■■日本人の犯罪、性奴隷=従軍慰安婦問題27■■
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国連の日本政府への勧告(日本軍性奴隷制度に関連する部分の翻訳)
性奴隷制の諸犯罪について法的責任を公に認め、加害者を訴追し、適切な刑をもって処罰すること
政府当局者や公的な人物による事実の否定、およびそのような繰り返される否定によって被害者に再び心的外傷を与える動きに反駁すること
http://wam-peace.org/20130602/ カネカネカネと連呼するスレ違い氏へはこちらへレス。
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1477486871/331
>数十万円〜数百万円
あそこは万札の諭吉を語るスレではないですぞ。
金銭面は解決ずみかと。
奴隷制の本質抜きに、守銭奴のごとくカネにすり替えて
逆ギレしておっては日本が尊敬されることはないです。
ついでに。
【人権と買春とチカン】
人権はラディカルな思想ではある。
人権宣言発祥のフランスなどでは、いま買春を違法とし、
売春は以前と同じく合法とか。
人権の「その人の所有権にともなう権限」由来の売春は
禁じられないため、買う方を……たぶん人の性の商品化は
人権侵害として違法としたのではないか。
しかし、となるとチカン冤罪以上に美人局的?犯罪を
多発させそうにも思え……。(※データは知らないが)
チカン冤罪の抑制には、電車内へサーモカメラなど設置し、
ドライブレコーダのように記録。容疑者を現行犯で捕捉した
時点で鉄道会社にデータの提供を仰ぎ、真偽判定に用いる
のが有効かも。ただしオーウェルのビックブラザー世界にまた
一歩近付くわけで、人権侵害のリスクもともないそうだ。
社会的概念としての「人権」議論に終わりはなさそうだ。 【儒教社会の売春観】
儒教社会における娼婦をみる眼は厳しい。
水木しげる『姑娘』 (講談社文庫 2010)は、作者が大陸に
出征した人から聞かされた実話にもとづく戦記マンガだ。
日本軍の分隊長にレイプされ処女を奪われた中国人娘が、
慰安婦扱いされるのを拒み、レイプした当人に「女は二夫に
交らず」の理を説き、自分を妻にしてくれと訴えたことから
殺人事件に発展した話だった。
儒教は「貞女は二夫にまみえず」と教えだ。
魯迅はこの女性観がグロな迷信(再婚すると死後、天で
二人の夫に身を割かれる)を生じ、その迷信によって
再婚もできず貧困に苦しむ女性の悲劇を小説にしていた。
(※タイトル失念)
レイプした相手に求婚したり、再婚に罪の意識を抱くなど、
今日の多くの者には理解しがたいところだが、そうした儒の
貞操観を強いられた世代が「慰安婦にされた過去」を告白する
のは、現代女性がレイブを訴える以上に勇気を要したろう。
その勇気に対し、儒教の奴隷を生む家族制度を前提に、
「恨むなら親を」と逆ギレして罵ってみせる姿が、どれほど
顰蹙を買うか、冷静になって考えてほしい次第だ。 【キリスト教とマルキストの売春観】
売春婦を差別的に見るのはキリスト教も同じ。
12-13世紀の西欧の高名な説教師チョバムのトマスは、
《それは神に背いて売春を行うことを稼業にしている売春婦を
教会が許さないのと同断である》として、当時の嫌悪と軽蔑の
象徴とされた高利貸しを非難していた。
(*ジャック・ル・ゴッフ『中世の高利貸し』訳:渡辺香根夫
法政大学出版1989 頁60)
利息をとる金融を『ヴェニスの商人』は「人喰い犬」にたとえた
けれど、娼婦の対する嫌悪感も人によっては並大抵ではなかった
といえそうだ。
また、階級闘争史観のマルクス殿も売春婦には冷淡だった。
娼婦は物乞いや暴力団などと同列のルンペン・プロレタリアと
定義され、革命の阻害要因と切り捨てられた。
一方で汲めど尽きぬ労働力のルツボと位置づけたとも聞くが、
いずれにせよ19世紀のマルクスが描いた夢の楽園の住人に、
娼婦の席がなかったのは確かだろう。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています