第二次世界大戦の戦犯って結局誰?
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<アメリカ合衆国第32代大統領 フランクリン・ルーズベルト>
第二次世界大戦後70年以上経って、近年、米国では機密外交文書や非公開だった元・大統領の
回顧録などが公開され、日本でも翻訳本が出版されている。それらに目を通すと、戦後、巷で
噂されて来たことが本当だった事例がけっこうある。
日本の真珠湾奇襲攻撃もその一例のようだ。
フランクリン・ルーズベルトはアメリカ合衆国第32代大統領に就任(1933年)すると、
すぐに共産国家ソビエト連邦を承認し、国交を樹立。第二次世界大戦ではスターリンと
手を結んで、ドイツ、日本を叩きつぶすことを決意。ソ連、中国に多額の軍事支援を
行なった。
1940年、ルーズベルトは米国史上初の大統領三選を果たすが、それは「米国は、現在
進行中の独伊vs英仏ソの戦い、アジアの日本vs中英ソの戦いに参戦しない。」との公約
に基づくものだった。
しかし、英仏首脳に米国参戦を密かに約束していたルーズベルトにとって、この公約を
覆して世論を参戦に向かわせ、ヨーロッパ、アジアの戦場に出兵するためには、敵からの
米本土攻撃のような何か特別の事件が起こる必要があった。そこで、彼の取った策略は
日本を追い詰めて先に手を出させることだった。・・・・・・・・ >>102
あちこち貼りまくってるけど時系列めちゃくちゃだよ
1940年に独ソは戦争していないし ポーランド分割や
ドイツへソ連が大量の資源供給するなどむしろ独ソは同盟状態に近い
日ソも不可侵条約を結び独ソ開戦までは中立状態にある >>103
>>102で、1940年の大統領三選時の F.ルーズベルトの公約の日本語表現 「・・・」 が不正確
だったので、その箇所だけ撤回し、以下の『・・・』に改める。
フランクリン・ルーズベルトはアメリカ合衆国第32代大統領に就任(1933年)すると、
すぐに共産国家ソビエト連邦を承認し、国交を樹立。第二次世界大戦ではスターリンと
手を結んで、ドイツ、日本を叩きつぶすことを決意。ソ連、中国に多額の軍事支援を
行なった。
1940年、ルーズベルトは米国史上初の大統領三選を果たすが、それは 『アメリカは
参戦しない。アメリカの若者を戦地に送らない。』 との公約に基づくものだった。
しかし、英仏首脳に米国参戦を密かに約束していたルーズベルトにとって、この公約を
覆して世論を参戦に向かわせ、ヨーロッパ、アジアの戦場に出兵するためには、敵からの
米本土攻撃のような何か特別の事件が起こる必要があった。そこで、彼の取った策略は
日本を追い詰めて先に手を出させることだった。・・・・・・・・ >>105
文字数約400字の >>104 の文章を読むのが辛いとは情けない!
日本の小学校では6年生なら誰でも作文の授業で原稿用紙1枚(400字)くらいの文章を書くよ。
>>104 をちゃんと読んで、中身の議論をしてくれ。 永田鉄山、東條英機の統制派コンビ
逆に犬養は生きていたら太平洋戦争は起きなかったな。 統帥権→天皇機関説
軍部の暴走に大義名分を与えた最初のトリガー引いたのは鳩山犬養コンビだよ 日露戦争まではあった「降伏」を無くした連中
岩手と佐賀の土人に政府を任せるとこうなる >>114
佐賀と岩手は戊辰戦争で直接対決してるなw
その降伏させないようにしたとする根拠は何だよ?w 迫る中国「シャープパワー」(複眼) クライブ・ハミルトン氏/周永生氏/高原明生氏
ttps://www.nikkei.com/article/DGXKZO36500590V11C18A0TCR000/
■合法活動 誤った脅威論 中国 外交学院国際関係研究所教授 周永生氏
「60%現象」という言葉がある。ある国の国内総生産(GDP)が米国の60%に達すると、米国はあらゆる力を
使ってその国をつぶしにかかるという経験則だ。
歴史を振り返れば、それはかなり当たっている。
1960年代末から70年代初めにかけて、ソ連のGDPは米国の60%になった。米国が全力でソ連たたき始めた
のはそのころからだ。88年に日本がソ連を追い抜くと、こんどは日本が米国の主要な脅威となる。日本への攻撃
は、バブル経済が崩壊したあとの94年ごろまで続いた。
そしていま、中国のGDPは米国のおよそ60%である。米国は中国を怖いと思うようになっている。それは
中国の経済的な実力に対してだけではない。中国社会の性格や制度にも向けられている。放っておけば世界が、
米国と異質な中国で染まってしまうという危機感である。
こうした観点は中国文化の本質を無視していると言わざるを得ない。中国人の体には孔子や孟子の教えが染み
込んでいる。特に孟... このスレタイに関連する質問をさせてください。
戦前の日本には、今後の中長期の世界戦略として
米国を平定して日本の支配下に置くといった目標が具体的にあったのでしょうか?
