おまいらが昭和天皇なら戦争をどう止めたのか発表
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即位した当時25歳の若造で、
即位翌年からいきなり昭和金融恐慌やら山東出兵といったディープな
事件が連発する歴史的背景を踏まえて語れ。
「神の一声で無理やり止めさせた」とかの歴史的背景や人間関係を考察しない
中学生のような書き込みは禁止、もしくはスルー。 >>91
以前にもかきましたが軍部の暴走は大正時代から始まっているので
新たに即位した新参の昭和天皇がいきなり軍部を抑えることは
歴史の経過的に不可能です。 >>91
明治天皇は日清、日露戦争ともにやりたくなかったのだが、
結果的に勝つことができて、明治天皇に対する世界的な評価が高まった。
その世界的に高まった評価を背景に30代後半あたりから政治力を
まして重臣や軍を統制することができた。それ以前は維新の元勲達に
対する発言力はきわめて低かったと思われます。 【帝国きどり、軍産″】 マイトLーヤ『アメリカは侵略の過ちを認め、イスラエルは跪き許しを乞え』
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1529709983/l50
ユダヤ人の入植を後押ししているのは、キリスト教原理主義福音派エヴァンゲリストの狂信者!
この阿呆どもは、起こりもしない艱難時代だの空中軽挙だのがあって、テメェらだけ救われると信じている!
そのためにパレスチナを生贄に捧げようともかまわない、プーチンが666の獣だと思い込んでいる! 本日は沖縄戦終結の日でした。
嘉数の戦いでは10倍ものアメリカ軍に対して激闘を繰り広げました。
黙祷 なーにが共産主義だ
今時そんなこと言ってるのは知恵遅れと低能工作員だけ
ロシア・中国を、その共産主義とやらにしたのは日本だぞ
共産主義はマルクスが某資産家に頼まれて、でっちあげた机上の空論
ロシア→ソ連で言えば、ユダヤ人に支配され、
ユダヤ人がやりたい放題になっているのを隠すために、我々は共産主義だと言ったものだ
そんな国にしたのが日本軍のシベリア出兵な
これは酷い話だ
日本は宣誓布告もせず、チェコを助けるとか適当なことを言って
ロシア政府を倒して金塊12トンを盗み出した
ロシア皇帝はどうなったか不明だが、たぶん日本軍がやったのだろうな
その逆をやられても文句は言えないんだぞ
覚悟はできているのか下劣な朝鮮人天皇 >>94
>ユダヤ人の入植を後押ししているのは、キリスト教原理主義福音派エヴァンゲリストの狂信者!
ではなく日本の天皇だ
天皇が所有する特別会計からイスラエルに金が渡っている
それを停止すればイスラエルは自然崩壊する
日本人がどんどん貧しくなっているのは
特別会計のために国債が発行され、その返却のために納税させられているからだ
現在の日本国の税収の実に半分が国債費で消えている >>90
そうだろうか?
秩父宮は1938年1月、昭和天皇に対して
「どうしてもこの際、戦争をこれ以上やってはいけない」って言ってるし
戦争推進派ではなかったように見える
であれば、1945年に政府の意見が割れた折も和平の判断を示す可能性が高いんじゃなかろうか 陸軍がどにかならん限りどうにもならんよ
結局は原爆とマッカーサーという外圧でしかどうにもならなかったんだから >>98
秩父宮は陸軍幼年学校→陸大卒(しかも成績優秀)のバリバリの陸軍エリート
軍人ですよ。
1931年には憲法停止、天皇親政を説き(「本庄日記」)
1939年には週に三度も参内して三国同盟を昭和天皇に三国同盟を
勧めた(「昭和天皇独白禄」)といから
国際協調、立憲君主制を志向した昭和天皇とは大きく異なります。
陸軍に担がれる要素が大きすぎるほど大きい人物なだけに
最後の土壇場で陸軍の意向とは大きく異なる終戦という決断が
可能かどうかは、大きな疑問となります。 >>99
一体どうしたらこのような組織ができるんでしょうか?
進むことしかできずに引くことができず
長老格でも慎重意見を唱えれば下から突き上げを食って
どうにも抑えがきかないという。
憲法や勅諭は空文化し自分たちの都合のいいように利用して
内閣や天皇までも脅しと実力行使で押し切っているんですから
むちゃくちゃな集団ですよ。 >>1
これしかねぇよwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwthe
↓↓↓↓↓↓
マジで【小説掲示板】(下記↓URL)で《《《絶賛》》》された(←※『マジ』だからな?)俺様の↓↓↓↓↓
『『『『戦争をなくして【世界を豊かに】w までwwwする《《《超現実的》》》』』』な方法wwwww↓↓↓↓↓↓↓(要は【発明】だな)
本当に簡単な話し。こういう事。
人類社会のルールは現在、現実的に“弱肉強食”である。
ならば、(人類は、)それを、「分数の計算」の様な要領で(、いわば、「横流し」的に)己が理想とする、
(要は、↓)
"平等・公平・公正”的なルール(仮)に
↓↓↓↓↓
【(ルール)変更】してしまえばいいの。w
(『お前らの為』だぞ?w(←※【【戦争でも起きてさっさと死てえぜ!(w)と思ってるヤツら以外】】なw))
↑↑↑↑↑↑↑↑↑(は、)
道理にかない、強者も弱者も損をしない(←※実際は【超、得】するw↓)から(それらが(つまり、(それを)【余裕】)で納得する事で)それが(【余裕】で)成立し、世界から「威力」を廃するから《《《《戦争もなくなる》》》》
んだよwwwww
ちなみに【超、得】するのは、(この理論は、それ(ルール変更)から行くと、)「世界の最高税率を統一する事で全世界が豊かに!」なるからだよwwww俺様は【マジ超天才】だからwwwwwwwwwww
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
http://www.kakiko.info/bbs4/index.cgi?mode=view&no=10099&p=8
(※↑「 小説カキコ掲示板 長文 戦争をなくす方法 希代世界一位 」【検索】でも出るが↑これで開くと順番どおり表示される(※順番どおりに見ないと(俺様の理論は【マジ超一流】だが『『威力』』が半減する)(←※「ストーリーがあるから」)) さて、日本国憲法公布に先立つ 昭和21年3月5日、
昭和天皇は憲法改正に関する勅語を出し 正義に基づく平和と文化向上に対する強い決意を表されました。 昭和21年3月5日、勅語
「日本國民ガ正義ノ自覚ニ依リテ平和ノ生活ヲ享有シ
文化ノ向上ヲ希求シ 進ンデ戦争ヲ抛棄シテ誼ヲ万邦ニ修ムルノ決意ナルヲ念ヒ
乃チ國民ノ総意ヲ基調トシ人格ノ基本的権利ヲ尊重スルノ主義ニ則リ
憲法ニ根本的ノ改正ヲ加ヘ政府当局其レ克ク朕ノ意ヲ體シ必ズ此ノ目的ヲ達成
セムコトヲ期セヨ」 しかし、昭和天皇が世界大戦がはじまるまでは、周囲の環境に反して、積極的に国際協調、戦争回避の
ための政治介入を行っていたことは数々の歴史的証言が示している。
(山東出兵裁可の逡巡、張作霖爆殺事件の追及、ロンドン海軍軍縮条約支持、南陸相への軍紀訓戒、金谷参謀総長参内に
対する拒否、金谷参謀総長、南陸相に対する満州事変不拡大の厳命、本庄大将に対する満州事変謀略の噂の確認、
上海派遣軍白川大将に対する勅語、国際連盟脱退への反対の意向、本庄侍従武官長に対する熱河作戦中止の命令、
2.26事件鎮圧の厳命、三国同盟に対する反対、など) しかしなんだ
ネット時代になって20年以上経っているのに
日米戦争はイカサマだったというスレが立たないのは異常だな
日本人て騙されやすすぎ 陸軍長州閥兼民政党総裁・田中義一を引きずり下ろすことが目的だった陸大学閥が一夕会(皇道派・統制派)を結成し革新官僚と連携開始
↓
一夕会は優秀な人材が多く、自分たちが出世して中枢を牛耳れば世の中がよくなると信じて疑わなかった
そして出世のためには手柄をたてる必要があるため多少の暴走も結果が良ければ容認された
↓
関東軍参謀・河本大作(一夕会)が独断で張作霖を爆殺
↓
かばった田中義一が失脚、大蔵官僚出身の民政党・濱口雄幸が組閣
↓
防衛費削減のためにロンドン軍縮会議を締結。海軍軍令部艦隊派(伏見宮博恭王・加藤寛治・末次信正)が猛反発
↓
政友会・鳩山一郎、犬養毅が統帥権干犯問題を持ち出し政争に利用
↓
蔵相・井上準之助が金解禁に踏切り、国内の金を大量に流出させてしまう
↓
濱口首相が銃撃され重症。鳩山一郎の登壇要求で無理し病状悪化し辞任。大蔵官僚出身の民政党・若槻禮次郎が再登板
↓
関東軍板垣征四郎と石原莞爾(一夕会)が独断で満州事変を起こし、収集のつかない若槻内閣は選挙で大敗し総辞職
↓
若槻内閣への襲撃をもくろんでいた海軍将校たちは軍閥内閣の設立を目指し準備を始める
↓
後任の政友会・犬養毅が組閣。海軍将校たちは計画を中断できずこれを襲撃し五・一五事件
↓
海軍条約派・斎藤実が連立内閣を組閣。内田康哉外相は満州利権を護るため焦土外交を主張し国連脱退を強行する
↓
閑院宮載仁により陸軍皇道派・真崎甚三郎が失脚
↓
帝人事件で総辞職。海軍条約派・岡田啓介が引き継ぐが陸軍主導権を奪回したい皇道派による二・二六事件で暗殺
↓
広田内閣以降、陸軍統制派は長州閥の寺内寿一を傘下に加えた新統制派へ移行し東条英機が陸軍内の主導権を握る
東条・寺内ら新統制派主導で予備役の荒木貞夫や真崎甚三郎ら皇道派が復活しないよう軍部大臣現役武官制を復活させ、陸相が辞任をちらつかせて内閣を脅すようになる
↓
近衛内閣時に支那駐屯軍・牟田口廉也(皇道派)が盧溝橋事件を起こし日中戦争開戦
↓
平沼内閣時に関東軍・辻政信(新統制派)がノモンハン事件を起こす
↓
海軍条約派の米内光政が組閣するも、陸軍は畑俊六陸相を辞任させ倒閣
↓
東條英機が首相に指名される 皇統が変わったと言っていた。韓国人の天皇アキヒトとミチコの部下が。
少数の韓国人で日本人を支配するという野望を持っている皇族ども。
皇統が変わったじゃねえだろ。皇族どもめ
日本人は韓国人の天皇など認めない
日本から消えろ! 韓国人 皇族どもめ
平成になってから帰化人ばかりの総理になったのは韓国人天皇のせいだ
日本人の敵 皇族 万人の幸せを祈る皇室に呪詛を吐き続ける左翼ないしそれに擬したものは
自らの魂を己の罵詈雑言によって穢していることを自覚された方がいいだろう。
さて、明治天皇は日露戦争の開戦に際して涙を流して反対されたという
エピソードがある。
この箇所については昭和八年9月5日に編集者の一人金子堅太郎子爵が
昭和天皇に対し、省く意見を上奏した。
しかし、昭和天皇は鈴木侍従長(鈴木貫太郎)に対し、
「金子が来てかくかくのことを言ったが、自分は金子が今日省こうと
言っている、明治天皇が戦争になることをお好みにならず平和裡に解決したい
という思召こそ、天皇の平和愛好の御精神が現われていて、
これこそ後世に伝うべきであり、寧ろ御年代記の中に
特に書き入れた方がいいんじゃないかと思うが、どうか」
と話されたという。
昭和八年の段階において「天皇の平和愛好の御精神」を語る昭和天皇の証言と
しても貴重である。 昭和天皇には立場上ご公表できなかったが、戦後になって
様々な関係者(とくに昭和天皇に近い立場の人)が自分勝手なことを
いったり書いたりしたことに非公式に反論なさった未公開資料がまだあることが判明。
公表されれば「昭和天皇独白禄」なみの一級資料となろう。 昭和天皇には立場上ご公表できなかったが、戦後になって
様々な関係者(とくに昭和天皇に近い立場の人)が自分勝手なことを
いったり書いたりしたことに非公式に反論なさった未公開資料がまだあることが判明。
公表されれば「昭和天皇独白禄」なみの一級資料となろう。 万人の幸せを祈る皇室に呪詛を吐き続ける左翼ないしそれに擬したものは
自らの魂を己の罵詈雑言によって穢していることを自覚された方がいいだろう。
さて、明治天皇は日露戦争の開戦に際して涙を流して反対されたという
エピソードがある。
この箇所については昭和八年9月5日に編集者の一人金子堅太郎子爵が
昭和天皇に対し、省く意見を上奏した。
しかし、昭和天皇は鈴木侍従長(鈴木貫太郎)に対し、
「金子が来てかくかくのことを言ったが、自分は金子が今日省こうと
言っている、明治天皇が戦争になることをお好みにならず平和裡に解決したい
という思召こそ、天皇の平和愛好の御精神が現われていて、
これこそ後世に伝うべきであり、寧ろ御年代記の中に
特に書き入れた方がいいんじゃないかと思うが、どうか」
と話されたという。
昭和八年の段階において「天皇の平和愛好の御精神」を語る昭和天皇の証言と
しても貴重である。 戦前の国定教科書にちゃんと白村江の戦いのことを書いていれば
国民も無敵皇軍などの夢も見ずにそもそも開戦もしなかった事だろう。
終戦後昭和天皇から白村江の戦いの事を口に出されたのは
そういう気持ちもあったのだろうか いろいろと役に立つ嘘みたいに金の生る木を作れる方法
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
79T >>117
戦前の演説や集会の記録映画では大衆は勇ましい雰囲気や言葉に酔いしれっています。
このように勇ましい空気が支配的な当時において日本人の空気を読む
性格からはとても戦争は反対などと誰もが言える雰囲気ではなかったのでは
ないかと推測します。 >>117
戦前の演説や集会の記録映画では大衆は勇ましい雰囲気や言葉に酔いしれっています。
このように勇ましい空気が支配的な当時において日本人の空気を読む
性格からはとても戦争は反対などと誰もが言える雰囲気ではなかったのでは
ないかと推測します。 >>117
戦前の演説や集会の記録映画では大衆は勇ましい雰囲気や言葉に酔いしれっています。
このように勇ましい空気が支配的な当時において日本人の空気を読む
性格からはとても戦争は反対などと誰もが言える雰囲気ではなかったのでは
ないかと推測します。 地方巡幸で両親の位牌を手にした戦災孤児の姿に昭和天皇は
涙したという。 日本大衆党(日本社会党・立憲民主党の前身)や日本共産党まで
ゴリゴリ右翼の軍国主義者になって「鬼畜米英!」「八紘一宇」と
叫んでいたんだから、昭和天皇がどんなに平和を望んでいても無理だな。
立憲民主制ってのは「君臨すれども統治せず」だから、日本中がオール軍国主義者に
なってしまうと、君主の力ではどうにもならない。
まあ、日本中がオール軍国主義者になってしまったのは、朝日新聞や毎日新聞など
マスコミの力が大きかったけどな。今の韓国と同じ。 >>124
>立憲民主制ってのは「君臨すれども統治せず」だから
それは立憲君主制じゃないのか? そもそも、昭和天皇即位前は政党政治が発展しかけた時代で
天皇がその権限を行使するような時代の流れでなく
むしろその逆の風潮にあった。
そういった時代背景にあって政党政治家(今の政治家達の前進、先輩)
あるいは官僚達の責任をさしおいて昭和天皇の責任を追及するなどというのは
まったくお門違いではなかろうか? 昭和天皇が太平洋戦争開戦の決定を決める御前会議の時に
異例のこととして明治天皇の平和を愛する御製を読み上げたというエピソード。
その場にいた人の記録では、その場の大勢の雰囲気に、また天皇は発言しない
という慣例を破っての緊張からか
懐から明治天皇の御製の書かれた紙を取り出した昭和天皇の手は震えて
たという。
現代でもたとえば学校などでクラスの大勢の意見に反して正しい意見を
いうというのは相当勇気がいることであることは誰しも経験があるだろう。
これほどまでの天皇の意向を知りながら開戦を決めたのだから
責任は明確に当時の政治を担い戦争への道を決めた政治家や軍官僚達にある
といえる。 まさかあそこまでやられるとは思わなかったのかな?
もしくは暴動が怖かったのかな? 御聖断が下った後でも陸軍の一部は 玉音盤を奪おうと宮中に乱入、
昭和天皇自らが頭を下げて総理に なってもらった鈴木貫太郎は官邸、
私邸ともに襲撃を受けて、焼き討ちにあった。
かけつけた消防団は国を売った首相の家の消化を拒否したという。
このような国民感情、情勢の中でよく終戦を決断できたものだと
驚くほかない。 御聖断が下った後でも陸軍の一部は 玉音盤を奪おうと宮中に乱入、
昭和天皇自らが頭を下げて総理に なってもらった鈴木貫太郎は官邸、
私邸ともに襲撃を受けて、焼き討ちにあった。
かけつけた消防団は国を売った首相の家の消化を拒否したという。
このような国民感情、情勢の中でよく終戦を決断できたものだと
驚くほかない。 御聖断が下った後でも陸軍の一部は 玉音盤を奪おうと宮中に乱入、
昭和天皇自らが頭を下げて総理に なってもらった鈴木貫太郎は官邸、
私邸ともに襲撃を受けて、焼き討ちにあった。
かけつけた消防団は国を売った首相の家の消化を拒否したという。
このような国民感情、情勢の中でよく終戦を決断できたものだと
驚くほかない。 満州事変の際、朝鮮軍(日本陸軍の) は独断で越境し、満州に侵攻した。
(関東軍の手引きによるものだが) 昭和天皇は陸軍参謀総長の金谷に
大権をもてあそぶな、書類に印は押せないと突っぱねたが、
金谷参謀総長は、口答えして、このままでは現地の兵隊が凍えてしまう
と、現場の兵を人質にとり昭和天皇を納得させた。 満州事変の際、朝鮮軍(日本陸軍の) は独断で越境し、満州に侵攻した。
(関東軍の手引きによるものだが) 昭和天皇は陸軍参謀総長の金谷に
大権をもてあそぶな、書類に印は押せないと突っぱねたが、
金谷参謀総長は、口答えして、このままでは現地の兵隊が凍えてしまう
と、現場の兵を人質にとり昭和天皇を納得させた。 保守や右翼は自分たちの先輩が昭和天皇の意向に反した歴史を
隠したいから、その点をはっきりさせずにあやふやな天皇擁護しか
しなかった。
左翼はもともと平和なんてのは関係なくただただ天皇を倒すことしか考えて
い阿呆なので、天皇の平和指向の歴史的事実をねじ曲げて昭和天皇を
悪人に仕立てあげ続けてきた。
結局、右も左も昭和天皇の味方はおらずにただただごく一部の良識的な
人たちだけが昭和天皇をお守りしていたのが昭和という時代だった
ということですな。 保守や右翼は自分たちの先輩が昭和天皇の意向に反した歴史を
隠したいから、その点をはっきりさせずにあやふやな天皇擁護しか
しなかった。
左翼はもともと平和なんてのは関係なくただただ天皇を倒すことしか考えて
い阿呆なので、天皇の平和指向の歴史的事実をねじ曲げて昭和天皇を
悪人に仕立てあげ続けてきた。
結局、右も左も昭和天皇の味方はおらずにただただごく一部の良識的な
人たちだけが昭和天皇をお守りしていたのが昭和という時代だった
ということですな。 天皇にごまかしの報告をする軍部官僚
昭和17年4月18日、ドーリットル隊に依る東京空襲。
東部軍司令部は「敵機墜落数は9機」と発表し、
杉山元参謀総長も同様の奏上を行った。
ところが、東部防衛総司令官であった東久邇宮稔彦王は、
天皇から「真相を報告せよ」と詰め寄られ、
「敵機は1機も撃墜できませんでした」と明かしたのである。
こうした事例が積み上がり、天皇は相当の不信感を抱いていた。 天皇にごまかしの報告をする軍部官僚
昭和17年4月18日、ドーリットル隊に依る東京空襲。
東部軍司令部は「敵機墜落数は9機」と発表し、
杉山元参謀総長も同様の奏上を行った。
ところが、東部防衛総司令官であった東久邇宮稔彦王は、
天皇から「真相を報告せよ」と詰め寄られ、
「敵機は1機も撃墜できませんでした」と明かしたのである。
こうした事例が積み上がり、天皇は相当の不信感を抱いていた。 1931年には柳条湖事件、満州事変を関東軍が引き起こした。
以後、昭和天皇は満州事変の戦域拡大、第一次上海事変、熱河作戦など「中国大陸での陸軍の行動に神経質なまでに
反応し、軍事行動の抑制を求める意見を側近や軍首脳に伝達していた」。
しかし、軍は朝鮮軍独断越境事件に続き張鼓峰事件でも、天皇の許可を得ずに独断で
戦闘行為を行っており、この当時の陸軍の行動はまさに統帥権干犯そのものであるといえよう。
また熱河作戦の作戦中止を求める昭和天皇の要求は奈良侍従武官長により事実上却下された。
統帥権は機能しておらず、その権限は軍が自分たちに都合よく利用していただけなのである。
昭和天皇の陸軍への不信感はますます高められていた。 おいコラ低能朝鮮人どもよ
嘘を広めるなよ
朝鮮人天皇は日本の軍産のトップだぞ 浜口が狙撃されたのにはなんの責任も無いんで、継承した幣原内閣ですぐに解散総選挙
してればどうだったか。案外同情票で立憲民政党政権が長期安定化してたかもしれない
軍部がどう抑えられるかは全く予想できんが (キレやすい戦前の日本人)
1919年に出た石橋朝花氏の『紅き血の渦巻』(別所万善堂)のなかには、日本が大好きだという外国人のこんな言葉が掲載されている。
「されど悲しい哉、日本人に一の欠点あり、そは短気なる事なり、日本人は短気な国民なり」(P96)
また、1938年に出た『青年将校と共に国家を語る』(赤松寛美/春陽堂)には、「勤勉」「忍耐」「正直」といった平成日本でもよく自画自賛される日本人の美点が並べられている一方で、最後にこのようなマイナス点が述べられている。
「我国民は、斯の如き幾多の美質を有するのであるが、若し其欠点を挙げれば、即ち短気なことである」(P105)
満州事変が起きた年、東京・麻布で行われた反戦運動に対する「私刑」だ。反戦ビラを街頭に撒(ま)いた人々を叩いたのは、陸軍でも憲兵でもない。戦後教育では「戦争に嫌々つきあわされた」と描かれる「市民」たちである。
