>>387
>【証拠1】

>どこに私「極東からの使者w」が「1929年のジュネーブ条約を批准していた」と書き込んでいるんだ?

じゃあ、何故
「つまり1937年の南京戦時には1929年のジュネーブ条約が有効なのは当たり前だよなあw」
と書いているんだ?
「1929年のジュネーブ条約が有効」というのなら、1929年のジュネーブ条約を批准していたと
解釈されても仕方がない。おまえの真意がどこにあるかなんて、特に配慮はしないので、こちらには関係ない。
こちらは、書いてある文章から判断するしかないからだ。

>私が書き込んでもいない「批准」という語句を「お前が」勝手に書き加えているんだが?

おまえが書いた原文に、おれが勝手に書き加えているという証拠がどこにあるんだ?
ここに提示してみろ。
おまえ等捏造改竄派と一緒にするな!


>【証拠2】

>「捕虜の後送」は殺害でもなければ虐待でもないw

「バターン死の行進」という虐待事件があるな。これは、場所が違うので関係ないが。

>そもそもハーグ条約にも1929年のジュネーブ条約にも「どの時点から捕虜なのか」明確に規定されていないw

馬鹿w おまえは、他人の過去の書き込みを完全に無視するのか? 既に論破済だ。
指揮官等が俘虜とみなして収容してから殺害している記録がある。「どの時点から捕虜なのか」なんて関係ない。


(再掲)

指揮官自身も俘虜と認識していた記録が残されている。

第16師団第30旅団長 佐々木倒一少将私記 『南京戦史資料集T』『昭和戦争文学全集』
 「12/13 「その後【俘虜】ぞくぞく【投降】し来り、数千に達す。」(注1)

第16師団佐々木支隊所属独立攻城重砲兵第2大隊 沢田正久中尉証言 『偕行』(証言による南京戦史)
 12/14 「多くの敵兵は胸に「首都防衛決死隊」の布片を縫いつけていました。【俘虜】の数は約一万(戦場
のことですから、正確に数えておりませんが、約八千以上おったと記憶します)」

第16師団歩兵第33連隊戦闘詳報 『南京戦史』
 12/10〜12/14 [俘虜]将校14、准士官・下士官兵3,082 [備考] 1、【俘虜】は処断す

朝日新聞 1937年12月17日朝刊 [南京にて横田特派員16日]
 「両角部隊のため烏龍山、幕府山砲台附近の山地で【捕虜】にされた一万四千七百七十七名の南京潰走
 敵兵は(略)それが 皆蒋介石の親衛隊で軍服なども整然と統一された教導総隊の連中なのだ、」(注2)

注1 【俘虜】は、正しくは「敵兵」又は「敗残兵」であるが、収容して「俘虜」とした意味であることは明白である。
注2 捕虜と書かれているが軍服着用の投降兵なので交戦法規違反はなく、俘虜として扱わなければならない。