百一号作戦

こうした状況を受けて大本営は1938年12月2日、中支那方面軍に対し
「航空侵攻により敵の戦略中枢に攻撃を加えると共に航空撃滅戦の決行」
との指示を出した。

しかし、直ちに大規模な爆撃を行う能力は当時の日本陸・海軍には無く、
また中国軍航空部隊の迎撃も無視する事は出来なかった。

中央統帥部は現地部隊に対し「航空侵攻作戦は概ね1939年秋以降に実施するので、
各部隊はそれを目処として、整備訓練に努めるように」と通達した。