「付近の住民は時節柄とて憤慨し二、三十名が棍棒や薪を持つて『非国民を殴り殺せ』と追跡した」(読売新聞 1931年9月21日)
(剛力彩芽が叩かれる背景に、日本人の国民性 より) 日比谷焼き討ち事件では内務大臣官邸、アメリカ公使館までも襲撃された。
その他、足尾暴動事件、電車焼き討ち事件、米騒動、警廃事件などの
暴動が頻発している。
終戦時には陸軍によるクーデター未遂、宮城占拠事件が起き、首相官邸、鈴木貫太郎
私邸、平沼枢密院議長私邸、木戸内府私邸、東久邇宮私邸が焼き討ちされた。
ちなみに終戦直後になると今度は戦勝国民として調子にのった在日朝鮮人による暴動が
頻発している。 ちなみに「昭和天皇独白禄」は昭和天皇はベッドに横たわったまま
一切の資料もなしに口述したものを記録したという、まるで出口王仁三郎
の霊界物語のような著述方法で記録されたものであり、昭和天皇の恐るべき
能力の一端が垣間見られる。 まじめな理系(または文系)ヲタのおまえらが
日大の田中理事長(元相撲部)やらボクシングの山根会長
だとかいうヤクザキャラの重臣のいならぶ会議の最中に
普段の発言権を認められていないというのに連中の意向に反する
ことを言わなければならないという御前会議プレーを想像してみよう。 医療大麻オイル
https://plaza.rakuten.co.jp/denkyupikaso/diary/201806090001/
日本国旗がモデルになっているパラオでは合法化されてるようです
パラオにはウメタロウさんというような国会議員が沢山います 最近の左翼は史実では昭和天皇が戦争に反対したのは各種資料によりあきらかに
なっているので、
おかしなトンデモ説をねつ造して昭和天皇に戦争責任をかぶせようとしている。
CIA、ユダヤ、ロックフェラーとか、全部左翼のねつ造ネタ。
かつては史実に対してもこのような左翼によるねつ造が行われていた
ことの何よりの証拠です。 左翼、共産主義者、マルキストの総本山であったソビエト連邦は
日ソ中立条約を破り、国際的な条約であるジュネーブ条約も批准すらせず、
さらに己が加わったポツダム宣言にすらも反して65万もの日本人を
拉致してシベリヤに送って強制労働させ、5万5千もの人を死に至らしめた。
これは明確な左翼、共産主義者、マルキストによる国際的な犯罪であり、
彼らが条約等の約束事を一切守らないという歴史的事実を現しています。 >>143
今でいう右翼団体や左翼の団体の様な過激な一部の連中がやった事を
市民がやったかのようにねつ造するよね
市民は何も知らない犠牲者 >>149
朝日新聞・毎日新聞といった極右新聞に扇動されたとは言え、
一般市民がやったのは事実。
戦後も朝日新聞・毎日新聞といった極左新聞(極右から保身のために転向)に
扇動されて、ゼネストや安保闘争や学園紛争などが起きている。 共産主義者、マルキスト、左翼が喧伝したプロパガンダで
天皇=ヨーロッパ中世風の絶対君主であるかのようなウソのイメージを
広めたため、何も知らない大衆はなぜ絶対的な権限をもつ天皇が
戦争を止めなかったのかと誤ったイメージに基づいて長らく避難してきた。
我が国の史実として天皇が絶対君主であったことはとくに近世以降は
一度もないのが歴史的史実。
左翼、共産主義者、マルキストはウソをつくという歴史的事実です。 道義的な責任を言うならマスコミに煽られた国民にもある。
日露戦争の賠償がないと言って日比谷で暴動を起こしたりして
陸軍の大陸進出を後押しするような世論となっていった。 【ヒトラーも、ユダヤ】 トランプ大統領、ペンス副大統領「キリスト再臨の為にイスラエルは造られた」
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1534902628/l50
日本列島をアメリカ軍に貢いだヒロヒトと山本五十六もフリーメーソン、安倍も? 御聖断で開戦しなきゃいいのにな
結局やっぱり犯人はコイツだと() 御聖断は禁じ手だから初手からは使えない。最後の最後、今やらなきゃ国が滅ぶ時でないと。 実際、昭和天皇としては御聖断するつもりはなくて鈴木貫太郎首相になんとかしろと思っていた。
ところが鈴木もどうしようもなくて天皇が御聖断に踏み切ることを期待した。公然と求めることは
