尾張家の家訓に勤王精神がある。これは藩祖義直の遺命によるもので、代々の尾張家当主に受け継がれてきた。
だが、この尾張家の勤王も額面通りに受け取れない、という説もある。少し珍説ぽいが、
「尾張家の勤王は家康の深慮遠謀」という見方である。外様大名が天皇を担いで討幕軍を起こした時は、
尾張家は官軍側に付く、という戦略である。官軍と幕府、どっちが勝っても取りあえず「徳川」の家名は残る。
少し「出来過ぎた話」だが、徳川慶勝の行動はまさに「家康の計略」どおりだった。
それと尾張家では「御三家とは将軍家・尾張家・紀伊家を指す」という意識があったことが文書にも残っている。
これも義直の時からのもので江戸初期からの将軍家に対する同格意識の証左である。