【太平洋戦争】そろそろ決着つけようぜ…2
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/12/10(日) 19:10:48.36ID:hWjx0qoL0
ある人曰く「東アジア、太平洋の利権をかけた長期的なアメリカの陰謀だ!」
ある人曰く「数々の見切り発車による選択ミス、陸軍・海軍・政府の団結力の無さによる無能な日本の責任だ!」
ある人曰く「コミンテルンの罠に日米はめられた!」
ある人曰く「これらは全てロックフェラー、ユダヤ人、ロスチャイルド(ry」

ある人…


何が本当なんだ?自分が思う太平洋戦争の原因教えてちょ
あと回避する方法はあったんか?


前スレ
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1509637424/
0082不来方史郎(仮) ◆KWNhh7Qt5Y
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2018/07/17(火) 23:24:11.48ID:UHDNz9dp0
【48】

この石油の禁輸によって、日本では、やっとアメリカとの戦争決意が固まり始める。
改めてその時の状況をまとめると、↓のようになる。

まず、これまで説明したように、ソ連攻撃は不可能。
『情勢の推移に伴ふ帝国国策遂行要領』時点ではまだだが、8月時点ではそう結論が出ている。
ただし完全にその意図を捨てたのではなく、もし好機が来たら攻撃するというものではあった。

そして、国家にとって石油はどうしても必要。
この状況で日本が石油を入手するには、アメリカに屈服するか、武力で蘭印を奪うかしかない。

東南アジア方面のオランダ軍(およびアメリカ軍・イギリス軍)は弱体で、確実に撃破できる。
それらは、頭数は多いが資質は劣等の植民地軍だった。
ところが当時の情勢からして、オランダとの戦争は自動的にイギリスとの戦争になり、
それはすなわちアメリカとの戦争に直結すると考えられた。

従って、もしアメリカに屈服しないなら、アメリカと戦争するしかないという理屈になる。
事実としても、陸海軍共にアメリカとの戦争を主張する声が強くなっていく。

問題は、アメリカと全面戦争になった時、最終的に勝利できるか?だった。
それがまさしく大問題で、結局、戦争決意は11月まで遅れることになる。
0083不来方史郎(仮) ◆KWNhh7Qt5Y
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2018/07/17(火) 23:24:33.85ID:UHDNz9dp0
【49】

ちなみにだが、この頃、内大臣・木戸幸一は、日清戦争後の三国干渉の時のように、
一旦アメリカに屈服し、臥薪嘗胆するしかないと考えていた。
木戸幸一日記の昭和16年(1941年)8月7日の記述。

普通に考えれば、それが当たり前だろう。
日米の国力差、日本の置かれた状況、総力戦という戦争の形態、などからすれば。
ところが、その当たり前が通らないのが、当時の日本だった。

ただし木戸幸一は、10年間を目処とする臥薪嘗胆の後、今度こそ南進する考えでもあった。
つまりは大日本主義的な夢で、戦後の人間とは全く違う考えだった。

さらにちなみにだが、石橋湛山は大正時代、既に小日本主義を唱えていた。
満洲も朝鮮も台湾も日本には不要ということで、少数だが、そう考える人間も当時いたってこと。
0084不来方史郎(仮) ◆KWNhh7Qt5Y
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2018/07/17(火) 23:25:06.65ID:UHDNz9dp0
【50】

そして木戸幸一日記の1941年7月31日には、
軍令部総長・永野修身の上奏が記されている。

内容↓
○戦争は避けたい。
○ドイツと同盟している限り、日米関係は好転しない。
○石油が禁輸されるなら、戦争に打って出るしかない。
○勝利はおぼつかない。日本海海戦のような大勝利は望めない。
という煮え切らない態度。
結局のところは、海軍内部で主戦派と避戦派が綱引きしていたため、
海軍全体としては、そうなっていたものと思われる。

補足して説明だが、当時の日本海軍の研究結果では、そもそも艦隊決戦など起こらない。
真珠湾攻撃は研究中で、山本五十六は強く主張していたが、この時点ではまだ成功の見込みは無い。

さらにちなみにだが、
NHKスペシャル取材班『日本海軍400時間の証言 軍令部・参謀たちが語った敗戦』は、
木戸幸一日記のその箇所を誤読し、軍令部は主戦論を唱えていたと誤解している。
新潮文庫版だと85ページ。NHKは、たまにこういう間違いをしでかす。
0085不来方史郎(仮) ◆KWNhh7Qt5Y
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2018/07/17(火) 23:25:26.43ID:UHDNz9dp0
【51】

このように日本は右往左往なのだが、アメリカはドイツとの戦争にまっすぐ向かっていた。
民主主義国としての事情から、まだ最終決定ではないとはいえ。

アメリカは、1941年8月9日から12日までイギリスと大西洋会談を行い、共同で大西洋憲章を発表する↓
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%A5%BF%E6%B4%8B%E6%86%B2%E7%AB%A0
↑は、まだアメリカは参戦もしていないのに、ドイツ打倒を宣言している。
が、意図的に日本とイタリアの名は外している。

すなわちそれは、
「ドイツと手切れするなら今のうちだ。さもなくばドイツもろとも打倒する」という、
日本とイタリアに対する遠回しなアピールでもあった。

付け加えるに、↑は、植民地解放も宣言している。
「日本はアメリカの植民地にされていたかも知れない」なんて説もあるが、
事実としては、アメリカにそんな意思などなかった。
0086不来方史郎(仮) ◆KWNhh7Qt5Y
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2018/07/17(火) 23:26:01.07ID:UHDNz9dp0
【52】

そして日本陸軍は、日本内部ではいち早く、1941年8月9日の帝国陸軍作戦要綱で、
南進を、つまりはアメリカとの戦争を、ほぼ決意した。

その内容↓
一、在満鮮十六個師団を以て対ソ警戒を至厳ならしめる。
二、中国に対し既定の作戦を続行する。
三、南方に対しては十一月末を目標として対英米戦準備を促進する。
(『大東亜戦争全史』より)

陸軍にとっては戦争準備イコール戦争決意であり、
だからアメリカとの戦争に大きく傾いたと言えるが、陸軍としても最終決定ではない。
つまり、当時の日本の体制上、開戦を決定するには、政府・陸軍・海軍の全員一致が必要。
しかしこの時点では、政府(第三次近衛内閣)と海軍は戦争に同意していない。

ただし、アメリカとの戦争は避けたいと思っていたにもかかわらず、
海軍も積極的に戦争準備は進めており、どうしても戦争に反対というわけでは無かった。
これまた面倒な話だが、海軍にとって戦争準備は戦争決意では無く、
つまりは戦争準備だけ先に進めておいて戦争決意は後回しにしようということで、
だからこの時点では戦争決意には不同意ということ。

そして陸軍も、この時点では、日本の要求が通って日米交渉が成功するのならば、
それでよいという意思だった。
問題は、陸軍にはアメリカに譲歩する意思が薄かったという点で、
これが日米交渉を進めようとする首相・近衛文麿にとって、大きな障害になった。
0087不来方史郎(仮) ◆KWNhh7Qt5Y
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2018/07/17(火) 23:26:28.02ID:UHDNz9dp0
【53】

石油の禁輸後、首相・近衛文麿は、なお日米交渉に望みを託した。
1941年8月4日に近衛文麿は、日米首脳会談の案を陸軍と海軍に示している。

何故首脳会談かというと、ひとつには近衛文麿の思いつきだったのだが、制度上の理由もあった。

そもそも日米交渉を成功させるには、日本側もそれなりの譲歩はする必要がある。
ところがその頃の陸軍には、そういう意思がほとんどない。
当時の日本が、事実上、政府・陸軍・海軍の全員一致制である以上、
陸軍がそういうつもりとあっては、もはや日米交渉は、制度上、不可能。

だから近衛文麿は、日米首脳会談により、そういう制度上の制約をすり抜けようとした。
しかし不幸なことに、アメリカは、日本のそういう事情を理解しなかった。

大西洋憲章の後、8月17日、ルーズベルトは野村吉三郎に強い警告を行う。
これ以上日本が武力による進出を続けるならば、アメリカはあらゆる必要な処置を執るという旨。
最後通牒に近い台詞だが、ここでは同時に、日米首脳会談に応じるかのような姿勢も見せていた。

しかし最終的には1941年10月2日の米国覚書↓で、日米首脳会談はつぶれることになる。
ttps://www.jacar.archives.go.jp/das/meta/image_B02030719900?IS_STYLE=default&IS_KIND=detail&IS_TAG_S1=InD&IS_KEY_S1=B02030719900&
内容は、日米首脳会談の拒否、四原則(領土・主権の尊重、内政不干渉、機会均等、現状維持)、
中国・仏印からの撤兵、日独伊三国同盟の死文化。
(ただし事実上はその前、1941年9月3日時点のアメリカの回答で終わっていた)。
0088不来方史郎(仮) ◆KWNhh7Qt5Y
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2018/07/17(火) 23:26:50.53ID:UHDNz9dp0
【54】

近衛文麿は、日米首脳会談が潰えた後も、なお交渉解決を目指して頑張った。
そして1941年10月12日、荻外荘(てきがいそう)で会談が開かれる。

ここで首相・近衛文麿は、交渉の継続を提案。
これに対して陸相・東条英機は、交渉に見込みはないと主張。つまりは戦争ということ。
そして海相・及川古志郎は、「いまや和戦いずれかを選ぶときである。その決定は総理に委せたい」。
(海軍はアメリカとの戦争に反対だが、公式にはそう言えないので、同じく反対である政府に一任)。

つまりこの頃には、8月時点とは違い、陸軍は完全にアメリカとの戦争を決意。
陸相・東条英機は、アメリカとの戦争を決意するよう、首相・近衛文麿に圧力をかけるようになる。
海軍がはっきり反対すれば、体制上それでお終いで戦争は出来ないのだが、海軍はそうしなかった。
このあたりも、陸軍が粗暴犯なら海軍は知能犯、だろう。

その後に近衛文麿は駐兵問題の譲歩を考えるが、東条英機はそれも拒否。
結局、閣内不一致から第三次近衛内閣は総辞職し、東条内閣が成立する。
0089不来方史郎(仮) ◆KWNhh7Qt5Y
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2018/07/17(火) 23:27:16.07ID:UHDNz9dp0
【55】

次は、いよいよ日本の戦争決意について。

まだ第三次近衛内閣の頃、1941年9月6日の御前会議で、帝国国策遂行要領が決められる。
内容としては、十月上旬頃までに交渉成功の目途が立たない場合、開戦を決意するというもの。

問題は交渉の成否ではなく目処であり、その有無はまた別に判定する必要があり、
従ってまだ戦争の決定ではないが、そちらへ大きく歩を進めるものではある。

ところがこの御前会議で、昭和天皇は異例の意思表示を行う。
よく知られているが、「四方の海 みなはらからと思う世に など波風の立ち騒ぐらむ」
戦争には反対という意味。

先述のように、10月12日の荻外荘の会談で東条英機は、交渉に見込みがないと戦争を主張した。
それは、↑の御前会議の決定による。
同様にそれは、↑の昭和天皇の意図に背くものでもあった。

この後、1941年10月18日、第三次近衛内閣に代わって東条内閣が成立する。
そのとき昭和天皇は、9月6日の決定は白紙に戻して再検討するよう、木戸幸一から東条英機に伝えさせた。
こうしている間も戦争準備は進んでいるのだが、
とにかくこれで、戦争するかしないかは、いったん未定になる。
0090不来方史郎(仮) ◆KWNhh7Qt5Y
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2018/07/17(火) 23:27:34.98ID:UHDNz9dp0
【56】

ところが東条英機は、文字通り律儀に再検討だけ行い、再度戦争へ向かう決定をしていく。

つまりは、もちろんその真意は当人以外分かるわけないのだが、
昭和天皇の意思を承知しながら、それに逆らったことになる。

首相就任後、一応日米交渉はしているので、単純に昭和天皇の意思を無視した訳でもないし、
当時の体制からして、東条英機個人の責任でもないのだが、とにかく。
0091不来方史郎(仮) ◆KWNhh7Qt5Y
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2018/07/17(火) 23:28:12.91ID:UHDNz9dp0
【57】

なぜ、昭和天皇の平和の意思は無視されてしまったのか?

簡単に説明すると、それは明治憲法の規定、天皇の政治的無責任による。
だから天皇は、責任が生じる行動は出来ず、自らの意思で命令は出来ない。
出来るのは、政府および軍部が決定した事柄を、そのまま追認するだけ。

それに関して意見や感想を述べることは出来るが、
命令になってはいけないので、それも控えめでなければならず、
そして政府および軍部は、それに従わなくて構わない。

昭和天皇は、政府や軍部に説明を求めることは出来るし、
あれこれ質問も出来るし、そこに瑕疵があればその指摘も出来る。
だから開戦前、昭和天皇は「本当に大丈夫なのか?」と何度も、
時にはほとんど詰問だったが、繰り返した。

なのだが、「それでも戦争しかありません」、
「危険はありますが、勝利の可能性はあります」などと言われれば、
昭和天皇に拒否権は無いので、それでお仕舞い。

だから開戦前、昭和天皇は漠然とした平和の意図を示すことしかできず、
結局それは無視されてしまった。話としては、ただそれだけのことになる。

昭和天皇が、ああしろ、こうしろと言ったことは確かにあるが、
実のところ、それに命令としての効力は無く、実態は命令口調の意見に相当する。
天皇は、確かに権威を持っているが、突き詰めればお飾りに過ぎない。
臣下が天皇の意思を重んじるなら実態として違ってくるが、当時はそうならなかった。
0092不来方史郎(仮) ◆KWNhh7Qt5Y
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2018/07/17(火) 23:28:35.73ID:UHDNz9dp0
【58】

そのような天皇制の実態は、さらなる大問題を内包していた。

ひとつには、全体的な状況を把握した上で総合判断を下せる人間がいないこと。
体制上、それが出来るのは昭和天皇ただひとりなのだが、昭和天皇は意見までしか言えない。
臣下がそれを尊重すれば良いのだが、当時はそうならなかった。
(ただし、昭和天皇にも正確な情報は伝えられないことが、当時、しばしばだった)。

そして、何を決めるにも、協議を重ね全員一致に至らなければならないこと。
そういうことでは、往々にして決定そのものが困難になるし、現実にそうなった。
玉虫色だったり、両論併記だったり。
理屈としては、制度に欠陥があっても運用でなんとか出来るのだが、
当時はそうはならなかった。

また、実態がどうあれ、建前上それは天皇の命令であり、しかし天皇は政治的無責任。
故に、政府も軍部も、決定について責任は負わないことになる。
当時の日本は、一種の無責任体制だった。
0093不来方史郎(仮) ◆KWNhh7Qt5Y
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2018/07/17(火) 23:28:56.40ID:UHDNz9dp0
【59】

さかのぼって、なぜ東条英機が首相にされたのか?というと、これまた面倒な事情がある。

まず、第三次近衛内閣総辞職後、皇族(東久邇宮)を首相にすることが考えられた。
しかし、その時点で陸海軍の不一致が解決されていないことが、まず問題だった。
そして、皇室に累が及ぶ恐れもあった。現実に、後に東条英機に怨嗟が向かっていったように。

だから内大臣・木戸幸一は、その職責からそれに反対し、代わりに東条英機を推した。
それが1941年10月17日の重臣会議においてで、そして結局、そうなった。

理屈としては、その時点で陸軍は完全にアメリカとの戦争を決意しているため、
和平を目指す人間が首相に就任することは、もはや不可能。
その時には、必ずや陸軍が政治介入するからだ。

そこからすると陸軍の軍人を首相にするしかなく、その時点でのそれは東条英機になる。
その後に陸軍の意思通りアメリカとの戦争になったとしても、そして敗北したとしても、
その責を負うのは、および国民の恨みが向かうのは東条英機となり、皇室は守られる。
さらに、首相兼陸相となった東条英機に、9月6日の決定を白紙に戻し再検討するように言えば、
それに陸軍は文句をつけられず、アメリカとの戦争は回避できる可能性がある。

とにかく東条英機は、自ら首相になろうとしたわけではないし、その能力を買われたわけでもない。
単に日本の国内事情から、そうなっただけのことだった。
0094不来方史郎(仮) ◆KWNhh7Qt5Y
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2018/07/17(火) 23:29:24.71ID:UHDNz9dp0
【60】

ついでに言うと、明治憲法下の日本には、首相選出の規定が無い。

建前上、それも天皇の命令なのだが、前述と同様、昭和天皇が直接選ぶことはできず、
「誰それが良いと思います」という臣下からの上奏に従うことしかできない。
太平洋戦争前の当時、それを行っていたのは西園寺公望で、その死後は重臣会議となった。
(当時の重臣とは首相経験者だが、木戸幸一など、そうではない人間も加わっていた)。

さらに言えば、そもそも明治憲法には、内閣の規定も首相の規定も無い。
単に「国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス」とあるだけ。
それを定めているのは内閣官制だった。

そして、当時の首相は国務大臣の代表者に過ぎず、
統帥権の独立という制度からも、特に大きな権力を持っているわけでは無かった。
ttps://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/1-1.html
ttp://www.ndl.go.jp/constitution/etc/j02.html
0095不来方史郎(仮) ◆KWNhh7Qt5Y
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2018/07/17(火) 23:29:45.32ID:UHDNz9dp0
【61】

さらについでに、御前会議とは何なのか?という話。
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E5%89%8D%E4%BC%9A%E8%AD%B0

これ、会議と名がついているが、実は違う。
すべての決定は事前に政府と軍部で行われており、
それを昭和天皇に報告する儀式みたいなものが、昭和の当時の御前会議だった。
儀式とは違うが、天皇は現人神で、当時は過度の神格化なので、それじみた感じになる。
一応質疑はあるが、それも事前に決められており、形だけだった。

昭和天皇は、御前会議の場では沈黙しているのが常だったが、
その実態が↑である以上、黙って聞いていることこそが当然だった。

この御前会議、そもそも制度的な裏付けは無い。
そして昭和の当時のそれは、単に重要事項の決定というだけではなく、
事実上の政府・陸軍・海軍の全員一致制のためでもあった。

とどのつまりとしては、三者は対等で(軍部の発言力は強くなっていたが)、
三者間の意思を調整する機関も、最終的に裁定を下す機関も無い。
だから当時、「これで決定だからな。後で文句つけるなよ」と、三者間、
特に陸軍と海軍の間で念を押しておく必要があり、それが御前会議だったということ。

ただしそれも、両論併記だったり玉虫色だったりして、
決定になっていないことが、しばしばだった。
そして、天皇の前での決定は反故にできないので、
後になって状況が変わったとしても、柔軟に対応できないことにもなった。
0096不来方史郎(仮) ◆KWNhh7Qt5Y
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2018/07/17(火) 23:30:04.04ID:UHDNz9dp0
【62】

話は、日本の戦争決意に戻る。
以上のように、十月下旬に再検討が行われ、なおも面倒な紆余曲折の末、
最終的には戦争へと進んでいく。

つまり、この頃には、やっと海軍もアメリカとの戦争に同意。
「戦機は今」などと勇ましい台詞を言い出すようになる。
(軍令部総長・永野修身の台詞)

それは、その時点では日本海軍の実力がアメリカ海軍を上回っていたこと、
(数的には劣勢だが、練度は大きく上回り、総合的にはやや優勢くらい)、
けれどもこの先アメリカの戦争準備が進めば日本側が劣勢になること、
戦争するなら備蓄の石油が尽きる前でなければならなかったこと、などによる。
(1942年3月の開戦も検討されたが、それでは備蓄の石油が底をつく)

そういったところから、海相・嶋田繁太郎は、1941年10月30日、
それまで反対だったにもかかわらず、アメリカとの戦争に同意した↓
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B6%8B%E7%94%B0%E7%B9%81%E5%A4%AA%E9%83%8E
制度上、海軍大臣の決定が、海軍の意思ということになる。
0097不来方史郎(仮) ◆KWNhh7Qt5Y
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2018/07/17(火) 23:30:38.85ID:UHDNz9dp0
【63】

改めて海軍の戦争決意について。

先述のように、当時の日本には、アメリカに屈服するか戦争するか、二つに一つしかない。
しかし屈服は、満洲事変以来の成果をすべて失うことになり、
多くの犠牲を出した日中戦争も捨てることになるので、文官ですら断固拒否だった。

それでも、どうしても戦争が無理なら、否応なく屈服するしかない。
が、当時の日本には、総合的にはアメリカをやや上回るくらいの海軍力があった。

常識的には、その程度では戦争には勝てない。
どころか、国力・工業力の差からすると、そしてそれが総力戦になるとすると、
最終的には日本が負けると判断するのが当然。

なのだが、とにかく戦争は出来るのであり、
断行すれば、あるいは不利を克服して局面を打開できるかも知れない。

そして、陸軍は既に戦争を決意していたこと、
軍人の立場としては、戦わずして屈服しようなどとは言い出せなかったこと、
今を逃せば、アメリカの戦力が整い、石油が枯渇するので、戦争自体が不可能になること、
また、海軍内部にも主戦派はいたこと、
そうしたところから、結局、海軍も戦争に同意してしまったのだと思われる。

陸軍は大体ストレートで分かりやすいんだが、海軍には不透明なところも多い。

それから参考として↓
ttps://ci.nii.ac.jp/naid/110007410516/
0098不来方史郎(仮) ◆KWNhh7Qt5Y
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2018/07/17(火) 23:31:05.71ID:UHDNz9dp0
【64】

そして一応、組織防衛の話。

「海軍は、組織防衛のために、アメリカとの戦争に反対できなかった」という説はよく聞く。
当時の人々の本心は確認不可能だが、おそらくそういう意図はあったと思われる。

なのだが、これは陸軍にも全く同じ事が言える。つまりは日中戦争。
当時はもはや、日本が撤退して終わらせる以外ない状況に陥っていた。
にもかかわらず、陸軍がそうできなかったのは何故か?
やはり、そこには組織防衛の意図もあったんじゃないか?ということ。

日本の戦争については、陸軍の責任は大きい。
なのだが、それとは違う形で、海軍の責任も大きかった。
色々な点から、「陸軍が粗暴犯なら海軍は知能犯」だった。
0099不来方史郎(仮) ◆KWNhh7Qt5Y
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2018/07/17(火) 23:31:24.05ID:UHDNz9dp0
【65】

そしてこの時、東条内閣成立後の再検討で、改めて米英蘭の可分・不可分が議論され、
やはり不可分という結論になる。

その理由のひとつは、これまで説明してきたような、当時の国際情勢。

もうひとつは、軍事的な理由だった。
とどのつまり、当時アメリカ領のフィリピンを残していては、
南方作戦に支障を来すということ。
この点、日本〜フィリピン〜東南アジア各地の位置関係を、
地球儀などで確認すれば、一目瞭然のはず。

更に、アメリカと戦争しなければならないなら、アメリカの戦争準備が整う前に、
日本から先制攻撃した方が有利なこと、これまた自明の理。

従って軍事的な点からも、日本は英・蘭とだけ開戦することは出来ず、
アメリカとも戦争するしかないという結論になった。
0100不来方史郎(仮) ◆KWNhh7Qt5Y
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2018/07/17(火) 23:31:55.10ID:UHDNz9dp0
【66】

ただし、まっすぐに戦争と決まったわけではない。

一応当時の日本では、アメリカに屈服することも検討された。
当時の状況では、それは基本、10月2日の米国覚書をのむということだった。

ところが、外相・東郷茂徳だけは少し違ったが、
他は文官も含めて、満洲事変以来の成果を失うことになると、それを拒否。
「三等国になる」と。

隠忍自重も検討されたが、それでは結局、
備蓄の石油を食いつぶした後、アメリカに戦わずして屈服しなければならなくなる。
0101不来方史郎(仮) ◆KWNhh7Qt5Y
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2018/07/17(火) 23:32:15.79ID:UHDNz9dp0
【67】

ならば即戦争なのかというとそうではなく、最後の交渉として甲案・乙案が
甲案は日本側が受諾しうる最小限の条件として、乙案は単に危機を先送りするものとして、
ただし文字通りにそれを最後として、決定された↓
ttp://www.geocities.jp/yu77799/siryoushuu/nitibeikaisen/kouanotuan.html

すなわち、日米交渉は、12月1日午前零時まで行う。
それに成功しない場合、開戦する。
それが、1941年11月5日の御前会議で決められた帝国国策遂行要領だった。

(そこに至るまで、これまた面倒な経緯があるのだが、そこは省略する)。

厳密に言えば、それまでに交渉が成功すれば中止なのだから、まだ最終決定ではない。
なのだがとにかく、これでやっと日本の戦争決意が決まったことになる。

そして、『杉山メモ』や『時代の一面』によれば、
甲案でも乙案でも、交渉が成功する可能性は低いと考えられていた。
ttps://blog.goo.ne.jp/gb3616125/e/7b15d2bfa69bf4498fdea9457c284def

つまり当時の日本は、アメリカが納得するまで譲歩するつもりなどなく、
どうしても戦争を回避したいなど、さらさら思っていなかった。

結局はその通り、日米交渉がまとまることはなく、
11月27日のハル・ノートを経て、12月1日に開戦を最終決定、12月8日に至る。
0102不来方史郎(仮) ◆KWNhh7Qt5Y
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2018/07/17(火) 23:33:00.66ID:UHDNz9dp0
【68】

ここで一応、ハル・ノート(1941年11月27日)の全文および原文↓
ttp://www.chukai.ne.jp/~masago/hullnote.html
これについては、今回の話の前半で説明したとおり。

細かいところだが、付け足し。
世間には、「ハル・ノートは日本軍の即時かつ無条件の撤退を求めた」という誤解があるが、
↑の原文を見て分かるように、単に撤退を求めているだけで、時期も条件もない。
つまりそれは、単純な勘違いに過ぎない。

ちなみにだが、当時の外相の東郷茂徳本人が、戦後にそういう勘違いをしている。
東郷茂徳著『時代の一面』は、当事者の証言であり、貴重な資料ではあるのだが、
いくつか怪しい記述もある。人間である以上、誤記や思い違いは仕方ないとはいえ。
『杉山メモ』と食い違いがあったりもして、読み比べると面白いかもしれない。

そして『時代の一面』は、東郷茂徳の官僚的な有能さと、
政治家あるいは戦略家としての無能さを、まさに表している。

つまり世の中は、表側には確かに法があり秩序があり、これは官僚のお得意分野だろう。
東郷茂徳は、ソフィストじみた部分もあるが、こちらには通じていた。
しかし世の中の裏側には、ダーティな部分や、ルール無用で情け無用な部分や、
悪党同士で仲良く私腹を肥やし合う部分とか、あるわけだ。
東郷茂徳は、こちらは全く理解していなかった。
0103不来方史郎(仮) ◆KWNhh7Qt5Y
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2018/07/17(火) 23:33:41.08ID:UHDNz9dp0
【69】

そして、ハル・ノートは不当なのか?問題。

とどのつまりとしては、ハル・ノートは、
日本の侵略を認めない・これまでの侵略によって得た成果も認めないという、
アメリカの意思の表れに他ならない。

すなわちそれは、日中を満洲事変以前の状態に戻そうというものであり、
仏印含め東南アジア方面を以前の状態に維持しようというものであり、
プラス、新たな安全保障体制構築を試みようというものだった。
付け加えるに、日本を特に懲罰しようというものでもない。

従って、少なくとも現代的な感覚からは、客観的には不当とは言えない。

なのだが当時の日本は、それを不当と見なし、そして挑発と見た。
それは、中国と東南アジアを勢力圏とし、大国に成り上がろうとする日本の意図を、
完全に否定するものだったからだ。

したがって、やはり現代的な感覚からすると、おかしいのは日本側だ。
なのだが、このあたりは、いかんともしがたい時代の違いだろう。
とどのつまりは、当時の人々は、それが侵略でも、戦争を悪とは思っていなかった。
当時の日本では色々と情報操作されていたこともあるが、
当時の人々は、戦後の人間とは、まったく違う考え方だった。
0104不来方史郎(仮) ◆KWNhh7Qt5Y
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2018/07/17(火) 23:33:58.29ID:UHDNz9dp0
【70】

ここで言っておくべきだと思うんだが、アメリカの戦争目的について。

冒頭に述べたように、それはドイツ打倒であり、そうするために必要だから、
仕方なくついでに日本やイタリアなどドイツの同盟国を打倒することだった。

しかし、実のところはそれだけではなく、戦後に世界平和を実現することも、
アメリカの戦争目的だった。

だからアメリカは、というかルーズベルトは、1943年1月に、
ドイツと日本を無条件降伏させることを宣言する。(イタリアは意図的に外した)。
それは、ドイツと日本の軍国主義的勢力を一掃し、平和国家とするためだった。

アメリカ人らしい深慮遠謀を欠いた理想論であり、現実との乖離からそれは歪んでいき、
結局、ソ連相手に冷戦を戦うことになるわけなんだけどね。
そして、限定された形ではあるものの、日本やドイツを再軍備させることにもなる。

なのだがとにかく、↑と照らし合わせてハル・ノートを見直すと、
見え方が変わってくるかもしれない。
0105不来方史郎(仮) ◆KWNhh7Qt5Y
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2018/07/17(火) 23:34:17.99ID:UHDNz9dp0
【71】

それで、だ。
この時の日本は、一応ではあるが、確かにアメリカとの戦争を回避しようとした。
しかしそれは、自らの国策を変更してまでではなかった。
つまり、ドイツとの同盟は維持し、大東亜共栄圏建設も遂行していくということ。

それはすなわち、日中戦争は継続し、機を見てマレー・シンガポール・蘭印へ侵攻し、
それらを日本の勢力圏とすることだった。
昭和天皇個人は平和を願っていたが、国としての日本の意図はそのようなものだった。

すなわち、強国とは戦争したくないが、服従したくもない。
しかし弱国に対しては、その弱みにつけ込んで勢力拡大したい。そのためには戦争も辞さない。
突き詰めれば、そういうことになる。

とどのつまり、当時の日本は王道ではなく覇道を進もうとしたのであり、
ならば、より強いものに挫かれるのは、因果応報なんじゃなかろうか。
0106不来方史郎(仮) ◆KWNhh7Qt5Y
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2018/07/17(火) 23:34:38.18ID:UHDNz9dp0
【72】

ちなみにだが、1941年10月以降の日本陸軍は完全に対米戦を決意しており、
どころかそれこそ最善と考えており、
だから甲案・乙案の最後の日米交渉が失敗することを願っており、
思うだけでなくそうさせようと仕組んでいた。

史料としては、機密戦争日誌。その抜粋↓
ttp://www.geocities.jp/yu77799/siryoushuu/nitibeikaisen/kimitusensounissi.html
こういうページもある↓
ttp://www.geocities.jp/yu77799/worldwar2/nitibeikaisen/kaisen3.html

つまり日本陸軍にとって、ハル・ノートは願ったり叶ったりだった。

これに対して日本海軍は、戦後の証言によれば、
ぎりぎりまで交渉成功を願う意見が強く、
ハル・ノートのあと、やっと戦争やむなしに変わった。
0107不来方史郎(仮) ◆KWNhh7Qt5Y
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2018/07/17(火) 23:35:02.06ID:UHDNz9dp0
【73】

そしてもちろん、日本は、ただし国としてはだが、アメリカに勝つつもりで戦争を決定した。
「負けると分かっていて戦争を始めた」という主張は、事実に反する。

ただし、日本がアメリカを打倒することは不可能で、
日本にとって有利な状況で講和に持ち込むという意味の勝利だった。

では、日本はどのようにして、それを実現するつもりだったのか?
1941年11月15日、陸海軍共同で『対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案』が作成されている。
これが、開戦前に成文化された唯一の戦争計画だった↓
ttp://seesaawiki.jp/japan1/d/%C2%D0%CA%C6%B1%D1%CD%F6%BE%D5%C0%EF%C1%E8%BD%AA%CB%F6%C2%A5%BF%CA%A4%CB%B4%D8%A4%B9%A4%EB%CA%A2%B0%C6

とどのつまり、
(1)東南アジアの資源地帯を確保し長期持久の体制を整える。
(2)アメリカ艦隊を撃滅する。
(3)蒋介石を屈服させる。
(4)イギリスを戦争から脱落させる。
(5)そうすればアメリカは戦意を喪失し講和を求めてくるだろう。
というもの。
その他に独ソの講和とか宣伝工作とか通商破壊とか色々記されているけどね。
客観的に見て、最初に戦争という結論があり、それに合うようでっち上げられた作文ではある。
0108不来方史郎(仮) ◆KWNhh7Qt5Y
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2018/07/17(火) 23:35:32.95ID:UHDNz9dp0
【74】

そしてそれは、長期戦での日本の不利を過小に見積もった、
陸海軍そろっての、結論のねつ造だった。

日本はいち早く戦争準備を整えていたので、緒戦を有利に進められることまでは確実。
なのだが、日本がアメリカ本土に攻め込みアメリカを打倒するなど不可能で、
何らかの形で講和に持ち込むしかない。
どうやってそれを実現しようと日本が考えていたかは、先述の通り。

なのだが、それがあっさり実現するとは考えられず、必ず長期戦になると日本は予想していた。
では、長期戦になったら、日本は勝てるのか?
というと、これは陸海軍一致して「分からない」という結論だった。
これは、例えば『杉山メモ』に、首相兼陸相の東条英機の発言など記録されている。

それが総力戦である以上、勝負を決めるのは国力と工業力。
その優劣は明らかだったにもかかわらず、そして陸軍も海軍も、
長くて二年しか日本の力は持たないと研究結果がでていたにもかかわらず、
「分からない」という結論になったのは、結論のねつ造が行われたからだ。

ひとつの参考としては、結構有名だと思うけど、猪瀬直樹著『昭和16年夏の敗戦』。
当時の日本で、不都合な事実がなかったことにされてしまった一例。
そして当時の日本は、少なくとも部分的には非常に優秀だったのに、
そこがまったく生かされなかった一例でもある。

当時の日本は、単純に愚かだったわけではないし、単純に無能だったわけでも無い。
実態は非常に複雑であり、そしておそらく、ここは現在の日本にも共通する民族的欠点だ。
0109不来方史郎(仮) ◆KWNhh7Qt5Y
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2018/07/17(火) 23:35:52.39ID:UHDNz9dp0
【75】

さらに言えば、それはドイツの勝利を前提とした決定でもあった。
ところが、これがまた大問題で。

1941年12月8日の開戦時点で、ドイツは、イギリス・ソ連と戦争中。
イギリスとの戦争は小康状態だが、ソ連とは長期戦の全面戦争。
そしてこの先、体勢を立て直したイギリスと、戦争準備を完了したアメリカが、
ドイツに襲いかかってくることになる。

では、それにドイツは勝てるのか?ってこと。
勝てる・少なくとも負けないと判断したのが当時の日本だが、
それは現実から乖離した思い込みであり、結論のねつ造ではなかったか?

ちなみにだが、当時、親独中立だったスペインは、
アンダイエ会談(1940年10月23日。日独伊三国同盟締結の約一ヶ月後)で、
ドイツから参戦を求められたにもかかわらず、それを断っている。

理由は二つ。
ひとつは、内戦の痛手が残っていたこと。
もうひとつは、ドイツの敗北を、少なくともその可能性を、予想していたからだった。

日本でも、西園寺公望は、バトル・オブ・ブリテンの時点で、
最終的にはイギリスがドイツに勝利すると予想していた。
見る目のある人間には見えていたということだね。
0110不来方史郎(仮) ◆KWNhh7Qt5Y
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2018/07/17(火) 23:36:27.33ID:UHDNz9dp0
【76】

以上、ものすごく長い話だが、結局、日本は何故アメリカと戦争したのか?

これまで記したように、それは船頭多くして船山に上るで右往左往の迷走の果ての結末であり、
何がどうしてどうなったのか、事実関係を把握するだけでも非常に難しい。

そこを敢えて、ものすごく四捨五入して説明すると、
(1)もともと日本には、自ら進んでアメリカと戦争する意思はない。
(2)しかし日本は、国際情勢やアメリカの意思を読み誤り、アメリカと対立する行動をとる。
(3)それがアメリカ側の制裁を招き、ついには石油まで禁輸されてしまう。
(4)これで日本は、アメリカに屈服するか、戦争するか、ふたつにひとつしかなくなる。
(5)ところがその時日本には、その時点限定だが、アメリカをもしのぐ軍事力があった。
(6)および、ここでアメリカに屈したら、満洲事変以来の成果をすべて失うことになる。
(7)とにもかくにも日中戦争で多くの犠牲を出していた日本に、それは耐えがたかった。
(8)さらに、東南アジアを支配下にするチャンスを逃したくもなかった。
(9)そのためにはアメリカと戦争し勝つしかなく、だから日本はそうした。
と、そういうものになると思う。
0111不来方史郎(仮) ◆KWNhh7Qt5Y
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2018/07/17(火) 23:36:52.88ID:UHDNz9dp0
【77】

それは、日本が大国になろうと不正な侵略を試み、失敗していく過程でもある。

先述の通り、そもそもの発端は満洲事変であり、それがまさに大国になろうとする侵略だった。
そして同じく先述の通り、その後の七面倒くさい右往左往を経て、
1941年時点では大東亜共栄圏建設が決定される。
それはすなわち、中国と東南アジアを日本の勢力圏としようとするもの。

日本にとっての日米交渉とは、露骨に↑とは言っていないけど、
とどのつまりとしては、それをアメリカに認めさせようとしたものだった。

ひっくり返してアメリカの立場になってみれば、
日本のそういう侵略を認める理由、何もないわけだ。
日本はドイツと同盟し、両国の力でアメリカを妥協させようと構想したが、
アメリカには両国を打倒できる実力および決意があり、何の効果もなかった。

結局、これまで説明してきた七面倒くさい紆余曲折の末、日本はアメリカ相手に開戦する。
それは、日本側からの日米交渉に注目した場合、根本的な話としては、
アメリカが日本の侵略(中国と東南アジアを勢力圏とすること)を認めないことを不当として、
日本はアメリカに対する戦争を開始した。と、そういうことになる。
0112不来方史郎(仮) ◆KWNhh7Qt5Y
垢版 |
2018/07/17(火) 23:37:33.18ID:UHDNz9dp0
【78】

それでは、どうすれば太平洋戦争を回避できたか?
色々考えられる訳だが、ここでは日本国外に注目してみる。

そもそもヨーロッパで第二次世界大戦が勃発していなければ、太平洋戦争も起きていない。
となれば、第一次世界大戦の戦後処理が適切であれば、それが「20年の休戦」になることもなく、
もちろんおそらくはだが、第二次世界大戦も太平洋戦争も起きなかった。
および、なんとかしてヒトラーの台頭を阻止できていたら、同じく戦争は始まらなかった。

そして、第二次世界大戦の緒戦でフランスが敗北していなければ、
「バスに乗り遅れるな」と日独伊三国同盟が結ばれることもなく、太平洋戦争も起きなかった。
フランスの敗北は、非常な失態が重ねられた結果であり、本来なら起きるはずのない事態だった。
「君主は軍事に専念せよ」はマキャベリの教えのひとつだが、フランスはそれを怠った。

また、アメリカが準備万端怠りなく軍備拡張に励んでいたら、
日米の軍事力が逆転することもなく、おそらく太平洋戦争も起きなかった。

および、石油の禁輸がもっと早ければ、日本は戦争準備が出来ていないため、
アメリカに屈するしかなく、おそらく戦争にはならなかった。
先述のように、これもアメリカの戦争準備が遅れたためであり、
だから日本との全面対決を先送りしなければならなかったからであり、
したがってこの観点からも、軍事力の不足が戦争につながったと言える。
0113対米開戦の理由【1】
垢版 |
2018/07/18(水) 01:38:04.30ID:aSRJu6+f0
対米開戦の理由は単純で明快で、海軍の都合と暴走がその原因です。
海軍の山本五十六がどうしても1941年内に真珠湾奇襲をやりたかったからです。

海軍は陸軍の対ソ戦阻止しか頭にありません
海軍は開戦の1年前から真珠湾奇襲を決意しており、
対米交渉なんか初めから眼中にありません。
もし交渉が進展すれば、妨害して潰します。 実際にそうなりました。

日本の主導者の多くは陸軍は暴走するから、陸軍主導より
海軍主導のほうが安全で手堅いと思い込んだかもしれません。
しかし実際には山本五十六が主導する海軍は、陸軍以上に遥かに愚かでした。
海軍は大暴走し、世界中を戦争に巻き込みました。

当時、海軍が敵視していたのは、アメリカでも中国でもありません。
海軍は陸軍を敵視し、陸軍に負けるくらいならば、アメリカと全面戦争をやって
負けた方がマシだと考えていたと言われています。

アメリカの対日禁油が悪いなんて言ってますが
その前にその原因となった南部仏印進駐で
日本は何をしてたか知ってるでしょうか?

日本は南部仏印になんと14個もの飛行場を超急ピッチで整備し
陸海軍の主力を集結させ、連日上陸作戦の猛訓練です。
まさに開戦前夜です。
誰が見ても日本は対米英戦争を決意したと思われて当然です。

南部仏印進駐は、進行中の対米交渉を妨害、破綻させるために海軍によって強行されました。
元海軍次官、豊田外相による計画的な策略でしょう。
0114名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/07/18(水) 01:59:19.00ID:V8k3+73l0
みなさん

こぷした海軍の暴走を隠蔽して責任転嫁し
あーだこーだと色々書いて開戦理由を
わからなくさせる悪質な書き込みが多発してます。

こうした悪質な詐欺師に
だまされないようにしましょうw
0115日中戦争スレの190
垢版 |
2018/07/18(水) 19:00:19.87ID:3E8E6hk50
>>112
連合国の軍事力が足りなかったという結論は事実的にはともかく規範的にどうかと思いますが……
それ以前の論考には概ね同意です。素晴らしい!

>>76-77など、その通り!
アメリカの立場から、日本帝国の虫のいい侵略願望に譲歩する必要が皆無。
ハルノートは現代の目では当然の要求。

付け加えるとすれば、蒋介石とチャーチルの働きかけを考慮すべきでしょう。
日本の侵略継続を容認する形で日米交渉が妥結すれば(あり得ませんが)、
国民党の抵抗は崩れる可能性があります。
0116対米開戦の理由【2】
垢版 |
2018/07/18(水) 23:06:52.36ID:F/4bhYO40
最近一部の人間らが
ルーズベルトを悪党、戦争屋のように言ってますが、戦犯は野村大使の方です。
日本の海軍はアメリカを仮想敵国に見たたてて予算拡大を図り
対米戦争準備を始めました。

そんな国がアメリカに石油を売れといって、アメリが石油を売るでしょうか?

仮に大統領や石油会社が売りたいと思っても、アメリカ国民が怒るはずです。
なんで対米英戦争を準備中の国にアメリカが石油を売らなくてはならないのか?と。
アメリカが対日禁油に至ったのは当然のことで非は100%日本側にあります。


野村大使はもと海軍大将であり、海軍の山本五十六、米内、嶋田海相らとは親密な関係でした。
アメリカでは野村大使は海軍と結託し、真珠湾奇襲を成功させるべく、米政府をだます「偽りの外交」を
やっていたと非難されましたが、その見解はそのとおりです。

外務省と海軍は裏で結託してアメリカ政府だけではなく、日本政府をも欺いていました。
何が何でも真珠湾奇襲を成功させるためです。

日本大使館の対米交渉は、真珠湾奇襲を成功させるための日本の猿芝居でした。


しかし戦後、アメリカは共産主義との闘いが優先され、それには陸軍悪玉論のほうが都合がよく
(陸軍のほうが大資本勢力が金の力で世界を支配する市場原理主義を批判する社会主義派が多いため危険だと見られました)
野村大使は戦争責任を追及されるどころか、CIAの工作員になりました。


日本ではこうした海軍の暴走を 戦後ずっと隠蔽し、陸軍を悪玉に仕立てて宣伝してきました。
これは国家ぐるみの策略ですね。
0117名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/07/18(水) 23:28:48.00ID:w5DOfQSW0
そもそもアメリカにとって何の関係もないはずの対中問題でしゃしゃり出て関係ない強硬論唱えて戦争を招いたアメリカ政権
0118不来方史郎(仮) ◆KWNhh7Qt5Y
垢版 |
2018/07/18(水) 23:32:11.35ID:dipyg1430
>>115

とりあえず、お読みいただき、有り難うございます。
色々至らぬところもあると思いますけど。

なるべく誤りを少なくしようとは思うものの、これが非常に難しい。
それを完全になくそうとしていたら、何も書けなくなってしまいますしね。
0119不来方史郎(仮) ◆KWNhh7Qt5Y
垢版 |
2018/07/18(水) 23:32:41.23ID:dipyg1430
【79】

続き。

日本国内についても色々考えられるわけだが、
たとえば陸海軍大臣の現役武官制。

それがなかったら宇垣内閣の流産と米内内閣の倒閣はなく、
宇垣一成も米内光政もドイツとの同盟には反対だったので、
日米戦争には至っていない。

そして、宇垣内閣の流産も米内内閣の倒閣も、行ったのは陸軍なので、
この点からは、陸軍にもっとマシな分別があれば、日米戦争にはならなかったと言える。
その後の日独伊三国同盟は全員一致なので、悪いのは全員とはいえ。

また、すべての発端は満洲事変なので、
それが起きていなければ、あるいは日米戦争もなかった。
それは統帥権の独立を悪用したものなので、その意味においては、
それが諸悪の根源だったと言える。

統帥権の独立は、根本的に間違った制度だった。
そもそもの話、戦争は政治の延長であり、政治は戦争の延長に他ならない。
にもかかわらずその二つを切り離してしまっては、
東条英機(首相時)の言葉では「統帥権独立の下では戦争指導はできない」だった。
0120不来方史郎(仮) ◆KWNhh7Qt5Y
垢版 |
2018/07/18(水) 23:33:12.00ID:dipyg1430
【80】

長い話で恐縮だが、次は真珠湾攻撃について。

そもそもの話として、航空機による港湾攻撃は、真珠湾攻撃が最初ではない。
1932年にアメリカ海軍は、空母によるハワイ攻撃の演習を行っている。
1940年11月には、タラント空襲が行われている。
ここは不明だが、山本五十六の発案にも、これらは関係していたはずだ。

同じくそもそも論としては、第一次世界大戦以降、航空機の性能向上は著しく、
これで艦船を攻撃できるんじゃないか?ってことまでは、誰だって考えつく。
1921年には、現実に艦船を沈められることが、実験で確かめられている。
そして、港湾に停泊中を狙った方が有利なこと、これまた自明の理。

真珠湾攻撃が画期的だったのは、その距離だった。
日本からハワイまでの長距離を越えての攻撃は、当時の常識を超えたものだった。

ついでに説明だが、当時、真珠湾は、アメリカ太平洋艦隊の根拠地だった。
だからアメリカ艦隊がそこに集まっていたのだが、
当時、アメリカはドイツとの戦争を決意しており、
そのために艦隊を大西洋に回しておくことも検討された。

そうなっていれば真珠湾攻撃はあり得なかったわけだが、
しかし日本に対して圧力をかけ、できれば日本との戦争を回避するために、
そうはされなかった。
0121不来方史郎(仮) ◆KWNhh7Qt5Y
垢版 |
2018/07/18(水) 23:33:47.22ID:dipyg1430
【81】

そして、今更言うまでもなく、日米戦争は真珠湾攻撃から始まった。
それは、山本五十六の強い主張により、実行された。
逆に言えば、もし山本五十六がそうしなかったら、真珠湾攻撃は行われなかった。

山本五十六が真珠湾攻撃を発案したのは1940年時点だが、
攻撃実施を前提とした研究・訓練が始まるのは、1941年1月から。

何故その頃からかと言うと、山本五十六は、
日独伊三国同盟によって日米戦争は決定的になったと考えていたため。

そして山本五十六は、それによって自分は戦死(おそらくは敗死)するだろうと思っていた。
そうまで思っているのなら、もっと全力で同盟に反対すれば良いものを。
とはいえ、このあたりは山本五十六の落ち度というより、日本人の民族的な欠点だろうね。

ちなみにだが、そうした山本五十六の意図は、本当にそうだったかは不明だが、
おそらく、どこからか漏れていた。
詳細は定かでないが、それはアメリカの駐日大使ジョゼフ・グルーの耳にも入り、
グルーは念のためアメリカ本国に通報している。

しかし、当時の軍事常識からして、真珠湾攻撃が実行可能とは考えられなかった。
アメリカ海軍の反応は、「非常識なことを言うな」で、お仕舞いだった。
0122不来方史郎(仮) ◆KWNhh7Qt5Y
垢版 |
2018/07/18(水) 23:34:41.18ID:dipyg1430
【82】

こうして真珠湾攻撃の研究と訓練が始まるが、それは順調には進まなかった。
そもそもハワイは日本からあまりに遠く、艦艇の航続距離が足りない。
当初は爆撃能力は低いし、真珠湾は浅いので雷撃は不可能。
図上演習をやってみたら返り討ちにあったりと、さんざんな結果。

なんとか真珠湾攻撃成功の見込みが立つのが、1941年10月中頃になって、やっと。
(念のためだが真珠湾攻撃は1941年12月8日)
それも完全な成功ではなく、ただし日本側も大損害を被るが、というもの。
そもそも奇襲なんざ失敗するのが当前で、成功は非常な幸運に恵まれた場合だけ。

普通に考えれば、こんなリスキーな作戦は論外で、
だから軍令部も反対なら連合艦隊も反対だった。

軍令部が反対である以上、本来なら山本五十六は解任されるべきだった。
ところが結局、山本五十六の主張が不透明に通り、真珠湾攻撃が決定される。
これが1941年10月下旬。

それは、もし戦争になるなら真珠湾攻撃を行うということ。
戦争するという決定ではないが、海相・島田繁太郎の戦争決意はその後なので、
もしかしたらだが、そこに影響していたかもしれない。

ただし、ここではまだ雷撃の問題が残っており、それが解決されるのは1941年11月中頃。
真珠湾攻撃は1941年12月8日、南雲艦隊がハワイへ出撃するのが1941年11月26日なので、
まさしく直前だった。
結局は解決されたとはいえ、雷撃が出来ないと攻撃力が不足し、望む戦果は期待できない。
そこを無理に決定したということであり、
この点からも、真珠湾攻撃は、無理に無理を重ねたものだった。
0123不来方史郎(仮) ◆KWNhh7Qt5Y
垢版 |
2018/07/18(水) 23:35:35.52ID:dipyg1430
【83】

それでは、なぜ山本五十六は、そのような無理を重ね、反対を押し切ってまで、
真珠湾攻撃を行おうとしたのか?

これまたそもそもの話だが、日露戦争以後、日本海軍はアメリカを仮想敵国としていた。
日本からアメリカ本土に侵攻するのではない。
基本、攻めて来るアメリカ艦隊を西太平洋で迎え撃とうという構想。
そして一大艦隊決戦を行い、日本海海戦の再現で、アメリカ艦隊を撃滅しようというもの。

ところが現実にアメリカとの戦争を考えなければならなくなった時、日本海軍は大問題に直面する。
いくら研究を重ねても、↑の構想のような艦隊決戦は起きそうにないということ。

たとえば井上成美は、1941年6月に絶対に起きないとまで言い切っていた。
艦隊決戦に対する疑問は、実は航空機が発達する前からあり、
これらは高木惣吉著『私観太平洋戦争』に記されている。
これも無視するわけにはいかない当事者の証言だ。
0124不来方史郎(仮) ◆KWNhh7Qt5Y
垢版 |
2018/07/18(水) 23:36:09.41ID:dipyg1430
【84】

では、艦隊決戦が起きないなら、どのような戦争になるのか?

というと、1941年当時、日本はいち早く戦争準備を始めていたため、
日本海軍の実力はアメリカ海軍(および、イギリス海軍・オランダ海軍)を上回っていた。

だから当初、日本海軍が優勢に戦争を進める。
しかし、一気にアメリカ艦隊を撃滅する機会は無く、やがて消耗戦に陥っていくと考えられた。
そうなれば自明の理として、国力・工業力の差が勝負を決める。それが劣る日本は勝てない。

おそらくは、そのような研究結果から、山本五十六は真珠湾攻撃を主張した。
アメリカ艦隊を撃滅する唯一のチャンスがそれだからであり、
したがって、いかにリスクが大きくともそれを行う以外なかった。

ここもおそらくはだが、山本五十六自身も奇襲が成功するとは思っていなかった。
当時の日本海軍は、真珠湾攻撃は殴り合いの強襲になると予想していた。
そうなれば日本側も大損害を被るが、それでもアメリカ艦隊を壊滅できるなら、
満足できる戦果となる。
0125不来方史郎(仮) ◆KWNhh7Qt5Y
垢版 |
2018/07/18(水) 23:37:00.26ID:dipyg1430
【85】

現実に、アメリカ本国は日本軍の攻撃を予想し、真珠湾も含め、各地に警告を出していた。
したがって、本来ならば、奇襲なんか成功するわけがなく、強襲になるはずだった。

しかしハワイではアメリカ軍の非常な怠慢があり、
それが日本軍にとって望外の幸運となり、真珠湾奇襲は成功する。

怠慢はハワイだけではなく、フィリピンのマッカーサーや、
マレー・シンガポールのパーシバル(英軍)もだった。
日本軍の緒戦の大勝は、ここによるところも大きい。

ちなみにだが、真珠湾攻撃を二次攻撃までで切り上げたのは、
とどのつまりとしては、アメリカ軍の反撃を恐れたから。

南雲艦隊は、真珠湾攻撃は強襲になるものと考えており、
しかし戦争のその後を考えれば損害は最小にしたいところであり、
そのために当初から一撃離脱的な作戦を考えていた。

現実には完全奇襲に成功したわけだが、しかし真珠湾に空母はいなかった。
当時の状況からして、どこか近隣の海上にいるに違いなく、
それが反撃に来ると考えるのは当然だった。
事実としてもそうだったが、南雲艦隊が離脱したため空振りに終わった。

つまり、総合的な判断はまた別だが、日本側の損害を最小にするためには、
それはまったく正しかったと言える。
0126不来方史郎(仮) ◆KWNhh7Qt5Y
垢版 |
2018/07/18(水) 23:37:34.08ID:dipyg1430
【86】

なお、『アメリカは真珠湾攻撃を知っていた』説は、事実無根のトンデモ。
『南雲艦隊は電波を発信していた、アメリカはそれを傍受していた』というのはね。

これも色々あるわけだが、根本的には、これまで説明してきたとおり、
奇襲が成功する見込みは非常に低かった事、
事前に発見されたら返り討ちにあう事、
電波を発信したら逆探知されるのは常識だった事、
などからして南雲艦隊が電波発信なんかするわけが無いし、
事実として、厳重に無線封止されていたと言う証言がある。

これに対して、南雲艦隊が電波発信していたという証拠は、
これまで、ひとつも出てきていない。

なお、そのとき日本海軍は、呉から偽電を発信していた。
当然、アメリカはそれを傍受しており、それは戦後に公表されている。
もちろん真珠湾攻撃の時点では、アメリカはそれを偽電とは思わなかったわけで、
『南雲艦隊は電波発信していた』説は、この辺を誤解したのが発端じゃなかろうか?
0127不来方史郎(仮) ◆KWNhh7Qt5Y
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2018/07/18(水) 23:38:51.65ID:dipyg1430
【87】

誤解すべきでないのは、真珠湾攻撃の真の目的。

そもそも日本は、石油がないから太平洋戦争を始めたわけだ。
だから、何としてでも蘭印を初めとする資源地帯を占領しなければならなかった。
故に日本は、それに全力を投入する必要があった。それに失敗したら全てが御破算だから。
これが大前提。

つまり真珠湾攻撃とは、戦争全体から見れば、それを支援するための支作戦に過ぎない。
すなわち、反撃に来るであろうアメリカ艦隊を事前につぶし、
資源地帯確保を成功させようとしたもの。

そして、その思惑が成功したこと、その後の推移が示すとおり。
アメリカの士気を阻喪させるという意図も加わるので、それは見えにくくなるわけだけど。
(および、山本五十六が日本本土への空襲を恐れていたことも、真珠湾攻撃の理由だった)。
0128不来方史郎(仮) ◆KWNhh7Qt5Y
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2018/07/18(水) 23:40:06.38ID:dipyg1430
【88】

なのだが、たとえ真珠湾攻撃に成功しても、それは序盤戦を有利に進められるに過ぎない。
アメリカ艦隊撃滅の機会は二度と無く、したがってアメリカに対する勝利を目指すなら、
あとはアメリカが体勢を立て直す前に、アメリカ海軍を叩き続ける以外ない。
とどのつまりとしては、山本五十六はそう考え、実行しようとした。

しかし、これが大問題。
それが妥当か否かはまた別として、とにかくそれ、短期決戦の戦略なわけだ。
ところが国家としての日本の戦略は、長期戦でいくと決定されている。

完全に食い違っているわけで、したがって山本五十六は、やはり解任されるべきだった。
そうしないのであれば、国の戦略全体を転換しなければならなかった。

ところが、どちらも行われず、結局、矛盾した戦略が中途半端に実行され、
どのみち日本に勝ち目など無いが、日本は無残なまでの敗北を喫していくことになる。
0129不来方史郎(仮) ◆KWNhh7Qt5Y
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2018/07/18(水) 23:41:27.70ID:dipyg1430
【89】

山本五十六については、もう少し言及すべきことがある。

これまた周知のことだが、山本五十六は近衛文麿に対米戦の見通しを質問された時、
明確には答えていない。
「それは是非やれと言われれば、初め半年や1年の間は、随分暴れてご覧に入れる。
しかしながら、二年三年となれば、全く確信は持てぬ」としか言わなかった。

適当な数字ではなく、長くても二年というのが、当時の日本海軍の研究結果だった。

それでは何故、はっきり勝ち目はない、あるいは非常に薄いと明言しなかったのか?
および、山本五十六が対米戦争に反対だったことは史料から明らかなのだが、
そう明言しなかったのは何故か?

その真意は当人にしか分かるわけなく不明だが、戦後に井上成美や大井篤が証言している。
要は、そう振る舞うことこそが海軍軍人としての勤めだったということ。
これ、いかにも真面目で勤勉な日本人の考えそうなことだし、筋道は通っているので、
おそらくそういうことだったのだろう。
つまりは日本人の民族的な習い性だったと思われる。

ただし、それが賢明だったか、あるいは正しかったかは、別の話になる。
井上成美も、近衛文麿にははっきり言うべきだったと、ここは批判している。
0130不来方史郎(仮) ◆KWNhh7Qt5Y
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2018/07/18(水) 23:42:56.01ID:dipyg1430
【90】

真珠湾攻撃については、宣戦布告が行われなかったという問題もある。

一般には「宣戦布告が遅れた」と誤解されることが多いが、
正しくは、日本が伝えたのは外交打ち切りの覚え書きで、
宣戦布告の文書でも、最後通牒の文書でもなかった。
つまり日本は、宣戦布告はしていない。

宣戦布告については、当初は海軍が、そう明言はしていなかったが、反対していた。
これに対して外相・東郷茂徳が、最後通牒を出すことを主張。
それが政府・陸軍・海軍の合意を得て決定となった。
これらの議論や決定は、開戦決定後、連絡会議において。

同様にして、その文面は外相一任と決められた。
そして東郷茂徳は、それを外交打ち切りの文書とする。それで意味が通じるはずと考えたため。
それは東郷茂徳の誤解であり、だから宣戦布告の文面では無くなってしまったのだが、
しかしそれは作成後に政府・軍部の同意を得ており、だから東郷茂徳ひとりの責任ではない。

そして宣戦布告は、アメリカに対してだけではなく、イギリスにもする必要があった。
しかし日本は、こちらも怠った。『時代の一面』によると、
その時の日本はイギリスとは交渉していないから交渉打ち切りの通告は出来ないということで、
すなわちそれは、東郷茂徳が国際法を誤解していたためだったと思われる。
0131名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/07/18(水) 23:52:51.11ID:vtMdylR10
■国賊・海軍・山本五十六の大罪(上 開戦まで)

@海軍軍縮条約から脱退
山本五十六の猿芝居交渉

A日中交渉を妨害するため大山事件を図る
中国都市無差別爆撃を強行、日中戦争を計画的に勃発、泥沼化させた。

B三国同盟に反対。その理由は
海軍は対米戦争準備によって予算拡大、南方兵力拡大を図るために
陸軍主導の北進論、対ソ戦を妨害することが狙いだった


C南部仏印進駐
対米交渉の進展を阻止することが目的で海軍が主導。
海軍側の豊田外相による猿芝居


D水面下で海軍と結託した野村大使による偽りの外交
真珠湾をだまし討ちを成功させるための猿芝居交渉
0132名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/07/18(水) 23:57:58.30ID:vtMdylR10
.
.
.
山本は日本を救うために、真珠湾奇襲を決断した

誰よりも日本の未来を見抜いていた、その屈託した先見性

それが山本五十六の実像に他ならない。

.
.
       ヽ〃   真珠湾奇襲プシュ!    
      ( _)
       | |  シコシコ・・・ シコシコ・・・
       | | /⌒⌒⌒ヽ/~ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ     
     /⌒ヽ⌒ヽ___   |  ∴ヽ  3  )
     /  ゝ      |
    /  _  ゝ___)(9     (` ´) )j
   /  丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-| ハァハァ…
  /   )           (彡       |
 / _/           \____/

山本五十六を賛美して毎回射精w 

ホラ吹きジジイ 自称歴史探偵団www
 半藤一利wwww
0133名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/07/19(木) 00:02:28.32ID:Hja52Dfi0
■国賊・海軍・山本五十六の大罪(下 開戦後)

@インド方面の作戦を妨害したい連合軍側の挑発にまんまと乗って
日本軍を対米戦で消滅させ、日本の敗北を決定的にした

A補給が続けられない遠方を攻略し、その後無責任に放置して
各地で部隊を窮地に追い込む。

Bソロモン消耗戦で、日本の航空機、パイロットを
ひたすら無駄に消耗させ日本の航空兵力を壊滅に追い込んだ

C山本五十六は捕らえた捕虜、民間人をすべて処刑するよう命じていた
0134名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/07/19(木) 00:27:31.17ID:twk7TnmQ0
■■■山本五十六は報告書資料を改竄していた。

週刊新潮8月30日掲載の「A級戦犯」遺族の告白(後編)p.58〜 
A級戦犯の佐藤賢了氏三男の巌氏の話による賢了氏の戦後述懐

「御前会議で、開戦になった場合に戦争続行が可能かどうか議論になった際、
海軍は艦船などの消耗量の数字を示し、戦えると答えたそうです。
しかし実際に開戦してみると、消耗量は海軍の予想以上に激しかった。

この日岡さん(敬純氏 A級戦犯 海軍省軍務局長)が持ってきた資料は、本来、御前会議に提出されるべきものでした。
それを見ると、とてもじゃないが戦争は無理だと判断せざるをえない。

そこで父(賢了氏)が事情を尋ねると、『山本五十六さんが数字を書き換えた資料を提出してしまった』と答えたそうです。

『どうして反対しなかったんだ!』と父は問い詰めたそうですが、
海軍の中では誰も山本さんに楯突くことはできません。という旨の答えしか返せなかった。
『山本は許せん』と父(賢了氏)は戦後も言っておりました」
0135名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/07/19(木) 00:39:10.56ID:twk7TnmQ0
日本を大敗させたアホの山本五十六

■小室直樹 『硫黄島 栗林忠道大将の教訓』
「大東亜戦争の初め、東条首相は真珠湾攻撃を知らなかった。
これは東条のみでなく、陸軍全体が知らなかった。 誰もが驚くような話である。
何故かと言えば、日本軍の共同体の構造がそのようになっていたからだ。」  
 
■佐藤晃 『太平洋に消えた勝機』
「だがこの時すでに、真珠湾作戦部隊はヒトカップ湾をハワイに向けて 出航している。
政府はこのことを知らされていない。 略
国家存亡の戦争を行う国の最高指導者が知らぬまに、
そして 共同作戦をとる陸軍が知らぬ間に、このような重大作戦が決行される事など、
最高指導者の下に統合幕僚組織のある普通の国では考えられないことである。」

■西村眞吾 『眞悟の時事通信 No.693』
「つまり連合艦隊司令長官は、この時既にハワイ真珠湾攻撃を決意していたのだ。
このことは海軍軍令部総長も知らない。
もちろん、首相である近衛も十月に首相になった東条も知らない。」  略
腹案は、よくできている。そして、現実には、第一段階(南方作戦)は一挙に達成され、第二段階(西亜作戦)の途中まで達成された。
しかし、この「戦争終末促進に関する腹案」の基本方針に反することを、最初から実施し、しかも順調に進んでいた第二段階を自ら放棄して、
結局、腹案全体の戦略と戦術、我が国家の基本戦略を崩壊せしめた人物がいた。
我が国から統合幕僚本部を喪失させた山本権兵衛に続く、海軍のもう一人の山本。山本五十六連合艦隊司令長官である。

■茂木弘道『史実を世界に発信する会』
その基本戦略に反する戦いを始めたのは、海軍の山本五十六連合艦隊司令長官であった。

山本提督一派によるパフォーマンスのようにしか見えない戦い方だが、最初の真珠湾攻撃で意見の対立が生じたとき、
山本提督を更迭するだけの力(それだけの人物)と覚悟が海軍上層部になかったということなのか。
結果、日米戦争での日本の戦いは相手(米国)のリングで戦うことになり、惨憺たる負け戦になったことは史実が示す通りである。
0136名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/07/19(木) 10:06:29.12ID:xEQzFFKq0
>>123
艦隊決戦に勝つためには、事前の航空戦や水雷戦で勝利して米海軍主力(戦艦)を削って日本艦隊に有利な態勢で決戦する必要がある。
これが漸減作戦。

しかし、米海軍もアホじゃ無いので、事前の航空戦や水雷戦で不利な状況なら、主力決戦を避けて撤退し、修理補充して圧倒的戦力を貯えてから再度攻撃してくる。

迎撃戦略では、決戦するかどうかの選択権が米海軍にあるのでどうしようもない。

また、互角の態勢で決戦が起きると、日本側の図上演習では、日米相打ちか日本側有利程度で米艦隊は撤退し、やはり補充力の差で米艦隊に押しつぶされるという展開が見えていた。

いずれにせよ迎撃・漸減作戦は破綻していて、日米戦争では日本海軍必敗だと日本海軍は知っていた。
破れかぶれの山本戦略が現れるまでは。
0137名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/07/19(木) 13:11:23.74ID:zFHvG3Cr0
>>123
>>136
そこで、湧いてくる疑問がある。

それは、山本戦略無しに日本海軍は戦争に踏み切れたのだろうか?というもの。

山本五十六は、日米戦争に反対しつつ、真珠湾攻撃を計画して訓練する事で、
日本海軍に「これならやれるかも」という誤った幻想を抱かせて、
結果的に日本帝国の道を誤らせたのではないか。

山本五十六は中途半端に有能で実行力があったために、日本帝国を滅ぼしたのではないか。
0138名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/07/19(木) 13:21:23.59ID:zFHvG3Cr0
>>130
そもそもパリ不戦条約で戦争は違法になったので、合法的に戦争開始するための宣戦布告はその国際法上の意義を大部分失った。

他人の家に強盗に入る(=戦争開始)前に、ピンポン押して(=宣戦布告)家人に断りを入れても、強盗罪も不法侵入罪も消える訳ではない。

多少お行儀が良いかどうかだけ。

真珠湾攻撃は、計画的な先制攻撃で戦争開始するという点で、パリ不戦条約違反、平和に対する罪を内包した侵略的軍事作戦。
まっとうな軍人は、祖国に違法行為をさせるような、そのような侵略的計画を立てるべきでないし、実行すべきでもない。
違法と知ってなお、祖国の生存の為にそれが必要だと確信するならやむを得ないが。
0139名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/07/19(木) 15:24:12.16ID:zFHvG3Cr0
>>104
ルーズベルトの突然の無条件降伏要求は、第二戦線を要望していたスターリンを宥める目的だと思われます。

スターリンは米英が独ソ共倒れを狙っていると勘ぐっており、1941と1943にドイツとの講和を模索したことがあります。
戦前に戻すというベースで、ドイツ側に拒否されていますが。

米英としては独ソ講和は悪夢ですが、まだしばらくフランス上陸は出来ないので、独ソ講和を阻止するため、
ドイツに対する非妥協的態度を明確にする必要がありました。
0140不来方史郎(仮) ◆KWNhh7Qt5Y
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2018/07/19(木) 23:14:30.17ID:9FDJs0pT0
ここは一応返信しておくけどさ。

>>134
元々『艦船などの消耗量』なんて研究は、日本海軍は全く行ってこなかった。
にもかかわらず、開戦直前にその数字を出せと命令されて、
しょうがないので担当者が適当な数字をでっち上げ、
それだから開戦後の実態とは完全に違ってしまったという経緯。
結構有名だと思うけど、知らない?
山本五十六は、何の関係もないよ。


>>135
猪瀬直樹以外は、みんなトンデモ作家じゃないさ。
そんなもの、真に受けてちゃいけないよ。
まあ、全部が間違いってわけでも無いけどね。

それから、当時は統帥権の独立の時代なので、
海軍の軍事情報は、海軍以外には秘密なのが当前。海軍大臣にもね。
同様に、陸軍の軍事情報は、陸軍以外には秘密なのが当前。陸軍大臣にもね。
だから首相兼陸相の東条英機は言ったわけさ。
「統帥権の独立の下では戦争指導は出来ない」
0141不来方史郎(仮) ◆KWNhh7Qt5Y
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2018/07/19(木) 23:15:07.06ID:9FDJs0pT0
真珠湾攻撃については、返り討ちどころか全滅の可能性すらあるリスキーな作戦であること、
山本五十六自身が明言しているわけで。
それでもそれを断行する以外アメリカに勝つ手段はないというのが山本五十六の主張なわけで、
つまりそれは、軍人である以上もちろん命じられれば全力で戦うが、
「できればアメリカとの戦争は回避してほしい」という意図も、
非常に婉曲に含んでいたと解釈するのが、妥当だと思いますよ。

>>136
↑というわけで、そういう主張は成り立たないと思いますよ。

>>137
日本海軍は、当初、当たり前に南方へ艦隊を差し向けてアメリカと開戦する意思でした。
ついでに最後まで真珠湾攻撃は危惧しており、だからその成功は「天佑だ」になるわけで。
だから、山本五十六がいようがいまいが、開戦にはなっていたでしょうね。

>>138
まずひとつには、実態がどうあろうと、規定がある限り、法的には制約されるということ。
そして、不戦条約違反ではあるものの、ハル・ノートを挑発と解釈し、
それを受けて立つのだから正当だという論理に立てば、理屈としては違ってくると言うこと。
ただし、イギリスに対する戦争はどうなんだ?だし、色々な思惑など絡んでくるので、
このあたりも面倒な話になると思いますけどね。

>>139
確かに、ルーズベルトの真意は分からないので、決めつけるのは間違いだったかも。
でも、こういう史料もありますよ↓
ttp://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/01/001shoshi.html
種々の事柄を総合判断すれば、日本やドイツの牙を抜くために、
無条件降伏が必要だったという解釈で、私的にはOKだろうと思いますね。
0142不来方史郎(仮) ◆KWNhh7Qt5Y
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2018/07/19(木) 23:15:34.27ID:9FDJs0pT0
【91】

続き。

外交打ち切りを伝える対米覚書は、宣戦布告の文書になっていないだけでなく、
その伝達が攻撃後になるという失態もあった。

それは、大使館側の怠慢と言えば怠慢なのだが、
機密保持にこだわりすぎた東京側の指令の不適切故でもあった。

つまり東京では、攻撃直前にその文書がアメリカ側に届くよう、
機密保持の観点から念には念を入れて、海軍が計算していた。
結果、文書の最後の部分および「午後一時(ワシントン時間)に手交せよ」という指令が、
ワシントンの大使館に届くのは、未明となった。

ところが機密保持のため、東京側は大使館に、事前には何も伝えていない。
外相・東郷茂徳は、「訓令次第何時ニテモ米側ニ手交シ得ル様」と、
万全の手配をするよう指示しており、その通り忠実に実行されれば良かったのだが、
大使館側は、そこまで事態が切迫しているとは夢にも思わなかった。

なので、本当は徹夜で文書作成に当たらなければならないところを、
まさか未明に電信が届くとは知るよしもなく、
その日届いた電信すべての暗号翻訳だけ済ませて、帰宅してしまった。

翌朝登庁したところ、未明に届いていた東京からの予想外の指令に驚愕。
慌てて文書作成にかかったものの、
アメリカ人タイピストを使うなという指令に従ったこともあり、
指定の時間には間に合わなかったという経緯。
0143不来方史郎(仮) ◆KWNhh7Qt5Y
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2018/07/19(木) 23:16:04.47ID:9FDJs0pT0
【92】

それから、こういう記事↓を見つけたんだが、これは誤りだろうね。
ttps://www.nishinippon.co.jp/feature/attention/article/304280/

「175字もの訂正電報を〜〜」なんて書いてあるけど、
対米覚書の第13部(全14部)は4000字にも及ぶので、
それと比べれば、わずか175字だろう。

そして、第13部までの翻訳作業は前日までに終わっており、
遅れたのはそれを文書として清書する作業の方で、
これはアメリカ人タイピストを使うなという指示に従ったためでもあった。

それで結局は、単純に機密保持にこだわりすぎたため起きた過失。
そう解釈するのが妥当だろうと思う。
0144不来方史郎(仮) ◆KWNhh7Qt5Y
垢版 |
2018/07/19(木) 23:18:42.85ID:9FDJs0pT0
【93】

それで、ネットの海を漂流中に対米覚書は見つけたんだが、
どうやらそのURLは書き込めない様子。
だけど検索すると見つかるはず。

とにかくそれ、どこをどう見ても「外交を打ち切る」という内容でしかなく、
それを宣戦布告または最後通牒と解釈することは不可能。
したがって『開戦に関する条約』の違反になる。
「行動の自由を留保するものとす」の一文さえ入れておけば良かったものを、
そうしても何のデメリットも無かったはずを、東郷茂徳はそうしなかった。

ただし常識的には『外交の終わり』イコール『戦争の始まり』なので、
この後に日本が戦争を始めることは、ほとんど明らかだった。
少なくとも日本の外交暗号を解読していたアメリカは、そう考えていた。

とはいっても、本当にその常識通りなのか断定不可能だし、
アメリカを避けてイギリス・オランダとだけ開戦する可能性もあるし、
本当にアメリカに対する戦争なのか判断不可能だ。
その後に本当の宣戦布告が来る可能性もあるわけだし。
0145不来方史郎(仮) ◆KWNhh7Qt5Y
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2018/07/19(木) 23:19:07.01ID:9FDJs0pT0
【94】

そもそも宣戦布告の義務は、『開戦に関する条約』による。↓
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%8B%E6%88%A6%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E6%9D%A1%E7%B4%84
日本とアメリカは共にそれに加盟しているため、日本には攻撃前に宣戦布告する義務があった。

ただしその第三条に総加入条項があり、当時日本の同盟国だったイタリアが、ここに引っかかる。↓
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%A3%E6%88%A6%E5%B8%83%E5%91%8A
なので、もし真珠湾攻撃が日本軍とイタリア軍の共同攻撃だったなら、日本に宣戦布告の義務はなかった。

事実はそうではなく、イタリアがアメリカとの戦争に参加するのは、真珠湾攻撃から四日後、
イタリア自身がアメリカに宣戦布告してからになる。
それ以前のイタリアは、日米戦争に関する限り、無関係な第三者。
だから法的には、やはり日本に宣戦布告の義務はあったことになる。
0146不来方史郎(仮) ◆KWNhh7Qt5Y
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2018/07/19(木) 23:19:28.82ID:9FDJs0pT0
【95】

法的な話の続きとして、太平洋戦争は、日本にとって自衛戦争といえるのか?という話。

なぜ自衛戦争か否かが重要なのかというと、それは不戦条約(1928年)による。
それにより、自衛戦争および条約上の義務に基づく戦争以外は違法とされたため。

したがって、もしそれが自衛戦争ならば、正当、
すなわち「法や社会的通念に照らし合わせて理がある」ということになる。
日本にとっての太平洋戦争が、条約上の義務と無関係なのは明らかだから。

ついでに言っておくと、第二次世界大戦当時は単に違法というだけだったが、
戦後になってアメリカが、事後法で犯罪としてしまった。
0147不来方史郎(仮) ◆KWNhh7Qt5Y
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2018/07/19(木) 23:20:04.80ID:9FDJs0pT0
【96】

では自衛戦争とは何なのか? というと、これが実は、ものすごくやっかいな話になる。
これ、成文化されているわけでは無く、慣習法の範疇の話になるからで、
じゃあ慣習法とはどういうものなのか?という話にもなっていくから。

そういうやっかいな話は省いて、私的には、一般的にそれは、
敵から何らかの攻撃を受け甚大な被害を被った後、または領土なり権益なりが侵害された後、
それに反撃する形で始められる戦争を指すと言えると思う。
ただし攻撃の種類は不問で、テロでもよい。

たとえば近年では、9.11テロからアメリカはアフガン戦争を開始したが、
それはほぼ全世界が一致して自衛戦争と認めた。
しかしイラク戦争では、イラクはアメリカを攻撃しておらず、アメリカ自身も自衛戦争とは言わなかった。

日本は満洲事変を自衛と主張したが、それは中国側が先に攻撃してきたというもの。
リットン調査団報告書はそれを否定しているが、その論理は、
「被害が非常に小さいので、たとえ本当に中国側の攻撃だったとしても、自衛とは認められない」。
こちらは国際連盟のお墨付きということになる。

太平洋戦争の場合、アメリカおよびイギリス・オランダは、日本を攻撃していない。
石油の禁輸など経済制裁は行っていたが、そもそも必要な場合に経済制裁することは正当だし、
それが自衛戦争の事由に当たるとは考えられていない。
故に、自衛戦争と主張することは不可能。というのがまあ、一般的な解釈だと思う。

これについて、先制的自衛権とか、「何が自衛かは当事国が勝手に解釈してよい」という説もあるが、
これは単に「そういう説もある」というだけで、不戦条約以後、そんな主張して認められた事例はない。
なにより、当時の日本はそんな非常識な主張はしていない。
なので、歴史の話としても法的な話としても、「そんなのは認められない」でおしまいとなる。
0148不来方史郎(仮) ◆KWNhh7Qt5Y
垢版 |
2018/07/19(木) 23:20:36.86ID:9FDJs0pT0
【97】

それから、『「マッカーサーは、日本は自衛戦争した」と言った』説があるが、
結論としては、それは単なる事実誤認。

事実としては、マッカーサーは、自衛戦争とは言っていない。
正しくは「日本はセキュリティのために戦争した」が、マッカーサーの言葉だ。

セキュリティを何と訳すかに、少々問題はある。普通に訳せば「安全保障」だが。
しかし、そのために戦争したという言葉を、自衛戦争と解釈することは不可能。

普通に解釈すれば、それは「予防戦争した」としかとれず、
イラク戦争の際にフランスがアメリカを批判したように、
国際法上、予防戦争は正当とは認められない。

そして参考としては、こういうページ。原文と訳がある↓
ttps://ameblo.jp/scopedog/entry-10023353939.html
0149不来方史郎(仮) ◆KWNhh7Qt5Y
垢版 |
2018/07/19(木) 23:22:07.83ID:9FDJs0pT0
【98】

それから、これは個人的見解。
正当か不当かとかいう話なら、私は心底マキャベリズムを信奉しているので、
そんなくだらねー話、どーでもいい。

『勝てば官軍負ければ賊軍』・『力は正義なり』が、この世の習い。
いかに悪事を働こうと、勝てば不問になるのさ。時には英雄にもなれる。
例えばトルーマンやルメイのように。
また、反逆者として母国フランスから死刑宣告されていた、ド・ゴールのようにね。

逆に、敗者が何を訴えようと、そんなのは負け犬の遠吠えに過ぎない。
言うこと自体は勝手だけどね。

なんだが、マキャベリも単純に悪を行えとは言っていない。
ここも色々なんだが、そのひとつが、「上辺を取り繕いつつ」ってこと。
つまり、「私は善人ですよ、法は遵守しますよ」という心にもないポーズ。

なんと言うかだね、この世の現実は、本音と建て前の二階建てで出来ている。
薄汚れた大人たるもの、その両方を知っておく必要がある。
そういうわけで、国際法についても記してみた。

とどのつまりとしては、どっかで聞いたような台詞だけど、
善人と賞賛されて死ぬよりも、悪賢く、悪人と罵倒されて生き残るべきなのだってこと。

そしてそれは、そんなかっこいいものでもない。
「強いものにはへつらおう 弱いものはいたぶろう!」(『ハイカラさんが通る』より)
なんてのも、これはジョーク混じりだが、この世の現実なのだってこと。
ttps://ameblo.jp/minami-saka/entry-11607549311.html
0150不来方史郎(仮) ◆KWNhh7Qt5Y
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2018/07/19(木) 23:23:01.55ID:9FDJs0pT0
【99】

ついでに、歴史とは、どのような学問か?

いうまでもない当たり前だが、歴史とは、
史料を手がかりに過去の出来事を解明していこうという学問。
史料に基かないのであれば、それはフィクションだ。

なのだが、ただ史料に当たるだけではだめで、それを正しく解釈する必要がある。
これが、ものすごく難しい。

ありがちなのが、一部の史料だけに目を奪われてしまい、全体を見誤ってしまうケース。
とにもかくにも、歴史とは総合判断だってこと。

そして、必要な知識・教養を欠いているために、史料を読み誤ってしまうケース。
これはいろいろあるんだが、よくあるのが、
軍事知識が皆無なまま戦史を学ぼうとし、結局、誤解してしまうケース。

歴史というものは、当然、とにかく歴史を学ばなければならないわけだが、
難しいことに、ただそれだけでは理解できない。
その他に非常に幅広い教養が必要になる。雑学まで含めてね。

なので、若者のうちに歴史を理解することは、たぶん不可能だ。
そういう教養を欠いたまま老人になってしまった人も多いけどね。
0151不来方史郎(仮) ◆KWNhh7Qt5Y
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2018/07/19(木) 23:23:25.59ID:9FDJs0pT0
【100】

歴史というものは、実はさらに面倒くさい。

先述のように、それは史料に基づかなければならない。
しかし史料とは、当時の出来事の全てが記されているわけでは無く、欠落がある。
そして、人間が記すものである以上、そこには誤記もある。時には、ねつ造も。

それらは推測(あるいは仮説)で埋めるしか無いわけだが、
そうである以上、それは絶対的な意味での真実ではありえない。

例えば、当事者の証言。それも貴重な史料には違いないんだが、
問題は、それが事実と食い違っていることも多いと言うこと。
だからそれを鵜呑みにすることは出来ないんだが、
問題は、それひとつしか史料がない場合もあるということ。
そういう場合、それが正しいか否か、どうすれば分かるんだろうね?

だから、真実の歴史など、人智を持ってする限り、絶対に到達できない。
この辺りが面白いところでもあるんだけどね。

とどのつまりとしては、『正しい』とは、どういうことか?ということ。
それは分野によって異なるんだけどね。
科学とか法学とか政治とか、マイケル・サンデルのような正義とか。

ここでの話は歴史という分野の『正しい』なんだけど、
それはいったい、どういうもの何だろうね?
0152不来方史郎(仮) ◆KWNhh7Qt5Y
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2018/07/19(木) 23:25:23.77ID:9FDJs0pT0
それでは、今回は、これでお仕舞い。
こんな長いの、読む方も大変でしょうけど、書く方も疲れた。
なんだがとにかく、太平洋戦争というのは、そこまで面倒な話なんだってこと。

色々至らぬところもあるだろうけど、参考になるようなら幸いです。

それから近現代史の場合、史料はとっくに出尽くしており、
それを歴史家たちが何十年にもわたって研究を重ねている。
だから、アマチュアが少々頑張ったところで、いわゆる定説以外になるわけがないのさ。
なると思うなら、それは知識と常識の欠如に起因する、トンデモ説に毒された中二病さ。

ところが、そういう定説を知ることも、実は非常に難しい。
なので今回、少々工夫して、なるべく簡潔にまとめてみた。

つまり今回書いたのは、新説なんかではなく、ちょっと本を読めば分かる既知の事柄だけ。
ただし少々私見も混じっているし、もしかしたら誤記もある。
この点、一応、おことわり。

それでは。
0153不来方史郎(仮) ◆KWNhh7Qt5Y
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2018/07/19(木) 23:52:25.55ID:9FDJs0pT0
申し訳ない、>>141で、ひとつ間違えた。

山本五十六は、全滅の可能性なんて、言っていなかった。
言っていたのは、危険で困難ということ。

まあその、またあとで落ち着いて確認してみる。
0154戦犯は山本五十六【1】
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2018/07/20(金) 02:22:37.96ID:F0ybNter0
連投して問題を拡散し、結果、何が問題かをわからなくさせるべく
国民を欺いて扇動しようとしている人がいます

本人はマキャベリズムを信奉していると言ってますので、しょうがないですね。
自分らの利益になるなら、歴史観なんて、嘘でも何でもかまわない。
こういう考えでしょうね。
本音を自分で書いてます。


対米開戦の理由は単純で明快で、海軍の都合と暴走がその原因です。
海軍の山本五十六がどうしても1941年内に真珠湾奇襲をやりたかったからです。

海軍は陸軍の対ソ戦阻止しか頭にありません
海軍は開戦の1年前から真珠湾奇襲を決意しており、
対米交渉なんか初めから眼中にありません。
もし交渉が進展すれば、妨害して潰します。 実際にそうなりました。

日本の主導者の多くは陸軍は暴走するから、陸軍主導より
海軍主導のほうが安全で手堅いと思い込んだかもしれません。
しかし実際には山本五十六が主導する海軍は、陸軍以上に遥かに愚かでした。
海軍は大暴走し、世界中を戦争に巻き込みました。

当時、海軍が敵視していたのは、アメリカでも中国でもありません。
海軍は陸軍を敵視し、陸軍に負けるくらいならば、アメリカと全面戦争をやって
負けた方がマシだと考えていたと言われています。

アメリカの対日禁油が悪いなんて言ってますが
その前にその原因となった南部仏印進駐で
日本は何をしてたか知ってるでしょうか?

日本は南部仏印になんと14個もの飛行場を超急ピッチで整備し
陸海軍の主力を集結させ、連日上陸作戦の猛訓練です。
まさに開戦前夜です。
誰が見ても日本は対米英戦争を決意したと思われて当然です。

南部仏印進駐は、進行中の対米交渉を妨害、破綻させるために海軍によって強行されました。
元海軍次官、豊田外相による計画的な策略でしょう。
0155戦犯は山本五十六【2】
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2018/07/20(金) 02:23:29.16ID:F0ybNter0
最近一部の人間らが
ルーズベルトを悪党、戦争屋のように言ってますが、戦犯は野村大使の方です。
日本の海軍はアメリカを仮想敵国に見たたてて予算拡大を図り
対米戦争準備を始めました。

そんな国がアメリカに石油を売れといって、アメリが石油を売るでしょうか?

仮に大統領や石油会社が売りたいと思っても、アメリカ国民が怒るはずです。
なんで対米英戦争を準備中の国にアメリカが石油を売らなくてはならないのか?と。
アメリカが対日禁油に至ったのは当然のことで非は100%日本側にあります。


野村大使はもと海軍大将であり、海軍の山本五十六、米内、嶋田海相らとは親密な関係でした。
アメリカでは野村大使は海軍と結託し、真珠湾奇襲を成功させるべく、米政府をだます「偽りの外交」を
やっていたと非難されましたが、その見解はそのとおりです。

外務省と海軍は裏で結託してアメリカ政府だけではなく、日本政府をも欺いていました。
何が何でも真珠湾奇襲を成功させるためです。

日本大使館の対米交渉は、真珠湾奇襲を成功させるための日本の猿芝居でした。


しかし戦後、アメリカは共産主義との闘いが優先され、それには陸軍悪玉論のほうが都合がよく
(陸軍のほうが大資本勢力が金の力で世界を支配する市場原理主義を批判する社会主義派が多いため危険だと見られました)
野村大使は戦争責任を追及されるどころか、CIAの工作員になりました。


日本ではこうした海軍の暴走を 戦後ずっと隠蔽し、陸軍を悪玉に仕立てて宣伝してきました。
これは国家ぐるみの策略ですね。
0156名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/07/20(金) 02:39:34.09ID:F0ybNter0
日本の権力者、支配層は国民はアホだから
歴史の真実なんか知る必要は無い。
捏造された通説を信じ込ませておけば、それでよい。

こう考えているのでしょう。
商売、金もうけが全てで、経済発展が第一。
それが国益につながる。

そのためには、歴史観なんぞ嘘八百でかまわない。
国民なんぞが真実の歴史を知る必要は無い。
国家が提供した通説を信じ込んでいれば良い。
これが権力者の本音でしょう。

これがマキャベリズムというやつですかね。
国民をバカにしています。
0157名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/07/20(金) 03:00:33.46ID:F0ybNter0
>>152
>それでは、今回は、これでお仕舞い。

書きっぱなしで反論もせず逃げるとはどういうことか?
異なる見解に対し
「それは知識と常識の欠如に起因する、トンデモ説に毒された中二病さ。 」
などと大口を叩くなら、いいわけして逃げず、ちゃんと論理的に反論をして
論戦してもらいたい。
反論してくる相手に対しては、ひたすらレッテル貼りして逃げるしか
出来ないのか?
0158名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/07/20(金) 12:37:09.12ID:iv77bA7w0
>>146
事後法で犯罪としたが、英米法は判例法の世界で、裁判を通じて既にある神の法を発見していくという考えがある。

事後法非難する連中も、ユダヤ人の合法大量処分を処罰すべきでないとは言わない。
刑法はなくても、人道に反する大量殺人は罪であって、処罰に値する。

翻って、大戦争を引き起こすのは大量死を招く行為。合法な戦争ならやむを得ないが、違法な戦争を敢えて故意に引き起こした責任者は、大量死についても責任を負、処罰されてもやむを得ないのではないか。

とは言え、連合国も、A級戦犯を政治的決断の責任のみで死刑にする事は気が引けて、B級戦犯と併せて1本で死刑にしてる。

A級戦犯の罪は、もしかするとエイズ血液非加熱製剤の流通継続の罪と少し似ているかも。
大量死を招く行政行為が、殺人罪になるのかという…
結局、業務上過失致死になっちゃったけど。
0159名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/07/20(金) 19:39:25.88ID:5h1hFZlB0
>>156
事後法で個人を裁く行為は、如何なる理由があろうとも
許される行為ではない。(法の不遡及)
特に死刑など重罰は、例外なくあってはならない。

これは国籍やその時代の既存法、国際条約等や政府の政治判断など
いかなる権力機関も犯かすことが出来ない、人間が生まれながらに有する
自然法として、基本的人権のなかで最大限に保護されるべき
人類普遍の権利だとされ、これに異論、例外はまったく無い。


したがってこれを犯した東京裁判に正当性はまったくない。
どんな理由や都合があろうとも、
東京裁判は不正、不当な裁判で間違いない。
0160名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/07/20(金) 20:10:08.24ID:P0FNK2ve0
>>159
法の不遡及も、民法には及ばないし、刑事でも公訴時効には及ばないとされる。

まあ民事でも混乱や不意打ちを避けるために通常は経過規定が置かれるし、私も公訴時効を後付けで延長するのはどうかと思うが…

不遡及原則は一つの普遍的な手続き的正義だが、実体法的に巨大な悪を見逃すのとどちらが大きな悪かという価値判断。

また、法の不遡及は、運用の前提として立法が整備されている近代社会が必要。

無人島に15人流れ着いた集団に法の不遡及とか運用不能で、事件が起きる度に個別に法を創造しつつ解決していくほか無い。

1945年の国際社会は、どっちかというと無人島に流れ着いた、法を模索しつつあった野蛮な社会なわけで。
0161名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/07/20(金) 20:23:35.11ID:5h1hFZlB0
>>160
近代の話、東京裁判の話しをしてるんだが?
無人島の話なんか関係無いな。

事後法で個人を裁いた東京裁判には
正当性はまったくない。
仕方ないで済む問題でもない。
国家の判断も条約も関係無い。

東京裁判は不正で不当な裁判であった。
これは間違いない話し。
この歴史的な事実の判断に変わりは無い。
0162名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/07/20(金) 20:45:23.38ID:P0FNK2ve0
>>161
東條ら戦犯の人権保護に熱心でそれはよいことだが、
戦犯の無法で無謀な戦争で死ぬこととなった数百万数千万の被害者の人権には無関心なのかな?

そこの所で悩んで、有るべき正義、有るべき国際平和をどう打ち立てるかを考えて結論しないと説得力ないよ。
0163名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/07/20(金) 22:14:07.13ID:5h1hFZlB0
>>162
では聞くが
どういう結論が正義で正しいと言いたいのか?
0164名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/07/20(金) 23:23:00.09ID:N5GaxgNt0
このスレは低能しかいない
太平洋戦争をちょっと調べただけでイカサマと判る
マジで戦争していたのは現場の兵士だけだ低能

日米の上の方はイカサマ戦争の協力関係であり、勝ち負けの関係ではない
すると、天皇は進駐軍と対等、もしくは上
すると、東京裁判は天皇が進駐軍にやらせたものと見えてくるわけだ

天皇の身になって考えてみれば
国内外に、自分に戦争責任が無かったことを知らしめたい
そこで東京裁判というショーによって陸軍に戦争責任を押し付けてやろうと考えるわけだ
0165名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/07/21(土) 13:28:24.24ID:KUGiog8T0
>>162 >>163
いいねえ。  東京裁判について、
『有るべき正義、有るべき国際平和をどう打ち立てるかを考え』た判決とは
どんな内容なのか、 どんな内容であるべきだったのか、 
162氏もそこまで書かないと 『説得力ないよ。』 

どういう結論が正義で正しかったんだろうかねえ。 一応、裁判だから法的にもしっかり論理構成できてないと、
中世の魔女裁判と同じレベルになるし難しいね。
0166名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/07/21(土) 16:22:29.20ID:Wa4CUEWC0
経済制裁に対しては自衛戦争が成り立たないってのは大国が主張してる話 
つまりは強者の理屈だ
今でも小国、つまり経済制裁食らったらひとたまりもない国々は経済制裁に対して自衛戦争は成り立つと主張する
そして少なくとも当時の日本にとって(むしろ今もだが)資源が手に入らないのは死活問題だった
0167名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/07/21(土) 19:36:55.14ID:SthpKgNQ0
>>112
>第一次世界大戦の戦後処理が適切であれば、

戦後ベルサイユは失敗だったとスターリンもチャーチルも認めている
ではドイツに対し寛大に賠償金を求めず、領土も保全していればナチズムは台頭しなかったのだろうか
賠償金がなかろうが、ドイツは世界恐慌で行き詰る
そうなればドイツ人の中の第一次大戦で負けたわけではないという根強い考えから、結局は
大戦を引き起こしたのではないか

戦後処理は過酷でも、1926年に国際連盟はドイツを常任理事国として迎え入れた
その後の再武装やラインラント進駐も追認した
戦後処理を甘くしようが厳しくしようがドイツはもう一度欧州再編成に挑戦したのではなかろうか
0168162
垢版 |
2018/07/21(土) 20:13:03.57ID:MiD9sGDl0
>>165
法的構成ったって、

A級戦犯について言えば、
・違法な侵略戦争を故意に開始する
・戦争の結果として大量死をもたらした
・戦争開始時に大量死を予見していた、あるいは予見し得た。
という責任者は死刑。推進者もこれに準じる。

消極的に関わった者は、情状により終身刑や禁固10年〜20年に減刑ってとこだろ。
いや、東京裁判では先に指摘したとおり、A級のみでは無期までだったようだが。

松岡は生きてれば死刑、山本五十六は生きてれば終身刑、昭和天皇は禁固20年か。
石原完爾は……満州事変単体では終身刑までかなあ。
木村兵太郎がA級戦犯ってのはよくわからんな。
あと、海軍第一委員会をどうみるか……決定権のない研究会は、処罰すべきでないと思う。(腸煮えるが)

東京裁判についていえば、日本人とドイツ人裁判官も加えるべきだったかね。

ただ、その裁判官は有能だと民族的に裏切り者扱いされ、
無能だとやはり歴史的民族的恥になるので詰んでるかもしれない。

連合軍のA級戦犯としては、蒋介石とスターリンを起訴して審理すべきだったか。
スターリンは死刑(ポーランド、フィンランド、バルト三国への侵略と虐殺)、蒋介石は禁固10ー20年(対日戦争挑発、第二次上海事変での先制攻撃)には値すると思うが…

まあ東京裁判は、限られた資源と時間と政治的状況の中で、
戦争違法化の規範を確認するために頑張ったんじゃないの?
0169162
垢版 |
2018/07/21(土) 20:16:27.49ID:MiD9sGDl0
>>166
何らの落ち度もないのに水食料の制裁とか、経済崩壊を招くような経済制裁は、
武力行使による反撃を正当化するかもしれない。
それは究極事例。

日本帝国は、ナチと手を組んで侵略するから経済制裁受けてるんで、自業自得。
そんなの自衛戦争の理由にならんわな。
0170162
垢版 |
2018/07/21(土) 20:18:14.81ID:MiD9sGDl0
>>81
南部仏印を南印と略すのは見たことないし
ダサいので辞めた方が良いと思う。

南印って、デカン高原かと思っちゃう。
0171名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/07/21(土) 20:43:03.44ID:H4qZI3VC0
>>168
わからんやつだなおまえ
無知無教養の中卒か?

そんな中世の無法国家の理屈、感情論で
個人を裁いてよいわけがない。
近代国家で魔女裁判は許されない。
例外も絶対にあってはならない。


東京裁判はそれ自体が、事後法で個人を裁くという
決定的な人権侵害行為。
どんな理由があろうとも肯定することは不可能。

東京裁判は国家権力による不正行為以外の何物でもない。
0172久しぶりにわろた165
垢版 |
2018/07/21(土) 20:55:29.04ID:SYQGkvvw0
>>168
なんで、こっちにアンカーつけてくるのかさっぱりわからない。
>>165の主旨は161氏の論やバル判事の指摘した「東京裁判の瑕疵」を踏まえた
法理を持った判決を想像してみ、
という意味なんだが、
>>168を読むに、そんな指摘もお構いなしの中学生レベルの「ぼくがかんがえた さいこうのはんけつ」としか読めない。
誰がそんなアホレスよこせと言うかいなw
君キミきみ、>>163にレスしたまえ。
久しぶりに、マゼラン星雲からのレスが来て、ビックリですよ。
やり直し。
レスは163氏宛てでよろしく。 
0173162
垢版 |
2018/07/21(土) 21:13:47.88ID:MiD9sGDl0
事後法の瑕疵については>>160でおおむね説明済み。

東京裁判に瑕疵が無かったなんて言ってないし。

日本人であろうと外国人であろうと人の死は違法。
大量死を故意に引き起こした人間はその罪を償うのが正義にかなうし、
同種行為の再発防止になる、という当たり前の見やすい理屈を言ってるだけだがね。

パル判事の無罪判決は、うろ覚えだが、
日本の侵略を免責したのではなく、
1.連合国も植民地支配しており日本を裁くのは不公平
2.事後法で被告人を裁くのは近代刑法の原則に反する
というあたりだったか。

しかし、1は法律家として筋悪の主張。インド人被害者意識がでちゃったと言うところか。

2は、未曾有の悪に対し、近代刑法の原則を超える正義の実現の為には許されることもある、と言うところか。
なかなかしびれるが。
0174162
垢版 |
2018/07/21(土) 21:21:29.63ID:MiD9sGDl0
「事後法での遡及処罰は魔女裁判同様で許されない」という主張にこだわる向きは、
ナチスドイツにおけるユダヤ人やロマや精神障害者の大量合法処分について、
責任者や実行者を処罰すべきでなかったというのか、お聞かせいただきたいね。
0175名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/07/21(土) 21:25:59.92ID:SYQGkvvw0
>>173
念のため尋ねるが、>>172を読んだ上で、>>168を書き直して
>>163にレスるする気はありますか?
0176名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/07/21(土) 21:39:25.37ID:H4qZI3VC0
>>174
考えるまでも無い。

既存の法では裁ける。
事後法では裁けない。

大量虐殺だろうが、侵略戦争だろうが
関係無い。

東京裁判は国家権力による不正な人権侵害行為で
決して許されない歴史上の誤まった不正行為。

この結論に、まったく議論の余地は無い。
0177名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/07/21(土) 21:49:02.89ID:H4qZI3VC0
>>174
そもそもナチスによるユダヤ人大量虐殺なる話しが
事実かどうかわからない。

まあ間違いなく連合国が捏造した話だな。
そういう大量虐殺があった確かな証拠が無いし
ポーランドのアウシュビッツに
大量の死体も存在しない。
ガス室は戦後に捏造された施設だしな。
0179名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/07/22(日) 08:59:24.59ID:kI/iIwQh0
原則としての戦争禁止は既にベルサイユ条約や不戦条約で国際的に合意されていたんだから、
「平和に対する罪」は事後法にはあたらんよ。
0181名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/07/22(日) 16:29:24.88ID:lTo/9JXe0
>>179
そういう話じゃないんだが?

条約(国際法)や事後の国内法で
個人を裁いていいかどうかの問題。

答えは議論の余地なく、そのような理屈で
個人を裁いた東京裁判は重大な歴史上の誤った行為であった
ということ。
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