おまいらが昭和天皇なら戦争をどう止めたのか発表
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即位した当時25歳の若造で、
即位翌年からいきなり昭和金融恐慌やら山東出兵といったディープな
事件が連発する歴史的背景を踏まえて語れ。
「神の一声で無理やり止めさせた」とかの歴史的背景や人間関係を考察しない
中学生のような書き込みは禁止、もしくはスルー。 世界の情勢と日本の現状を深く考えた結果、緊急の方法でこの事態を収拾したい。
忠実なあなた方臣民に告ぐ。
だが戦争は4年も続き、陸海将兵の勇敢な戦いぶりも、多くの官僚の努力も、
一億臣民の奉公も、それぞれが最善を尽くしたが戦況はよくならず、
世界情勢もまた日本に有利ではない。その上、敵は新たに、
残虐な爆弾を使用して多くの罪のない人を殺し、
被害の及ぶ範囲を測ることもできない。
このまま戦争を続ければ、日本民族の滅亡を招くだけでなく、
人類の文明も破壊してしまうだろう。
そんなことになってしまえば、どうやって私は多くの臣民を守り、
歴代天皇の霊に謝罪すればよいのか。
これが、私が政府に共同宣言に応じるように命じた理由だ。 だが戦争は4年も続き、陸海将兵の勇敢な戦いぶりも
、多くの官僚の努力も、一億臣民の奉公も、
それぞれが最善を尽くしたが戦況はよくならず、
世界情勢もまた日本に有利ではない。
その上、敵は新たに、残虐な爆弾を使用して多くの罪のない人を殺し、
私は、東アジアの解放のために日本に協力した友好国に対して、
遺憾の意を表せざるを得ない。戦地で命を失った者、職場で命を失った者、
思いがけず命を落とした者、またその遺族のことを考えると、
身も心も引き裂かれる思いだ。
戦争で傷を負い、被害にあって家や仕事を失った者の生活についても、
とても心配だ。
これから日本はとてつもない苦難を受けるだろう。
臣民のみんなが思うところも私はよくわかっている。
けれども私は、時の運にも導かれ、耐えられないことにも耐え、
我慢できないことにも我慢し、今後の未来のために平和への道を開いていきたい 私はここに国体を守ることができ、忠実な臣民の真心を信じ、
常に臣民とともにある。
感情の赴くままに問題を起こしたり、仲間同士で排斥したり、
時局を混乱させたりして、道を外し、世界からの信用を失うことは、
私が最も戒めたいことだ。
国がひとつとなって家族のように団結し、日本の不滅を信じ、責任は重く、
道は遠いことを心に留め、総力を将来の建設のために傾け、道義を大切にし、
固くその考えを守り、国体の本質を奮い立たせ、世界の流れから遅れないよう
にしなさい。
あなた方臣民は、これらが私の意志だと思い、実現してほしい。 昭和天皇の国際協調、戦争不拡大、平和路線が
陸軍上層部から伝えられると、
やがて陸軍や右翼過激派は天皇が自分たちの意に
反した言動をとるのは天皇の側近の
せいであるとして、彼らの抹殺を陰に
陽に図るようになるのであった。 天皇にごまかしの報告をする軍部官僚
昭和17年4月18日、ドーリットル隊に依る東京空襲。
東部軍司令部は「敵機墜落数は9機」と発表し、
杉山元参謀総長も同様の奏上を行った。
ところが、東部防衛総司令官であった東久邇宮稔彦王は、
天皇から「真相を報告せよ」と詰め寄られ、
「敵機は1機も撃墜できませんでした」と明かしたのである。 1931年には柳条湖事件、満州事変を関東軍が引き起こした。
以後、昭和天皇は満州事変の戦域拡大、第一次上海事変、熱河作戦など「中国大陸での陸軍の行動に神経質なまでに
反応し、軍事行動の抑制を求める意見を側近や軍首脳に伝達していた」。
しかし、軍は朝鮮軍独断越境事件に続き張鼓峰事件でも、天皇の許可を得ずに独断で
戦闘行為を行っており、この当時の陸軍の行動はまさに統帥権干犯そのものであるといえよう。
また熱河作戦の作戦中止を求める昭和天皇の要求は奈良侍従武官長により事実上却下された。
統帥権は機能しておらず、その権限は軍が自分たちに都合よく利用していただけなのである。 >>1
「神の一声で」 (誤)
「鶴の一声で」 (正)
小学生レベルの慣用句も知らんのかw 昭和天皇が生前、木下道雄侍従次長に言われた発言
「わたしは神様に対して過ちを犯していたのかもしれない。日本が負けた原因もそこにあるのでは
ないかと思う。
天照大御神はおまえも知っているとおり和の神様、世界平和の神様である。それなのにわたしは
参宮し、大御前で日本だけの戦勝しか祈らなかった。これは間違いだった。
世界人類みんな幸せになるようお祈りするのが本筋ではなかろうか
。戦争に負けたの天照大御神様がお怒りになったせいではないのか」 まず、天皇なんて基本神輿でしかないから、正確な情報が入りづらいから、独自かつ直属の情報取集ルートを構築。
張作霖爆殺事件のころから、疑惑を徹底追及、厳正処断を頑として主張し続ける。
満州事変も5.15も2.26も徹底追及して軍部の勝手を許さない。
生きていられるかも危うくなりそうだけどね。 関東軍がこの自分(天皇)の知らないうちに独断専行したら、憲兵隊を派遣して、司令官を逮捕し、軍法会議で処罰する。 近衛や伏見宮に、もっと色々と強気に指示していたら? 国際連盟を勝手に脱退した松岡洋右をクビにして、代わりの外務大臣を任命し、連盟に詫びを入れさせる。
満州では、メンツを捨てて実を取る道を進む。 いくら日本ががんばっても、1950年代以降にソ連が
満州への日本の影響力を放任する可能性はなかったと思う 張作霖爆殺犯を徹底して捜しだし、厳罰に処する。
満州事変も徹底調査。
もちろん軍法違反者は処罰。
越境将軍などもっての他。
とにかく軍の現場の暴走は決して追認しない。 >>18
現地の軍や捜査機関が「あれは事故でした」と報告すれば、昭和天皇としてはそれを信じるしかないだろう。
戦後になって日本軍による謀殺だとわかったから、あなたもそんなこと言っていられるんだ。 軍人に対しては公務外も含め、捜査も裁判も軍の管轄だったらしいからなあ >現地の軍や捜査機関が「あれは事故でした」と報告すれば、昭和天皇としてはそれを信じるしかないだろう。
いやいや、張作霖爆殺の時は無関係だとする軍の報告を信じずに田中首相を叱責して辞任に追い込んでいる。
それで君臨するも統治せずの枠を超えたとしてそれ以上の追及をやめてしまったのが惜しまれる。
どうせなら最後まで徹底的にやればよかったものを。
>捜査も裁判も軍の管轄
その軍のトップが天皇なんだから、追及しようと思えばできないわけではなかった。
陸軍とて一枚岩ではなかったのだから。 皇道派をもう少し残して統制派と争わせていたら、
太平洋戦争の開戦を先延ばしできたのではないだろうか おじいちゃんの明治大帝が、昭和天皇と同じ年齢まで生きていたら1940年まで明治は続いた
ちょうどそのころまで西園寺公望は生きており、明治天皇がカクシャクとしていたら、
張作霖爆殺や、満州事変、2・26だのは起こらなかったかもしれない
東郷元帥みたいに晩節を汚す老害になっていたかもしれないが スターリンのように軍の大粛清をおこなったら止められたが、
その後は皇室の存続は難しかっただろう
チャーチル曰く「国民の戦いは国王の戦いよりも恐ろしいものになるだろう」 結局強引な権限はなかったのか。
眼鏡おじさんだな。 天皇主権は天皇個人の意思を尊重するという意味ではないので >>28
主権を国民から取り上げてみたようなもんだね。 気分が悪い、おちんちんが痛い等と理由をつけて判子を押すのを渋る。 即位当時弱冠25歳。
かつ大正年間を通して天皇権威は低下しており、その意向は
なかなか政治に反映されにくい状況の中、度重なる経済危機の中、
軍部の台頭が著しく、政党政治は風前の灯にあった。
頼りになるはずの元老西園寺公望も高齢かつ病気がちで
静岡県の別荘に籠り勝ちであったという
即位当時孤立無援の昭和天皇の立場を理解せずして批判する向きが
多すぎる。 >>13
あきらかに、
天皇がどこかの国の独裁者のような権限をもっていたと
誤解していますね。 >>14
当時の日本の立憲主義や内閣制度を理解していない発言ですね >>15
当時の日本の立憲主義や大正年間により発達した議会制度や内閣制度
をまったく理解していない書き込みですね。
当時の天皇は独裁者でもないし、独裁的権限ももっていませんよ。
大正デモクラシーのことから勉強してください。 >>18
天皇に厳重に処罰すると約束したはずの首相が後日とぼけて
やっぱり寛大な処置にしてくれと言ってきた経緯を御存じありませんか?
さらに、陸軍は省内一致で真相を隠すと決めており、かりに天皇が
陸軍大臣に犯人を厳罰にせよと下問したとしたら、陸軍大臣は省内の協力は
得られないから辞任するしかなくなる。
そうすると現役大臣武官制により、当時の現内閣も倒れるしかなくなる。
すると、新内閣は大幅に陸軍に妥協しないと組閣すらできなくなるだろう。
こうなると天皇権威の失墜は誰の目にもあきらかとなり、終戦時の
「御聖断」すらできなかった可能性も出てくる。 >>21
>その軍のトップが天皇なんだから、追及しようと思えばできないわけではなかった。
>陸軍とて一枚岩ではなかったのだから。
だから陸軍はこの件に関しては省内一致で事実隠蔽という方針ですから
できなかったんですよ。
当時イケイケの国際的巨大官僚組織と大正年間を通じて弱体化した天皇権威
では勝負にならなかったのが現実なのです。
省内がまとめられずに陸軍大臣が辞任したら内閣も倒れます。
後継首相を誰にしますか?陸軍が後任大臣を出さないと組閣すらできない
制度ですよ? >>23
明治天皇が生きていたなら陸軍を抑えられた可能性は高い。
大正年間に陸軍を抑えていたのは明治天皇の下で
近代陸軍を築いた元老山形有朋だった。 >>24
連日、アメリカ軍の爆撃を受けていた当時の状況は無理です >>25
具体的にどのような連中をどう粛清するのですか?
陸軍を裏ぎってまで、天皇に協力するような人材がいましたか? >>21
>いやいや、張作霖爆殺の時は無関係だとする軍の報告を信じずに田中首相を叱責して辞任に追い込んでいる。
>それで君臨するも統治せずの枠を超えたとしてそれ以上の追及をやめてしまったのが惜しまれる。
>どうせなら最後まで徹底的にやればよかったものを。
これ以上のことを天皇がどうやってやれるんですか?
このことでさえ先例のないこととして右翼陣営をバックにした
小川鉄相が西園寺邸に乗り込んできたんですよ。
さらにこの事件が発端となって軍部、右翼などは昭和天皇の取り巻き
をいわゆる「君側の奸」として合法、非合法を問わず狙い撃ちして
天皇の意向を汲む人物を葬り去っていったんですよ。 >>27
その眼鏡おじさんが最後に命をかけて終戦の決断を下したから
日本国民の今があるのですよ。 明治天皇が内閣や近臣の意見をねじ曲げるようなことは、ほぼありませんでした。
この姿勢は、大正天皇や昭和天皇も引き継いでいます。
数少ない例外は、日清戦争のときでした。
明治天皇はこのとき、伊勢神宮や孝明天皇陵への勅使派遣を拒否し、宮中三殿での奉告祭にも出席しなかったといわれています。
これは全て、明治天皇にとって「祖先への報告」を意味することです。
つまり、明治天皇は「この戦争は不本意なものだから、堂々とご先祖様に報告する気になれない」と思っていたことになります。
勅使派遣は後に行っていますが、対外戦争に対する明治天皇の考えが伝わってきますね。 なんで、どういう理由で天皇が戦争を止めるんだ
サンタクロースを信じている子供じゃないんだから現実を見ろよ
天皇は皇居の地下深くの、地下7階相当の深さかな?
地下室で作戦の指揮をとり、成功すると小躍りして喜んでいた
ナポレオンが好きで、作戦を真似たそうだ
特攻が米艦に突っ込む様子を、当時はキネマとか言ったのかな
撮影して、それを地下深くの厚さ5mものコンクリートで囲まれた部屋で鑑賞していた
ゲーム感覚だな
アジアからは略奪の金銀財宝が集まってくるしウハウハだよ 本心はどうあれ昭和天皇は沈黙し続けた。
その示すところは、戦争を止めたいと公に発言しようものなら
孝明天皇のように不審死させられそうだったからではなかろうか。
天皇を一神教の神のごとく盲信させて衆愚の戦意を煽るような連中は、錦の御旗を
密造して幕府を滅ぼした明治政府と同類。
天皇を洗脳ツールにして好き放題。ろくなものじゃない。 多分、映画女優を抱かせてやれば
なんでも言うことを聞く存在だったのだろう
それで大正天皇をアンサツして早々に昭和天皇に切り替えたんだろう
そして現皇太子がそれなんだろうな
すると現天皇はアンサツの恐れがあるんで自ら辞めるのだろう
ロックフェラー三菱安倍も操り人形だ
デープステイトは軍産 昭和元年からの日本の全てを思いのままにできるならともかく
昭和天皇のコントロール権を得るだけじゃ太平洋戦争を防ぐのは厳しいわな
天皇自身が積極的に政治に係ろうとした事例としては
田中義一叱責、二・二六事件、終戦の聖断が有名だが
その他に1931年の満州事変、32年の上海事件、33年の熱河作戦の際
御前会議を開くことを天皇自身が要求したことはあったね
宮中側近らもそれを受けて、牧野内大臣が大詔渙発論を出したり
関谷宮内次官が準元老機関新設論を唱えたりしてた
まあ結局、全部西園寺と宮中三羽烏の反対でお流れになったわけだが 最初からイギリス王室をまねて現在の象徴天皇制の様にしてれば良かった
薩長が皇帝の如く作り上げたのが全ての原因 >>52
申し訳ないんだが、そのソースは?
>その他に1931年の満州事変、32年の上海事件、33年の熱河作戦の際
>御前会議を開くことを天皇自身が要求したことはあったね
↑こういう話、オレは聞いたことが無い。事実誤認じゃ無いか?
いや、反論とかではなく、単に検証したいだけなんだけど。 >>48
誤解があるようなので、書いておくけど。
昭和天皇は、完全に沈黙していたわけじゃ無く、日常的に意見や感想は言っていた。
御前会議という場では、通常、沈黙していたというだけ。
それって、政府と軍部とで出した結論を、天皇に報告する儀式みたいなものだからね。
そしてそれは、明治憲法の規定に従ったものだった。 >>52
すまんが、やっぱり書いておくよ。
昭和天皇が、直接政治に関与しようとした事例は、ひとつもないというのが正しい。
田中義一叱責、二・二六事件、終戦の聖断のいずれも、
実態としては、昭和天皇は単に意見を述べたに過ぎない。
例えば、いわゆる終戦の聖断だが、実のところ昭和天皇は、
「意見を言う」・「考えを言う」としか言っていない。 >>54
ああ、ソースね
自分が手元に持ってる本の中では
加藤陽子の『昭和天皇と戦争の世紀』(p224-227)がこのことに言及してる
もっと一次資料を出せればいいんだけど、この本は一般読者向けで
本文と参考文献が脚注で紐づけされてないもんだから
そこまではわからないんだ、すまないね
>昭和天皇が、直接政治に関与しようとした事例は、ひとつもないというのが正しい。
もちろん、直接関与しようとしたって言ってるわけじゃなくて
政治に係ろうとしたって言ってるだけ
単に表現の問題だと思うけど、納得がいかないなら
「政治に意見を言おうとした」って言い換えるよ 天皇は皇居の地下深くの、地下7階相当の深さかな?
地下室で作戦の指揮をとり、成功すると小躍りして喜んでいた
ナポレオンが好きで、作戦を真似たそうだ
特攻が米艦に突っ込む様子を、当時はキネマとか言ったのかな
撮影して、それを地下深くの厚さ5mものコンクリートで囲まれた部屋で鑑賞していた
ゲーム感覚だな
アジアからは略奪の金銀財宝が集まってくるしウハウハだよ
朝鮮ウジ虫天皇 >>57
どうも有り難う。後で確かめてみる。
でも、私的には、それって加藤陽子氏の誤記だと思うな。
当時の体制からして、そんなことあり得ないはずなんだ。 >>58
一応指摘しておくが、明記憲法の体制下では、天皇は軍の指揮は執らない。
建前と実態は別というよくある話で、実態としては天皇はお飾りに過ぎない。
だから、陸軍は暴走できたわけでさ。
事実としては、昭和天皇は、当時としては珍しく、平和主義的な考えを持っていた。
しかし、天皇主権は名ばかりの、実態はお飾りの立場では、
戦争は防げなかったと言うことだね。 >>60
>当時の体制からして、そんなことあり得ないはずなんだ。
そうかな?
もしかして私の書き方で誤解しちゃったのかもしれないけど
「御前会議の要求」っていうのは公式な場で言ったわけではなくて
何人かの宮中側近の前で語ったにすぎないわけだから
別にあり得ない事ではないんじゃない?
1933年の熱河作戦前の要求に関しては
斎藤首相も関わっていたみたいだけど 近年珍しい高度なレスが続いていますね
>>57
その著者は一次資料を示していないのでしょうか?
最近の研究者は大学の教授レベルの著書でも一次資料を示して
居ないようなのがいるが、問題ではないだろうか?
>>60
そんなことはありません。私も別の本で同じ話は確認しています。
当時の体制をどのようなものと認識されているんですか? >>52 >>54
記憶だけで書くと、
満州事変の際には朝鮮軍の独断越境に対し参謀総長に抗議しているし、
陸相には即刻原駐屯地に撤収せよと命令している。
第一次上海事変の際には、白川司令長官に直接、事態の不拡大と早期撤収を頼んだ。
白川大将は昭和天皇の意向に沿って事変を早期解決したが、陸軍及び参謀本部は
激怒。のちに朝鮮人に暗殺されたが、個人的には参謀本部による謀殺の
可能性もあると思う。この頃の軍の謀略はその可能性を否定できないほどひどい。
>>62
熱河作戦中止は天皇の命令だね。ソースは本庄繁日記や大陸命などを
調べればわかるだろう。 そもそも帝国憲法下の政治を調べれば、明治天皇以降の
天皇が政治にかかわっていない単なるお飾りだったなどという
ことはない。
ただ、現実は建前は天皇は現人神、大元帥などと敬ってはいても
実際の人間関係が強く作用しており、明治天皇も20代の頃から
意見をいっているが、当時は無視されている(1874、工部卿交代の件、
明治天皇21歳、「岩倉具視関係文書」)
しかし、明治天皇は日露戦争後に海外の評価も含め権威が高まり、
国内的にも政治的な影響力を及ぼしている。
昭和天皇の場合は即位した時点で大正天皇の病気や自身の若さから
天皇不在の政治が続いていた時期であり、天皇の意見は非常に通りにくい
環境にあった。 たとえば大正天皇の頃からいえば、大正天皇は即位当時、
西園寺公望、山形有朋からしっかりしていただくよう怒られている。
その父、大正天皇を叱った西園寺公望に昭和天皇が頭が上がらないのは当然だろう。
年齢も政治的経験も圧倒的な差がある。
現在の多くの昭和天皇批判は当時の時代背景も人間関係もまったく考慮せずに
表面的な言葉とイメージだけで、当時の天皇を絶対君主のように見なし
批判しているのは、まったく稚拙であり、日本の歴史に対して失礼な態度で
あると言わざるをえない。 >>63
巻末の参考文献には多くの一次資料が示されてるの
ただ、本文にいちいち脚注をつけてどの参考文献に対応するか示してはいないから
私にはどの資料を参考にしてこの文を書いたのか分からないって話
一般の人にとってはいちいち脚注が付されていても煩わしいだけだから
一般向けの本としてはしょうがないことだと思う
>>66
その通りだよね
昭和天皇を絶対君主として批判する左派の歴史観も
昭和天皇は全く政治・軍事に関わらなかったとする右派の歴史観も
どちらも実証的でない歴史の捉え方であると言える ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています