1931年には柳条湖事件、満州事変を関東軍が引き起こした。

以後、昭和天皇は満州事変の戦域拡大、第一次上海事変、熱河作戦など「中国大陸での陸軍の行動に神経質なまでに

反応し、軍事行動の抑制を求める意見を側近や軍首脳に伝達していた」。

しかし、軍は朝鮮軍独断越境事件に続き張鼓峰事件でも、天皇の許可を得ずに独断で

戦闘行為を行っており、この当時の陸軍の行動はまさに統帥権干犯そのものであるといえよう。

また熱河作戦の作戦中止を求める昭和天皇の要求は奈良侍従武官長により事実上却下された。

統帥権は機能しておらず、その権限は軍が自分たちに都合よく利用していただけなのである。


昭和天皇の陸軍への不信感はますます高められていた。