おまいらが昭和天皇なら戦争をどう止めたのか発表
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即位した当時25歳の若造で、
即位翌年からいきなり昭和金融恐慌やら山東出兵といったディープな
事件が連発する歴史的背景を踏まえて語れ。
「神の一声で無理やり止めさせた」とかの歴史的背景や人間関係を考察しない
中学生のような書き込みは禁止、もしくはスルー。 陸軍の中では割と信用できて手足になってくれそうだった白川をテロで失ったのが痛い >>172
彼は参謀本部の方針を無視して天皇の意向に沿った国際協調的な動きをしたので
消されたんですね。
恐ろしい時代でした。 >>165
西園寺の教育が間違っていた
臣下にならぬことはならぬと、びしびしいうように教育しておけば
陸軍にしても最初から天皇をなめていたわけではない、というかもともと陸軍人の
大半は天皇には絶対忠誠、承詔必謹である
問題は、陸大出の天皇をなめ腐った参謀将校連中で、この辺が独断専行するたびに
なあなあで済ますから増長して結果開戦などする羽目になる
こういうのは最初が肝心である
天皇が大激怒ということを満天下に知らせるため大元帥権限で、張作霖爆殺の首謀者、河本大作を軍法会議にかけ
軍籍・勲功はく奪の上絞首刑にし、関係者も相応の刑に処する
そうすれば、さすがの石原だの板垣だのといった天皇を鼻にもかけない連中もおとなしくせざるを得ず
その後の満州事変だの日中戦争だの、亡国のルートに行かずに済んだかもしれないのである 天皇は開戦時および終戦時、陸軍のクーデターを恐れていた
しかし全陸軍が天皇を排してまでクーデターを起こそうというわけではない
むしろそんな連中はごく少数派であって軍人の大半は幼少からの尊王教育で
骨の髄まで天皇陛下絶対、逆賊の汚名など死ぬことよりも恐ろしい
尊氏のように永遠の逆賊扱いになど当時の軍人には耐えがたい
漢朝末期、霊帝は、董卓、曹操といった奸物の専横に苦しんだ
そして、たびたび各地の忠勇なる臣に勅命を下しこれらを排除しようと試みた
結局それは成功せず漢は滅亡したが、天皇の忠臣の数と勢力は霊帝よりはるかに大きい
そのような有利な条件にあるのだから、天皇の和平の意向に逆らう連中は逆賊として
予防拘禁してしまえばいい、つまりは逆クーデターである
国家存亡の時なのだから迷っている場合ではない
連合軍のシチリア上陸でこれよりの抗戦の無益を知ったヴィットーリオ・エマヌエーレ3世は
バドリオ元帥に命じムソリーニの首を飛ばし、連合国に降伏した
ルーマニア王、ミハイ一世は、ソ連軍が国境に迫った状況で本土での交戦は国の破滅と判断し
ドイツを見限り、独裁者アントネスク元帥の首を飛ばし降伏、即時連合国側について対独参戦した
イタリアやルーマニアにできたことが日本でできないはずはない
1945年5月、帝都が丸焼けになり、沖縄は落ち、ドイツが降伏した時点で降伏しか道はないのは
誰にでもわかった、遅くともこの時点で天皇は決断すべきだった 日本の場合はムッソリーニやアントネスクが居なかったのもあるな。そういう独裁者が居なかったから
誰かの首で解決しなかったし、未だに昭和天皇が独裁者だったと思ってる不勉強者も居る。 霊帝の代では董卓も曹操も権勢を振るっていないし
臣下の専横を排そうとしたのは桓帝だぞ。 霊帝が死んで少帝(劉弁)の皇太后の兄である大将軍何進が権勢を振るう十常侍や他の宦官を
一掃しようとして董卓を呼び寄せた。しかし董卓が来たときには既に何進は宦官たちに殺されていた。
そこで董卓が宦官を追っ払って政権を握る流れだな。曹操なんてまだ雄飛する機会を窺う下っ端。 >>177 178
素で献帝と霊帝を間違えた
失礼した そもそも戦争開始した時は誰も負けると思ってないんだもん
誰も反対しないよ
日本の作戦通り上手く行けば勝てると思ってたんだもん
しかし作戦が上手く行かない場合どうするかは誰も考えてなかった >>176
サイパン陥落の時東條の退陣要求が高まった
この際近衛はどのみち東條に全責任を負わせるためこのまま政権を任せたほうがいいと言った
近衛は開戦前から対米戦争には自信なしやめるべきとの考えの癖に無責任に政権を投げ出したわけだが状況を見る目はあった
サイパン陥落時にイタリアは既に降伏しており近衛はバドリオ的に東條を独裁者に仕立て適当な時期に東條を暗殺でもして講和に持ち込もうとの考えがあったのかもしれない
ドイツでも同様な構想はあった
もっとも当然継戦派もそれは極めて警戒するところでそうした動きをバドリオと称して近衛なんかは真っ先にマークだれていたわけであるが >>174 >>175
大正時代の歴史を勉強なさい。 >>181
近衛は東條軍部独裁政権下で憲兵隊に終始見張られて身動きとれませんよ 【ロシアに謝れ、日本】 日ソ中立条約違反 ←<特殊演習、敵国条項、講和条約>→ 北方領土放棄
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1537323380/l50
条約破ったくせに謝りもしない破棄逃げジャップ、モー娘か! 高木少将が東條暗殺計画を立てていたがグループにあまりに広がりがなく成功後の展望も226や宮城事件とどっちこっちの成るように成るという粗雑なものだった
ドイツの反ヒトラーグループのワルキューレ作戦と比べるとその差は歴然としている
良くも悪くも日本は挙国一致で宮中も軍部も文句はあっても一体で戦争を遂行したと言うことではなかろうか いや東條独裁内閣がその精神論から陸軍や憲兵を使って和平の動きを握りつぶしていたのが原因。
東條は緒戦の頃に昭和天皇が提案した和平工作も黙殺されたし、予備役に追い込んだ
石原莞爾を執拗に追跡し、著書を発禁にし、予備役にまわされた後に就いた大学教授の職までも辞めさせるほどに追い込んだ陰険かつ執念深い権力者である。
近衛や吉田茂など、少しでも和平派と思われるような人物には執拗に憲兵の尾行が
つけられた。
このような軍事独裁政権の下の秘密警察体制下では誰も動きようがない。
ついに情報統制下にあって唯一日本の劣勢の真実を知っていた
参謀本部の津野田少佐が「このままでは日本が滅ぶ」と東條暗殺計画を
立てるほどの体制が敷かれていたのである。 >>181
日本の場合は東條以上に強硬な戦争継続論者、いわゆる
一億玉砕を本気で考えている中堅、若手の陸軍官僚が東條の背後に
陣取っているから難しい。 >>181
ムッソリーニの独裁は彼のカリスマが築いたものだからムッソリーニを
倒せば収まっただろうが、東條内閣の独裁は東條のカリスマによるところは
まったくなく、陸軍省および参謀本部という暴走組織が国家を乗っ取った
ところにその問題がある。 >>175
当時の陸軍の記録をもう少し読んだほうがいい。
当時の陸軍は天皇が間違った考えをもっているならば天皇を軟禁してまでも
戦争をやるのだ。一億玉砕するのだというような連中。
逆賊になることを恐れるだとかいう江戸時代の尊皇家のような人間はいない。
彼らの本質は近代官僚人。
そして天皇側にいる数少ない側近は「君側の奸」としてことごとく暗殺の
ターゲットにされている。
天皇側に逆クーデーターをやるような力はそもそもない。 もう一つ敗戦の原因は原敬、浜口をはじめとして続くテロの風潮。
これらは井伊直弼暗殺から続く水戸の過激派などを靖国に祀ったあたりに根元がある。
大正、昭和にかけての要人暗殺犯はことごとく恩赦で自由を得ていて戦後までのうのうと
暮らしている。
軍部過激派や平沼などの法曹界まで一緒になり観念的狂人グループが一国の総理を暗殺しておいて
英雄気取りで行政システムを破壊したことに敗戦の原因があるのはいうまでもない。
暗殺を是とした風潮を是正できなたったところに歪みがあり、やがてその歪みが
取り返しのつかないところまで来て政党政治を瓦解させた。 昭和天皇、永遠の太平を伊勢神宮に命ず
最近、発表された宮内庁編の昭和天皇実録には昭和天皇が
伊勢神宮に永遠の太平を祈願ではなく、天皇の名において命ずるという
衝撃的な祭文が見つかった。昭和天皇がいかに軍部強硬派をはじめとする
軍国主義勢力に悩まされていたかをうかがい知ることができ、平和への
強い決意を感じられます。
「サキに世界の大勢と国状の推移とに鑑み畏かれども憲法に大きな改正(あらた)めを加へて
以て国家を再建すべき礎を固めなむと図りけるに今回永く兵革の禍を絶ち在りと在る国民の
総意を基調とし愈邦家の内外を平安(やすら)からしむるべく日本国憲法凡て十一章百三条を制定(さだめ)
茲(ここ)に之を公布(しらし)める事となりぬ是を以て此由を告奉るとして宇豆の御幣帛(みてぐら)奉出
給ふ事を宇豆那ひ聞食して永遠の太平と国民の福祉とに威き神佑を弥高に蒙り奉らしめ給へと白給ふ
天皇の大命を聞食せと恐み恐みも白す」(原文宣命書き) >>191
「君側の奸」として要人暗殺のターゲットにされた政党政治家のドン・
西園寺公望はこのような世相に嫌気がさし半ば引退して伊豆に引き籠って
しまいましたからね。
彼のように政治力のある人物が中央から離れてしまったことは
昭和天皇にとっても大きな痛手だったはずです。 富田メモが昭和天皇の発言という事実ならばA級戦犯合祀という
当時の松平永芳宮司の判断は大きな間違いであり、それを続けている
現靖国神社運営陣も大きな間違いを犯していることになります。
富田メモ否定派がおそれているのはそれでしょう。
昭和天皇の大御心を踏みにじり、明治天皇の靖国神社創建の趣意を
変造し、英霊安らかなるはずの杜を政治問題の修羅場と化してしまった。
これは大きな罪です。そして、それまでの靖国神社の主張を変えて
A級戦犯の分祀をせまられる大きな問題となるでしょう。
それゆえに靖国神社現状維持派は昭和天皇の大御心を踏みにじってまで
富田メモを否定したいのです。 歴史を勉強しろ低能ども
さすれば、
天皇は1300年前から日本列島に
戦争をもたらす存在であったと
理解
する
で
あろ
う 歴史を勉強すれば20世紀を戦争の時代にしたのは共産主義であると
わかるであろう 「たとえば、私は大正十二年にうまれた。
『ボクの青少年期は、天皇ということをあまりいわれませんでしたよ』と、
昭和初年生まれの人に言っても、説明するのに、大変な言語量が要る。
とくに、7,8歳あるいは10歳年下の昭和ひとケタうまれの人たちに
