないと) >>23
陸軍は知らないが、海軍の駐在武官の会話能力は、英語でも酷かったらしい。
野村吉三郎、永野修身、山本五十六らは、ほとんど英会話ができなかった。
野村は駐米大使になったとき、お粗末な英語力がルーズベルトの失笑を買ったし、
永野の下手な英語も、戦後に連合軍が撮影した記録映画に残っている。
>>24
>国家の中枢で国政を差配してるのが
>学歴敗者だってのが実態を良く表してる。
いまの日本の勝者は家柄できまる上級国民だから、仕方がない。 >>25
陸大首席といえば、永田と同期で首席のスーパー軍官僚、梅津美治郎がいるではないか。 >>26 米内のロシア語や古賀峯一のフランス語はなかなかのものと聞いた。 >>28
米内は対ロシアのスパイ要員みたいなものだからな。
古賀峯一のフランス語教育には、高木惣吉が辟易したと書いていた。
あと高木が出世するきっかけは、海軍大学で首席になったことだ。 〇〇だから恥ずかしい、だとか××に馬鹿にされた、だとか、そういう感情的な
評価で選抜するから戦争指導を失敗したんじゃないのかね。それを言うのだが。
英語力でルーズベルトの失笑を買ったから戦争に負けたのかね。まったく。 家柄とか上級国民だとか、そういうことではなく、現実に組織を変革して
軍隊や国家をつよくできることが求められてるだけではないのか。変革する
方法や強くする方法を大量に学べた学生を評価するのではなく、現実に変革
できる人物、変革する人物を抜擢しなきゃ話にならない。 家柄が必要なら家柄で選べばいいじゃないか。家柄など関係ないということなら、そういう素地を
つくれる、現実につくっていく人材をえらぶべきなんだよ。語学などなんの相関関係にあるというのか。 >>30
駐米武官連中が、アメリカの国力・国民性について十分な情報収集ができなかったから、
アメリカに戦争をしかけるという無謀なことを始めた、ということはあるのではないか? 情報収集などせず語学の勉強ばっかりやっていたからだろ。 >>29 戦中に英語の授業を減らさなかった井上成美の英語力については知らんが、話題になってないから可もなく不可もなくっていうところか? >>31-32
学歴競争の敗者となった上級国民が家柄で国政を差配している今の日本で、
「現実に組織を変革して軍隊や国家をつよくできる」かどうかだな。
麻生はそうでもなかったが、安倍は学歴競争で負けた恨みで色々な施策をしている
気がしてならない。
特に「忖度」という言葉が流行っているように、安倍が明確な指示を出すのではなく、
ともに超低学歴の安倍夫妻の好みを、東大卒の官僚たちが「忖度」しているのが滑稽。 >>35
井上の外国語習得力は高かったと言われているね。
井上はピアノをはじめ色々な楽器が得意だったが、音楽家は耳がいいのか、
外国語会話の習得力が高いそうだ。 >>26
野村や永野はよく聞くが、山本も話せないんだっけ? 山本もダメ。だから大学の授業にもほとんど出なかった。 「学歴競争の敗者」ってのが参謀本部制度の最大の論点なんだよ。
インテリジェンスだけで国家が指導できるかといえば、まったくできてない
戦争の指導ができるかといえばまったくできてない。参謀本部の連中は
けっきょく何やったんだ?「おれは知らない」。これにつきるだろ。そうじゃない。
ちゃんと勝つ人間を選別しなきゃダメなんだよ。 「超低学歴の安倍夫妻」が勝ち組なら、それが必要なんだよ。
東大卒の連中はそれ忖度してればいいんだ。どうせ自分たちは
勝負もしないし勝ちも負けもしないんだから。 >>40
それなら「学歴競争の敗者」である安倍が「勝つ人間」かどうかだよ。
去年のアメリカ大統領選挙では、ヒラリーが勝つと決め込んで、
TPP推進でリスクヘッジを全くしていなかったし、「勝つ人間」には思えない。 >東大卒の連中はそれ忖度してればいいんだ。