今の世界情勢は支那が一帯一路、日米が支那包囲網と分かりやすい目標を各々が持っていますが、
当時の列強の日本が何処までの絵を描いていたのかが分かりません。 寄生虫にビジョンがあるわけないだろ低能
日本人の家は紙と木で作られているのを知っていたカーチス・ルメイは
まず東京郊外を空襲し、日本人が東京中心部に集まるようにした後
次に大量の焼夷弾を落として日本人を焼き殺す作戦を考えた
対して日本側は、国民が地下鉄に逃げ込まないように入り口を厳重に封鎖しておいた
そして上級国民と呼ばれる天皇の同族を非難させた後に
ラジオの東京ローズを介してB29に空襲してよいと連絡した
東京大空襲を立案・指揮したカーチス・ルメイには日本最高の勲一等が授与された 日本を壊滅させた国賊・山本五十六
岡田啓介、山本五十六ら艦隊派が海軍軍縮条約からの脱退を企て
予備交渉を意図的に破綻させる。
↓
海軍軍縮条約から脱退確定
↓
海軍、政友会、三菱財閥など利権勢力が青年将校らに襲撃される(2.26事件)
↓
山本五十六が海軍次官に就任。山本は米内を海相に推して米内が海相に。
↓
大山事件勃発(海軍の自作自演、謀略)(陸軍主導の船津和平工作が妨害され潰された)
↓
海軍が中国都市爆撃を独断で強行
↓
海軍による都市無差別爆撃が世界中から非難される
国際連盟は対日非難決議を採択。中国支援を決定。
国共合作が実現する。
日中戦争勃発。
↓
閑院宮・陸軍参謀総長は畑陸相に対し、日中戦争を拡大泥沼化させてる要因は
米内ら海軍だとして、日中停戦のため米内内閣に協力しないよう要請。
↓
井上成美は中国都市爆撃の強化を唱え重慶に対する
無差別爆撃を実施。
↓
陸軍は日米諒解案をベースに対米交渉を続けるが
それを妨害するため海軍が主導し南部仏印進駐を強行 戦犯って負けた責任者のこと?
太平洋戦争じゃなくて、第二次世界大戦の?
論点がよーわからん ここで言ってる戦犯はそういう意味やね。交戦法規上の戦争犯罪云々ではない模様 国際法上ただしい戦闘行為であれば戦争犯罪ではないよ
君の論法なら自衛のための武力行使を適切におこない
侵略者に出血を強いることも、負ければ違法という判断になる 宣戦布告をきちんとしますって条約に加盟しながら、それを破ったからなあ ハワイに対する国際法上、不法な先制攻撃、計画的な侵略戦争。
愚かな指揮で日本を大敗させ300万人の日本国民の犠牲を出した。
国際的にも、国内的にも、山本五十六が主犯であり戦犯の筆頭です。 それだけではない。
中国に対する都市無差別爆撃、太平洋戦線での捕虜多数殺害
これらハーグ陸戦規定でも山本五十六は主犯として罪が問われるべきです。 ・開戦に関する条約は総加入条項で失効済みなので戦争犯罪の論拠にならない
・侵略戦争の国際法上の定義はない
・自国民の戦災死は国際法上の戦争犯罪をただちに構成しない
・占領地の住民の防護は占領がわの義務であり攻撃側の戦争犯罪を構成しない
・捕虜の処遇に関する人道上の条約に日本は拘束されず戦争犯罪を構成しない
なんたる無知。ちょっとは勉強したまえ。
ただし結論たる「山本五十六が戦犯」のみ正しい。なんたる偶然(´・ω・`) 国民も被害者ではないだろ
少なくとも支持してた訳だし
情報の少なさや時代背景による物を加味してもさあ 憲兵が戦争反対の人をやつけるのだから、形だけでも戦争賛成のふりをしないと身が危ういだろ。 >>133
いやまあ、そうなんだけどさ、それがなくても皆そもそもが支持してたじゃん。
対米戦を避けてたら大暴動が起こるくらいに。 一般大衆は戦争を望んでいたかどうか
1942年4月、第二十一回衆議院議員総選挙が、いわゆる翼賛選挙が実施された。
大政翼賛会の推薦を受けない非推薦候補は、様々な妨害干渉を受け、立候補さえできない
有力政治家も続出した公正とは程遠い選挙である
兵庫5区という選挙区がある。兵庫5区は豊岡、出石あたりの但馬地方を区域としている。
この地域は戦前から現在に至るまで一言でいうと、普通の田舎であり、田舎の分にもれず
現在の代議士も自民党の谷親子が、1回を除き40年以上にわたって当選を続けているきわめて保守的な地盤である。
当時、兵庫五区選出の齋藤隆夫という代議士がいた、彼は、保守リベラリストであり軍部にもズバズバものをいう気骨のある政治家で、
この選挙の前にズバズバいいすぎては国会の賛成多数で懲罰動議にかかり除名処分をくらった
ちなみに言われた陸軍の高官連中は、さほど気にしたわけでもなかったらしいのだが、長いものにまかれる政治家たちが
忖度して彼を解任したのである。
このような齋藤は、逆境もいいところの翼賛選挙に打って出て、結果トップ当選したのであった(当時は中選挙区だった)
斎藤は非常に人気のある政治家であったから、必ずしも斎藤の主義に賛成ということでもなく人柄を親しんでの
投票もあっただろうが少なくとも戦争に賛成という人間が斎藤に投票するとは考えられない
1942年4月という時期を考えてみよう
開戦から5ヶ月、いまだ日本軍は破竹の勢いで進撃をつづけていた
機動部隊はハワイからインドまで縦横無尽の大活躍、もはや東洋に敵なし
陸軍もシンガポール、香港、フィリピンをおとし記念切手まで発行される
有頂天、という言葉の使用例にしていいくらい中央は有頂天になり、
次は豪州だ、いやインドだとその意気天を衝くがごとしである
欧州ではドイツ軍はいまだモスクワ前面にあり、これから夏季攻勢に出ようという状況である
この時期に斎藤がトップ当選をしたのである
多くの選挙区は斎藤ほどの政治家をもたず投票による意思を示せなかった、
そう考えることはできないだろうか
しかも当時の有権者は男のみである 現在の男女であればどうだったか >>135
反乱するのは軍人だろ。
俺のじっちゃん、ばっちゃんは明確に戦争に反対だったけど言えなかったと言っていたぞ。 うーん。検索して、やっと理解したが…w
今日車を運転していてラジオを聞いていると、秩父の鉱山では鉱夫は純粋に「勝って景気が良くなるといいな」と思っていたとか。
対してその息子は、経済系の大学入っていて「勝てるわけねー」と思っていたけど、ケンぺーが怖かったと言っていたな。
うちは父系も母系も農民だから、どっちの祖父も祖母も「当時から戦争反対」だと言っていた。人手が取られるからな。
特にウチの祖父は町の有力者だったはずなのに… >>142
両親が農家出身てことは生粋の日本原住民と思われる 本音だとどちらがどの程度いたのかな?
当時を知る人が居なくなってから、「大衆は大抵戦争に賛成であった」と言われてもねえ。 当時の大衆・世論というのは新聞報道の論調のことだから。外交官の報告書なんかでも
アメリカの世論、イギリスの世論つって新聞報道ばっかり報告してる。国家有機体説の
世界観なんだから個々の細胞たる国民がどう思ってるかなど関係ないんだよ。 >>142
検索した時の顔が見たいwwww
あま世論なんて今ですら怪しい物だよなあ
それでも割りと賛成が多かったと思ってる
出征兵士の激励とか言って飛び降りたりとかw
まあ、それは異常な例だけど、背景が伺われる >>145
当時既に世論調査ってのがあったんじゃないの?アメリカには。
>>146
それは個人的に出兵する兵士に頑張れってのは、戦争への思い以外に存在しただろw
普段野球に興味がなくても批判してても、甲子園で頑張る地元高校を応援するようなもん。 アメリカの世論調査はあるが、日本の世論調査とかないだろ
世論で戦争反対とか出されたらまずいと思ってたんだろうな
監視してたしな 戦前アメリカのばあい世論調査より選挙結果だろうね。現代の日本のマスゴミが
やってる世論調査なんかも、外注企業の社員が会議室で帳票まで書き込んで
結果をそれらしく提出してるレベルなんだから、そもそもマスゴミの言う「世論調査」など
現代でさえ意味はない。政府や学術機関がおこなう調査ならまだしも、売上のばす
ためだけにやってる霧の中の情報操作などよりも、新聞の報道姿勢や社論社説、
あるいは選挙結果という現実の影響力が戦前も戦後も、現代でさえ重要。 自分に不利益が無ければ賛成程度の話なのだ
賛成でも自分は戦争に行きたくないし家族も行かせたくない
というのが人情である そして割りを食うのはビンボー人である
斎藤茂吉は開戦後愛国の和歌を多数詠んだが倅は病院が家業というのもあったが断固として医学部に進学させた
当然兵隊避けの対策である
当人もだが倅たちも医者ではなく文学で名を挙げたが最初から文学部のに行くと兵隊にとられる危険がある
戦中派のあたりの作家に妙に医者上がりが多いのはこの辺の事情もあると思われる
三島由紀夫の父は東大卒高等文官の超エリートだが三島が徴兵検査に合格しないようわざわざ田舎で受けさせた(田舎の青年に混じると三島が貧相に見えるのではという作戦であるが成功しなかった)親心だが高官のやることだろうか
日本にはノブレスオブリージュの文化はない 愛国などといっても所詮この程度なのである
学徒動員で強制的に徴兵される前に大学生で志願したものは微々たるものでありアメリカの大学生が真珠湾語にこぞって志願したのと比較にならない
当時の大学生はほぼ上流階級のが人間でありながらこのざまである
戦後特攻崩れで名を売った鶴田浩二は動員がかかるまで大学で安寧を貪っていた 同世代のパンピーはとうの昔に前線で戦っていたのに
本当に純粋に志願したのは少年戦車兵や予科練に志願した10代半ばの少年達くらいである >>150
>アメリカの大学生が真珠湾語にこぞって志願した
頭に血が上りやすいだけじゃん 志願兵制度を取っていたアメリカがが第一次世界大戦に参戦した際志願兵の余りの少なさに派遣軍の兵力が足りなすぎて選抜徴兵制を敷かざるを得なかった
欧州の泥沼の戦いへの介入にアメリカの若者は命をかける意義を見出さなかった
そんな外国なんぞに興味のないアメリカの若者にあれだけのやる気を出させた山本長官の真珠湾攻撃は大したものだと言わざるを得ない >>118
大東亜共栄圏・東亜新秩序。
簡単に言えば中国東南アジアでの権益の拡大が目的で、
アメリカを平定しようなんてあるわけない。 アメリカが第一次世界大戦に参戦したのはルシタニア号が撃沈されてから実に2年も後のことだった
その後イロイロチクチク積み上げてようやく参戦に踏み切ったのである アメリカ人の欧州への不介入の意思の強固さが伺える
日本が英蘭に宣戦布告し第二次世界大戦に参加したとしてそんなアメリカが即時参戦できたかどうか
自国に脅威が無ければ国民は参戦には同意しない公算は高い
そもそも日本が英蘭に参戦したところで植民地での戦争に過ぎないのである
仮にアメリカが参戦したとしても日本から攻撃したのでなければ日本の死に物狂いの抵抗でベトナム戦争のように米世論の厭戦気分は高まっただろう
だが日本から攻撃 しかも奇襲攻撃ではジョゼフグルーが嘆いたようにアメリカを日本絶対殺すマン化させてしまった のである
大戦末期の一撃講和論はアメリカから参戦した場合にしか通用しないものだった 第一次大戦もさんざんモンロー中立言ってたけど参戦したからね
第二次参戦も同じことだよ
大統領が公約で反対言いながら参戦する気だったのは同じだし アメリカが参戦するのは仕方ない
だが日独から攻撃しなければ参戦時期はずっと遅れただろうし参戦やむなしの世論を形成するのに相当の苦労が生じただろう
また有条件講和の可能性も残ったと思われる
真珠湾攻撃ではその可能性は皆無である 第二次世界大戦後70年以上経って、近年、米国では機密外交文書や非公開だった元・大統領の
回顧録などが公開され、日本でも翻訳本が出版されている。それらに目を通すと、戦後、巷で
噂されて来たことが本当だった事例がけっこうある。
日本の真珠湾奇襲攻撃もその一例のようだ。
フランクリン・ルーズベルトはアメリカ合衆国第32代大統領に就任(1933年)すると、
すぐに共産国家ソビエト連邦を承認し、国交を樹立。第二次世界大戦ではスターリンと
手を結んで、ドイツ、日本を叩きつぶすことを決意。ソ連、中国に多額の軍事支援を
行なった。
1940年、ルーズベルトは米国史上初の大統領三選を果たすが、それは『アメリカは参戦
しない。アメリカの若者を戦地に送らない。』との公約に基づくものだった。
しかし、英仏首脳に米国参戦を密かに約束していたルーズベルトにとって、この公約を
覆して世論を参戦に向かわせ、ヨーロッパ、アジアの戦場に出兵するためには、敵からの
米本土攻撃のような何か特別の事件が起こる必要があった。そこで、彼の取った策略は
日本を追い詰めて先に手を出させることだった。・・・・・・・・
大日本帝国海軍による真珠湾奇襲の第一報を受けて、ルーズベルトとチャーチルが歓喜
したという話が伝わっているが、・・・・・ それを読めない日本首脳陣の低脳さw
真珠湾にしろきちんと宣戦布告すれば良かったんだよ。 山本五十六はアメリカに甘えたんだよ。
ま、大きな義父に怒って見せれば、向こうはビックリするだろうとね。
殴られはするかもしれないけど、最終的には話し合いで許してもられるだろうと言う読み間違いだ。
これが心理だろう...
今で例えるなら、フルブライト留学生の様なもので、本人は体験でアメリカや社会を知ってると思ってる。
アメリカのデカさや敵わないとこ、ダメなとこ、いろいろ知ってるつもりでこれだろ?
あとはバクチ的要素もある。 勝てばそれでよしの思想がヤバかったと思う。
負けた相手への振る舞いは自分にかえってくるんだな。 1年しか勝つ算段して無かった奴に向かって「勝てばよしの思想」云々はねーわ
勝てば良しなら勝つ算段しろよw 山本は近衛に「1年くらいならなんとかするからその間に和平をなんとかしてくれ。」と言ったんじゃないか? 東條英機一択
負けると分かってる戦争を始めたのはバカとしか言いようがないw
正恩でもやらない
残念なのは東郷茂徳 戦争に反対すれば時間が稼げた
他の誰かがいずれ賛成するだろうと東京裁判で述べていたが
時間稼ぎになればドイツのロシア戦況の悪化がはっきりしてくれば
全体の政策決定も変わってた可能性はあったと思う
小田原評定も悪くなかった (批判を承知で)陛下を筆頭に日本人全て
それは敗戦責任と言うより避戦責任
225であれだけ激怒された陛下だから対米開戦やむ無しを強固に主張した軍指導者にも叱責、開戦するなら退位する位の宣言があっても良かった 松岡洋右だろ。
三国同盟+日ソ中立条約を締結したのは、それで対米条約を自分が首相になって交渉すれば
締結できるという野望があったため。
独ソ戦が始まり、ドイツが有利な戦いの場面ではアメリカは日本と交渉する気があった。
ソ連がなんとか持ちこたえる事ができる状況になると、アメリカは潮目が変わったとばかり、日本に強気になる。 >>169
だから、一般の日本人は大抵が農民で内面は戦争反対だったぞ。 >>171
抽象的ですね
日本民族の本質を解ってらっしゃいますか? 永田鉄山の資源自給自足で不敗体制幻想と、石原莞爾の日米最終決戦妄想が原因だな。 >>165
勝てば良いって考えだけだったから、真珠湾の時の宣戦布告がキチンとしてなかった。
卑怯な騙し討ちの形になり、結局負けた。ベトナム戦争は戦争の意義が曖昧だったからアメリカが本気をだせなかった。何とか手練手管でアメリカが攻められれる正当な理屈を示すだった。 >>176 >>165
宣戦布告が遅れたのは駐米日本大使館のタイプ打ちが欠勤し下手な一等書記官の奥村勝蔵が代わりに文章を打ったためだとされている。 対米通知が攻撃開始前とか後とかは本質ではない
真珠湾攻撃の機動部隊が日米交渉中に既に出撃していた事がアメリカ人に騙し討ちと捉えられている
真珠湾攻撃自体がアメリカ人にとってそういう行為であって国際法がどうとかいう問題じゃない
通知が間に合ったところでアメリカ世論の怒りのボルテージは全く変わらないだろう >>176 おまえの感情論などどうでもよい。第二次大戦はイタリアの参戦の時点で
開戦に関する条約は失効していたのだから、そもそも宣戦布告しなければならない
国際法上の義務などなかった。ちょっとは勉強しようなドシロウトw どうせ高校中退の朝鮮人だろ。おっと朝鮮学校は学校じゃなかったっけ。 >>177
宣戦布告の文書に明確に戦線を布告するという文はない。
>>178
そういう話はないなーw
>>179
ソースは?w 日中戦争は海軍の先制攻撃、渡洋爆撃によって勃発しています。
当時、国際連盟でもそのように判断し、日本の侵略戦争(不戦条約違反)
であるとして対日非難決議が採択されています。 (1937年10月)
国際法に違反した都市無差別爆撃であることも非難されました。 (1937年9月)
ルーズベルト大統領もシカゴの演説でこの海軍の都市爆撃を
激しく非難しました(隔離演説 1937年10月)
その後9ヶ国条約会議(ブリュッセル会議)でも日本の
侵略戦争を非難する対日非難決議が採択されました(1937年11月)
この海軍の中国空爆は計画的に準備して実行されており
自衛の武力行使とはとても言えません。
真珠湾奇襲と同じで、計画的な先制攻撃で侵略戦争(不戦条約違反)です。
そしてこの空爆をやる際に海軍省とその記者クラブが
さかんに宣伝したのが、海軍の大山中尉が中国軍に
虐殺された事件です。
日本国民に対し、中国に対する憎しみを抱くように国民世論は
扇動されました。
日本では中国を討伐すべきだという意見が沸きあがりました。
そして海軍は空爆を正当化していました。 しかしこの大山事件は、海軍による自作自演の
事件だったのです。
当時そのことは関係者はみんな知っていたようです。
しかし戦後の日本は海軍を支持していた者たちが権力を握り
彼らはアメリカとも癒着して
海軍の不正行為はすべて隠蔽し、陸軍に責任を擦り付けました。
戦争を煽っていた海軍省記者クラブの人たちは
終戦と同時に手のひらを返して、他者の批判を始めました。
彼らは戦後も言論界の主要なポストについて、彼らに都合のいい
陸軍悪玉論が宣伝されました。
日中戦争勃発時、海軍の実権を握っていたのは海軍次官だった山本五十六です。
そして海軍省記者クラブが絶大な影響力を持ち、新聞社による戦争扇動が
行われるようになったのもこの時からです。 対米開戦の理由は単純で明快です。
海軍の山本五十六がどうしても1941年内に真珠湾奇襲をやりたかったからです。
海軍はそれにすべてを賭けており、開戦の1年前からそう決意しており、
対米交渉なんか初めから眼中にありません。
もし交渉が進展すれば、妨害して潰されます。
実際にそうなりました。
日本の主導者の多くは陸軍は暴走するから、陸軍主導より
海軍主導のほうが安全で手堅いと思い込んだかもしれません。
しかし実際には山本五十六が主導する海軍は、陸軍以上に
愚かで大暴走し、世界中を戦争に巻き込みました。
当時、海軍が敵視していたのは、アメリカでも中国でもありません。
海軍は陸軍を敵視し、陸軍に負けるくらいならば、アメリカと全面戦争をやって
負けた方がマシだと考えていたと言われています。
アメリカの対日禁油が悪いなんて言ってますが
その前にその原因となった南部仏印進駐で
日本は何をしてたか知ってるでしょうか?
日本は南部仏印になんと14個もの飛行場を超急ピッチで整備し
陸海軍の主力を集結させ、連日上陸作戦の猛訓練です。
まさに開戦前夜です。
誰が見ても日本は対米英戦争を決意したと思われて当然です。
南部仏印進駐は、進行中の対米交渉を妨害、破綻させるために海軍によって強行されました。
元海軍次官、豊田外相による計画的な策略でしょう。 そんな国がアメリカに石油を売れといって、アメリが石油を売るでしょうか?
仮に大統領や石油会社が売りたいと思っても、アメリカ国民が怒るはずです。
なんで対米英戦争を準備中の国にアメリカが石油を売らなくてはならないのか?と。
アメリカが対日禁油に至ったのは当然のことで非は100%日本側にあります。
ルーズベルトを悪党、戦争屋のように言ってますが、戦犯は野村大使の方です。
野村大使はもと海軍大将であり、海軍の山本五十六、米内、嶋田海相らとは親密な関係でした。
アメリカでは野村大使は海軍と結託し、真珠湾奇襲を成功させるべく、米政府をだます「偽りの外交」を
やっていたと非難されましたが、その見解は正しいと思います。
外務省はアメリカ政府だけではなく、日本政府をも欺いていました。
何が何でも真珠湾奇襲を成功させたいからです。
しかし戦後、アメリカは共産主義との闘いが優先され、それには陸軍悪玉論のほうが都合がよく
(陸軍のほうが大資本勢力が金の力で世界を支配する市場原理主義を批判する社会主義派が多いため危険だと見られました)
野村大使は戦争責任を追及されるどころか、CIAの工作員になりました。
戦後に海軍関係者が集まった海軍の座談会では
アメリカに負けて良かったw
陸軍に負けなくて良かったw
と笑いながら、海軍幹部らは談笑していたそうです >>185
>ルーズベルトを悪党、戦争屋のように言っていますが、・・・・・
近年明らかになった史実では、まさにその通りだろう。
フランクリン・ルーズベルトはアメリカ合衆国第32代大統領に就任(1933年)すると、
すぐに共産国家ソビエト連邦を承認し、国交を樹立。第二次世界大戦ではスターリンと
手を結んで、ドイツ、日本を叩きつぶすことを決意。ソ連、中国に多額の軍事支援を
行なった。
1940年、ルーズベルトは米国史上初の大統領三選を果たすが、それは『アメリカは参戦
しない。アメリカの若者を戦地に送らない。』との公約に基づくものだった。
しかし、英仏首脳に米国参戦を密かに約束していたルーズベルトにとって、この公約を
覆して世論を参戦に向かわせ、ヨーロッパ、アジアの戦場に出兵するためには、敵からの
米本土攻撃のような何か特別の事件が起こる必要があった。そこで、彼の取った策略は
日本を追い詰めて先に手を出させることだった。・・・・・・・・
大日本帝国海軍による真珠湾奇襲の第一報を受けて、ルーズベルトとチャーチルが歓喜
したという話が伝わっているが、・・・・・
<>>160 より> >>190
ほとんどの部分
通告が真珠湾攻撃の1時間後にも触れているがその部分は大して重要ではない 最大の戦犯は山本五十六である
一、帝国国防方針は、対米戦ではまずフィリピンを落とし、アメリカ海軍が日本近海(小笠原)
まで補給線が伸びたところで一大海戦で勝負を決するという伝統的作戦を放棄した。
一、戦前駐米武官として勤務しており米国の国力、奇襲攻撃をした場合のアメリカ人の反応を
誰よりも熟知していた。
一、戦いの前に敵に堂々と名乗り卑怯な攻撃をしないという気高い武士道精神に反している
一、半年は十分に戦えるとしながら半年後のビジョンは全く示していない。
一、生来の賭け事好きでいはば国民の命と引き換えに対米戦という大博打をやってしまった。
一、鎌倉武士以来、東郷大将までの指揮官先頭という伝統的戦いをせず、ミッドウェーでは
はるか後方にいた。
一、ミッドウェーで航空畑の山口多聞を最高指揮官とせず、飛行機に無知な水雷屋の南雲を指揮官に命じた。
一、真珠湾攻撃前夜、アメリカではリンドバーグがアメリカ各地でヨーロッパ戦に不介入を説いて回り
大多数の米国民が戦争反対であったにもかかわらず、スターリンを喜ばす南進論を遂行した。
一、リッペントロップによる日本海軍のウラジオストク攻撃を一顧だにせず無視し、
精強シベリア軍団のヨーロッパ移転を許した。
一、一かバチなら対ソ戦の方がまだ対米戦より見込みがあったが陸軍憎しで北進論を無視した。 鬼畜米英
ススメ一億火の玉だ
欲しがりません勝つまでは
来るなら来てみろ赤トンボ 拾ったが、真珠湾が無くてもアメリカは戦争する気満々になってのが分かる
調査日:1941年11月27日〜12月1日
質問:米国は近い将来、日本との戦争に入るか
回答:Yes52%、No27%、意見なし21%
調査日:1941年10月24日〜29日
質問:米国は、戦争の危険を犯しても日本がより強力になるのを防ぐべきか
回答:Yes64%、No25%、意見なし11%
(同じ質問の8月21日〜24日の調査ではYes70%、No18%、意見なし12%)
調査日:1941年2月16日〜21日
質問:米国は日本が蘭印とシンガポールを手に入れるのを防止する様に努めるべきか
回答:Yes56%、No24%、意見なし20%
(同じ調査日で)
質問:米国は日本が蘭印とシンガポールを手に入れるのを防止する為に必要であれば戦争のリスクも取るべきか
回答:Yes39%、No46%、意見なし15% 井口省吾とか井口貞夫とか
井口って名前のやつはろくなやついないな 戦犯って戦時国際法違反のことだろ
だから日本に戦犯なんかない
日本は国際法を遵守して戦った 東京、長崎、広島の非戦闘員が住む住宅地に
空爆してユダヤ人虐殺ばりの大量虐殺を行ったアメリカこそが最大の戦犯国だ
この犯罪は絶対に糾弾されなければならない >>197
あんたバカ?
1、中国に対する都市無差別爆撃と先制攻撃
2、ハワイに対する不法な先制攻撃
3、各地での捕虜大量処刑
これらが国際法違反で無いと?
これらが >>197
>日本に戦犯なんかない
>日本は国際法を遵守して戦った
全く貴殿の言う通りで、「敗戦の責任者」というべきなのだが、ここの住人の知能水準では
「面倒くさいことを言うな! 語呂がいいから使っているだけだ。」となる。そこを韓国、中国
に付け込まれる訳だが、それへの対策を考えるのが、また面倒くさいので、結局放置という
ことになる。 >>200
あんたバカ?
1、中国に対する都市無差別爆撃と先制攻撃
2、ハワイに対する不法な先制攻撃
3、各地での捕虜大量処刑
これらが国際法違反で無いと? >>201
あんたバカ?
1.日本に対する無差別爆撃と原爆投下
2.病院船に対する不法な無警告攻撃
3.南太平洋における漂流水兵大量銃撃虐殺
これらが国際法違反でないと? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています