>>227
ちなみに住民を襲うことに罪悪感がなく、それが常態ではあったのは支那軍w


元支那兵の陳登元氏が自らの戦争体験を綴った『敗走千里』w

「下士斥候は大概の場合、五名か六名だ。それが揃っていざ出発という場合、彼等[斥候を命じられた兵士たち]はにやりと何か意味ありげな微笑をかわす。
陳子明の如き、わずか1カ月ほど前から強制徴募されてきた新兵には、その微笑が何を意味するものか、初めは全然わからなかった。
が、二時間ほどして、意気揚々と帰ってきた彼らを見て、新兵たちは初めて、彼らが何故にあの危険きわまる斥候を志願するかが解った。
彼等は実におびただしい種々雑多な戦利品をぶら下げているのである。
主に時計とか指輪、耳飾り・・・・といったような、小さくて金目のものだが、中には重いほどそのポケットを銀貨でふくらまして来るものがある。…
ある一人の兵が持っていた耳飾りの如き、現に、たった今まである女の耳にぶらさがっていたものを無理にひきちぎってきたからだろう、血痕が滲んでさえいた。
しかもその兵の、無智、暴戻、残虐を象徴するかのごとき、ひしゃげた大きな鼻、厚く突き出た大きな唇、鈍感らしい黄色い濁った眼・・・・
その眼が何ものかを追憶するようににたりにたりと笑い、厚い大きな下唇を舐めずり回している顔を見ていると、陳子明の胸には、何かしら惻々(そくそく)とした哀愁が浮かんできてならなかった。
あの血痕の滲んだ耳飾りと関連して、何かしら悲惨なことが行われたような気がしてならないのだった。」(同上書 p.158-159)