ID:tDmekKll0は、倉山満みたいな低学歴ネトウヨだったのか。 安倍昭恵は、聖心の高校生時代から髪をソバージュにしてディスコに入り浸りで、
成績が最底辺だったから4年制の大学に上げて貰えず、2年制の専門学校に行った、
はっきりいってDQNヤンキー。
安倍のとりまきもヤンキーっぽいのが多い。
ヤンキーに国政をまかせて大丈夫なのか、ということだ。 東大早大卒のマスゴミの連中がいくら「忖度」しても、国政に関与する覚悟なく
逃げてばっかだから、いまみたいな話しになってんじゃないかよ。連中がやってんのは
国内の権力者を忖度するか隣国の権力者を忖度するかだけなんだよ。それが
参謀本部制・学歴至上主義社会の限界。けっきょく逃げてるんだよ。 >>44 安倍昭恵については婚姻制度と「国民の代表」の問題を良く表してますね。
国民にとっては昭恵などどこの誰ともしれない赤の他人の第三者にすぎないのに
晋三の嫁という私的ステイタスによってある種の特権的・象徴的地位を確保してる。
アメリカの大統領夫人やその家族、いわゆるセレブの問題ですね。 昭恵など国民や国会にとっては、ほんとうにどうでもいい、ただの一私人にすぎなんですね。
これ皇后陛下や皇太子妃についてもおなじこと言えるんだけれども。 そういうのを「情報」として忖度して、じぶんは関係ないとして逃げてるから東大早大マスゴミ
参謀本部制はダメなんだ。 学歴至上主義で、どうして成蹊卒の安倍が総理大臣になれるんだよ。
それに「参謀本部制」て何だよ。聞いたことがない。 >>27
確かに、梅津は陸大首席のエリートだが。
ポストでいったら、日の当らないポストばかりなんと、あと始末ばかりやらされる、便利屋扱いだったではないですか。 宇垣一成
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E5%9E%A3%E4%B8%80%E6%88%90
大正末期から昭和初期にかけて長州出身者に代わって陸軍の実権を握り、宇垣閥と称される勢力を築いた。
陸軍大臣として宇垣軍縮を断行したほか、クーデター未遂計画である三月事件に関与した。
予備役入り後に組閣の大命が下ったが陸軍の反対で頓挫し、
以後も幾度か首相に擬せられたがいずれも実現しなかった。
短期間外相を務めた後公職から引退し、戦後になり参議院議員となったが在職中に死去した。
慶応4年(1868年)備前国磐梨郡潟瀬村大内(現・岡山県岡山市東区瀬戸町大内)の農家に5人兄弟の末子として生まれた。
水呑百姓・宇垣杢右衛門の五男で、幼名は杢次(もくじ)[1]。後に海軍中将となる宇垣纏と同郷だが縁戚ではない。
学校事務員として働いた後に上京し、成城学校を経て陸軍に入った。軍曹に昇進した宇垣は陸軍士官学校に入学した。
明治23年(1890年)7月26日に陸軍士官学校(1期)を150人中11位で卒業、
明治24年(1891年)3月24日に陸軍歩兵少尉に任官した。明治29年(1896年)に一成と改名している。
明治33年(1900年)に陸軍大学校(14期)を39人中3位で卒業し恩賜の軍刀を拝領した。
尉官時代には薩摩出身の川上操六の元で地位を上げ、川上の死後は長州出身の田中義一に付き昇進した。
尉官時代の宇垣は他人より出世が遅く「鈍垣」とあだ名されるほどであり、処世術が巧みであったとは言えなかった。
明治35年(1902年)から明治37年(1904年)にかけてドイツに留学した。この間に最初の妻の鎮恵が死去している。
明治39年(1906年)に再度ドイツに留学した。明治40年(1907年)に小原貞子と再婚。
明治43年(1910年)に陸軍大佐に進級した。
上原勇作を中心とする九州閥には「蝙蝠のような男」と揶揄された。
小説家の司馬遼太郎は紀行文集『歴史を紀行する 8.桃太郎の末裔たちの国[岡山]』において宇垣の処世術を酷評している。
「聞き置く」など曖昧な表現を多用し、外相在任中に起きた張鼓峰事件においては、
あたかも出兵を容認したかのように受け取られた。
宇垣は昭和天皇に対しては明確に反対論を上奏していたため天皇は不信感を持ったとされ、
『昭和天皇独白録』では「この様な人を総理大臣にしてはならないと思ふ」と酷評されていた。
昭和天皇は三月事件の遠因も宇垣の言い回しが原因ではないかと考えていた。
自他ともに認める首相候補であり、内閣流産後も幾度となく候補として名前が挙がったが、
結局首相になれず候補のままで他界したことから「政界の惑星」と呼ばれるようになった。
惑星は太陽(=首相)のまわりを回り続けるが、太陽(=首相)にはなれなかった意味である。
議会主義を尊重していたことなどから大物軍人としては珍しく政党政治家グループにも人気があり、
戦前は民政党総裁に、戦後直後には日本進歩党総裁に推されたことがあったが、これらも実現をみることはなかった。
宇垣は、田舎者らしく無頓着な平民的容貌だったが、人一倍功名心に燃えているところもあった[1]。
公刊された『宇垣一成日記』(正式名は『一如庵随想録』)には「!」が2000回以上、「!!」が1000回以上登場するという[12]。 >>50
軍事課長、参本総務部長、陸軍次官、関東軍司令官、参謀総長と歴任した梅津の、
どこが陽の当たらないポストばかりなのでしょうか?
二・二六事件後の次官、ノモンハン後の関東軍司令官は、彼にしかできないからでしょう。 >>52
確かに、梅津が歴任したポストは、陸大首席の肩書きに恥じないポストで、陽の当たるどころか凄いポストばかりですが。
梅津が歴任した時の陸軍次官、関東軍司令官、参謀総長に限っては、いずれも後始末ばかりの面倒で誰もやりたくない時にやっているのが、どこが陽のあたると言うのでしょうか。
(いくら梅津にしかできないことだったとしても)
梅津本人にいたっても、参謀総長就任した時に、息子に「今度もまた後始末だよ」と不満を述べているくらいですし。
もっとも、本人の意向で組織のポストが回ってくるわけではないですが。 東条を陸軍から追い出したのも梅津だしなあ。
参謀総長になってからの梅津は、陸軍の最高実力者だろ。
後始末とはいえ、これ以上のポストは日本陸軍にないだろ。 昭和の軍閥 高橋正衛
http://books.rakuten.co.jp/rb/1556453/
将校の大部分はその軍人生活を隊付で終わる。
陸大を出て中央三官衙[陸軍省・参謀本部・教育総監部]に勤める
エリートの経歴をみると、ほとんど大隊長(少佐)と連隊長(大佐)をやっている。
これは将官(大将、中将、少将)になるには、佐官時代に最低2年の隊付を
やらねばならぬという内規があるからである。
佐官時代の年数がこのエリートの軍人でも12、3年はある。
このうちわずか2年の隊付をすれば、将官になれるというのは、
やがて旅団長、師団長になったとき下級将校や兵の気持や兵営生活の苦しみが
この上級指揮者にほんとうにわかるか、という疑問がある。
このことは昭和8年ごろに、このエリートの将校自身からも深刻な反省がでて、
内規をあらため、陸大出も最低6、7年は隊付をしなければ将官になる資格はないと
改めることが考えられたが、実現はしなかった。 >>53 降伏文書調印式の時の海軍代表。豊田と高柳が断ったからといって横山とは核落ちし過ぎじゃないか?もっと適当な人物おらんかったのか? >>57
直系ではないけど、自分は宇垣一成と犬養毅の一族と関西のミスが集まった集会で公言している。 >>37
井上成美は母が伊達政宗の系統だし、義兄は阿部信行だからね。 講談社現代新書の「参謀本部と陸軍大学校」って
読んでも勉強になりゃしねえ
戦局についての駄文が半分くらいであとは歴史に興味あれば誰でも知ってる浅い内容 >>54
近衛の後任に東條でなく梅津という意見はなかったのか >>62
なかった。
当初名が出たのは東久邇宮(皇族軍人だから当然陸大出) 東久邇宮は戦後の奇矯な言動が知られてるけど
戦前は政治家として大したものだと思われていたのか。 >>6
フランスに留学してから変わったようだよ。(そのせいなのか元々変わっている性格なのか、第二師団時代に石原莞爾を歩兵第四連隊長として、引き取ったくらいなので) >>62 >>63
豊田副武も東條内閣の海軍大臣を初めから嫌がらずに受けたら面白かったのにな。東條内閣流産になっていたぞ。 単に陸軍の長老だからだろ。
さすがにこの時点ではもう閑院宮は耄碌してることが知れ渡ってたし。 >>67
いや、朝香宮も東久邇と陸士、陸大とも同期で41年には大将だったが、首相候補に名が挙がったことは一度もない。
直宮は別として、東久邇宮は皇族の中で唯一、政治感覚があるとされていたから近衛後継で浮上した。 悪いひとたちがやって来て
みんなを殺した
理由なんて簡単さ
そこに弱いひとたちがいたから
女達は犯され
老人と子供は燃やされた
悪いひとたちはその土地に
家を建てて子供を生んだ
そして街ができ
悪いひとたちの子孫は増え続けた
朝鮮進駐軍 関東大震災 日本人虐殺
https://goo.gl/1ntWvZ
https://youtu.be/D0vgxFC04JQ 東大と陸大と海大
全部受かるとしたら、どこが一番いいの?
名誉、カネ、偏差値…
詳しい人教えて 陸大と海大は、それぞれ陸軍将校、海軍将校しか受験資格がないので、
全部受かるなんて事はあり得ないとマジレスしとくわ。 東大の学士卒じたいは士官学校と同等じゃなかったっけ。むろん
そのあとに引かれたエリートコースは別だけど。給与面では東大卒は
初任給じたいは少尉なみだったはず。 田中角栄はTBSのインタビューで、
戦前は海軍士官学校、陸軍士官学校、
一高、海軍経理学校、陸軍経理学校の順で
狭き門だったと言っていた。
これとは別に、海軍士官学校なんかは、
県で一番の中学の
1番か、2番が受験生になるという話を
ラジオで聞いたことがある。 >>72
陸士や海兵は旧制高校と同格なので、学歴的には実は帝大卒の方が上。
ただ、戦前は民間企業よりも官職の方が社会的地位が高かったので、
確実に軍人という官職に就ける陸士や海兵の人気が高かった。
東大に限らず、帝大はどこも旧制高校を卒業すれば確実に入学できたので、単純に現代と比較できない。
実際、文学部なら例え東大でも、下手すりゃ田舎の中学の教師程度しかなれなかったくらい。
ただ、東大法学部だけは当時も別格で、ここを出て高等文官試験に通れば、むしろ単に陸士海兵出ただけの士官よりは出世が早い。
軍人が高級官僚と同格になるには、陸軍なら陸大卒、海軍なら海兵を上位で卒業する必要があった。 陸軍の場合、陸大卒重視になったのが、日露戦争後かな? >>75
詳しいですね。
もう一つ、今の防大も同じだけど陸士、海兵だと学費はもちろん、生活費もかからないというのは大きく、優秀だけど旧制高校・専門学校へ経済的に行けない層の受け皿になった部分があったと思う。 >>76
日露戦争はほら、寺田屋事件に居合わせた人が満州軍総司令官をやってたり、
宮古湾海戦に参加した人が連合艦隊司令長官だったりしてたから。
>>77
仰る通りで。 戦前は中学校(いまの高校)でも私立なみの学費とってたらしいからね。
学歴は買うところがあったんだろう >>77
>>79にあるとおり経済に難がある層は中等学校ではねられてるからたいした受け皿にはなってない
幼年学校も学費取ってたし でも高木惣吉は、中学校にも通えないほどの超貧乏人だったよ。
だけど海大首席。 中にはそういう努力する天才もいる、て話であって、
基本的に陸士海兵もそれなりの家出身者が多数を占める。
山県有朋が陸幼を作ったのも、下級階層に陸軍を乗っ取られて革命を起こされるのを防ぐためだった。
才能のある貧乏人はどちらかというと、下士官で活躍する。 渡辺錠太郎
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A1%E8%BE%BA%E9%8C%A0%E5%A4%AA%E9%83%8E
家庭が貧しかったために、小学校を中退している。
その後、看護卒を志願して陸軍に入営(当時は、陸軍上等看護長になると医師開業免状を与えられたので、医師を目指して入営している)。
中隊長から優秀であることを評価され、陸軍士官学校の受験を勧められ、師団内1位の成績で合格。
その後陸軍大学校に入学し明治36年に首席で卒業。 >>83
流石にこういうのは陸軍ならではだね。
海軍なら、兵隊から現役の兵科将校になった例なんて、大戦末期の飛行科特務士官くらいちゃうかな。 そりゃ有能で自分に忠実な例外は、むしろ喜んで子分にするわな。
そうではなくて、陸士のメイン層が下層社会出身に占められては困る、ということだろう。 山県有朋も大した家柄じゃないんだけどな
足軽以下の中間の出だよ ある意味では、革命に成功した側だからね。
だからこそ寝首のかかれ方をよく知ってるんだろう。 福留繁
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E7%95%99%E7%B9%81
1891年(明治24年)2月1日、鳥取県西伯郡所子村大字福尾(現大山町)の農家に生まれる。
1905年(明治38年)年4月、鳥取県立米子中学校(現鳥取県立米子東高等学校)に入学。
入学当初は貧しく、四里(16キロ)の道を歩いて通学していた。
海軍を志したのはなんとなく海にあこがれをもっていたのと「貧乏中学生の進学の道は学資のいらない軍人学校」ということからだった。
1909年(明治42年)9月11日、海軍兵学校に40期生として入校。
1912年(明治45年)7月、144名中第8番の成績で卒業、少尉候補生。
1924年(大正13年)2月1日、少佐に昇進し、海軍大学校甲種24期に入校。
1926年(大正15年)11月25日、首席で卒業。 >>90
それでもその当時の日本全体からみれば、
中学行ってるだけでまだましな方なんだよ。
貧乏中学生と言うのは、同級生での比較の話。 そりゃ、当時の中学進学率考えればそうにきまってる。中学からさらに上に行けるか、行けないかの選択の際の問題で、現代と比べても意味ない。
ただし、昔は本当に優秀だと篤志家や地元の援助を受けられるチャンス等はあったから。 親の意識の問題もあるからね
勉強なんかいいから家業を手伝えって感じだったら貧乏じゃなくてもアウトだ むかしは公立の中学(いまの高校)でも現在換算で70万くらい学費
かかったからね。農家なら自営百姓の長男が行かせてもらえる程度
だったろうね。 >>95
さすがに今と昔の格差は一緒にできんよ
昔と違って公立トップ校ならろくに学費がかからんし、奨学金(実質ローンとはいえ)もある。
篤志家や地元の援助を受けるよりずっとハードルは低い
意識低い親のせいで進学できないのは今でもちらほらいるようだが。。。 子供を純粋に投機対象として見た場合、教育費を回収できるの?という疑問があってな
不良債権化しそうなら進学させない、そういう合理的で意識の高い親もいる >>96
なるほど。
ただ、昔も今も、学歴重視なのはかわっていないよね。(特に陸軍場合は陸大卒重視だし)
本来、実力(能力)で評価しなくてはいけないのに。 >>98
天保銭主義が大戦の敗因と言われてるよね。
とはいえ、米陸軍もウエストポイントの上位じゃなくても出世できるようになったのはせいぜいここ2、30年の話だし、なかなか難しい。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています