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日本軍を包囲して攻撃するのは支那軍の基本戦略。

『抗戦簡史』中華民国国防部史政処編
和訳は防衛庁防衛研究所戦史室篇「戦史叢書 支那事変陸軍作戦」P280より
民国二十四年(1935年)冬、
張治中にひそかに命じて南京、上海方面の抗戦工事を準備させ、
戦争を避けることができなくなったとき、
わが方は優勢な兵力をもって敵の不意に出て、
上海の敵全部を殲滅してこれを占領し、
爾後、敵の増援を不可能にしようと企図した。
このため呉淞・上海周辺の各要点にひそかに堅固な工事を築き、
わが大軍の集中を掩護させ、
更に常熟、呉県において洋澄湖・澱山湖を利用し、
堅強の主陣地帯(呉福陣地)を、
また江陰-無錫間に後方陣地帯(錫澄陣地)を構築した。
民国二十五年(1936年)、
幹部参謀旅行演習を実施するとともに、龍華、徐家匯、紅橋、北新、真茹、
閘北停車場、江湾、大場江湾、大場の各要点に
包囲攻撃陣地を構築し、呉福〔呉江−福山〕陣地の増強、
京滬〔南京-上海〕鉄道の改築、後方自動車道路の建設、
長江防備及び交通通信の改善、民衆の組織訓練等を実施した。
敵は、わが方がひそかに工事を実施しているのを察知すると、
六カ国共同委員会の開催を要求し各国の同情を得ようとしたが、
わが代表の反対により何の結論もなく散会した。


そして日本軍を包囲する準備が完了すると攻撃を開始。


8月13日午前10時半頃、商務印書館付近の中国軍より日本軍陣地に対し機関銃による射撃を開始。
(中国方面海軍作戦、317頁)


これだけ証拠が揃っていてどこがデッチ上げなんだかw
息をするように嘘を吐くのは大陸や半島の血筋かw