>>630
計画をもし知ってれば、なんて議論は不要
なぜなら、少なくとも客観的に見れば、日本は満州を併合してたわけではなく獲得した権益で合法的にビジネスしてただけで、
満州に先にちょっかい出してきたのは中国側って事実に代わりはないからだ。
正確にはやったのは張学良で中国はそれを黙認してただけとも言えるが、日本は国民党に散々抗議したが一向に改善されなかった。

> リットンは満洲建国は不当だとしてるがな。
国としての独立と傀儡政権は否定はされたが自治政府は認められた。
日本はこれを受け入れれば良かった。
満州との関係が良好だったのは明らかだから、傀儡政権など樹立しなくとも満州政府とは良好な関係を構築できたはず。
それに日本の満州での政策は評価され、満州権益も認められたから、これを受け入れてれば中国も満州権益にちょっかいを出せなくなり日中戦争にも発展しなかった。

> 関東軍が溥儀を担ぎ出した経緯を時系列でちゃんと押さえもせずに
溥儀を洗脳して、或いは脅して祭り上げたとでも言いたげだが、溥儀が自主的に日本に泣きついたんだぞ。
清室優待条件の一方的な清算を通達され、軍隊を送りこまれてを紫禁城から強制的に退去させた溥儀とその側近らは、
イギリスとオランダに庇護を求めるもから受け入れを拒否される。
そこで溥儀は、かつて関東大震災の義捐金などを通じて溥儀と顔見知りであった日本の芳澤謙吉特命全権公使に受け入れを打診した。
これが日本と溥儀が接近するきっかけとなる。
更に1928年夏、蒋介石が北伐で北京を制圧したとき、蒋介石配下の孫殿英が清朝の王墓「東陵」を爆破、略奪する東陵事件が勃発。
溥儀はこれを聞いて激怒し、清朝の再興を誓い日本に協力を求めた。
自伝には「盗難の知らせを聞いたときに私が受けたショックは、紫禁城を追いだされたときよりも深刻だった。
この恨みを晴らせないならば、わたしは愛新覚羅(アイシンギョロ)の子孫ではないと思った」とあり、泣き崩れる側近を前に清朝の再興を誓ったと言う。