【90】

真珠湾攻撃については、宣戦布告が行われなかったという問題もある。

一般には「宣戦布告が遅れた」と誤解されることが多いが、
正しくは、日本が伝えたのは外交打ち切りの覚え書きで、
宣戦布告の文書でも、最後通牒の文書でもなかった。
つまり日本は、宣戦布告はしていない。

宣戦布告については、当初は海軍が、そう明言はしていなかったが、反対していた。
これに対して外相・東郷茂徳が、最後通牒を出すことを主張。
それが政府・陸軍・海軍の合意を得て決定となった。
これらの議論や決定は、開戦決定後、連絡会議において。

同様にして、その文面は外相一任と決められた。
そして東郷茂徳は、それを外交打ち切りの文書とする。それで意味が通じるはずと考えたため。
それは東郷茂徳の誤解であり、だから宣戦布告の文面では無くなってしまったのだが、
しかしそれは作成後に政府・軍部の同意を得ており、だから東郷茂徳ひとりの責任ではない。

そして宣戦布告は、アメリカに対してだけではなく、イギリスにもする必要があった。
しかし日本は、こちらも怠った。『時代の一面』によると、
その時の日本はイギリスとは交渉していないから交渉打ち切りの通告は出来ないということで、
すなわちそれは、東郷茂徳が国際法を誤解していたためだったと思われる。