そんなことを言うと、奇異な目で見られる。」
(司馬遼太郎「この国のかたち二」)
同じ戦前だが、
大正と昭和では天皇観はまるで違うのである。 「昭和一ケタあたりにうまれた人達は、太平洋戦争が絶望的段階に入った
昭和18年にはすでに中学生や女学生になっていただけに、精神の上で
最大の戦争被害者だったといっていい。なにしろ、鋭敏な少年の感受性を
もっている。・・そういう少年たちが、天皇陛下のために爆雷をもって
とびこめとか、竹槍でアメリカ兵を突き殺せなどといわれれば、それが
絶対価値になってしまう。それだけに、ゆりかえしもつよかったようだった」
(同上)
と大正生まれの司馬遼太郎は後輩世代を擁護しているが、司馬遼太郎自身は
学徒出陣で戦車部隊に配属され満州などの実際の最前線にいかされた世代
であった。 ここで気づいたのだが、国内の「天皇憎し」世代にしろ、中国、韓国の
「日本憎し」世代にしろ、ともに実際には戦争を戦っていない世代が
ほとんどなのである。 戦後昭和の左翼世相はこの実際には戦争には行っていない
昭和ひとケタ世代の人たちが作ったもののようですね。 磯田さんが司馬遼太郎から解説している「組織の中に空気のような
流れができてしまうと個人の理性では押し戻せない」という日本の組織の
弱点は戦後70年経った今も改善されているようには見えない。
この指摘は鋭いと思った。責任を天皇のせいにしてこのような日本の
組織の構造を放置し、あさま山荘事件のような同じく組織の空気によって
起こされたリンチ事件をなんら問題としない左翼人はむしろ卑怯である。 >歴史を勉強すれば20世紀を戦争の時代にしたのは共産主義であると
>わかるであろう
してない、してない
勉強してないねー
歴史を勉強すれば
ロシアと中国を
共産国家にしたのは
日本軍だと
分かる
はず
「シベリア派兵」を勉強せよ!!!!
日本は宣戦布告もせずにロシアに侵入、ロシア政府を倒した
(これって、日本は釈明のしようが無いので教科書から抜いてるな)
それでロシアはユダヤ人に支配されソ連になった、中国も同様
ユダヤ人がロシアで好き勝手やってる状態を「我々は共産主義者だ」と言う
共産主義なんて机上の空論、どこにも存在しないのだ >>203
繰り返し戦争指導繰り返すクズを擁護するから司馬は所詮負け犬右翼を卒業できんw
日大内田のような責任取らんアホを野放しにすれば他の大学アメフト部から試合してもらえなくなるw
こんな単純なこともわからんアホがリンチだの被害妄想垂れ流すだけw責任とるのが嫌ならSF条約結ばずずっと占領されて2級国民やってりゃいいw >>204
反ユダヤのアホは21世紀なっても消えんなw >>206
なんだコラ低能
お前は日本が宣戦布告もせずにロシアに侵入し
ロシア政府を倒したことをどう思ってんだ
なんか言ってみろよ そもそも昭和天皇は戦争用のバカ天皇だった
大正天皇がそこそこ正常だったので暗殺して
昭和天皇にチェンジしたのだ
その後、大正天皇は息を吹き返したんだが
再び仕留められた
ま、英国戦争屋の傀儡天皇なんてそんなもんだ
だから昭和天皇が戦争を止めるとか、ありえんのよ
1400年代には、ほとんど乞食みたいだった天皇を
英国が150年前に、戦争用に求心力を利用するために復活させたものなんだから あきらかにレベルの低い書き込みを見ると、それ以降の書き込みを
したくなるね。一向に精神的向上が見られない人は普段何を
しているのでしょうか? >>198
司馬の他にも多くの学徒が学業半ばにして戦場へ出た
諸説あるが学徒兵は13万に達したという
一見悲壮ではあるが実際のところ彼らは当時の高等教育進学率5パーという最上流の階層であり基本裕福なボンボンである
95パーの同世代の大半を占めるビンボーな農家や工員の倅はとっくの昔に徴兵され除隊もなくで次々戦死していたのである
学徒出陣時にはガダルカナルの敗北と続くソロモンの消耗戦で戦局が逼迫していることはエリートである学生は承知しており幾ばくかの学生は動員前に志願して出征した
しかしなお兵適齢期の学生が理系も含めれば恐らく20万が残っていたのは驚くべきことである
ドイツあるいはアメリカでは開戦後学生はこぞって志願しており日本のエリート層の国家に対する忠誠心の差は大きいと思われる 始まってしまった戦争を止めるのは極めて難しい
始まる前に回避する方が遥かに容易なのは自明である
開戦前の日米間の交渉条件の差は開戦後の条件の差と比較すればないに等しい
開戦後の日本の講和条件が大東和共栄圏 連合国はカイロ宣言の通り無条件降伏では交渉とかいうレベルではない
だいたい対米開戦は全軍が賛成していたわけでもない
反対の将官も沢山いた
当時陸軍最大の野戦戦力である支邦派遣軍司令官の畑大将はっきり対米開戦に反対していたし 関東軍の梅津は態度が不明確であるが対ソ正面を預ける立場として賛成でもなかったと思われる
日本に限らずどこの軍でもやれと言われればやるが好んで戦いたいわけではない
やりたいのは実施部隊の将官ではなく中央の陸軍省や参謀本部の空理空論の連中である
天皇があくまで開戦反対を唱え陸軍中央がクーデターを起こしたとして野戦軍は果たしてどちらに着くだろうか >>212
畑、梅津、ともに昭和天皇が一定の信任を置いていた陸軍軍人ですね。
しかし、軍人であり、官僚である彼らがその所属組織に反旗を翻すのは
きわめて難しい。
軍という組織を裏切り、昭和天皇の意向に沿って行動した白川大将は爆殺された。
「天皇が和平派」と幹部が言っても信じない過激派中堅将校の突き上げ、場合によっては
テロも普通にありえたような時代。
現代の常識は適用されにくい。 人間としての数では天皇個人対陸軍、参謀本部などの軍事組織
という圧倒的多数の戦い 現在でもたとえば神社本庁の田中恒清総長は内部の会議で
批判を浴びたことを受けて、元摂関家にして皇室の血を
受け継ぐ神社界の天皇ともいえる鷹司統理に辞職を申し出たにも
かかわらず、その前言を翻して再び権力にしがみつくという愚行を
行っている。
それに関して鷹司統理は「責任ある立場のものが安易に前言を翻すようなことが
あってはならない」とごく常識的な注意をしているのであるが、
田中恒清総長という神社界の一大権力者はまったく意に介さないようである。
このように天皇の常識的な発言、注意を受け付けない権力者というのは
いつの世にも存在するのである。 軍内に一夕会のような党派を作りさらには越権行為に横紙破り
このような行為は芽のうちに摘んで置くべきだった
これを許したがために 大陸の泥沼にはまる羽目になり開戦後も辻のような参謀将校が権限もなしに勝手な命令を出し 終戦時には陸軍省の将校が反乱など統制の取れない軍となってしまった
河本大作 板垣征四郎 石原莞爾のやった事は完全な軍規違反であり 2・26の将校と同様軍法会議の上銃殺に処し持って陸軍の粛清を図る
それだけやっておけば勝手に軍を動かす行為は抑制できたかもしれない
大命として宇垣あたりに最後の泥仕事で一斉粛清でもやらせておけばよかったのだ ここまで見てきたように天皇は独裁者ではなかったし、独裁的な力も
もっていなかった。
現在、神社本庁において、神社界の天皇ともいうべき存在である鷹司統理が
常識的かつ良心的な見解をもって、独裁者的存在である田中恒清氏の言動に
異例の苦言を呈したのであるが、
天皇の意向が示され、かつそれが一般常識と良心に基づく適切なもので
るにもかかわらず、神社界の人々は田中恒清氏の権勢を恐れて、誰一人
まだに統理の意向に従おうというものがいない。
天皇の意向よりも実際の権力者の顔色を伺うという日本の大衆の悪しき慣習である。 >>216
第二次大戦は別に軍が暴走して戦争始めたわけでないからね
政府が正式に始めた 第二次世界大戦は英仏両政府が参戦を決定して始まった
日本は別に大戦の開始には何の関係もない >>218
まともに歴史を読むことができるものならば、軍部が暴走して
政府をひきずっていった歴史的事実を読み取れるはずです みなさん、スレ違いですみませんが、すこしみなさんの意見を聞きたいのです。
世間で所謂左翼は「東條英機は極悪人」と言われ、所謂右翼は故津川雅彦氏が主演を勤められた
東條英機の映画のように所謂「東條英機聖人」のような感じ、つまり象徴的な大物扱いに
なっています。
ところが、ついこの間少し調べたのですが、東條英機という人物はそんな凄い人物どころか
所謂中間管理職の小物ではないのか? と思ったんですが如何ですか?
例えばですが、開戦を決定したのは確かに大日本帝国です。ですが、そういった国策方針は
天皇
内閣総理大臣 国務大臣
枢密院議長 枢密顧問官
参謀総長 参謀次長
軍令部総長 軍令部次長
宮内大臣
の計23人で決めるんですよね? 当然天皇は御前会議では意見をしないという原則ですが、
この中で実質主導権を握っているのは宮内大臣と参謀・軍令です。
そして首相自体の任命制度も元首相をメンバーに内大臣が議長を勤める9人の「重臣会議」で
決定されます。 そして首相自体の任命制度も元首相をメンバーに内大臣が議長を勤める9人の「重臣会議」で
決定されます。
戦中に至っては全ての政策が「大本営会議」で決定されます。メンバーは
天皇
参謀総長・参謀次長・作戦部長・作戦課長
軍令部総長・軍令部次長・第一部長・第一課長
の計9人で、そこには首相も陸海軍大臣も入っていませんし、当然意見を言う事もできません。
御前会議と違って天皇が直接意見を言える、という事にはなりましたがそれだけです。
後に東條は参謀総長となり「大本営会議」メンバーになりますが、敗色濃厚となっていた
昭和19年末頃に少しだけの期間でした。
戦局が好転しないために改革の必要性から「大本営政策連絡会議」も設立しましたが
これも従来通り「大本営会議」からの命令をスムーズに伝えられるようにした、というだけ。
つまり首相という地位は、「参謀軍令部総長」どころか
「作戦第一課長」よりも地位が低い、いわば使いパシリ程度の小物で
東條本人も唯々諾々と従うだけの、小物臭がハンパナイただの普通の雇われ人だと思うのですが。 東條英機を使い走りに認定して、彼の責任をなかったことにしようという
誘導ですな >>222
作戦と政策の違いから勉強し直してから来ましょう >>224
あの〜 真面目に答えて欲しいのですが
言っておきますが、書き間違いではありませんよ?
大本営は政策も決定していました
あまりにも現代的史観である「軍」と「行政」分離に凝り固まってるのでは?
所謂行政も「国策遂行、軍事に不可欠」という理由で軍事の一つとして
認識されていましたよ?
>>223
あの〜 思想を議論したいのなら他所でどうぞ
こちらは現実というか実際はどうだったのか? って話です
ちなみに東條英機が首相である以上、責任はあるに決まってるでしょう?
「こうあるべきだ」「こういう思想でなければならない」
そういう事を議論したいのではありません。 ちなみに東京裁判の判決で「パル判事」を持ち出す人が居ますが
「パル判事」の判決文は「てめえらが裁かれて無いのに日本を裁く権利がどこにある」
「あ、だけど日本が有罪なのは当然な」と言っていて、無罪判決を出した事の意味合いに
日本が正義だったという意思はありません。
また東京裁判の進行については違法性満載でしたが
死刑判決を受けた戦犯全員が訴因54・55に基づくもので、事後法や
戦争その物で裁かれたわけではありません
それと東京裁判のやり直しの正当性はともかくとして、国内で裁判はするべきだとは思います
何故なら東京裁判は「外国への示し」であって、国民に対する責任を取っているとは言いがたい
まあどちらにしろ大きく判決が変わるわけではないでしょうが
ともかくとして、実際問題として東條英機は大物なのか? それとも
中間管理職のさえないオッサンだったのか? 実態はどうだったか? という所を
聞きたいだけなのですが >>226
日中戦争も対米戦争も海軍の主導なのだから
裁判をやり直すなら、海軍も裁かれるべきだな。
中国、ハワイに対する不法な攻撃の計画性
それから捕虜に対する殺害も
むしろ海軍側のほうが問われる重大な罪は大い >>227
別に不法とは思っていませんけどね
そもそも第二次大戦にしても第三帝国も大英帝国も正式に宣戦布告したわけでも無いですし
中国に至っては満洲人の虐殺や日本人への虐殺(通州事件)に、上海租界への空爆等国際法違反を
国民党側から仕掛けて来たのですから。
私が言いたいのは日本は負けたのであって、負けたからには結果責任を取るのが
役職にある物の勤めであるという事です。
JR西日本でもそうです。被害者遺族の言う「ATSを設置しなかったから責任がある」というのは
傍若無人な理論。法律で定められているわけでもないし、運転士の自爆テロが無い限りは
スピードを落とせば安全に走行できるというのも最もな話。
だが、現実に事故がおきた以上は、無条件で責任を取るのが高給取りの役職にある者の
勤めでしょう。
まあともかくとして、>>227さんの事を全部受け入れたとして、それは東京裁判と
その後のサンフランシスコ講和条約で全て解決済みの話で、外国へのけじめはついています。
そしてそれは、連日「またも大勝利」と国民を騙し、無駄な供出で闇市の原資にまで
なった事に対するけじめとは違います。日本で裁判が行われていないのですから。
つまり国民に対してはなんら責任を果たしていない、というのが現在の戦犯の置かれた状況
です。 >>228
日中戦争泥沼化の要因はむしろ海軍じゃないか。
アメリカとの戦争を主導したのも海軍。
この戦争による日本国民300万人の犠牲の責任を
日本人自ら検証し裁くならば、やはり海軍や他も責任を問われるべき
憲法上、本当に裁くことは出来ないにしてこも
責任を明らかにする必用がある。
東京裁判で処刑された7人だけに全責任を押し付けている現状は
国家としても国民として無責任。 少なくても天皇主権をうたった条項がある以上、国家元首である天皇陛下には責任があるのは
当然ですが、守ったことに対しては自分的には異論はありません。やはり臣下としての
勤め、臣民であり神民のつとめですからね。
ただ責任というのを現実問題として議論するなら、この方達は差し置くべきではありません。
内大臣:木戸幸一侯爵
[枢密院議長:原嘉道男爵・鈴木貫太郎男爵海軍大将・平沼騏一郎男爵]
若槻禮次郎男爵・広田弘毅・岡田啓介元海軍大将・ 阿部信行元陸軍大将
米内光政予備役海軍大将・林銑十郎元陸軍大将
の重臣会議メンバー、そして全ての条約や対外関係緊急事項の決定権者である
枢密院会議メンバーである
潮恵之輔・清水澄(この二人は枢密院副議長も勤めた)等45人
参謀総長:閑院宮載仁親王大将/杉山元大将/東条英機大将(S19の5ヶ月)/梅津美治郎大将
参謀次長:今井清中将/多田駿中将/中島鉄蔵中将/沢田茂中将/塚田攻中将/田辺盛武中将/秦彦三郎中将/後宮淳大将/河辺虎四郎
作戦部長:桑木恭明少将/石原莞爾少将/下村定少将/橋本群少将/富永恭次少将/田中新一少将/綾部橘樹少将/真田穣一郎少将/宮崎周一中将
作戦課長:武藤章大佐/稲田正純中佐/岡田重一大佐/土居明夫大佐/服部卓四郎大佐/天野正一少将
軍令部総長:伏見宮博恭王大将/永野修身大将/嶋田繁太郎大将/及川古志郎大将/豊田副武大将
軍令部次長:古賀峯一中将/近藤信竹中将/伊藤整一少将/塚原二四三中将/小沢治三郎中将/大西滝治郎中将/高柳儀八中将
第一部長 :宇垣纏少将/福留繁少将/中沢佑少将/富岡定俊少将
第一課長 :草鹿龍之介大佐/山本親雄大佐/田口太郎大佐/大前敏一大佐 人事権を掌握しないと天皇でも止められないだろ
天皇が「河北州から関東軍はまだ撤退しないのか?」とか言って
関東軍を直接動かし撤退させても、10日程度経ったらまた河北へ侵攻し始める状態で
ブレーキが効かない状態 >>230
それらは当然の事だが他にも
暴支膺懲、鬼畜米英と、日本国民に戦争を煽っていた民間の連中も
責任を問われる必要がある >>229
善悪を言われたので反論したのですが
>この戦争による日本国民300万人の犠牲の責任を
>日本人自ら検証し裁くならば、やはり海軍や他も責任を問われるべき
それは同意ですね。主な責任者は>>230で列挙しました。
>責任を明らかにする必用がある。
>東京裁判で処刑された7人だけに全責任を押し付けている現状は
>国家としても国民として無責任
それも同意ですね。まあ関東軍に重大な責任があるのは確かですし
東條が首相という地位に居た事も確かなので、やり直しの判決でも
変わる事はないでしょうが。
少なくても国民に対する責任は>>230に集約されてる
それと「参謀総長」云々以下は、大本営会議のメンバーでもあります。 >>233
なんで東條と関東軍なんだ?
アメリカに全面戦争を仕掛けたのは海軍だろが。
これを主導した連中の罪が一番大きいはずだが? そもそも天皇は満州事変以降に権力弱ってないか?
当時、国外に兵を出すのは天皇の裁可が必要なはずなの時日本国内扱いの朝鮮軍が満州に
勝手に進んでいくのは天皇関係の手続きが軽視されているような気が
宮中の側近は軍に居る労農派(マルキスト)による革命を恐れてるし ちなみに東京裁判は天皇がやらせたものだ
自分に戦争責任が無いことを内外に示す茶番だった
ちなみに日米戦争自体が茶番だったので
GHQは天皇の配下にあった
だから例えば、GHQが仁徳天皇陵を荒らすというのは天皇がやったと見るべき
仁徳天皇陵は今は大仙古墳と呼ばれる
天皇は仁徳天皇など実在していないことは承知だ >>231 >>235
うん。だから結果責任・地位責任って言ってる
ある意味JR西日本の場合は人事権も持っていたんだから会長社長は純然たる責任があると言えるが
ただ国家元首は国家元首、東條の東京裁判でも天皇陛下の言はやはり重いと発言してるしね
>>234
違う違う、良く読んでください。
自分が言いたい事はつまり「東京裁判での死刑判決を受けた人物について、国内裁判をやった
としても同じく死刑判決だっただろう」ということ
海軍の責任とはまた別問題
それと海軍というが、山本五十六海軍元帥は最後まで日米開戦に反対していたんだけど?
あれは軍人として大暴れしただけ 横レスだが
海軍ガーに燃料を投下すると結構面倒くさいよw >>237
ハワイを攻撃したのは海軍じゃないか
なんでその責任を東条が負わなくてはならないのか?
東條にも一定の責任はあるが
統帥権の独立によって海軍の作戦に政府は関与していないので
アメリカを不法攻撃した責任は、まずは海軍がとるべき。 横からすまんが、御前会議で対米宣戦が決まったから職務としてパールハーバー奇襲を遂行しただけなのに
責任あるの? もう70年以上経つのに、パールハーバー奇襲とか呆れる
アメリカ側はボロ船並べて、撮影隊も待機して待っていた
日本側も、重要な施設を避けて、アメリカに許可された米軍の食堂とかを空爆した
はやく大人になれよキミたち >>240
海軍の作戦行動の責任は、すべて海軍にある。
それが当時の組織形態なのだから
対米戦争はまず第一義的には海軍が責任を負うのが当然。 >>245
真実を暴かれることがそんなに困るのかオマエは? まぁ、歴史のスレには工作員=朝鮮人が張り付いて
嘘の歴史に基づいて工作員同士が議論しているのさ
最初はバカなんだと思ってたが、そうではないようだな
それが寄生虫の仕事だ
その工作員同士の議論は無視すること
日本の歴史は、歴史学部が認可されないことでも分かるように
なにもかもが嘘だ >>238
ありがとうございますw
>>247
そうなんですかね? なんかこう真面目な議論にそういうのはごめんこうむりたいのですがw
>>239
>なんでその責任を東条が負わなくてはならないのか?
>東條にも一定の責任はあるが
自分で答えを出しましたね。その通りです。総理だからです。それ以上でもそれ以下でもない
海兵隊は大統領直属だが、起こした事件があればそれは政府全体の責任
>統帥権の独立によって
だから>>222>>229を読んでください。統帥権以外も東條の権限等限られていた。
まあどちらにしろ、>>240の答えを聞いて納得できないのなら、永遠にかみあう事はありません
末端の労働者に責任を負わせて、それを支持している役員は安全にのんきに暮らすのが当たり前
というのならそれは貴方の勝手です。
あなたとが投稿するのは自由ですが、以降無視させていただきます。 ★工作員がいくら歴史を隠蔽しようが、日本と世界を太平洋戦争へ
引きずる込んだ最大の戦犯は海軍の山本五十六である。
陸軍主導の対ソ戦をなんとしても阻止し、陸軍と対等な予算を獲得したいと、
海軍・山本五十六の考えにはそれしかなく、国益なんぞ全く考えていない。
その結果が対米戦争。
・1936年 海軍軍縮条約からの脱退・・・岡田首相と山本五十六らによる計画的な交渉破綻による
・1937年 海軍マル3計画・・・対米戦争を想定した機動部隊を主力とした連合艦隊を編成を計画
そのための予算要求
・1937年 海軍は船津和平工作を妨害するため自作自演の大山事件を起こし、
それを口実に独断で中国空爆、陸軍の上海派兵を要求、日中戦争が勃発
海軍は大幅な軍事予算拡大
・1937年 ルーズベルト大統領が日本の中国空爆を非難する演説
国際連盟、9カ国条約会議が日本の侵略戦争に対する非難決議採択
対日経済制裁開始
・1940年 海軍は重慶に対し大規模な都市無差別爆撃を開始
・1940年 陸軍は海軍主導の日中戦争を終結させ、対ソ防衛目的で三国同盟を提案。
海軍は三国同盟を認める見返りとして、南進政策を要求。北部仏印進駐開始。
・1940年 山本五十六は真珠湾奇襲を計画、準備を開始。
・1941年 海軍は日米諒解案に基づいた日米交渉を妨害するために南部仏印進駐を強行。
対米英戦争を見据え、そこに大兵力を集結し連日猛訓練を開始。
アメリカの対日禁油政策決定。 山本五十六にはこれだけの罪がある。
いやこれだけではない。連合艦隊は捕虜を殺害してるが
これの責任もある。
これほどの罪人かつバカな山本五十六を
日本では名将扱い租手いるw
これでは日本はキチガイ国家だと思われてしまう おまえ、その持論をトイレットペーパーの裏に印刷して販売したら売れるぞ。
一度やってみ。 開戦前だけを見ても
海軍にはこれだけの犯罪的行為がある
開戦後はさらに増える。
これだけの罪がありながら
海軍上層部はだれも責任を負わなかった
終戦と同時にアメリカに「媚を売り、海軍は他人事のように太平洋戦争を批判している 終戦後に海軍幹部らが集まっての会議での会話だが
海軍幹部A 「陸軍に負けなくて良かったw アメリカに負けてよかったwww」
海軍幹部B 「まったくその通りですなwwww」
国民300万人の犠牲を招いておきながら
海軍幹部らはこのように、笑いながら
太平洋戦争を振り返っていたいたらしい 国家ぐるみでなぜ、山本五十六が名将扱いされ
犯罪を問われないのか、不思議に思うだろうが答えは簡単。
それは戦後の日本の支配者したのが、笹川というヤクザもんだったから。
この人物は山本五十六の最大の親友で
海軍と癒着して汚いことをやって、戦争で大金をもうけていた。
戦後はこいつはアメリカのCIAなどと通じ、防共のために
ヤクザや右翼の全国組織を創設などした。
アメリカから裏から資金援助も得ており、その資金力は絶大で
自民党の事実上の創設者、オーナーでもあるから、
こいつに逆らえる人物は日本にいない。 笹川が戦後に作った工作員組織が
・統一教会(韓国で反日活動をやる) マッチポンプのマッチ役
・日本の在日街宣右翼(日本で朝鮮人叩きをやる) マッチポンプのポンプ役
この流れは今も変わってない。
こいつらが自作自演の論戦をやっている
(いずれも朝鮮人が主体)
重要なポイントは、常に陸軍だけを話題にし、
海軍の話は一切禁句となっている >>256
海軍悪玉説に対して少しは反論したらどうだ? >>257
触ると大暴れしてスレを潰すからシカトよろしく。 このスレタイは天皇なら権力の頂点だから戦争をコントロール出来ただろうという認識で書かれてるが
天皇であっても権力の一端しか無く、首相も権力の一端しか無く
権力が分散していた事で戦争を止める事は出来なかったと思う
制度設計でしか暴走を防止する事は出来ない 「鶴の一声」では済まない昭和天皇の弱い立場を考えたタイトルだろうに何でそうなるの…。 天皇独裁や昭和維新・軍中心政治を目指した『226事件』
このクーデター未遂が失敗に終わった原因はなんなのか? お解りですか?
それは、昭和天皇 が自らのお気に入りだった 高橋是清子爵大蔵大臣 が
殺害された事に激怒し、「賊軍である」とまでいった事に軍部が震え上がって
鎮圧に全力をつくしたのです。
天皇という立場は弱者ではありません。
明治以降の天皇は自由民権運動に積極的に工作協力する等の活動をしていて
一見弱者のようには見えますがやはり強者の部類に入るのは間違いありません。
だからと言って、ヒトラー総統やスターリン書記長のような絶対的な
権力も無かったのは確かですが。 >>261
ぜんぜん理解してませんね。
陸軍省ならびに参謀本部は昭和天皇が激怒しているにも関わらず
当初、この天皇の聖慮を無視する方針を決め込んでいたんですよ。
この事件を断固討伐に決めたのは当時、参謀本部作戦課長の石原莞爾。
彼が戒厳参謀として、天皇の意思を受け事件を鎮圧したのであり、
「軍部が震え上がって」などという事実はありません。ソースは
何ですか? 昭和初期という限られた時間に主に軍部が戦争遂行のために
創作した絶対神権現人神という虚構をもって大日本帝国全て
だと勘違いした昭和ひとケタ世代の妄想を受け継いだ戦後左翼世代の
流した絶対君主的天皇像にとらわれている人々が多すぎる。 >>262
人にソースを求める前にあなたのソースを開示してはいかがですか?
石原はあくまで鎮圧したというだけのただの武官、断固討伐を決めたのが石原
というソースはどこなんですか?w
それに貴方の言うように百歩譲って石原がそうだったとしても、あなた自身
昭和天皇の意思は否定していない。もしそんな意思がなければ、石原自身も
動けなかったのは明らか
それとさ『昭和天皇独白録』くらい読めよ
あんまり調子にのんなよボケ >>222
東條が小物かどうかは主観によるところが大きい
少なくとも首相兼陸相の地位は低くはない
作戦課長の上司である作戦部長の田中の首をすっ飛ばせるほどには >>228
大英帝国とフランスはドイツのポーランド侵攻を受けて正式に宣戦布告した
教科書ではそうなっている >>263
それとさ、確かにこれはお前のいう事が正しい面もあるが
天皇の力を逆に過小評価しすぎだろ
>>221と>>230を読んで理解したが、御前会議等諸々の会議
例えば、御前会議のメンバーは大体昭和天皇ふくめ22人前後ですが
天皇の力というのは絶対君主論のような感じではないが
それでも1票ではなく、2〜3票分の力はあったと見るほうが自然
東條でも東京裁判で「陛下の言葉は重い」と発言している事からも
その程度の力はあるということ。 >>265
>作戦課長の上司である作戦部長の田中の首をすっ飛ばせるほどには
人事権は大臣が握ってるんだよな。
>>267
>天皇の力というのは絶対君主論のような感じではないが
>それでも1票ではなく、2〜3票分の力はあったと見るほうが自然
天皇は発言も投票もしないのが原則では。 君主の地位と権限は規定されていても、その行動は人物次第でいかようにでも変わる
前例がないとか、慣習に合わないとか、横紙破りの君主が出てきてそれを次々破ったとして、
では誰がそれを止めることができるだろうか
明治憲法の見本となったドイツ帝国のヴィルヘルム2世は、失言家でお天気屋で臣下の首もポンポン切る
欧州のいちのトラブルメーカーでトランプ大統領と被るところが多々ある人物であった
彼はビスマルクの首を飛ばし、イギリスとかフランスとか個人的に嫌いな国に色々嫌がらせをした挙句帝国をつぶした
全部が全部カイザーの責任とは言わないが、彼がヴィルヘルム1世のような性格であればドイツ帝国の運命もまた
違っていたかもしれない
同じ憲法下であるのに、君主としてのヴィルヘルム1世と2世の行動の差は驚くほどである
昭和天皇がヴィルヘルム2世やトランプ大統領のような性格であったとして
即位後に西園寺を元老から首西、首相も好きに決め気に入らなければトランプ張りにバンバン飛ばし
忠誠をみせる寵臣をどんどん登用する、という行動に出た場合それを阻止することは可能だろうか
幸か不幸か昭和天皇は明治憲法に規定された天皇の枠、西園寺の薫陶による立憲君主の規の内側から
でることはなかったが、やる気になればいくらでもいかようにでもできたのではなかろうか 昭和天皇がもっと専制的に振舞ったら田中義一以降の陸軍関係者は粛清続きで独走できず
日中戦争にすら至らないまま、(第一次大戦と同じく)欧州戦線を対岸の火事と見てたかもしれん
政党内閣で浜口へのテロもなく、リベラル派の立憲民政党優位が続いてたか >>265
>東條が小物かどうかは主観によるところが大きい
>少なくとも首相兼陸相の地位は低くはない
確かにそれはそうですね。ある一定の人事権は握っていた事も一つの事実
ただ当時大臣等が実務としてどれほど重要だったかも考えるべきだとは思いますが
どうでしょうか?
主に国会担当という程度の物なのも確かかと思いますが
それに一定の人事権は握られても、三長官(大臣・参謀総長・教育総監)の人事や
三顕職(連合艦隊司令長官・軍令部総長・海軍大臣)は実質この三人の多数決次第ですし
平時の人事は大臣だけですが、作戦に関わる事は人事でも参謀総長の許可がいったと思いますが
>>268
>天皇は発言も投票もしないのが原則では。
ごめんなさい。物の例えでした。ただ、投票しないというのは間違い。
御前会議に限っては発言はしないが投票はする。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています