>>76
>当時日本は国際連盟から脱退していましたのでまともな反論すら出来ませんでしたが
常任理事国の座にありながら、42対1で票決された勧告を蹴っ飛ばして脱退してますので自業自得です。
弁明する機会を自ら放棄していたのですから。

>9ヶ国条約国にはソ連が含まれておらず
日本はそれを承知でワシントン会議に参加し、条約に調印批准しています。
ソ連の不参加は前提事項であり、ワシントン体制の否定理由にはなりません。

>ソ連は1924年には、外蒙古を中国から独立させる
モンゴルは自力で軍、政府を組織し、領域の実効支配を成し遂げ、独立したのです。
ソ連はモンゴル再支配をしようとする中国を牽制する形で支援しただけです。
そして、ワシントン体制は住民の意思による独立を否定していません。
(だから日本も満州事変の際、住民の意思であると偽装したのです)

>既に9ヶ国条約によるワシントン体制は形骸化していましたが。
していません。機能していたからこそ、対日非難決議が成立したのです。

>日本は9ヶ国条約によるワシントン体制を守り続ければソ連の脅威が増大するだけ
ソ連は自身の権益を侵されたため北満州に侵攻した奉ソ戦争でも従来の権益を再確認させただけで兵を引いています。
ワシントン体制の現状維持、新規拡大禁止に準じた行動を取っていたのが現実です。
ソ連もワシントン体制には配慮しており、ソ連に対する抑止力としても機能していました。

>日本はソ連の脅威を認識していた。 他の9ヶ国条約国は認識していなかった。
ソ連の脅威など、自身の野心から来る鏡写しの幻影と、自己正当化のための宣伝でしかありませんでした。
日本にしか見えないわけです。

後のソ連と共産主義の拡大をソ連の脅威の根拠とする人もいますが、
それは、ソ連と共産主義を封じ込めていたベルサイユーワシントン体制を日独が破壊した結果です、
現に満州事変は共産党と戦闘中の国民党の背中を切りつけるような形で行われ、
その後も日本は国民党とばかり戦い、毛沢東に国民党に勝てたのは日本のおかげとまで言われる始末でした。