ルール違反なのでしないけど空気を読んでくれと。そういう空気の中で御聖断に踏み切った。 史実で戦争反対していた昭和帝て御目出度いのがマダいるんだなw と言うか昭和天皇個人の力でどうこうできるほど当時の日本の病巣は浅くなかったような…… >>156
御聖断で開戦なんてしてないだろ。
パヨクが。 >>161
いや開戦の時点で御聖断で拒否しろってことだろ。
既に書いたようにそれは出来ない相談だけど。 どう止めるもこう止めるも、
田中義一叱責や226事件の時みたいに
はっきり意思表示すれば軍部は独走できないよ 軍に逆らうたびに側近者を毎回毎回標的にかけられた(いわゆる君側の奸な)
うえに、軟禁されて秩父宮と変える計画まで立てられてんだからそんなにしょっちゅう
に軍部に逆らえるような環境じゃねーよ。
親父よりえらい西園寺からは立憲的にふるまうよう釘をさされてるし。 だから天皇個人に負担が来る
最初から政治責任に関わらない今の天皇制が良かったんだよ
薩長の責任だろ 王政復古の大号令で天皇親政を宣言してしまったから取り返しがつかなかったんだろう。 憲兵を牛耳ってる東條に厳命して、開戦派の陸海軍幹部を全員処刑
お手本はスターリン 何言ってるんだ。東条英機その人が自分への反対派を全部左遷する
東条人事を実際に実現させた結果が未曾有卯の敗戦じゃないか 御聖断で開戦して御聖断で終戦したんだろ?馬鹿じゃないの() 陸軍の中では割と信用できて手足になってくれそうだった白川をテロで失ったのが痛い >>172
彼は参謀本部の方針を無視して天皇の意向に沿った国際協調的な動きをしたので
消されたんですね。
恐ろしい時代でした。 >>165
西園寺の教育が間違っていた
臣下にならぬことはならぬと、びしびしいうように教育しておけば
陸軍にしても最初から天皇をなめていたわけではない、というかもともと陸軍人の
大半は天皇には絶対忠誠、承詔必謹である
問題は、陸大出の天皇をなめ腐った参謀将校連中で、この辺が独断専行するたびに
なあなあで済ますから増長して結果開戦などする羽目になる
こういうのは最初が肝心である
天皇が大激怒ということを満天下に知らせるため大元帥権限で、張作霖爆殺の首謀者、河本大作を軍法会議にかけ
軍籍・勲功はく奪の上絞首刑にし、関係者も相応の刑に処する
そうすれば、さすがの石原だの板垣だのといった天皇を鼻にもかけない連中もおとなしくせざるを得ず
その後の満州事変だの日中戦争だの、亡国のルートに行かずに済んだかもしれないのである 天皇は開戦時および終戦時、陸軍のクーデターを恐れていた
しかし全陸軍が天皇を排してまでクーデターを起こそうというわけではない
むしろそんな連中はごく少数派であって軍人の大半は幼少からの尊王教育で
骨の髄まで天皇陛下絶対、逆賊の汚名など死ぬことよりも恐ろしい
尊氏のように永遠の逆賊扱いになど当時の軍人には耐えがたい
漢朝末期、霊帝は、董卓、曹操といった奸物の専横に苦しんだ
そして、たびたび各地の忠勇なる臣に勅命を下しこれらを排除しようと試みた
結局それは成功せず漢は滅亡したが、天皇の忠臣の数と勢力は霊帝よりはるかに大きい
そのような有利な条件にあるのだから、天皇の和平の意向に逆らう連中は逆賊として
予防拘禁してしまえばいい、つまりは逆クーデターである
国家存亡の時なのだから迷っている場合ではない
連合軍のシチリア上陸でこれよりの抗戦の無益を知ったヴィットーリオ・エマヌエーレ3世は
バドリオ元帥に命じムソリーニの首を飛ばし、連合国に降伏した
ルーマニア王、ミハイ一世は、ソ連軍が国境に迫った状況で本土での交戦は国の破滅と判断し
ドイツを見限り、独裁者アントネスク元帥の首を飛ばし降伏、即時連合国側について対独参戦した
イタリアやルーマニアにできたことが日本でできないはずはない
1945年5月、帝都が丸焼けになり、沖縄は落ち、ドイツが降伏した時点で降伏しか道はないのは
誰にでもわかった、遅くともこの時点で天皇は決断すべきだった 日本の場合はムッソリーニやアントネスクが居なかったのもあるな。そういう独裁者が居なかったから
誰かの首で解決しなかったし、未だに昭和天皇が独裁者だったと思ってる不勉強者も居る。 霊帝の代では董卓も曹操も権勢を振るっていないし
臣下の専横を排そうとしたのは桓帝だぞ。 霊帝が死んで少帝(劉弁)の皇太后の兄である大将軍何進が権勢を振るう十常侍や他の宦官を
一掃しようとして董卓を呼び寄せた。しかし董卓が来たときには既に何進は宦官たちに殺されていた。
そこで董卓が宦官を追っ払って政権を握る流れだな。曹操なんてまだ雄飛する機会を窺う下っ端。 >>177 178
素で献帝と霊帝を間違えた
失礼した そもそも戦争開始した時は誰も負けると思ってないんだもん
誰も反対しないよ
日本の作戦通り上手く行けば勝てると思ってたんだもん
しかし作戦が上手く行かない場合どうするかは誰も考えてなかった >>176
サイパン陥落の時東條の退陣要求が高まった
この際近衛はどのみち東條に全責任を負わせるためこのまま政権を任せたほうがいいと言った
近衛は開戦前から対米戦争には自信なしやめるべきとの考えの癖に無責任に政権を投げ出したわけだが状況を見る目はあった
サイパン陥落時にイタリアは既に降伏しており近衛はバドリオ的に東條を独裁者に仕立て適当な時期に東條を暗殺でもして講和に持ち込もうとの考えがあったのかもしれない
ドイツでも同様な構想はあった
もっとも当然継戦派もそれは極めて警戒するところでそうした動きをバドリオと称して近衛なんかは真っ先にマークだれていたわけであるが >>174 >>175
大正時代の歴史を勉強なさい。 >>181
近衛は東條軍部独裁政権下で憲兵隊に終始見張られて身動きとれませんよ 【ロシアに謝れ、日本】 日ソ中立条約違反 ←<特殊演習、敵国条項、講和条約>→ 北方領土放棄
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1537323380/l50
条約破ったくせに謝りもしない破棄逃げジャップ、モー娘か! 高木少将が東條暗殺計画を立てていたがグループにあまりに広がりがなく成功後の展望も226や宮城事件とどっちこっちの成るように成るという粗雑なものだった
ドイツの反ヒトラーグループのワルキューレ作戦と比べるとその差は歴然としている
良くも悪くも日本は挙国一致で宮中も軍部も文句はあっても一体で戦争を遂行したと言うことではなかろうか いや東條独裁内閣がその精神論から陸軍や憲兵を使って和平の動きを握りつぶしていたのが原因。
東條は緒戦の頃に昭和天皇が提案した和平工作も黙殺されたし、予備役に追い込んだ
石原莞爾を執拗に追跡し、著書を発禁にし、予備役にまわされた後に就いた大学教授の職までも辞めさせるほどに追い込んだ陰険かつ執念深い権力者である。
近衛や吉田茂など、少しでも和平派と思われるような人物には執拗に憲兵の尾行が
つけられた。
このような軍事独裁政権の下の秘密警察体制下では誰も動きようがない。
ついに情報統制下にあって唯一日本の劣勢の真実を知っていた
参謀本部の津野田少佐が「このままでは日本が滅ぶ」と東條暗殺計画を
立てるほどの体制が敷かれていたのである。 >>181
日本の場合は東條以上に強硬な戦争継続論者、いわゆる
一億玉砕を本気で考えている中堅、若手の陸軍官僚が東條の背後に
陣取っているから難しい。 >>181
ムッソリーニの独裁は彼のカリスマが築いたものだからムッソリーニを
倒せば収まっただろうが、東條内閣の独裁は東條のカリスマによるところは
まったくなく、陸軍省および参謀本部という暴走組織が国家を乗っ取った
ところにその問題がある。 >>175
当時の陸軍の記録をもう少し読んだほうがいい。
当時の陸軍は天皇が間違った考えをもっているならば天皇を軟禁してまでも
戦争をやるのだ。一億玉砕するのだというような連中。
逆賊になることを恐れるだとかいう江戸時代の尊皇家のような人間はいない。
彼らの本質は近代官僚人。
そして天皇側にいる数少ない側近は「君側の奸」としてことごとく暗殺の
ターゲットにされている。
天皇側に逆クーデーターをやるような力はそもそもない。 もう一つ敗戦の原因は原敬、浜口をはじめとして続くテロの風潮。
これらは井伊直弼暗殺から続く水戸の過激派などを靖国に祀ったあたりに根元がある。
大正、昭和にかけての要人暗殺犯はことごとく恩赦で自由を得ていて戦後までのうのうと
暮らしている。
軍部過激派や平沼などの法曹界まで一緒になり観念的狂人グループが一国の総理を暗殺しておいて
英雄気取りで行政システムを破壊したことに敗戦の原因があるのはいうまでもない。
暗殺を是とした風潮を是正できなたったところに歪みがあり、やがてその歪みが
取り返しのつかないところまで来て政党政治を瓦解させた。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています